第五章 戦後と戦前Ⅱ
第五章 戦後と戦前Ⅱ
【三】
ムッソリーニの退室を見送ったのち、参加の面々も解散となる。
そのなかでひとり、ベネデゥーチェがバドリオに、話があると耳打ちをした。
彼らは場所を変えて、ずいぶん話しこんでいたらしい。
翌年には、陸軍は石油の備蓄を推進していた。
ベネデゥーチェがバドリオに語った詳細はわからない。
だが彼は、エチオピア有事が露わにした国内の石油事情を、深く憂慮していた。
戦時だから石油は軍に優先される、それは仕方ない。
ならば工場が止まるのも仕方なく、賃金が払われないのも、生活が困窮するのも仕方ないし、暴動が起きるのも仕方ない。
否、そんなわけはない。
ただ、軍が十分な量の石油を備蓄していれば、それは防げることではないのか。あるいは民間の備蓄というのも有効だろう。
近代国家は燃料なしに、その自重を保てない。
近代軍を有していれば、なおさらである。
石油が軍の作戦を、国家の命運を左右する。
エチオピア有事はそのことを広く知らしめた。
だがそれを平時の政策と結びつける者は、今までだれもいなかった。
だからベネデゥーチェはバドリオに、「これは陸軍さんにだけ話しますが」と言って、石油の備蓄を勧めてきたのだ。
陸軍は航空機もなければ、車両の類もそう多くない。
だから石油にはあまり関心がなかった。
だがエチオピアで認識が変わった。
石油は、燃料はときに「通貨」として役に立つ。
グラツィアーニが見つけてきたドラム缶、あれがなければどうなっていたかわからない。
それに車両が多くないというのも、実は燃料事情に縛られている部分もあった。
燃料が潤沢にあるならば、戦車は無理でも、歩兵部隊にトラックを配備するくらいなら夢ではない。
そしてトラックは民生品で十分だし、艦船や飛行機に比べれば驚くほど安く手に入る。
トラックを増備して石油を備蓄する、ただそれだけのことが、陸軍の戦力を底上げするのだ。
だがバドリオは、してやられたな、と唇を歪めた。
海軍も空軍も、同じように石油の備蓄を進めていたのだ。
まあベネデゥーチェが陸軍だけに話す理由はない。
だがあの会議の緊張の後で、冷徹な実務家に一抹の優しさを求めてしまっていたかもしれない。
後になって知ったことだが、ベネデゥーチェはカヴァニャーリには「他言無用でお願いしますが」と、ヴァッレには「陸海軍には内密ですが」と声をかけて、それぞれ同じ話をしたらしい。
べつに他を出し抜く理由はない。理由はないが、なんとなく出し抜きたい。
その心理を突かれ、いまやイタリア国内には石油の備蓄施設の建設が相次いでいた。
そしてその建設工事のために、資材が売れ、トラックが走り、労働者は仕事に困らなかった。
税収も順調に推移しているらしく、それは軍の予算にも表れていた。
それを眺めながら、ごまかすようにバドリオは呟いた。
「まあ、燃料が潤沢なのはいいことだよな」
◇ ◇ ◇
さて、こうして石油の備蓄施設が準備されていた。
だが、器があっても、入れるものがなければ意味はない。
当時の産油国の多くは、やはりイギリスが押さえていた。
かの国の胸先三寸で、イタリアはいつでも干上がるのだ。
イギリスの息がかかっていない産油国に、ルーマニアがあった。
産油国にとって、石油は単なる商品ではない。
だれに売るか、どれだけ売るか、それ自体が国家の戦略である。
だからルーマニアにもっと売ってとお願いすると、回答はこうだった。
「増産するのは構わない。だが貯留施設も輸送手段も足りない」
つまり“おみやげ”が必要なのだ。
ベネデゥーチェが用意したのは、レッジャーネ社であった。
今や航空機製造で芽を出しつつある同社だが、もともとは重工業が本職である。
鉄道などにも強いため、陸軍やバドリオとの繋がりも深い。
ここで同社が選定された理由はよくわからない。
経営の救済措置だったのか、バドリオの顔を立てるためにその縁故によったのか。
中には、あの脱法航空隊――加藤航空隊がレッジャーネにフィアットの戦闘機を模倣複製させたというが、その逞しさゆえという者もいた。
真相はベネデゥーチェにしかわからない。
だが結果としてルーマニアは承諾した。
レッジャーネは、貯油施設に油槽貨車、あるいは起重機や港湾施設などを次々に整備していった。
これらのモノはルーマニアに残るが、レッジャーネに落としたカネは国を循環するはずだ。
余談になるが、レッジャーネは戦闘機の供与も申し出たらしい。
複製模倣したものを外交手段にするとは、もはや「逞しさ」の域を超えている。
ルーマニア空軍は、それなりに有力な戦闘機を揃えており、もはや旧式の複葉戦闘機など必要としていなかった。
それでも友好の証にと押しきる形で、数機の供与が決定した。
笑顔で握手する両国の代表、その背景に複製戦闘機があった。
そのようすを新聞で見た、フィアットの経営陣は激怒したという。
ある重役などは怒りの余り卒倒したらしい。
当然フィアットは抗議を申し入れた。怒鳴りこんだと言ってもいい。
ルーマニアへの協力事業に選定されなかったにもかかわらず、自社の複製戦闘機が外交を動かしている。
屈辱以前の問題だ。人としてどうなのかという次元である。
だが、それを宥めたのは、他ならぬ空軍だった。
空軍としても燃料問題は深刻だ。というか空軍こそが、その影響を最も強く受けるのである。
だから空軍のえらい人たちが、フィアットのえらい人たちに頭を下げた。
空軍としても燃料なしには飛ばせないんや、というわけである。
そう、燃料がなければ、フィアット自慢の新鋭機すら飛ばせなくなる。
それは、たしかに困る。
結局のところ、空軍からの開発予算に色をつけることで、フィアットは矛を収めたという。
そしてこの件が宣伝になり、レッジャーネは航空機もやっているということが、認知されていくことになる。
なお、幾つかの中小国から複製戦闘機への問い合わせがあり、発注に結びついたものもあったという。
イタリアは、こうして少しずつ力を蓄えていった。
答え合わせの機会は、意外と早くやってきた。
スペイン内戦である。
【四】
スペイン内戦とは、スペインで起こった内戦である。
ただし、それが国際社会にもたらしたものは、その言葉が与える印象ほど単純ではない。
一九三〇年代、スペインの政治は混迷していた。
王政を打倒したものの、左派と右派が対立し、思うように近代化が進まなかった。
政権は左派が握っていた。
このころの左派というのは、人民戦線政府――つまり社会主義者や共産主義者などからなる連合勢力である。
これに反発した右派というのが、軍や教会、王党派などの保守勢力だった。
彼らは決起したものの、クーデターは失敗し、スペインは内戦状態に陥った。
政権は右派を弾圧し、右派も左派を虐殺した。
どちらがどうというわけでなく、スペインは真っ二つに割れ、そこに住む人々は殺されていた。
ソビエト連邦やメキシコが左派についた。
共産主義が大嫌いなアドルフ・ヒトラーやムッソリーニは、右派を強力に支援した。
国際社会は、ファシズムを刺激しないよう中立を装っていた。
それでもコミンテルンの呼びかけに応えるかたちで、各国から義勇兵が参集し、国際旅団として政権側で戦った。
こうしてスペインは列強による「答え合わせ」の地に選ばれたのだった。




