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第六章 マルタ奇襲Ⅵ

挿絵(By みてみん)

第六章 マルタ奇襲Ⅵ


【十一】


「軍曹、生きてるか」

「あいにく死にぞこなってますよ」

「元気なようでなによりだ」

「まさか戦車が来るたあ聞いてないですぜ」

「そうだよなあ」


 後退に後退を重ねて、とある塹壕の底でプレストンは頷いた。

 戦車は戦車でも豆戦車というやつで、まともな戦車や砲でもあれば一蹴できる。

 だがこちらには戦車のせの字も用意がないのだ。

 結果的に、防御部隊は総崩れとなっていた。


 降伏も時間の問題か。

 その考えが顔に出ていたのかもしれない。

 軍曹が話題を変えるように、頭上の水上機を睨んで言った。


「まったく、空軍の連中はなにをやってやがるんだ」


 それはプレストンも考えていた。

 空軍にせよ海軍にせよ、どう動いているのかわからないのだ。

 それをいえば陸軍もなにをどう認識しているのか、わからないのだが。

 そこまで思考が巡ったところで、軍曹への返答は思わぬところから聞こえてきた。

 地鳴りである。


「おい、あれ」

「……飛行場ですかね」


 ここから西のハルファ飛行場、北西のルカ飛行場があるあたりだろう。

 大型機――イタリアの爆撃隊だろう編隊が悠然と旋回していた。

 どちらも空に向けて、おびただしい黒煙が上がっている。

 兵たちが、そのさまを見ている。

 中には銃を取り落とすものもあり、動揺の波が広がっていく。


 たしかにマルタが燃える光景は、なにか見てはいけないもののような、人智を越えているような、天が遣わせた災禍のような、そんなおそろしさを湛えていた。

 だが、これは戦争である。

 人が起こし、人とぶつかった歪みが現出しているのに他ならない。

 ならば、やりようはある。――あるはずだ。


「タワーからは救援が出ますかね」

「だろうな。そうするとタワーは空っぽになる」

「後詰がなくなって、今や大尉の股ぐらが英伊の国境線というわけですか。こりゃあいい」

「おれの国旗を見せてやろうか。ムッソリーニも逃げ出すぞ」


 下品な冗談は別にしても、最後の一兵まで死守するつもりは毛頭ない。

 さりとて空軍の支援がないまま、ここで戦力をすり減らすのも得策ではない。

 ならばここは、敵を内陸側に引き込んでから、相応の火力で叩く、ということになるだろう。

 そのためには敗残兵だろうが烏合の衆だろうが、一人でも多くの兵を逃さねばならない。


「軍曹、頼みがある」

「なんなりと」

「あいつを動かせるか」


 プレストンは親指で、背後を示す。

 そこにはタワー城砦群の最大火力、「トーマスの角」が生えていた。


「いいんですかい?」

「こういうときのためにあるんだ。使わないのはもったいなかろう」

「手下と指揮官がいりゃあ、ヴェネツィア宮殿だって吹っ飛ばして見せますよ」

「よし。急ごう」


 こうしてボックス・フォックスの隊員は動き出した。

 トーマスの角はマルタが誇る沿岸砲台のひとつである。

 マルタの沿岸砲は二十センチ級と十五センチ級があるが、主力になっているのは後者であり、ここにあるのもそうだった。


 プレストンたちは角に辿り着くまで、いくつかの部隊の背後を通り過ぎた。

 そういう連中の最先任には、合図があったら撤収しろと伝えておく。

 装備が劣弱で指揮も混乱、飛行場が大炎上までしているなかで、恐慌を起こさないことだけは評価できた。

 中には完全に目が据わっているやつが何人もいる。覚悟が極まりすぎている――というより、


「死地を求めているのか」

「あたしゃまだ死ぬつもりはねえですよ」

「当然だ。釣りの約束を忘れるなよ」

「合点承知。しかし思ったより早く約束が果たせそうですね」


 どういうことだ、とプレストンは言いかけてから理解した。


「イタリア軍を釣り上げてやろう」

「いきなりこんな大物とはね。初心者は怖ええや」



【十二】


「……おや」


 上空を旋回しているモレッティは呟いた。

 眼下の空気が、少し変わったように感じられた。

 ともかく目先の敵を撃つ、という調子だった敵兵に、なにかの意志を見た気がした。

 その意志を与えるのは指揮官であり、意志というのは希望である。

 戦場における希望とは、つまり生き残ることだから、この場合は撤退の時機を見ているのだろう。


 初動に遅れたイギリス軍だったが、相当数の増援が駆けつけていた。

 だが手当たり次第に送りこんだというのに近く、統一した指揮が掌握しているようには見えなかった。

 だがここに来て、イギリス軍の防衛部隊はひとつにまとまりつつあった。

 皮肉でもなんでもなく、指揮官が優れているためだろう。


 問題は、その時機だった。この上陸戦、勝ちは勝ちである。

 だがどこまで勝てるかが、今後の戦争に関わってくる。

 追撃戦に移行する時機が要になる。


「こちらモレッティ、敵集団に撤退の兆候あり」

〈アブルッツィ了解、駆逐艦を湾内に向かわせる。一兵たりとも逃すなよ〉


 マリーニもすっかり日本人に仕込まれて、無茶を平気で言うようになった。

 まあ、そのくらいの気持ちでやれということと了解しておく。


 駆逐艦が湾に進入してくる。

 水深は上陸部隊が調べてはいるが、もちろん完全なものではない。

 おそるおそるというようすで、射点についた。


「駆逐艦を確認しました」

〈モレッティ中隊はこれを援護せよ〉

「了解!」


 モレッティがそのように応答するや否や、ほとばしる砲火が網膜を灼いた。

 ただしそれは駆逐艦のものではない。

 イギリス軍が「トーマスの角」と呼ぶ、沿岸砲のひとつであった。


 あっと叫ぶ暇もない。駆逐艦の上部構造物が、串刺しにされるように貫かれる。

 そのとき爆雷か魚雷が誘爆したのだろう、大気を揺する爆発を生じて艦体の半ばあたりで二つに折れた。

 浅瀬なので着底し、沈没には至らなかったが――それがわざわいした。

 艦体はますます燃え上がり、巨大な松明と化している。


 トーマス・タワー城砦群には、沿岸砲が二門あることは前情報でわかっていた。

 一門は湾外を撃てるように、もう一門は湾内を撃てるように配置されている。

 後者のそれは、外を撃てない代わりに外からも撃たれないよう、湾の内陸側に建てられていた。


 マルタにおけるイギリス軍は、島の防備が手薄なだけに、この沿岸砲を頼みとしていた。

 だがその一方で、砲弾不足に悩んでいたのも事実であった。

 砲弾が足りないのでろくに訓練もできていない。

 訓練できないから練度が下がり、練度が下がるから士気も下がる。

 そういう悪循環に陥っていた。


 事実、トーマスの角においては日の出に込めた弾を日没に撃ち、日没に込めた弾を日の出に撃つのがせいぜいだった。

 だから地元の人間たちは、「トーマスの時報」と呼んでいた。


 もちろん、その存在自体はイタリア軍も認識していた。

 だから湾外に向けた一門目は、水上機による爆撃と軽巡の砲撃により封じこめた。

 二門目は――明快に言うならば、慢心、油断、あるいは安堵かもしれない。

 防衛部隊の抵抗はそれなりにあった一方で、沿岸砲は沈黙していた。

 あれは動かない、動けないものだと思っていた。

 砲弾不足という前情報を、機能不全と頭の中で読みかえていた。

 その代償として、駆逐艦一隻を支払うことになったのだ。

 そしてまだ、支払いは終わっていない。


 この二本目の角に対する、イタリア軍上陸部隊の反応は激烈だった。

 あらゆる火力が振り向けられるが、沿岸砲はそれ自体が城砦でもある。

 野砲程度で撃ち抜けるものではない。

 危険を冒して新たな駆逐艦が湾内へ進入するも、炎上する駆逐艦が邪魔して射点を確保できない。

 そうする間にも、角は浜辺に向けて砲撃をする。

 運搬箱による胸壁など、沿岸砲の前ではものの役にも立たない。

 運搬箱ごと吹き飛ばされて、CV33はひっくり返るものまであった。

 こうなると上陸部隊も進めない。

 砲の死角に入りこみ、耐えている以外にない。


〈モレッティ中隊は全機帰還せよ〉

「了解しました。爆撃ですか」

〈艦砲が使えない以上、それしか手がない〉


 質の悪い通信だが、マリーニの苦虫を噛んだ顔が浮かんだ。

 彼の責任ばかりではないが、彼は責任感が強いから悔やんでいることだろう。

 それを言えばモレッティ自身、そのことに気づく必要があった。

 だが今はそれを言っても仕方がなかった。


 アブルッツィ、ガリバルディの両分遣隊が艦の近くに着水する。

 水上での爆装は難儀した。

 モレッティはその作業を歯がゆい思いで待っていた。

 だがこの補給を待つあいだというのは、搭乗員にとって貴重な休息時間である。

 焦り、たかぶる気持ちを宥め、目を閉じて深く呼吸する。眠れなくても、身体を休める必要がある。

 ついに八機すべての爆装が完了したころには、すでに相当の時間が経過していた。

 長めの離水距離を走ってから、全機が空へと舞い上がる。

 角は砲撃を続けており、上陸部隊は釘づけになっている。


「全機、おれに続け!」


 双翼をひるがえし、一気に高度を上げていく。

 CV33が、ありのように見える。

 トーマスの角を確認すると、そこから“飛びこむように”急降下した。


 CR.42は急降下爆撃ができる機体強度ではない。

 だが水上機仕様たる本機は、浮舟が制動板として機能する。

 ゆえに急降下にも短時間なら耐えられる、

 はずだった。そして部下にもそれを訓練させていた。

 八機の水上機が、墜落と見まがうばかりに降りていく。

 最大の速度が乗ったところで爆弾を投下、操縦桿を引いて離脱していく。


 次々と放たれる爆弾は計四十八発、総量は七百キロ以上にもなった。

 砲身や砲郭は頑丈だが、関節部分や銃眼、あるいは操る兵員など、構造的に脆い部分はどうしてもある。

 しかも砲座の切れ目から、ひとつの爆弾が中に飛びこんだ。

 砲弾を誘爆させたようで、砲口から炎が上がったかと思うと、黒煙を吹きあげて沈黙した。

 われわれは勝利した。


 勝利には違いない。しかし――

 やりきれない思いを胸に、モレッティは帰艦するべく機を振った。


 この沿岸砲を沈黙させるまでの間に、多くのイギリス軍将兵が撤退していた。

 駆逐艦は、今も燃えていた。



【十三】


 プレストンと軍曹、そしてボックス・フォックスの面々は、脱出に成功していた。

 水上機が全力出撃してきた時点で、狙いは言うまでもないからだ。

 それなりの数の将兵が逃げられたのは、肌で感じていた。

 街道が渋滞していたからである。

 打ち捨てられたトラックを拾って、軍曹がハンドルを握っていた。


「どこも渋滞してるな」

「グランド・ハーバーにでも行ってみますか」

「構わないが、あれは海軍基地だろう?」

「サー・ジェーン年鑑は軍艦が見たいかと思いまして」

「……別にそういうわけではないんだけどな」

「それに」

「なんだ?」

「海のほうなら釣りができるかもしれません」

「軍曹……もう釣りは懲り懲りだよ」

「ちげえねえ」


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