第二章3『不良リョースケと俺‼』
まず、あの少年が俺に語ったことの要点を説明しよう。
事の始まりは、今から約一年前に遡る。
――彼の名はリョースケ。現在、中学二年生。
リョースケは、母リョーコがまだ中学三年生だった時に生を受けた。
リョーコの妊娠が発覚した途端、同級生だった相手の少年とは連絡が途絶え、彼女は中学校を中退するに至った。
その後は水商売で懸命に生計を立て、女手ひとつで息子を育て上げた。
だが、リョーコ自身もまた幼い母親であり、思春期特有の激情や、未成年で子を産んだことに対する世間の偏見に、絶えずさらされ続けていた。
その捌け口は息子に向けられ、時にはリョースケに痣が残るほどの暴力を振るうこともあった。
尋常ならざる精神的負担から逃れるように、リョーコは次第にホストクラブへ通い詰めるようになっていく。
いつしか母は、息子に「仕事だ」と言い訳をし、わずかな金を渡しては家に帰らぬ日々を繰り返していた。
そんな母親との暮らしの中で、リョースケの自己肯定感は著しく低くなっていった。彼が中学一年生になる頃には、その心はすっかり蝕まれていた。
SNSで「親ガチャ失敗」といった陰鬱な言葉を検索しては、自らの境遇を嘆く。それが少年の日常と化していた。
時を同じくして、学校では陰湿ないじめが彼を待ち受けていた。
事の発端は、所属していたサッカー部にあった。
入部の動機は、ただ単純に面白そうだったからだそうだ。
しかし、小柄な体格に加え、中学からサッカーを始めたリョースケは、練習でミスを繰り返すばかりだった。
学業の成績も芳しくなく、持ち前の無愛想な態度も相まって、先輩たちからは「生意気だ」と目をつけられていった。
プレー中のミスをあげつらう声は、やがて悪意に満ちたいじめへと姿を変えた。
暴力は次第にエスカレートし、殴る蹴るはまだマシな方で、酷い日には虫の死骸を口にすることを強要されたという。
反抗する気力すら、何一つうまくいかない自分への失望が奪っていった。
教師に助けを求めることも考えたが、日々の激務に疲弊する彼らの姿を前にすると、声をかける勇気は湧かなかった。
その上、いじめの主犯格は校内では優等生として通っており、周囲は彼らがそのような蛮行に及ぶとは夢にも思っていなかった。
孤独と絶望の淵にいた、まさにその時だった。リョースケがSNSを通じて笹倉イカツという男と知り合った――。
笹倉は対面したリョースケに、小さな透明のビニール袋に入った『SPM特効薬』と名付けられた一錠を手渡し、囁いた。
『――君の人生を変えるには、この薬によって才能を得る以外にない。力がなければ現状は何も変わらないからね』
超能力者になれるという、あまりに胡散臭い薬を前に、リョースケに抵抗がなかったわけではない。
だが、現状を打破するには人知を超えた力にすがるほかないという思いが、少年の躊躇を凌駕した。
弱い自分を変えたい。その一心だった。
あまりの無力さに、自らを傷つけ、いっそ死んでしまいたいとさえ考えたことも一度や二度ではなかったという。
――たとえ、犯罪者になってでもオレには超能力を得て他を圧倒できる力が欲しい。
リョースケは覚悟を決め、ビニール袋を開封すると、カプセル式の『SPM特効薬』をためらうことなく飲み干した。
超能力者となって以降、彼の人生は一変する。
彼が手にした超能力《リバイバルルート(再生の道)》。
それは、自らの死をトリガーとして、半年前の過去へと回帰する、驚くべき能力だった。
リョースケはその恐るべき力を用いて、気に食わない人間を次々と手にかけ、完全犯罪を目論むようになった。
「――そう、オレは何度もやり直してきて気づいた。気に食わない奴を幾ら殺しても必ず何処かでミスを犯して捕まるか、永劫に疑いを持たれてしまう」
少年は幾度となく自らの命を絶つことで能力を発動させ、過去を改変し、望む未来を手に入れようと試みた。
しかし、所詮はまだ中学二年生の少年。どれだけ過去をやり直そうと、どこかに綻びが生まれ、必ず報復という名の結末が訪れる。
大人でさえ成し遂げることの難しい完全犯罪は、超能力をもってしても、そう易々と実現できるものではなかったのだ。
だからこそ、まだ誰も殺めていないこの時間軸へ戻ってきたのだと、彼は説明した。
「かといって能力を使わないと現状は変わらないわけだし……この事を笹倉に相談したら大谷さんのことを教えていただきました」
笹倉が俺の存在を彼に紹介した理由は定かではない。
推察するに、笹倉は俺のことを奇妙な道具を使うマッド・サイエンティストか何かと思っているのだろう。
「加えて貴方が保有しているという、ノートに名前を書いたものは存在そのものが世界中から忘れ去られ、消える道具――『ホワイトノート』についても笹倉から聞きました!」
『ホワイトノート』は、相次ぐ超能力犯罪を憂いた俺の祖父が、元凶たる超能力者をこの世から抹殺するために開発した秘密道具だ。
使用にあたって厳しい制約はなく、対象の人物を思い浮かべながらノートに名前を記すだけで、その存在を世界から抹消できるという代物だ。
さらに、消された人間の記憶は、ノートを使用した者だけが保持し続けることができる。
「もちろん、ただで頼むつもりはありません。オレの能力で宝くじや競馬の当たりくじ等で大金は用意できています」
言うが早いか、リョースケはズボンのポケットから通帳を取り出した。そこには、約十億円という数字が記されている。
「フフッ、悪いが俺はお金には困ってない。他をあたりな」
大谷家の御曹司であるこの俺を金で動かそうとは、随分と見くびられたものだ。俺は鼻で笑い、そっぽを向いた。
「そうですか……ならばオレの超能力で今から過去に戻り、アナタの身内の誰かを手にかけてしまうかもしれませんね」
少年は脅しを重ねる。
「無論、大谷さんは名うてのブラックリストハンターですから一筋縄ではいかないとは思います。けど、何度も繰り返せばオレ……確実に大谷さんは無理でも、アナタの身内を殺すことは容易です」
「……チィッ!」
一方的に話を続ける少年を前に、俺は喫茶店の椅子に腰掛け、テーブルのフラペチーノをストローで啜りながら、ただ黙って耳を傾けていた。
やがて少年の独白が終わり、俺はグラスを空にすると、気だるげに席を立った。
「……わかったよ、貸してやるよ。今からホワイトノートを持ってきてやるから俺について来い」
俺は頷くと、飲み終えたフラペチーノのカップを片手に店内のゴミ箱へ向かった。
詳しい経緯は後述するが、ひとまずは周囲への影響を鑑み、少年を刺激せぬよう彼の要求を呑むことにした。
「流石は大谷さんだ。話が早くて助かります!では、後で『ホワイトノート』が本物かどうか、ファクトチェックさせてもらいますね」
「……ああ、好きにしろよ」
俺は少年を伴って近くの別荘へと向かい、『ホワイトノート』が眠る倉庫へと案内した。
そこで、証拠を示すため、リョースケに『ホワイトノート』へ実際に名前を書かせ、その効力を体験させた。
こうして俺は、リョースケの要求通り、いとも容易く無償で『ホワイトノート』を明け渡したのであった。
勿論、俺が彼に怖気づいてしまったわけではない。




