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純誠視点



 念のため連絡先を交換していた優一から、なんとも形容しがたい悪夢のような画像が届いた。


 嫌がらせかと思ったら、まさかの親切心だった。


 なにかあればこれを使えということらしいが、こんなおぞましい画像を持ち歩くのも気持ち悪いので、自宅のパソコンへと移したが、気持ち悪さが半減することはもちろんなかった。自宅が穢されたような気分で未だに落ち着かない。


 それ以外はなにごともなく、緩やかに日常へと戻ったものの、理世とは相変わらず最低限の会話しかできていなかった。


 もしかするとこのままわだかまりがとけることはないのではないかと不安がよぎる。


 だが、理世のことを考えている間はほかのことを考えずに済む。


 未練がましく開きかけた傷口から目を背けて、対面に座って黙々と食事をする妹を気にしつつも声をかけられずにいると、あれ以来はじめてあちらから話しかけて来た。


「……あの、さ」


「……あ、ああ」


 なにを言われるのかと身構えた。箸を持つ手が少し震える。


「奈都さんだけど」


 どきりとしたが、平静を装って、うん、と相槌だけを打った。


「今度の週末、海外に行くんだって」


 カラン、と音がして、はっとする。待っていたはずの箸が皿の上に落ちていた。慌てて拾うが、純誠の心の中は完全に見抜かれていた。


「そんなベタな動揺の仕方ある?」


「……別に、ただ驚いただけで。おまえが、急に話しかけて来たから」


「あ、うん……そうだよね。本当は今でも思うところはあるんだけど、当事者じゃないわたしがいつまでも怒ってても仕方ないのかなって。それに亮太に、いい加減許してやれって、怒られちゃったし」


 理世はやはり気まずさがあるのか、少しおどけたようにそう言った。


「亮太が?」


「うん。奈都さんが怒るのならわかるけど、本人が許してるのにりーちゃんがいつまでも怒ってるのは違う、だって」


「亮太らしいな」


「うん。ど正論で、反論できなかったもん。得難い彼氏ですよ」


「本当にな」


 亮太のおかげでわずかに場が和んだが、ぎこちなさはまだ滞留している。


 理世が好物のアボカドを口に放り込んで、咀嚼しながら尋ねてきた。


「それで、どうするの?」


「どう?」


「奈都さんのこと。意図せずきっかけを作っちゃったのはわたしだけど、実際どうするつもりだったの? 命令されるまま寝取るつもりだったわけではないんでしょう?」


「当たり前だろう。命令に従っているふりをしつつ、彼女のことはそばで守らないと、と……」


 だんだん語調が弱まって行くのを斟酌せずに、理世は直球で傷口を抉って来た。


「実際は守る必要なんてなくて、めちゃくちゃ強かったからね」


「うっ」


「というか、普通に考えてあんなヤバそうな連中相手に立ち回るなんて、素人には絶対に無理でしょう」


 容赦ない言葉が突き刺さり胸が痛い。


「あんなのが出て来るなんて思ってなかったんだよ……」


 箸を置いた純誠に、理世は相変わらずサラダのアボカドばかりを摘んでは食べている。


「守りたかったというよりは、そばにいたかったんでしょう? まあ、できればかっこよく守りたかったのもあるんだろうけど」


「かっこよくは守れないことはわかってたよ。精々盾になるくらいしかできないって」


「うーん、でもさぁ、守るって、物理的なことだけではないと思う」


「え?」


「いや、ほら。肉体的に強いからって、精神的に強いとは限らないというか……痛みに強いからって痛いのが好きなわけではないのと同じで、強いからって他人に敵意剥き出しで攻撃されたら嫌だろうし、心が傷つかないわけないよ。わたしたちがいた手前、いつも通りの落ち着いた態度を保ってくれていたんだろうけど、うちの車が来たとき、奈都さんもほっとした顔してたから」


 そんなこと、考えたこともなかった。


 自分などいなくても彼女ならうまくやれただろう。今でもそう思っている。


 だけど、少しでも、彼女のためになれた部分もあったのだろうか。


 少し浮上して考えてみたが、彼女の精神面を確固たる地位を築き守っているユアステの存在に敗北した。みのりんに敵うわけがなかった。


「告白、しなくていいの?」


「そんなことをしたって意味ないだろう。わざわざふられに行けって?」


「だけどふられるための告白も、わたしはありだと思うな。だってなにもせずに終わった恋って、しつこく引きずるよ。次の恋に行くためにも、一回きちんとふられておかないと」


「さすがに迷惑だろう、会いに行くのは」


「わたしの友達は、そんなことで迷惑がる人じゃありませんー」


 だとしてもだ、自分のエゴのために終わった話を蒸し返すようなものだ。


「海外に行くんだろう」


「うん。その前に当たって砕けたら?」


 どうするのが正解かわからない。


 ただ、この機会を逃せば、二度と会えないかもしれないと思うと理世の言うことにも一理あると思ってしまった。


 もう二度と会えないのなら、当たって砕けてもいいのかもしれない。


 優一には悪いが、気持ちを伝えるくらいは許されるのではないか。


 先に進むためにも。


 忘れるためにも。




 とはいえなかなか動くことができず、まごついている間にも時間は無情にすぎて行く。


 彼女の職場に足を踏み入れようとしたが、寸前で思い留まった。考えれば考えるほど、やっぱり迷惑だよなという結論に達してしまい、肩を落として踵を返す。


 煌々とした明かりに引き寄せられる虫のようにコンビニ入ると、レジカゴいっぱいにドリンク剤の瓶を入れて重たそうに運んでいる奈都と、目が合った。


「……」


「……」


 まさかこんなところでばったり再会するとは。お互いに無言のまま、数秒見つめ合う。


 先に我に返ったのは彼女の方だった。


「違うんです、ユアステのストラップがおまけでついているから、それで……」


 大量のドリンク剤を購入しようとしていたのを見られてばつが悪いのか、しなくてもいい弁解をされてしまった。


「わかってますから」


 相変わらずな様子に、思わず笑ってしまう。


 彼女はほっとしたように、ドリンク剤の棚を指差した。


「まだおまけは残ってますから、今のうちに買い占めておいた方がいいですよ」


「いや、そのためにコンビニに来たわけでは……」


 慌てて否定すると、奈都は笑った。


「冗談です」


 そのままレジで精算を済ませた彼女は、エコバッグの中で瓶のぶつかるカンカンという音をさせながら、コンビニを出ていく。


 そのまま見送ろうとしたが、体が勝手に動いた。重たげなエコバッグを許可なく奪って、コンビニ前に停めてあった自転車のカゴへと運ぶのを手伝った。


 こんなことをしたくらいで自分のしたことの償いにはならないが、彼女は気後れした顔で、それでもありがとうございますと微笑んで見せた。


「純誠さんも、今帰るところですか?」


「……はい」


「じゃあ、帰りましょうか。途中まで一緒に」


 断る理由もない。元々彼女に会いに来たのだから。




 前と同じように自転車を引き受けて、夜道を並んで歩くと、自然と会話が生まれてくる。


 なんとなく彼女が人からよく声をかけられる理由がわかった。多少の気まずさはあれど、なにを話しても許されそうな不思議な安心感があるのだ。


 だから思い切って訊いてみた。


「……はじめから警戒していましたか、俺のこと」


 奈都は少しだけ逡巡してから、思いがけないことを口にした。


「今だから言えることですけど、実は最初は理世ちゃんがハニートラップだと思ってたんですよね」


「えっ!?」


「いや、ほら、わたしがみのりん推しなのを、もしかして同性愛者と誤解して女性を送り込んできたのかな、と。すぐに誤解はとけましたけど」


 まさか理世が疑われていたとは思わなかった。本人が知ったらちょっと拗ねそうだ。


「純誠さんはそんなに疑ってはいませんでしたよ。だって、全然口説いて来ないし。これでハニートラップだったら、相当やる気ないなとは思っていましたけど」


「……人の恋人を口説くなんて、できません」


「ハニートラップ要員が倫理的な人たちでよかったです」


 誰が相手でも対応できただろうに、純誠でよかったと笑う彼女の言葉にどう反応していいかわからなくなった。


 こうしていつまでも引きずっているのは、自分だけなのかもしれない。


 自分の中ではまだ続いている話でも、彼女からしたらすでに終わった話をしているような、ずれを感じながら、無言のままアパートまで自転車を転がした。




 固辞する奈都を押し切って大量のドリンク剤を部屋まで運び、長居せずに退室しようとしたがそれより先に引き止められた。


「あ、ちょっと待って。これ、こんなにいらないので、よければ持って行ってください。理世ちゃんの分と、あと亮太くんの分と……二本ずつ入れておきますね」


 計六本のドリンク剤が入ったビニール袋を手渡されて受け取ったが、まるでこっちがおまけの扱いだ。


「毎回不要なものをこれほど買ってグッズ収集してたら、いくらあっても足りないんじゃないですか?」


「家賃が格安なので、その分がグッズ収集の費用に回っている感じですね」


「……家賃が格安?」


 オートロックではないが、駅近くの1LDKで日当たりもいい部屋だ。線路のそばというわけでもなく、隣に墓地があるわけでもない。安くなる理由がわからずにいると、彼女はさらりと種明かしをした。


「なんかここ、事故物件らしくて」


「は……?」


 他愛ない話のようにさらっと告げられた言葉に動揺して、危うくドリンク剤が入ったビニール袋を床に落として大惨事を起こすところだった。


 知らなければなんとも思わなかったのに、急に、多数のフィギュアやぬいぐるみの視線が気になり出す。


「幽霊とかは特に出たことがないので、たぶん、大丈夫ですよ」


(たぶんなのか……)


 前に泊まったときも特に何事もなかったので、気の持ちようなのかもしれない。


 それにどうせもう引っ越すのだろうし……と思いかけて、部屋がまだ片付けられていないことに気づいたが、業者にすべて任せるのだろうと思い直して靴を履く。


 狭い玄関に向き合って、二度目の別れのあいさつをした。


「じゃあ……本当に、さようなら」


「……さようなら」


 結局なにも言えなかったなと自分の情けなさに落胆しながら背を向けドアノブに手をかけたとき、靴箱に置かれていたみのりんのフィギュアが、カタ、と動き、事故物件の話をした直後だっただけに、ぎょっとして反射的に振り返った。


「いっ、今……!」


 だけど、そこにいた彼女の顔を見て、一瞬で恐怖がどこかへと消え去ってしまった。


「なんで、泣いてるんですか……?」


「え……あ、あれ……?」


 気づいていなかったのか、慌てて涙を拭う様子を見ていたら、もうだめだった。ドリンク剤の袋を靴箱の上に押しやり、なりふり構わず抱き寄せていた。


 一段高いところに立つ彼女を抱きしめても、まだ純誠の方が上背がある。慰めるように髪を撫でたら、肩口に埋まった顔から弁解の声がぼそぼそと聞こえてきた。


「ち、違うんです。ユアステの走馬灯がよぎっただけで……」


「走馬灯って、死ぬときに見るやつだから」


 彼女に関しては、死ぬ直前にアニメが流れそうではあるが。


「本当に、違うんです。わたしは大丈夫で……ああ、もう……せっかく純誠さんが自由になれたのに、これ以上煩わせるわけには」


「え、待って。煩わせるって、どういう……?」


 少しだけ体を離して、その顔を見下ろすと、目元だけでなく耳まで赤く染まっていた。ふい、と顔を背けられたので、顎を掴んでこちらを向かせる。恨みがましい目でにらまれたが、かわいいだけだった。


「奈都さん」


「だから、命令されていたときならいざ知らず、どうでもいい女にこんな風に泣かれたら、普通困るじゃないですか……。なんで抱きしめて慰めたりするんですか、忘れられなくなったら、どう責任取ってくれるんですか? ……ああ、もう、こんなこと言うつもりじゃなかったのに……」


 なにを言われているのかわからずに戸惑う。これではまるで……。


「間違っていたら、すみません。もしかして……今、俺は、告白されていますか?」


「もう帰ってください」


 照れ隠しなのか、さほど強くない力で、どん、と胸を押された。あの鋭いハイキックは別としても、身体操作術に長けているだけで、たぶん、力自体が強いというわけではないのだ。一緒にいたときも、むしろか弱いように感じていた。


 そう理解したら、自分の中のか弱い女性のイメージとそこまで相違がないのかもしれないと思えるようになった。


 自分よりも強い女性を、守りたいと思っても、いいのかもしれない。


 ぐいぐい押して来る手首をぱしっと掴んで引き寄せた。


「好きです」


 抵抗がぴたりと止んだ、が、すぐに怪訝そうな眼差しがこちらを射貫いた。


「嘘」


「え、う、嘘? いや、なんで?」


「なんでって……もうハニートラップはしなくていいんですよ? 全部終わりましたから」


 苦笑されて愕然とした。なぜだろう、まったく伝わらない。もどかしく思いながら食い気味に言う。


「本当だって!」


「……もしかして、人として、ということですか?」


「違っ」


「好きにもいろいろありますからね。大丈夫ですよ、勘違いしないから」


 本気に受け取ってくれないことに痺れを切らして、彼女を壁に押しつけて唇を奪いかけ――寸前でどうにか思い留まった。


 驚いた顔の奈都と目が合った。


「確認なんですが、あの人とつき合っては――」


 ネクタイを引っ張られて、言葉を封じるように唇が重ねられた。


 ほんの一秒足らずのキスに、思考が完全に持っていかれた。呆然としていると、奈都がネクタイから手を離して、これ見よがしにため息をついた。


「……なんか、理世ちゃんがヘタレヘタレって言う気持ちが、今理解できた気がします。普通、そこで止めます?」


「いや、これは絶対に確認しておかないといけないことですし……」


「つき合ってないって言ったじゃないですか」


「でも、俺の女に手を出すな、みたいな牽制を」


「えぇ? 本当にそんなことを言ったんですか? あの人が?」


「いえ、厳密には『本気ならなおさら、彼女に近づくな――』みたいなことを。途中で言葉は途切れてしまったので続きは想像しただけですが」


 奈都はしばらく思案してから、あくまで想像ですが、と前置きをして口を開いた。


「彼女に近づくなんて命知らずですね、みたいなニュアンスのことを言うつもりだったんじゃないですか?」


「え……?」


「痴話喧嘩で蹴り殺されそうとか、実家に挨拶に行ったら殴られて死にそうって言ってましたから」


 焦って思い返してみる。思えば優一は自分の彼女に懸想する相手に対して怒りもなく平然とした態度だった気もする。純誠が奈都に気があることを怪訝そうにしていたかもしれない。


「だけど……結婚して海外について行くって」


「結婚して海外について行くなんて、わたしはひと言も言った覚えがないんですが?」


 奈都の目に嘘はなさそうだった。代わりに呆れが多めに混ざっていた。


(もしかして、担がれた……?)


 考えれば考えるほどそんな気がして来る。


「それで? これから、どうしますか?」


 なにを、と訊き返しかけて、止めた。


 とりあえず、靴を脱いでもう一度部屋へと上がることを選ぶことにさほど時間はかからなかった。





次、本編最終話です

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