第六章 マルタ奇襲Ⅶ
第六章 マルタ奇襲Ⅶ
【十四】
グランド・ハーバーからほど近いところに、マルタの首都ヴァレッタがある。
マルタ石は建材として優秀なだけでなく、その景観も目を見張らせるものがあった。
高くなる陽光を受けて、街並みが蜂蜜色に染まる。
その眼下には地中海の青が広がっており、見るものを魅了せずにはいられなかった。
そんなヴァレッタに、ひときわ立派な建物がある。
宮殿と呼ばれるが、頑健、重厚な城砦である。
ヨハネ騎士団が建設し、ナポレオン・ボナパルトによる占領を経て、いまは大英帝国が入居している。
マルタにおける権力の象徴だ。
その象徴が、揺らいでいた。
より正確には、ロイヤル・サヴリンの砲声が、大英帝国マルタ総督府のガラス窓をかたかたと揺らしていた。
「空軍の状況は」
「ひどいありさまです。飛行場は全滅、消火にあたっていたものすら吹き飛びました」
揺れる窓の内側――総督府の一室に、陸海空軍の将校たちが集まっていた。
だが実態としては、それぞれがとにかくここへ来たというのに近い。
結果としてマルタ総督ドビーのもとに、かれらは一堂に会していたのだ。
そのドビーの問いに、フォスター・メイナード空軍准将が答えた。
「増援は望めないな」
「……ええ」
確認するドビーに、メイナードは沈痛な面持ちで頷いた。
それもそのはずで、もはやメイナードと空軍に手持ちの駒はない。
「海軍航空隊はどうか」
「飛行場ごと消滅しました」
海軍中将のフォードが、ドビーに答えながらメイナードを見やる。
メイナードは目を逸らした。
海軍の航空隊は、空軍の飛行場に居候していた。
その損害が空軍の責任かは別として、後ろめたさがないわけでもない。
「グランド・ハーバーの状況は」
「ロイヤル・サヴリンとセント・アンジェロの砲台群が戦闘中です」
フォードの声は――メイナードと違い、力強い。
それに応えるように、砲声が遠く、だが確実に聞こえている。
これが聞こえているうちは、マルタは戦えているからだ。
「潜水艦は全艦が安否不明です」
「潜水艦は貴重だが、今この場で使える戦力ではないな」
「駆逐艦は少なくとも二隻が喪失、入港していた軽巡と残る四隻の駆逐艦についても不明です」
「わからないことだらけだな」
ドビーが嘆息する。
三軍の指揮官が集まったところで、このありさまなのだ。
「わかっていることもあります」
「なにかね」
「港湾施設は更地になっています。イタリア艦隊を撃退しても、復旧は困難でしょう」
そんなことが聞きたいのではない。
ドビーは目で言うだけで、口には出さなかった。
代わりに口に出したのは、マルタ防衛計画の再確認であった。
「われらの頼みは地中海艦隊だけというわけか」
「それなんですが。来れないそうです」
「は?」
ドビーの喉から、すっとんきょうな声が出た。
これは国家戦略の話であり、友人との待ち合わせとは違うのだ。
ああ、あいつなら来れないらしいよ。で済む話ではない。
ドビーが重ねて問う。
「どういうことか」
「はっきりしないのですが、フランス艦隊がどうとか」
「われらが戦っているのはどの国なのかね?」
ドビーは苛ついたようすを隠す気もなく言い放った。
「……イタリアです」
「ではフランス艦隊の動向は関係あるまい」
「詳細は不明です。ただ、救援の時期もわかりません」
ドビーの怒りに触れていながらなお、フォードは断言した。
これもまた、フォードの“わかっていること”なのだろう。
つまり港湾が壊滅しているのと同じ次元で、地中海艦隊は来られないということか。
メイナードが、場を取り持つように発言する。
「陸軍はどうなのです」
「セント・トーマス湾において、上陸部隊と交戦した、あるいは交戦しているらしい」
「やつらの狙いは、ここですか」
「おそらく。だが、ここであれば耐えられる」
要塞たるマルタ、ヴァレッタはその首都なのだ。
生半可な攻撃で陥落するようなものではない。
それでもヴァレッタは、グランド・ハーバーから目と鼻の先である。
そこを制圧されてしまえば、敵戦艦の艦砲射撃に晒されるのは明白だった。
「――耐えてはいるが」
「いつまで耐えるのか、ということですね」
メイナードは、ドビーの苦い言葉の後を継ぐ。
空軍将兵の生き残りは、やることがない状況だ。
ならばと臨時に陸軍の防衛部隊に配されているものもある。
メイナードにとって、陸軍の動向は他人ごとではない。
ドビーはメイナードの言を肯定した。
「マルタの安全保障は地中海艦隊によって行われてきた。つまり地中海艦隊が駆けつけるまで時間を稼ぐという戦い方だ」
「それが崩壊した以上――」
「ああ。決断のときは近いのかもしれん」
かたかたと窓が鳴いていた。
【十五】
イタリア艦隊には時間が無かった。
マルタ攻略軍の指揮官たちは、とにかく時間に追われていた。
たしかに日程は過密だったが、そればかりが理由ではない。
イギリス地中海艦隊である。
すぐに来られないのはわかっている。
だが、では、いつ来るのか。
十日後には来ているだろう。
五日後ならどうか。二日後は。
今は来ていない。次の瞬間にはどうだ。
背後に迫っているのではないか。
そんな強迫観念にも近い思いを、イタリア艦隊司令のカンピオーニは抱いていた。
旗艦コンテ・ディ・カブールの艦橋で、ついつい後方を確認してしまう。
「どうされました」
「べつに。なんでもない」
カブールの艦長が、訝しげに問う。カンピオーニはかぶりを振った。
「なんでもないが――なかなか埒が明かないな」
グランド・ハーバーに居座る戦艦、ロイヤル・サヴリンはその艦齢に劣らず老練の戦いぶりだった。
鈍足でありながら、桟橋や埠頭、港湾地形を盾にして巧みに射線を切っている。
そして隙を見て、巨弾を送りこんでくるのだ。
たしかにカンピオーニは――イタリア艦隊は、港湾施設の破壊を第一目標に定めていた。
第二目標は、ここから首都ヴァレッタへ圧力をかけることである。
ゆえに敵戦艦は自らの保全を図り、それをもってイタリア艦隊へ圧力をかけていた。
これもまた軍艦による存在感〈プレゼンス〉である。
「やりますか」
「ああ。重巡戦隊へ通達、湾口へ前進――埒を明けよ」
このカンピオーニの判断は、永年にわたり議論を呼ぶことになる。
イタリア艦隊の重巡洋艦戦隊は、たしかに有力な戦力だった。
だがここグランド・ハーバーは、マルタにおける海軍の一大根拠地である。
その枢要たるセント・アンジェロ城砦とその砲台群もまた、きわめて強力なものだった。
なかでも十五センチ級を主力とする沿岸砲台にあって、ここには二十センチ級のそれが二門あった。
これを中心とした「アンジェロの牙」は、要塞としてのマルタ島の象徴だった。
二十センチ砲は海軍の基準でいえば、重巡洋艦の艦砲に匹敵する。
戦艦は無理でも、それ以外の艦船であれば優位を保てた。
たとえば、重巡洋艦が相手であっても。
「重巡戦隊、沿岸砲から集中射を受けています」
「そうなるだろうな」
戦隊はトリエステ、ザラ、ポーラからなる。
防御力を重視したザラ、ポーラと比して、トリエステは速力が優れている。
装甲はかなり薄いため、二十センチ砲どころか十五センチ砲の至近弾にさえ往生しているありさまだ。
「本艦、およびチェザーレで沿岸砲台を始末するぞ」
つまりカンピオーニは、重巡戦隊を囮にして沿岸砲台を叩くことにしたのである。
よりカンピオーニの心中に寄り添うとすれば、場を動かそうとしたのだった。
この結果としてトリエステは大破沈没、ザラとポーラは中小破の損傷を受けることになる。
これを代償として、「アンジェロの牙」はことごとくへし折られることとなる。
カブール、チェザーレの激烈なる砲撃にさらされたからである。
いくら沿岸砲台の防御が堅いといっても、その壁を崩し、砲身を折り、兵員を吹き飛ばせば機能しなくなる。
だが一方で、いくら沿岸砲台が強力であっても、カブール、チェザーレの両戦艦の装甲を撃ち抜くことは不可能である。
つまりは捨て置くことも選択肢にはあるはずだった。
これが後世においてカンピオーニが批判の的になる原因である。
だが彼は、イギリスの地中海艦隊をおそれていた。
それは、ゆえなきことではない。
ここで退くわけにはいかないのだ。カンピオーニは唇を噛む。
地中海艦隊が現れたら最後、一世一代の大作戦は失敗に終わり、地中海の覇権は二度と手に入らないだろう。
そうであれば、ここでどんな損を出しても勝ちきらなければならないのだ。
「提督」
「なにか」
「――来ます」
「おいでなすったか」
ロイヤル・サヴリンである。
カンピオーニは賭けに勝った。
そして賭けに勝ったものだけが、次の賭けに挑戦できる。
賭け続けて、勝ち続けるしか、勝ちは無いのだ。




