第二章 加藤航空隊Ⅳ
第二章 加藤航空隊Ⅳ
【十】
四機のCR.30が、次々と滑走路を駆けてゆく。
三機目のコンティ少尉が、白線を越えて「走りすぎ」ている。
あれは本番なら水没しているというわけだ。
双眼鏡の青い視界から、軽快なエンジン音が降ってくる。
それとは別に、背中のほうから違う駆動音が聞こえてきた。
うちが使っているような雑音がない。
どことなく、お行儀の良さを感じさせる。
加藤が双眼鏡をそちらに向けると、黒い乗用車が砂煙を上げて丘を登ってくるのが見える。
「中佐、あれは誰です?」
「あの車両は陸軍だな。……いや……まさか……」
同じく双眼鏡を向けた、マリーニの声が上擦っていく。
車両に翻る旗を見て、「元帥か!?」と小さく叫ぶ。悲鳴に近い。
元帥という単語に反応してか、伊東も双眼鏡を向ける。
「どうしました」
「元帥だ、元帥が来てる!」
「うちの元帥なら、ここに」
慌てふためくマリーニに、加藤が伊東の両肩を掴んで見せる。
マリーニは付き合っていられないとばかり、吐き捨ててから走りだす。
「違う! ほんものの元帥だ、バドリオ陸軍元帥だよ!!」
「ほんものの元帥……」
加藤は呟いて、伊東のことをじっと見た。
それに伊東は半眼で睨み返す。
「にせものの元帥みたいに見るのやめてもらえます?」
◇ ◇ ◇
きっと音を立てて官用車が止まったところに、マリーニが慌てて出迎えの姿勢を取る。
先に現れた従兵が扉を開けると、ゆっくりとバドリオが現れた。
それなりに歳は重ねているはずだが、背筋の伸びかたには風格がある。
椅子を勧めたが、右手でそれを制される。
まあ椅子といっても、ここでは端材の丸太をそう呼んでいるだけだが。
「楽にしていい」
「光栄であります。しかし、このようなところに、どうして」
「おや、カヴァニャーリには伝えておいたのだがな。聞いてないか」
「まったく、なにも」
カヴァニャーリからマリーニへの連絡が漏れたというのもありそうだし、バドリオのこの感じを見るに実は伝えてなどいないというのもありそうだ。
だがそれをここで口にするほど、マリーニは愚かな将校ではない。
べつに構わないという調子で、バドリオは笑う。
「いや、なに、海軍さんが面白いことをしていると、御前会議でも話題になっていてね。今日は、そのお祝いだよ」
「お祝い、ですか」
「もう着くだろう。ほら」
来た道をバドリオが指さす。その先に、動物の陰が揺れているのがわかる。馬か。
「あれは」
「わが陸軍の移動式炊事車だよ。馬でしか引けないのが難点でね」
「はあ」
「きみらは食事にも困っていると聞いている。陸軍式なのはすまないが――どうだ、ここは奢らせてもらえないか」
バドリオが言うよりも、そして馬車が止まるより早く、兵たちが飛び降りて炊事車を据え付けている。
鍋が下ろされ、煙突が立ち、折り畳みの食卓と椅子がみるみる並べられていく。
椅子もちゃんとした、かっこいいやつだ。
さすがはほんものの元帥だ、とマリーニは思った。
【十一】
マリーニは舌を巻いていた。
腕がいいのか食材がいいのか、それとも両方か。
結婚式で出るような料理が次々に現れる。
加藤と伊東のことも心配だが、彼らを気遣う余裕は今のマリーニには無かった。
バドリオはワインを開けさせて、上機嫌である。
「あのときのヴァッレときたら、きみらにも見せてやりたかったよ」
「はあ」
「しかし、まあ、きみもそうだが、カヴァニャーリも苦労している」
ワインが残っているような口で、バドリオが笑う。
マリーニとしては頭を下げるよりない。
空軍連中の抗議の声は、マリーニのところにも届いている。中には脅迫めいたものもある。
海軍参謀総長となれば、さらに苛烈な攻撃にあっているだろう。
「ご迷惑をおかけしております」
「なんの、面倒も迷惑もどんどん起こしたらいい。それをなんとかするのがカヴァニャーリの仕事だからな」
「はあ」
われわれの仕事、ではないところにバドリオの立ち位置を見た気がする。
マリーニもグラスを傾ける。
そのとき、バドリオの後ろから、一人の青年が現れた。
「……元帥」
所在なさげにしていた彼は、線が細くて眼鏡をかけて、そして何より軍服ではない。
技術者かな、とマリーニは察する。
「ああ、ああ、そうだな。忘れていないよ。まったく忘れていない」
わかりやすく忘れていたバドリオが、グラスを置いて、彼をマリーニの前に促した。
となると、ここはうちの司令官も必要だろう。加藤と伊東を呼びつける。
「ひとり、紹介したい者がいるんだ」
「はい」
「レッジャーネ社のベルティくんだ」
マリーニがベルティに手を差しだした。
握った手は、意外と皮が厚い感じがした。
そのマリーニの後ろで、伊東と加藤が喋っている。
「レッジャーネ、ですか」
「聞いたことないな」
「産業機械とかが主製品ですからね、われわれとはあまり」
それを受けて、マリーニも口を開く。
まあ日本人の会話は、バドリオやベルティには通じていないだろうが。
「鉄道のほうもやっておられるとか」
「ええ。その関係で、陸軍さんとは懇意にさせていただいておりまして」
ベルティが、ちらとバドリオを見る。
バドリオは目を閉じて、深刻そうに頷いた。あくまで深刻そうにである。
「だがまあ、この不況でな、レッジャーネは買収されてしまってな?」
「ええ。それで親会社の意向で、弊社も飛行機産業に参入することになりまして」
「レッジャーネには世話になっているし、わたしの戦友が何人もいる。ベルティくんのお父上もそうだ。潰れてほしくはない」
なるほど、そういうことか。マリーニは得心した。
「それで、うちということですか」
「そういうことだ。どうだ、ここで勉強させてやってくれないかな」
元帥直々のご登場で、飯まで奢ってもらっておいて、断れるわけないだろう、とマリーニは思う。
もちろんです――マリーニがそう言うより早く、加藤が声を出した。
「鉄道ですか、それはいい」
「はい?」
伊東が変な声をだす。
はいじゃなくて通訳しろよ、と促され、伊東は自分の仕事を思い出した。
「軍港からここまで鉄道を引けませんか」
「え、あの、それは……ちょっと……」
「なあんだ」
加藤は本気でがっかりしていた。
軍港からここまで鉄道が引ければ、環境は劇的に変わるだろう。
大型資材の搬入も楽だし、なんなら航空機だって運べてしまう。
人の行き来も楽になるから、飯に行くのも気楽になる。
だが当然、勾配もあるし地盤も調べなくてはならないし、そしてなにより莫大な予算が必要になる。
それを持ち出せるほど、レッジャーネに余裕は無いだろう。
加藤の「なあんだ」まで伊東は訳さなかったが、ベルティはその表情で落胆に気づいたのだろう。
埋めあわせるように、「あ、でも」と話を続けた。
「電気でお困りとか?」
「なにか策でも?」
「策というほどのものではありません。ここは水源が近くて流量も豊富でしょう? 簡単な水力発電の装置なら、すぐに準備できますよ」
伊東がベルティの言葉を訳すに連れて、加藤の表情が満ち足りてゆく。
「ベルティくんと言ったか」
「はい」
「わが航空隊へ、ようこそ」
これを伊東は訳そうとしたが、その必要は無さそうだった。
加藤が笑顔で差し出した手を、ベルティが固く握っている。
伊東も少し希望が見えて、隣のマリーニに話しかけた。
「電気があれば、電話も引けますね」
「電気があると、彼らは徹夜してしまうだろう。睡眠の指導をしなくちゃならん」
マリーニは伊東ではなく、ベルティに向けてそう言った。
ベルティはベルティで、隣のバドリオに小声で話す。
「ここ、変じゃないですか」
「だからきみにも居場所がある」
「まあ、空軍では門前払いでしたからね」
そのやりとりが気になったのか、加藤は伊東に訳させた。
それを聞いた加藤は、なぜか胸を張って告げたのだ。
「そのてんご安心いただきたい。うちには門がないですからね」
「門を持たない航空隊」は、こうして門出の日を迎えた。
いろいろな課題を抱えながら、それを解決したり、あるいは共存したりして、訓練を重ねていった。
しばらくして、客船ローマの改装工事がひと段落した。
彼女は護衛艦アクィラとして進水する。
加藤と伊東、マリーニが艤装途上の艦橋に足を踏みいれたときだった。
その艦内のラジオを通じて、王国首相ムッソリーニが高らかに宣言していた。
イタリア王国は、エチオピア帝国を調伏するべく進攻を開始したと。




