21話 夜空を舞う罪人
「か、カズキ? 何が起きたの?」
言われた通り固く目を閉じていたマリアは、突然の彼の叫びに怯えながら目を開ける。
その声に反応し、カズキは慌ててズボンを上げた。
「ななな何でもない! とりあえず今のうちに逃げるぞ!!」
「え!? わ、ちょっと待って」
完全に時が止まった大鳥を前に、カズキはマリアの手を取り必死で岩山を駆け上っていく。
「ねぇ! 何が起きてるの!?」
「あいつの時を止めてるんだ! だけど、たぶんもう一分も持たない! その間に出来るだけ遠くに」
息を切らしながら状況を説明していると、誰かの呼び声が耳に届く。
「おーい! こっちだーー!」
「ダミアンさん!」
顔を上げると、ダミアンが崖の上から手招きで叫んでいた。
ダミアンの声で緊張が解け、カズキはホッとしつつも先を急ぐ。
「マリア! もうちょっと急げるか!?」
「うん……でも、足が」
ずっと縛られていたからか、マリアの足元は覚束無い。
それでもカズキに手を引かれ、必死にその後を追っていた。
しかし、その時突然後方から不気味な鳴き声が響く。
「あ、あの声……」
「くそっ、もう解けたのか」
大鳥の叫び声に焦り、カズキは無意識に足を早める。
その瞬間、小さな悲鳴と共にガクッと右腕に衝撃が走った。
「きゃっ!」
「うおっ!?」
マリアは足を滑らせ、崖下に落ちかけていた。
カズキは片腕で咄嗟に近くの岩に掴まり、体を支える。
身軽な少女と言え、人ひとりを支えるには彼の腕力だけでは確実に足りない。
踏ん張る足はじりじりと滑り、左腕の力も徐々に奪われていく。
「……カズキ、離して」
くっきりと血管を浮かべて震えるカズキの腕を見て、マリアは辛そうに眉を寄せる。
「む、無茶言うな! そんなの、不可能に決まってる」
「だけど……このままじゃカズキまで」
「あぁもう、うるさい!」
遮って声を上げたものの、解決策は見つからない。
そんな時、ドタバタと足音が近づいてくる。
「カズキさん! 今助けますぞ!」
「だ……ダミアンさん」
息を切らし振り向くと、駆けつけたダミアンがカズキの体を支える。
けれど、落ちないようにするのが精一杯で、マリアを引き上げるまでに至らなかった。
「ふんぬぅぅぅ!! 男ダミアン80歳! 例えう○こを漏らそうとも、カズキさんの体は離しませんぞ!!」
「やめろ!! 人のそばでう○こを漏らすんじゃねぇ!!」
「ごめん……ダミアンさん、カズキ」
「もう! だから謝るなって!」
必死で踏ん張りながらも、カズキはダミアンとマリア、それぞれの相手を強いられていた。
(もう、手の感覚がない……けど、この手を離すことなんて……絶対に)
ポタポタと汗の雫が落ち、右腕は今にも千切れそうだ。
その時、不意に突風が吹き荒れ、マリアの体が大きく揺れる。
「うぅっ」
「くっそ」
強風に煽られる中、カズキは歯を食い縛り手に力を込める。
そんな彼らの前に、大鳥が再び姿を現す。
「ぬぁ!? 大鳥が!」
「何だって!?」
カズキはダミアンの声に顔を上げ、上空を舞う大鳥を見据えた。
「いた! ん? あの女……」
ヴィアロは羽ばたきながら、宙にぶら下がるマリアを目視で確認する。
「馬鹿が……何やってやがる」
周囲は岩肌に囲まれ、幅は2メートルもない状況。
大鳥の姿では通り抜けることは不可能。
ヴィアロは小さく吐き捨てると、目を閉じて両方の翼で体を覆うように丸める。
そして、その体は僅かに光を放ちながら徐々にシルエットを小さくしていった。
「な、何だ……あれ」
カズキは縮んでいく大鳥の姿を眺め、呆然と呟く。
ヴィアロは人の姿に戻り、畳んだ羽を広げて一気に距離を詰めていく。
「きゃっ」
再び吹き荒れる突風にマリアの体は大きくしなる。
それに腕力は限界を迎え、カズキはついにその手を離してしまった。
「えっ」
「はっ、マリア!!」
落ちていくマリアを見つめ叫び声を上げた瞬間、彼女のもとに黒い影が颯爽と吹き抜ける。
それと共に、マリアの姿は忽然と消えた。
「えっ……一体、何が起こって」
「か、カズキさん、あっちだ!」
ダミアンが指す方を見ると、マリアを抱きかかえた男が静かに地上へ降り立った。
褐色の肌と、赤い目の男。ただ普通と違うところは、その背中には黒い翼があるということだった。
「だ……誰だ、お前」
唖然とするカズキに、男はふてぶてしい顔で目を逸らす。
しばらく沈黙が続き、気を失っていたマリアがゆっくりと目を開ける。
「あ……あなた、大鳥」
「え? こいつが!?」
マリアの呟きに、カズキは目を見開き声を上げる。
ヴィアロはマリアを降ろし、そのまま静かに背を向けた。
「待って……あなた、名前は?」
マリアは咄嗟にそう口にした。
その声にヴィアロは足を止め、背を向けたまま呟く。
「……ヴィアロ。ヴィアロ・グロウリー」
「ヴィアロ、グロウリー」
マリアは彼の背中を見つめたまま、ぼんやりと復唱する。
「完全に白けた。あとは勝手にしろ」
ヴィアロはスタスタと歩き、崖の縁で翼を広げる。
「ま、待てって」
慌てて声を上げるカズキだが、それと同時にマリアはヴィアロの背中をめがけてダッシュする。
そしてマリアは、引き留めるようにヴィアロの服を握りしめた。
「待ちなさい!! こっちは町も壊されて偉い迷惑かけられたんや! あんただけ逃げおおせて済む話じゃなか! 町に連れ帰って、きっちり落とし前つけてもらうけん!!」
初めて見る剣幕で捲し立てるマリアに、カズキとヴィアロは白目を剥いて固まっていた。
「な、なぁ……マリア? ちょっと落ち着いて」
「これが落ち着いてられるもんか! ほら、カズキもヴィアロを引っ張って!」
「……はい」
(怖ぇぇ……てか、なんで訛ってるんだ)
マリアの圧に負け、カズキは言われるがままマリアと共にヴィアロの腕を拘束する。
「ほほ、こうなったマリアを見るのは久しぶりじゃ。ありゃ神父殿と大喧嘩した時以来か」
ダミアンはその様子を微笑ましく見つめ、満足げに頷いた。
「……はっ! な、お前ら、何をする!」
ようやく我に返ったヴィアロは、両脇から抱えられている状況に困惑の声を上げる。
抜け出そうと身じろぎするが、マリアに睨まれると何故かそれ以上抵抗出来なくなった。
「諦めろ。何かわかんねぇけど、こんなにキレたマリアは止められん」
「チッ……めんどくせぇ」
ヴィアロは諦めたのか、舌打ちしながらもトボトボと歩き出した。
歩き始めて数分。
辺りはすっかり暗くなり、また足を滑らせてしまいそうな怖さが増す。
マリアは不安げな顔でキョロキョロとし、先導するダミアンに付いて慎重に歩みを進めていた。
「……おい、怖いのか?」
「ひっ、べべ別に? 怖くなんかないわよ」
「ふーん」
ヴィアロは素っ気ない返事をすると、マリアの震える手をじっと見つめる。
そして深いため息をもらし、ピタリと足を止めた。
「……おい、早く歩けよ」
「やめた」
「え?」
「やめたって言ってんの。こんな山道をわざわざ歩くの」
「はぁ? お前、まだ抵抗しようってのか?」
カズキが睨みつけると、ヴィアロは静かに首を横に振る。
「しねぇよ。だから……」
そう言うと、ヴィアロは翼をバサリと広げ、集中するように目を閉じる。
みるみる大きく膨れ上がる体に驚き、二人はヴィアロの腕を離してしまった。
「うお!?」
「ヴィアロ! あなたまた」
あっという間に大鳥の姿になったヴィアロに、二人は驚き目を丸くする。
そんな反応をお構いなしに、ヴィアロは嘴を使い二人を上空に放り投げる。
「いやぁ! ちょ、ちょっと待って!」
「きゃーー!」
叫ぶ二人を、ヴィアロは上空で背中に乗せた。
そのまま旋回し、先にいたダミアン目掛けて下降する。
「おいジジイ、お前も乗れ」
声をかけられ、ダミアンは驚きつつもムッとした様子で顔をしかめる。
「こ、このダミアン、敵の施しは受けんでよ!」
そう言いつつも、ダミアンの膝は若干震えていた。
ヴィアロはジトッとそれを見つめ、無言のままダミアンの首根っこを咥えて背中に放り投げる。
「ひょえぇ〜〜……いてっ」
背中に落とされた衝撃で、ダミアンはそのまま気絶した。
結局三人はヴィアロの背に乗せられて夜空を舞う。
戸惑いつつも、その風景は見事なものだった。
「凄い……風が気持ちいい」
「あぁ。シャクだけど、いい気分だ」
月は見たこともないほど大きく、真下には所々に民家の明かりが輝く。
爽やかな風が頬に当たり、マリアの髪は月明かりに照らされキラキラと光っていた。
(いいな……金色の髪。何か、いい匂い)
カズキは顔を背けたまま、マリアの肩にそっと腕を伸ばす。
「こら、人の背中でイチャつこうとしてんじゃねーぞ。童貞」
突如聞こえた声に、カズキはドキリと肩を揺らし赤面した。
「な、ななな何言って……何もしてねぇから! ってか、童貞言うな!」
「違うのか?」
「うっさい! いいから黙って町まで飛べよ!」
「あぁ? てめぇだけ振り落とすぞ」
「うぉい!? やめろって、ほんとに落ちたらどうすんだ!」
ヴィアロはわざとグラグラと揺れながら飛行し、マリアの町へと向かう。
騒がしい二人の小競り合いに、マリアはクスクスとひとり楽しそうな笑い声を上げていた。




