↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/35

第六章 マルタ奇襲Ⅳ

挿絵(By みてみん)

第六章 マルタ奇襲Ⅳ


【七】


 浮かぶ倉庫の陰は、ひとつではなかった。

 湾を埋めるというほどではないが、十や二十では効かない数だ。

 軍曹が息を呑む。プレストンのこめかみに、汗が浮く。


「タワーの司令部は機能していない。最悪、おれが指揮するしかない」

「やつら、近づいてきますね。パスタ野郎でしょうか」

「わからん。ヒトラーがグレート・ブリテン島と間違えたのかもしれん」


 くすり、と軍曹が笑う。

 タワーの前進陣地は複数ある。

 だが機能しているのは、こことエキノコックス、あとはD陣地〈ボックス・デトックス〉くらいだった。

 それぞれに複数の機銃座がある。

 加えて野砲が配備されるはずだが、エキノコックスには代わりに迫撃砲が置いてあった。

 デトックスに至ってはそれもないので、まさにあるだけましという状況だ。


「いずれにせよ、マルタの領海に入っていれば撃つ権利はある」

「ロイヤル・ネイビーじゃなければ、ですね」

「そういうことだ」


 エキノコックスが迫撃砲から、照明弾を打ちあげる。

 倉庫は少しずつ、だが確実に接近している。

 そのあいだにも各陣地、各銃座に兵がついていた。

 この三陣地においては、プレストンが最先任だ。

 だからプレストンは自分の陣地の面倒を見ながら、湾全体を守らねばならない。

 静かに深呼吸をする。


「大尉」

「ああ」

「やりましょうか」

「……そうだな」


 軍曹の汚い指が、引き金をひいた。

 最初の三点射は上空に向けての警告だ。止まらない。


「次は当てろ。先頭のやつだ」

「……了解」


 続いて三点射、中央の倉庫にぶち当たる。

 止まらない。いや――


「速度を上げました」

「前方侵入船に対し発砲を許可する! やつらを止めろ!!」


 確かに速度は上がったものの、もともと機敏な船ではないらしい。

 機銃座からはいい的だった。

 もっとも各陣地からの射撃も、大気を裂き火箭が乱れるような弾幕ではない。

 かの正体が不明なうえ、各陣地も銃弾にあまり余裕はない。

 それでも何度めかの射撃のすえに、一隻が転覆する。

 倉庫は船に乗っているだけのようで、ごろりと浅瀬に打ちあげられた。


「あれは……なんなんだ……?」

「爆弾でもなさそうですね」


 プレストンの頭に浮かんだのは、トロイの木馬だった。

 あれをタワーに持ち帰ると、中からナチスが現れる――というのは娯楽小説としてはありだろう。

 だが今この場では、ばかにされている気分がした。

 倉庫の船は撃たれて沈んだり、浅瀬に乗りあげて横転したり、うまいこと砂浜に上陸したやつもいた。

 共通していたのは、どれもこれも、なにも起こらないことだった。


 湾に静けさが戻る。なんだったんだ。

 夜明けの悪い夢だったのか。ただ機関銃の放つ熱が、それを否定していた。

 そのときだった。

 ごう、と軽やかな音が背中を打った。トーマス・タワーのほうだ。

 近くにはハルファ飛行場があるから、空軍か海軍の飛行機が出動したのだろう。


「航空隊が出動するとは、上はなにか掴んでいるのか?」

「とりあえず沖のほうを見てきてほしいですね」


 などと話していたのは、あとからしてみたら完全に呑気がすぎていた。

 発動機音は、ぐんぐん近くなる。

 複数のそれが重なって、海が唸っているようだ。


 プレストンは胸中で舌打ちする。判断を誤った。

 沖合からの音が、周囲で反響していただけか。

 伏せろ、という暇はなかった。

 それはすでに、目の前にまで迫っている。

 下駄を履いた複葉機が、その翼を閃かせる。

 そこにはイタリア海軍の標示があった。



【八】


 後世のわれわれが、イタリア海軍の水上機と呼ぶものは、言葉にするほど簡単なものではなかった。

 空軍は海軍が飛行機を持つことを許さなかったが、水上機は例外だった。

 下駄、つまり浮舟を履いているからこれは船なのだ、と海軍が主張したのだ。

 こんな戯言を、空軍が真に受けたわけではない。


 海軍の水上機はIMAM Ro.43といった。

 けっして悪い飛行機ではないのだが、空軍の求める能力を満たしていなかった。

 つまり、空軍の戦力とは競合しないから持っていてもいい、とお目こぼししたのである。

 ただ、Ro.43の初飛行は一九三三年までさかのぼる。

 加藤航空隊が設立されるより二年も前の時点で、空軍機に劣ると評された水上機である。

 海軍はこれを一九四〇年になっても使っていた。

 さすがに厳しいので、そろそろ更新したいと言い出した。


 それを聞きつけた空軍は、航空機製造会社に根回しした。

 あれに入札したら今後御社の飛行機は買わないと。

 空軍の思惑は成功した。

 しかし今や、海軍にはお抱えの企業があった。レッジャーネである。


 レッジャーネはフィアットから複製したCR.42に、今度は勝手に浮舟をつけた。

 水上機としてのそれは、CR.42I〈イドロ〉と称された。

 浮舟の重量と抵抗はあるものの、必要十分な能力があると、海軍からは好評だった。


 さらに、海軍は先手を打った。

 すなわち水上機もすべて加藤航空隊の所属にしてしまったのだ。

 これなら空軍も文句が言えまいというわけで、戦艦や巡洋艦に搭載される水上機やその搭乗員は、加藤航空隊の分遣隊という扱いになっていた。


 さて、その加藤航空隊分遣隊は、セント・トーマス湾にも出動していた。

 正確には大日本帝国海軍地中海航空隊ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ分遣隊である。

 つまりルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ級軽巡洋艦一番艦「ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ」の水上機隊というわけだ。

 ただし舌を噛むやつが続出したため、アブルッツィ分遣隊と呼ばれていた。

 なので本紙もそれに倣うこととする。


 アブルッツィ級は軽巡洋艦でありながら、重巡洋艦に準ずる大きさの艦体を備えている。

 均整の取れた優秀な軍艦だが、その特筆すべきは水上機を四機も運用できるところにあった。

 ここではアブルッツィ級二番艦「ジュゼッペ・ガリバルディ」の分遣隊とともに、モレッティ飛行中隊を構成している。


 モレッティとは加藤航空隊最古参の一人にして最年長、新聞社あがりのモレッティ大尉であった。

 大尉に八機ばかりの飛行中隊を指揮させるのはもったいないようにも思われる。

 だがそれだけこの八機の働きが重要であることの証左でもあった。


 アブルッツィ級の射出機は二基あるので、二隻が一度に四機を飛ばすことができた。

 そしてモレッティは上空から、防御陣地の火点を確認していた。

 得体の知れない箱が近づいてきたら、まともな軍隊なら撃つだろう。

 だがそれが命取りになることもある。

 モレッティはアブルッツィの艦橋に無電を入れた。


「撃ってきましたね」

〈やつらは西部戦線をやろうとしているんだ〉

「なるほど」


 艦橋から返事をしたのは、マリーニ大佐だった。

 加藤、伊東とは常に行動をともにしていたが、ついにここでは一人の指揮官に戻っていた。


〈あいにくここは地中海だ。思い知らせろ〉

「了解!」


 CR.42イドロは、十五キロ爆弾を片翼三発、計六発を装備していた。

 これに浮舟の増量ぶんがあるので、実は積載量を超過していた。

 だが艦載水上機の利点で、発艦は射出機によって行われる。

 大砲よろしく火薬で打ちだされるわけで、発艦重量には多少の無理ができた。


 その爆弾が、イギリス軍陣地へ降り注ぐ。

 雨のように、というにはいささか寂しい量ではある。

 だが先に突っ込ませた運搬箱への射撃によって、火点の位置は暴露している。

 必要なところに十分な爆弾が落ちるという意味で、それはやはり降り注ぐというべきありさまだった。


 銃座がひとつ、またひとつと爆砕されていく。

 それでも機銃を担ぎ、泥の中を這いながら陣地転換している隊もある。


 さすがは大英帝国だ。モレッティは舌を巻く。

 そして今ひとつの銃座に、照明弾に照らされて将校の姿が見えた。機首を下げて、機銃を放つ。

 すると将校の傍らにいた下士官が、あろうことか撃ち返してきた。


 敵弾は浮舟を貫いただけで、たいした損傷にはならなかった。

 それでもおそるべき胆力だった。

 敵ながら失うには惜しい。モレッティは思う。だが――


〈アブルッツィ、ガリバルディ、ならびに駆逐隊、用意よし〉

「こちらモレッティ、用意よし確認。いつでもどうぞ」

〈巻きこまれるなよ。通信終了〉



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。