第一章 遣伊将校Ⅱ
第一章 遣伊将校Ⅱ
【三】
「お疲れでしょう、少し休まれますか」
「いや、結構です」
先導するマリーニが訊ねると、朗らかに加藤が応じる。
加藤の所作は自然で、どこか余裕さえ感じさせる。姿勢もいい。
さっきまで船酔いでべろべろだったくせに、そこは甘えてもいいんじゃないかな、と伊東は思う。
あれです、とマリーニが手で指し示す。
その建屋は、工場にしては大きすぎる。ドックにしては、不自然な屋根がある。
加藤も同じことを感じたらしい。
「間諜の対策ですか?」
「ああ、覗き魔がいるものでね」
応えるマリーニの口調は敵に対する憎悪というより、身内の恥を晒すような言いよどみかたがあった。
それが気になって伊東も口を開く。
「心当たりでも?」
「あれだよ」
マリーニが見上げた先に、複葉機が旋回している。
伊東には飛行機がわからない。
だが軍港の上を悠然と飛んでいるところからして、他国のものとは思えなかった。
「あれは貴国の飛行機では?」
「空軍ですかね」
伊東の問いに、マリーニではなく加藤が言った。
さようとばかり、マリーニが頷いて見せる。
「そうさ。海軍が空母を作ることはまかりならん、と言っているんだ」
「どういうことです」
伊東には意味がわからなかった。
海軍が海軍の艦船を建造することに、空軍が口を出す理由などないはずだった。
だがマリーニの回答には、その理由があった。
「この国では、空を飛ぶものは全て空軍の所管なんだ」
つまり空母を作ることよりも、それに載せる飛行機のことを空軍は問題にしているらしい。
わが海軍も陸軍とは、ありていに言えば険悪だ。
それでも陸軍が船を持っても、海軍は抗議などしないだろう。しないはずだ。たぶん。きっと。
伊東がそのように理解していると、加藤はどこか感心したようすだった。
「蝶々蜻蛉も空のうち、というわけですな」
「伝わりませんよ」
加藤が言っているのは、輜重輸卒、つまり輸送に携わる人夫を揶揄した歌だった。
人夫が兵隊ならば、蝶や蜻蛉も鳥のうちと歌ったものに、イタリア空軍の主張をなぞらえたわけだ。
日本では知られた言い回しだが、マリーニに伝わるかどうかは――
「まさに。電信柱に花が咲く、ですよ」
「伝わるのかよ」
伊東は、思わず口に出してしまった。
◇ ◇ ◇
「……しかし、今の話ですと、空母はできても載せる航空隊が無いということでは?」
「そうなるな」
「そうなるな、って簡単に言いますけど……」
伊東の疑問に、事もなさげにマリーニが応える。
伊東としては呆気に取られてしまうが、あるいはマリーニたちにとっては当然すぎるほど当然のことなのだろう。
「いやあ、これは大仕事になりそうだ。な、伊東」
「なんでわたしに振るんです」
たしかに航空隊を創設し、空母戦力を練成するというのは大仕事だ。
だが空軍と海軍の縄張り争いに巻き込まれるのは想定外だった。
それは大きい仕事というより、厄介とか面倒とか呼ぶべきものだ。
「Oh...Grande ammiraglio...」
「Ohじゃないんですよ」
すがるような目を、マリーニが伊東に向ける。
それを突っぱねたつもりだったが、そこへ加藤が口を挟んだ。
「じゃあ元帥のほうは認めるわけか」
「やめてください」
マリーニと加藤が目を合わせて、肩を竦めて見せる。
なんなんだ、こいつらは。などと思う伊東を無視して、マリーニが再び口を開く。
妙に口調が強いのは、空軍に対する憤りゆえか。
「ただ、まあ、空母を作るだけなら自由なはずだ。そうだろ」
「そりゃあ、そうですが、空母を名乗る以上、飛行機を載せるものだと思われるのでは」
「そこなんだよな」
マリーニと、応える伊東、それぞれ言っていることは正しかった。
海軍がフネを作るのは自由であることと、それが飛行機を載せるフネであれば空軍が口を出す、というのは矛盾することではない。
二人の話を聞きながら、なにやら考えていた加藤が口を開く。
「では、駆逐艦と呼ぶのはどうだ」
「そんな無茶苦茶な。全通甲板を備えた駆逐艦なんて、どこの世界にあるんですか」
「じゃあ、護衛艦とか」
「同じことですよ」
全通甲板がある以上、それは誰がどう見ても空母になる。
書類の艦種を変えたところで、空母が駆逐艦や護衛艦になるわけではない。
わけではないはずなのだが、マリーニがそれに乗ってきた。
「面白いかもしれないな」
「は?」
まさかの反応に、伊東は聞き返してしまう。
マリーニは顎に手を当てて、神妙な顔で話を続ける。
「船団や戦艦部隊に航空の傘を提供するという意味で、これは護衛艦と言っても嘘ではないだろう」
「そもそも駆逐艦というのは、水雷艇駆逐艦の略だったよな。つまり群がる水雷艇を駆逐するのも仕事に含むわけだから、駆逐艦と呼んでも、これまた嘘ではないわけだ」
言いがかりのようなマリーニの主張に、加藤まで乗っかってくる。
こうなると収拾がつかないので、いったん伊東は反論しておく。
「嘘ではないですが、事実でもないでしょう」
だが反論に対する反応は、異様に激烈なものだった。
冗談なのか本気なのか、おそらく半々なのだろうが、伊東に対してえらい勢いでまくし立てる。
「おまえは一体どっちの味方なんだ」
「われわれは空軍だけでなく、伊東のように頑迷な艦隊派をも説得する必要があるわけです」
「元帥、時代は変わっていくものだぞ」
「さよう、さよう」
などと、感じ入るようにマリーニが何度も頷いている。
反論する気力も失って、伊東は口のなかで呟いた。
「なんでわたしが悪者に……」
いじられるのは慣れているが、これでは話が進まない。
伊東は強引に話を戻す。
「しかし、艦種の問題は解決しても、載せる航空隊の問題は解決していませんよ」
「艦種の問題は解決したわけだな。めでたい」
「グランデ・アンミラーリオにご理解いただき光栄です」
「こいつら……」
怒りというよりも呆れてしまい、伊東は力なく呟いた。
そのようすを見てか、さすがにマリーニも少しだけまじめな顔を取り戻す。
「だが、まあ、元帥のおっしゃることももっともだ。何か策はあるんですか」
「どうしたもんかな」
「なんでこっちを見るんです」
二人の視線を受けて、伊東は半眼で呻く。
それを聞いて、加藤とマリーニが顔を合わせる。
「だって」
「ねえ」
だってもねえもないもんだが、伊東は大きく溜息を吐く。
だが、艦種の話をしていて、閃いたことが一つあった。そのために、前提条件を確認しなければいけない。
「……確認したいのですが、空軍は、イタリア海軍が飛行機を飛ばしてはならんと言っているわけですよね?」
「そういうことになる」
マリーニが大仰に頷く。加藤は、だからそう言ってるだろ、という視線を向ける。
これはなんだか、自分らしくない案だという気がする。
この二人に毒されたのかもしれない。
だが、整理すればするほど、この懸案を解決する唯一の方法のように思えてならなかった。
「じゃあ、うちが飛ばすのはどうですか」
加藤とマリーニが、豆鉄砲を食った鳩のようになっている。
あるいは池の鯉みたいに、口をぱくぱくさせていた。
それからマリーニが、ようやく喉から言葉を絞りだした。
「それは、つまり」
「日本海軍が研究のためにイタリアの航空機を購入するんです。そしてその運用、研究をイタリア海軍に委託する、ということですね」
続いて加藤も、開閉する口から言語を出した。
「その場合、航空隊の指揮官というのは」
「加藤少佐ということになるでしょう」
「元帥を差し置いてか?」
「わたしは頑迷な艦隊派ですので」
加藤の顔が、今まででいちばん厭そうな表情をした。
それを無視して、マリーニも再び口を開く。
「とんでもないことを言っているが……ほんとうにできるのか?」
「それは、なんとも。南雲司令は、話のわからない人ではないと思いますが」
そこまで言って、伊東が加藤を見やる。
肚を括ったのか、あきらめたように加藤が頷いた。
「……そうだな。おれから山本中将に話してみよう。あの人なら面白がってくれそうだ」
【四】
洋上で訓練していた軽巡洋艦「阿武隈」に、中将旗を掲げた内火艇が接舷した。
どうせ山本中将だろう。そして当然のように、事前にはなにも聞いていない。
えっちらおっちらと、山本が舷梯を登ってくる。
南雲以下の幕僚が敬礼で出迎えると、山本は軽い感じで答礼をする。
山本が目で合図して、南雲は幕僚を下がらせる。
阿武隈の艦尾側へ向かって歩きながら、南雲が口を開いた。
「中将。どうされました」
「われわれの手先は、何か悪だくみをしているらしい」
「われわれの手先、ですか?」
「遣伊将校だよ。忘れてやるな」
べつに忘れてなどいない。
山本という男は、なまじ頭がいいだけにこういう話しかたをする。
自分がわかっていることは、相手もわかっているという前提で話すのだ。
「ああ、はい。加藤少佐と伊東大尉ですね」
「イタリア海軍に航空隊を持たせるために、日本海軍に購入するよう言ってきた」
「話が全くわかりませんが」
南雲は、わからないことをわかったふりで聞き流しはしない。
だから山本には、どうにも調子が合わないやつだと思われていることだろう。
「イタリアには空軍というのがいて、飛行機は全て空軍が扱うらしい」
「はあ」
「だから日本海軍が飛行機を買って、イタリア海軍に運用を委託するわけだ」
説明されてなお、話がわからない。
なんの解決にもなっていないようにしか聞こえない。
「それはイタリア海軍なのでは」
「書類の上では日本海軍ということになる」
「そんな無茶苦茶な」
イタリア海軍の軍人が乗った飛行機は、イタリア海軍のものとなる。
少なくとも、国際法上は。
イタリアの国内法では違うのかわからないが、空軍がはいそうですかと認めるとも思えない。
「発案は、きさまの部下らしいぞ」
南雲にとって、伊東大尉は目立たない男だった。
水雷屋という派手な仕事を、実直寡黙にこなす将校だ。
昇進が早いほうではなかったが、それは本人の資質というよりも軍縮の影響が大きかった。
そしてそれを、本人は気にしているようすもなかった。
その伊東大尉が、そんな突飛なことを言ったのか。
であれば、それがなにをもたらすか少し興味が湧いてきた。
「……どうなさるので」
「やってやろうじゃないか」
山本が事もなさげに言う。
おそらくそれは口で言うほど簡単ではないはずだ。
「やれるんですか」
「やるんだよ」
「どうしてそこまで」
山本の決意は固いようだった。
なにが彼をそうさせるのか、なんとなく予想できる気もするが、つい聞いてしまった。
山本が、不敵に笑う。
そして予想どおりの答えが返ってきた。
「決まってるだろう。面白そうだからだ」




