第六章 マルタ奇襲Ⅸ
第六章 マルタ奇襲Ⅸ
【十八】
こうして人手と足を得たペンドルトンは、副長を回収して艦へ戻った。
汚れた陸軍の連中にどやどやと乗りこまれて、航海長などはすごい顔をしていた。
「これは、なにがあったんですか」
「まあ、色々だよ」
航海長も、それ以上は聞かなかった。
すると電信員が紙片を持って駆けてくる。
「フォード司令より入電です」
「なんと言ってる」
「ユーステノプテロンは駆逐艦を率いて地中海艦隊を先導せよ、とのことです」
「……なるほど」
そう絞り出して、視界の隅でプレストン大尉を見た。
奮戦した彼らを前にして、脱出の話は大っぴらにしたくなかった。
そうする間にも、駆逐艦の何隻かが動きはじめている。
あるいは、それを気取られたのかもしれない。
上空を飛び回る飛行機が、ふと針路を変えた。
そして艦に小さな、だが連続する振動があった。
「右舷方向に被弾、損害軽微」
「機銃掃射か」
本来この手の報告は副長が艦長にするのだが、副長は医務室で腹を抱えている。
だからペンドルトンは、艦橋であらゆる報告に直で応答していた。
「プレストン大尉、こいつはなんて船なんですか」
「E級軽巡洋艦のユーステノプテロンだ。旧式だけど、いい艦だぞ」
「サー・ジェーン年鑑にしてみりゃあ、どんな船でもいい船でしょうよ」
その艦橋の角で、プレストンは軍曹とそんなことを言いあっている。
「損害修正、後部発射管にて死傷者複数!」
「発射管は」
「無事のようです」
冷たいようだが、ペンドルトンは魚雷発射管を心配していた。
これに被弾、点火すれば、こんな艦など真っ二つに折れてしまうからだ。
「ユーステノプテロン、出航せよ」
「ユーステノプテロン、出航します」
航海長が復唱し、機関が唸りを上げる。
艦が、滑るように動きだす。上空の敵機が色めき立つ。
それもそのはずで、このユーステノプテロンは旧式なれど軽巡洋艦である。
こんなに襤褸で貧弱な艦でも、グランド・ハーバーにおいてはロイヤル・サヴリンに次ぐ大艦なのだ。
「ところで、陸軍の連中は?」
「見ておりませんが」
副長のついでに勢いで乗せてきてしまった。
申し訳ない、と思ったときに、彼らの姿はなかった。
その答えは意外なところから聞こえてきた。伝声管である。
「こちら後部発射管。死傷者の救助収容、完了しました」
「ご苦労」
「しかし、この陸軍連中はなんなんですか」
「あー……」
ペンドルトンは両目の間を指でつまんだ。
プレストン大尉らは発射管での救助を手伝っていたらしい。
「代わってくれるか」
「代わりました。プレストン大尉です、艦長〈キャプテン〉」
「度々の助力に感謝する。ついでに、もうひとつ頼めないかな」
「なんなりと」
「そのまま発射管についてくれ」
「――喜んで」
ペンドルトンは、伝声管の向こうに軍曹の呆れ顔を見た気がした。
「これがほんとの、乗りかかった船ってやつですね」
【十九】
ロイヤル・サヴリンが湾口へ向かう。
重巡三隻の二十センチ砲二十四門、戦艦二隻の三十二センチ砲二十門、そのすべてがただ一隻の戦艦に向けられている。
ロイヤル・サヴリンのぶあつい装甲は、その一発一発を弾き返す防御力を有していた。
だが重巡の砲弾が上部構造物を抉りとる。
至近に落ちた戦艦の砲弾は艦体に亀裂を生じさせ、続く着弾の爆圧が艦内廊下を水浸しにする。
それでもロイヤル・サヴリンは浮いていた。
そして、戦っていた。
そのロイヤル・サヴリンの後ろから、いくつもの艦影が踊りでる。
軽巡洋艦ユーステノプテロンと、それに率いられた三隻の駆逐艦である。
率いられたとはいうものの、たまたま居合わせた四隻である。
統一された襲撃運動など望むべくもない。
それでも大英帝国海軍なのだ。呼吸は合わせられる。
敵重巡戦隊は、すでにその数を二隻に減らしている。
ロイヤル・サヴリンと沿岸砲台による戦果だろう。
「あれはザラ級重巡洋艦だな。防御力に優れているんだ」
「じゃあ勝てないってことですかい」
「そんなことないさ」
「どうしてです」
「われわれはロイヤル・ネイビーだからな」
「われわれは陸軍なんですけどね」
ユーステノプテロンが海面を駆けていく。
駆逐艦もそれに従うように連なっている。
居並ぶ魚雷発射管が、ぐっと左舷側を睨む。
ザラとポーラは、うろたえていた。
彼女らは、決死の覚悟で戦艦と撃ちあっているのだ。
それに水を差してやろうというのが、こちらの狙いである。
もしかすると、いら立っていたのかもしれない。艦首が左右にぶれて、回避機動を取るのが見えた。
だがもう遅い。白波を蹴立てた一隻と三隻は、青い海に航跡を引きながら突っ込んでいく。
ユーステノプテロンが、大きく右舷側へ舵を切った。
駆逐艦も、それに続く。
〈撃て!〉
「軍曹、撃て!」
「おらよっと!」
魚雷の発射は、あまり華々しいものではない。
ぽっと間抜けな音を立てて、どぼどぼどぼと重量物が海中へ落ちるのだ。
そして、それが――それらが自走していく。
「あれ一本で家が建つんですよね」
「そうらしいな」
「戦争って金がかかりますねえ」
泡の帯が、扇状に伸びていく。
扇は扇でも、それはずいぶん不格好なものだった。
だが、やはり、腐っても大英帝国海軍である。
二十を超える射線が、重巡戦隊を捉えるべく広がっていく。
十秒、二十秒、艦内は戦闘中ということを忘れたように、全員が息を呑んでいた。
――はずれたか?
だれかがその疑問符を掲げたときだった。
敵重巡の舷側で一本、二本、合計三本の水柱が上がる。
そこから一拍だけ遅れてユーステノプテロンは、大歓声に包まれた。
そしてその後部発射管で、談笑している陸軍の一団がいる。
「いやあ、当たらなかったなあ」
「撃たせてもらっただけで、サー・ジェーン年鑑には儲けもんでしょう」
「それはそう」
「重巡を沈めた陸軍将校なんてのは、小説の中だけにしときやしょうや」
軍曹が呆れたようにいうと、ひときわ大きな笑い声が上がった。
だが、プレストン大尉たちが放った魚雷は、思わぬところで思わぬ戦果を出していたのだ。
【二十】
しとめた。
コンテ・ディ・カブールの艦橋で、カンピオーニは確信した。
度重なる至近弾と執拗な爆撃により、ロイヤル・サヴリンの耳目は奪われている。
それでもロイヤル・サヴリンは浮いており、今なお戦いを諦めていなかった。
そのロイヤル・サヴリンの影から、水雷戦隊が現れたときは驚いた。
だがそのおかげで、この戦域のすべての視線がそこに集中したのである。
ザラに二本、ポーラに一本の水柱が立つ。
沈没は免れたらしいが、大いに速力を減じて戦域より離脱していく。
カブールとチェザーレの主砲が一斉に、そして轟然と炎を上げる。
飛翔する二十の砲弾は天衝く水柱を屹立させて、ロイヤル・サヴリンを閉じこめた。
甲板をぶち破り、砲塔を崩壊させる。
幾度の砲撃に耐えてきた装甲は、ついに破滅のときを迎えていた。
そのときだった。
なんの前触れもなく、少なくともそれをだれにも思わせることなく、チェザーレの艦首がもげたのだ。
これがユーステノプテロンの発射した魚雷だったとは、のちにわかることである。
重巡戦隊を狙って外れた魚雷が航走を続け、あろうことかイタリア艦隊主力にぶち当たったのだ。
艦首を失ったチェザーレは、破孔から怒涛の海水を呑み込んでいる。
誇っていた快速は見る陰もなく、つんのめるようにして行き足を止めてしまった。
ロイヤル・サヴリンは、炎上しながら浮いている。
その黒煙に包まれた測距儀は、そして反撃の一斉射は、たしかにジュリオ・チェザーレを捉えていた。
それらの三十八センチ砲弾は、しかるべき威力をもってチェザーレを打ちのめし、ついにマルタ海峡へと沈めてしまった。
ロイヤル・サヴリンは、返す刀でコンテ・ディ・カブールを砲撃した。
距離が詰まっていたことから、浅い仰角で吐き出された砲弾は、カブールの上部構造物をことごとく薙ぎ払った。
イタリア艦隊の旗艦は、ただ浮いているだけの船になった。妹の仇討ちを果たせないまま、戦艦の機能を喪失したのだ。
だが、ロイヤル・サヴリンもまた、すでに限界を迎えていた。
アクィラ、スパルヴィエロから四十機ばかりの複葉機が発進していた。
もはや何次攻撃なのか、加藤も伊東も数えていない。
一次攻撃、二次攻撃のあとなどは、搭乗員も興奮しきりだった。
整備員や甲板作業員に、戦いぶりを勇ましく話していたのだ。
それが回を追うごとに、口数が減っていった。
補給を受けているわずかな時間が、搭乗員にとって貴重な休息なのである。
いつだか加藤が語っていたことを、彼らは身をもって経験していた。
五分、十分を貪るように眠れるか――それが彼らの生死を分けた。
そして実際に、口の数は減っていた。
伊東は帰還機を迎えるたびに、これだけか、という思いを抱いていた。
加藤は黙々と爆装作業を手伝っていた。
十五キロ爆弾は十五キロだから、ひとりで抱えることはできる。
その代わり一機あたり十二発を装備するとなると、これはまたかなりの労働力を要した。
そんな十五キロ爆弾は、ひとつひとつの威力は小さかった。
だが五百ほどの小型爆弾は、大戦艦のとどめに十分だった。
やがて甲板に空いた穴から、いくつかの爆弾が転げこむ。
わずかに残っていた弾薬が誘爆し、老戦艦は静かにその身を横たえて、それでもしばらく浮いていた。
そして、海が静かになった。




