第六章 マルタ奇襲Ⅲ
第六章 マルタ奇襲Ⅲ
【五】
バークリーたちが「航空隊」と呼ぶものの正体は、いささか面倒な事情があった。
マルタには北、西、南に空軍の飛行場があった。
だが、そこに配備された飛行機は定数を大きく割り込んでいた。
倉庫にあった部品を組み立ててみたものの、旧式の複葉機が全部で十機に届かない。
対独戦線で苦しいとはいえ、これでマルタ防衛に責任は持てないというのが陸海空軍の一致した見解だった。
そうは言っても、マルタに割ける飛行機はない。それが本国の回答だった。
地中海のことは地中海でやれ、と、こういうわけだ。
各位は憤っていた。憤っていたが、憤っているだけでは話が動かない。
地中海のことは地中海でやるとなれば、あてになるのはやはり地中海艦隊だった。
地中海艦隊には空母「イーグル」がいる。
ドビーとフォードは、はじめ空母を寄越せと地中海艦隊に迫った。
その司令官アンドリュー・カニンガム中将は当然それを突っぱねた。
代わりにカニンガムは、イーグル航空隊二十機のマルタ駐留を提案した。
これだけでもカニンガムにとっては大赤字である。
それを、ふむ、とドビーが顎に手を当てる。カニンガムは頭に来た。
じゃあ予備機もつけてやる、持ってけ泥棒、とばかりに合計三十機の派遣で交渉は成立した。
だが先述したように、マルタの飛行場は空軍の所管である。
そこにイギリス海軍の航空隊が押しかけてくる。
イギリス流の外面の良さで――イタリアのような、表立った海空軍の衝突はない。
だが、たとえば慎ましく暮らす三人の家庭に、十人の居候が来たらどう思うか。きっといい気はしないだろう。
だから三つの飛行場では、そういうことが起きていた。
ロイヤル・サヴリンのレーダーは、早くから敵航空隊らしき機影を確認していた。
レーダー員は、艦長にはあしらわれたものの、航空隊には連絡するべきだと判断した。
各飛行場の海軍航空隊は、その基地機能を空軍に依存している。
つまりどこかで空軍の連絡網を経由する必要があった。
戦艦は戦艦であるだけで、権限があるわけではない。
だからセント・アンジェロの司令部を通して、空軍司令部から飛行場に繋いでもらうのが、遠回りではあるものの指揮系統としては正当だった。
そしてその速報も、フランス降伏とイタリアによる宣戦の混乱のなかで迷子になってしまったのだった。
空軍は空軍で、自前のレーダー基地を整備していた。
そこのレーダー員も、やはり敵航空機の接近を確認していたのだ。
こちらは空軍同士のやりとりなので、すぐに情報は伝わった。
だが各飛行場では、空軍機は岩盤をくり抜いた掩体に収納していた。
対して海軍機は、そんな収容空間はないとして、飛行場に露天で駐機させられていた。
そして海軍機は早朝の哨戒のために、すでに準備をはじめている。
空軍機を発進させるには、まず海軍機に飛んでもらわなければいけない。
この情報を与えれば、海軍機だけが逃げおおせるのではないか。
そんな邪念が空軍将兵に湧いたとしても、だれもそれを責められないだろう。
イタリア空軍のSM.79という爆撃機は、サヴォイア・マルケッティ社の生んだ傑作機である。
レース機を転用しているため速力に優れ、ちょっとした戦闘機なら振り切ることすらできた。
木金混合の単葉機、その両翼と機首にプロペラを有する三発重爆撃機である。
爆弾の搭載量は千キロを超えた。
CR.42の、遊びのような爆撃とは違う。
正真正銘の暴力、ほんものの爆撃機だ。
これが飛行場あたり数十機単位で襲いかかった。
もはや周囲の地形が変わるのではないか、という次元である。
実際に、マルタの地震計はこの時間ずっと揺れを検知していたという。
不幸だったのは、早朝哨戒のために海軍機が燃料を補給していたことだ。
爆弾の威力もさることながら、燃料に引火すると周囲一帯を焼き払った。
飛行場に駐機していた海軍機はもちろんのこと、掩体に隠していた空軍機も無事では済まなかった。
有り余る暴力は付帯する倉庫や宿舎、道路や車両に至るまで全てを破壊しつくした。
それでも救援や復旧のために駆けつけた兵たちがいた。
潮風が火の手を煽り、飛行場は地域一帯が燃えている様相だった。
兵員たちは煙に撒かれて倒れてしまい、そして二度と起き上がらなかった。
空軍は鎮火を諦めた。
燃えるものを燃やしつくして、火勢が落ち着くのを待つしかなかったのである。
のちに飛行場を見たものは、嘔吐するもの、途方に暮れるもの、さまざまだったという。
この飛行場を直したとして、いったいなにができるというのか。
それでも空軍には、復旧するしか希望はなかった。
たとえ飛行場を潰したとて、マルタは島そのものが巨大な要塞なのだ。
苛烈なだけの攻撃ならやりようはある。
なぜならわれらは、大英帝国だからだ。
【六】
マルタ島の南東にセント・トーマスの名を冠した湾がある。
かつてここに、その使徒に捧げられた礼拝堂があったためと言われている。
十七世紀には、マルタ騎士団により城砦が建設された。
トーマス・タワーである。
なぜこんなものができたかというと、セント・トーマス湾が上陸適地だったからに他ならない。
間口が狭いので大規模な着上陸には向かないが、適度に浅瀬と砂浜があった。
湾が奥まっているため波も弱く、喫水の浅い上陸舟艇でも行動できた。
こんなところであるからイギリス軍としては、沖には機雷、浅瀬に障害物、浜には有刺鉄線で防御したかった。
したかったというのは、できない事情があったのだ。
マルタ市民の感情である。
上陸適地だろうとなんだろうと、マルタ市民にとっては地元の海であり船着場である。
水浴びをして子どもが遊び、なりわいのために漁をして、ひととものが往来する。
それそのものが生活の一部なのだ。
それでもイギリス海軍は、秘密裏に機雷を敷設していた。
しかし、いくつかの不幸が重なって、漂流したそれが漁船を吹き飛ばしてしまった。
結果として、セント・トーマス湾の防衛は、その城砦と銃火によってのみ行われることと取り決めされた。
「おはよう、軍曹」
「おや、プレストン大尉。どうしました」
おはようのあいさつには早すぎる。
だがプレストン大尉は、F陣地〈ボックス・フォックス〉に、その指揮官として顔を出した。
手には、湯気の立つ紅茶を持っている。
「差し入れだよ」
「こいつはありがてえや」
上品さのかけらもない、砂糖とミルクで汁もののようになった紅茶である。
夜明け前の今ごろが、見張りにとっていちばんしんどい時間なのだ。
「タワーでは、フランスの件で持ちきりですかい?」
「ああ。それでいて情報は入ってこない」
「なるほど、それにうんざりして逃げてきたわけですか」
「ばれたか」
「ばれいでか」
年嵩の軍曹が、がははと笑う。
彼が紅茶をすすると、みるみるうちに血色が良くなった。
額に浮いた脂は清潔とはいえないが、いまだ枯れていない証拠でもある。
そのようすを見て、プレストンも笑みを浮かべる。
「そいつで許してくれないか」
「ええ、ええ。近ごろは、こいつも貴重品になりましたからな」
「そうだな。主計が嘆いていたよ」
あいまいに、プレストンは肯定した。
軍曹の言うとおり、マルタ島の食糧事情は、お世辞にも良好とは言いがたかった。
もともとマルタの土地は痩せており、自給自足に向いていない。
そのうえ目と鼻の先にシチリア島がある。
ここが豊富で安価な穀倉地帯として機能しており、マルタで耕作するのは割に合わなかった。
だが、シチリアはイタリア領である。
イギリスが対ファシズムと称してイタリアを締めつけるたび、イタリアは対抗措置としてマルタへの輸出を絞るようになった。
それでもイタリアはマルタ市民への人道的配慮として、最低限の輸出は継続していた。
ただ、それも昨年末までのことだ。
英仏は対独宣戦すると同時に、イタリアへの経済制裁も最大化した。
結果的にイギリスは、マルタを食わせるために船団を派遣しなければならなくなった。
「そらそうでしょう。食べる口ばっか増やしてりゃ、そうなりますよ」
カフェインと砂糖が効いてきたのか、軍曹の舌がよく回る。
そう、マルタの食糧事情はイタリアとの関係だけが問題ではない。イギリスの戦略にも関わっていた。
「数は立派なんだがな」
「マルタの守備を増強するのは必要ですよ。でもそれは、装備を増やせっていってるんで、人ばっか増やしても、ねえ」
「まあ、まあ、ほんとうにな」
マルタ防衛の責任者たちは、本国に再三増強を要請してきた。
本国の逃げ口上は、対独戦線で忙しいというのがもっぱらだった。
だが、あるときすさまじい数の兵員を送りこんできた。聞けばダンケルクの生き残りだという。
もちろん彼らは身体ひとつで撤退している。
機関銃でも持っていればましなほうで、多くは小銃くらいしか渡されていなかった。
そんな彼らでも、めしは食う。
食糧事情は悪化するのに、彼らを養わねばならない。
主計も頭を抱えるはずで、このままでは独伊と戦う前に食糧が尽きてしまいかねない。
「おや。今夜もやってるな」
「ああ、毎晩ですよ」
プレストンが指さしたのは、沖合にある灯火だった。
漁船かなにだろう。
鉄条網も機雷も無しと決めたはいいが、ならばせめて警備をしやすくさせてくれとイギリス軍が現地の評議会に相談した。
それを受けて評議会からは、日没から日出までは船を出さないよう通達されていた。
だが実際は、ご覧のとおりである。
毎晩のように“密漁”が横行していた。
もちろん評議会の通達なので、取り締まることはできる。
しかし、結局のところ、市民も食うのに困っているのだ。
それでやむなく漁に出ているとなれば、単に取り締まればいいというものでもない。
「われわれも密漁のひとつやふたつ、しなきゃならん日が来るかもですな」
「密漁はともかく、釣りはやってみたいんだよな。戦争が終わったら教えてくれないか」
「お安いご用です。ただ……」
「なんだ?」
「戦争が終わったらってのは縁起が悪い。明日の非番にでも早速――」
軍曹の言葉を、プレストンが手で遮った。
その人差し指が、沖のほうへ向けられる。軍曹が、目で追う。
「あいつ、密漁船にしちゃおかしくないか?」
「けったいな形をしてますね。倉庫がそのまま浮いてるような……」
歳のせいで見にくいだろうに、軍曹は必死に夜目を凝らしている。そして彼の表現は、言い得て妙だった。
直方体の陰が、ちゃぷん、ちゃぷんと波に揺れている。
「海軍の機材か?」
「特に連絡は無かったですよ」
ふむ、とプレストンが唸る。
「海軍に問い合わせてみるか」
「海軍もフランス絡みで忙しいのでは?」
「そうか、そうだったな」
ちょっくら手下を走らせますか。軍曹が言う。
ボックス・フォックスの兵たちは、天幕を張って仮眠している。
士気と練度が下がるばかりの砲兵連隊にあって、ここの兵は珍しく両方を高く保っていた。
沖を睨んだまま、プレストンは、そうだなと相槌を打つ。
「E陣地〈ボックス・エキノコックス〉の連中を起こしに行ってやれ。どうせあいつらは見張りなんかしていない」
「……大尉?」
「戦闘準備だ」




