第四章 エチオピア問題Ⅳ
第四章 エチオピア問題Ⅳ
【七】
九週目に入った。
護衛艦アクィラ、その航空司令室の扉がノックされた。
「陸軍大将、ロドルフォ・グラツィアーニだ。加藤司令と話がしたい」
「グラツィアーニ陸軍大将!?」
マリーニが椅子を蹴って立ち上がった。
加藤が伊東に耳打ちする
「誰だ?」
「支援軍の指揮官ですね」
「なるほど。えらい人か?」
「えらい人です。バドリオ元帥の対抗馬らしいですからね」
「出世競争か。えらい人だな」
マリーニが扉を開けて、グラツィアーニを招き入れる。
いちおう起立している加藤と伊東を見て、グラツィアーニは微笑んだ。
老獪なバドリオに比べ、壮健端正という印象を受ける。
脂が乗っているとでもいうべきか。
「いきなりすまないな、楽にしていい」
「わたしと話がしたいとか。どういったご用向きでしょうか」
マリーニが訳すと、グラツィアーニがにやりと笑う。
伊東は加藤の肝の据わりかたに感心する。
陸軍大将が加藤に用事があるとすれば、飛行機の話以外にない。
「もちろん、カトー・アヴィアツィオーネの話だよ。噂は聞いている」
「悪い噂じゃないといいですが」
「まあ、半々だな」
一同に笑いが漏れる。
グラツィアーニがここへ来たのは、どうやらこういうわけだった。
まずグラツィアーニは、バドリオが受けている航空支援を欲しがった。
貸してくれと頼んだところ、これはわたしのものではない、海軍の航空隊だと返答があった。
海軍に問い合わせると、海軍に航空隊はないと言う。
なにをばかな、空母があるではないか。
ちょうど接岸しているということで、アクィラに乗りこんだ。
そこでも改めて、海軍に航空隊はございませんなどと言う。
ただ、と続けるので聞いてみる。
ご用件のあるみなさまは、あちらのほうに行かれますね、などと紹介されて、ようやくたどり着いたということだ。
「まるで脱法の賭場みたいな扱いだな」
グラツィアーニが笑う。
加藤も微笑み返す。
「勝っているのか負けているのかわかりませんが」
「勝っているから、今わたしと話しているのだ。そこで、どうだろう。わたしに賭けてくれないか」
「魅力的なお誘いですが、どうにも賭け金が寂しいもので」
「……燃料か」
「ええ。申し訳ありません」
ふむ、と小さく唸って、グラツィアーニが顎に手を当てる。
足を組んで、粗末な椅子が小さく軋む。態度に余裕が見える。
なにか手があるのか、加藤がそう見たとき、部屋の電話が鳴り響いた。マリーニが出る。
「大将にです」
「おや、そうか」
グラツィアーニは二言三言を喋ったあと、受話器を置いた。
そして三人に向き直り、きれいな笑顔で言った。
「甲板に出てみよう。見せたいものがあるんだ」
三人は猛烈に厭な予感がした。だが、断ることはできなかった。
甲板へ上がると、予感が的中したと理解した。
陸地側、くすんだ黄色い街並みと、ゆるやかに続く丘陵がある。
そこに一本の隊列がある。
捕虜か人足か、そういう立場の者たちだろう。
荷車や、あるいは担いで運んでいるのは、黒光りするドラム缶だった。
やられた、と思いながら加藤は口を開く。
「燃料ですか。いったいどこで」
「いろんなところでだ。エチオピアが英仏の支援を期待して用意していたのでは、と参謀は言っていた」
「そして彼らは来なかった」
「だから、われわれのものになった」
グラツィアーニは、われわれのもの、と強調した。
ところでこのとき、相当数のエチオピア人捕虜が、輸送労役に従事させられていた。
戦時国際法によると、捕虜を労役させるのはいいが、軍事的なものはだめという。
戦後になってイギリスが、これは軍事的労役だったと指摘した。
イタリアは、これは日本海軍への輸送であり、日本は参戦していないため軍事的労役に当たらないと反論した。
国際社会は冷ややかだった。
イギリスがエチオピアを見捨てたことを国際社会は見ていたし、エチオピアにとっても何を今さらという感じであった。
そもそもイギリスの軍事顧問が戦闘に参加していたという疑いもあり、話は有耶無耶になっていった。
日本云々は、もはやだれも問題にしなかった。
さて、燃料の件である。
グラツィアーニは、誇るように言った。
「さあ、どうかな。次は消耗部品が、とでも逃げるかな?」
「あいにく、うちは消耗部品に困っておりませんで」
「ほう、正直だな」
「うちは詭弁と屁理屈ばかりですけど、嘘だけは吐いたことがありませんから」
消耗部品については、ほんとうだった。
アクィラには五十機を搭載できる計算だ。
しかし参戦時の搭乗員は二十名、だから三十機ぶんの格納庫に部品をしこたま積んできたのだ。
しかし砂塵と高高度の影響は、レッジャーネにも蓄積がない。
そこでベルティくんは、アクィラの艦内でいつもの分解結合をやっていた。
どこが疲労して、損傷して、逆にどこは無事なのか。
応急処置を繰り返すうち、現地改造に近い機体に仕上がっていた。
だから、燃料さえあれば飛べる。それは嘘ではない。
そして加藤航空隊は、嘘を吐いたことは一度も無かった。
「正直な者は好感が持てるよ」
「これで厭とは言えなくなりましたな」
「やりますと言わせるよりも、やりますと言ってくれたほうが、わたしとしては気分がいい」
「やりましょう、グラツィアーニ大将。配当に期待していますよ」
「ありがとう。きみらの勝ち運を分けてくれたまえ」
【八】
十週目だ。
加藤航空隊は、グラツィアーニへの支援もやることになった。
出撃する機数を増やし、割り振りは半々とした。
これはあくまで一例だが、今まで六機が飛んでいたところを八機とし、バドリオ軍とグラツィアーニ軍へ四機ずつ、というような具合だ。
バドリオへの支援は減る計算だが、グラツィアーニの財布から出た燃料である。
バドリオも文句は言えなかった。
それに支援を受けたグラツィアーニ軍は、進軍の速度が上がっていた。
これは当然バドリオ軍への助攻となるため、総合的に見てバドリオが損をしたことにはならなかった。
「損をしたのは、われわれだけということですかね」
「そんなことはないさ。われわれはまだ生きている」
アクィラの飛行甲板が、日没を見送っている。
悲観的にこぼす伊東に、いつもの調子で加藤は言った。
未帰還「機」が出ている現状で、生きているなどと言える加藤に、伊東は少しだけ苛ついた。
そこへマリーニが顔を出した。
「ふたりとも、すまないな」
紙巻たばこを差し出され、伊東と加藤は拝むようにして受けとった。
宵口の洋上に、小さな火が灯り、消えた。
紫煙が潮風に流れていく。うまそうに煙を吐きだして、加藤は笑って言った。
「まあ、貧乏くじはいつものことです」
「これも折りあいというやつですね」
伊東も諦念とともにそう言った。
マリーニは、煙が目に染みていたようだ。
【九】
十一週目も、矢のように過ぎた。
グラツィアーニは、空軍にも燃料を融通していたらしい。
久々に本気を出した空軍は、都市を丸ごと吹き飛ばしたという。
これによりグラツィアーニ軍を阻むものがなくなった。
そしてバドリオ軍にとっても、そうだった。
十二週目である。
バドリオ、グラツィアーニの両軍が首都に迫っていた。
僅差でバドリオのほうが早く到着したらしい。グラツィアーニは、次があるさと笑っていたという。
だが、笑ってばかりもいられない。
首都の攻囲戦が始まったのだ。
加藤航空隊は、先述したように合計三機が未帰還だった。
そのうち二名が帰ってこなかったのは、この二週間でのことである。




