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あれから数日経った。
いつものカフェのいつもの席で、奈都は優一からの事後報告を受けていた。
「それで? きちんと片をつけて来ましたか?」
「……その前にひとつ、いいでしょうか?」
「だめです」
「いや、なんでそんなに目が腫れているんですか? それじゃあまるで、試合終了後の負けボクサーじゃないですか」
断じてそこまでではない。
「もう、だめって言ったのに……」
奈都はやや腫れた目元を手で覆って隠す。絶対に指摘されるとは思ったが、この歳になって子供みたいに連日泣き通しで目が腫れたなんて、絶対に認めたくない恥ずかしさがある。
「なにも一切の関係を断たなくてもよかったでしょうに」
優一は奈都が泣いた理由をすぐに見抜いてそう言った。
「……ユアステの八話で泣いただけです。わたしのことは放っておいてください。それよりも、説明を」
優一は処置なしとばかりに、やれやれと首を振って、一度喉を潤してから話しはじめた。
「まず、先日の拉致誘拐事件の後始末の詳細についてですが、実行犯たちは詳しく調べたらそれぞれ余罪があるとのことで、ひとまず別件で逮捕されています。手は打ってあるので、報復などの心配ありません」
「拉致誘拐の件はやっぱり揉み消されましたか」
「いえ、深追いしてもどうせとかげの尻尾切りでしょう。こちらが訴え出れば事件として捜査はされるでしょうが、背後にいた人間にはたどり着けないようになっています。杜撰な犯行なので証拠は回収済みですが、そうしたところでこちらが得るものもありませんし、せっかく握った弱みです。こちらの都合のいいように利用した方が有意義ですからね。元自称婚約者の家があなた方に関わって来ることはもう二度とないと思っていただいて構いません」
「信用できますか?」
「なにかして来ようものなら、こちらも容赦なく対抗します。ですが上流社会は横の繋がりが大きいですからね、娘のしでかしたことを隠せるのならこれくらいの条件、安いものだと思いますよ。もちろん念書を書かせました」
差し出された念書の写しに目を通して、奈都はひとまず信用することにした。
「それと、婚約は無事白紙になりました」
「それはよかったですね」
奈都はやんわりと皮肉を込めてそう言ったが、優一に響いた様子はなさそうで肩をすくめた。
「僕の元自称婚約者は家柄がよくても頭が空っぽだったようですね。自滅してくれたおかげで助かりました」
「だけどゆうちゃんさん。その裏で、怖い思いをした子供たちがいたことを忘れないでくださいよ」
「ええ。彼らには本当に、申し訳ないことをしたと思っています……」
充希も理世も恐ろしい思いをしたのだ。あの人間嫌いの優一が、ふたりがカウンセリングを受けられるように手配したことには少し驚いたが、彼なりに未成年者を巻き込んでしまったことへの悔恨の念があるのだろう。
理世はわりと切り替えが早かったが、充希はなかなか忘れられないのか、事あるごとに人のことをおばあちゃん代わりにして抱きついて来るようになってしまった。
だけどおばあちゃんと安心して暮らせるようになったらしく、その顔は前よりもちょっとだけ晴れやかになったのはよかったと思う。相変わらず年長者は敬えないにしても。
「それで、ゆうちゃんさんのご両親は諦めたんですか?」
「諦めてはいないと思いますよ。ただ、今回の件の裏事情を母の耳に入れたところ、父に対してかなりご立腹のようで。元々愛人の子たちと会うことは禁止していたんですよ。なので父はしばらく、母の管理下に置かれることになりました。暗躍することはないかと思います。さすがに懲りたでしょうから、彼らに接触することもないでしょう」
「信用できますか?」
優一は無言でスマホの画面をすっとこちらへと向けた。
そこには見知らぬシルバーグレーの髪のスーツ姿の紳士が、四つん這いになり、鎖つきの首輪つけられて外を散歩させられている画像が表示されていて、奈都は心底ドン引きした。表情を取り繕えなかった。
「……え、なんのセクハラですか?」
「たしかに絵面は醜悪ですが、きちんと服は着ているでしょう? オーダーメイドのスーツ。それに場所もうちの庭ですし、通報されるような案件ではありませんよ」
「……もしかして」
「ええ。父です。これが母からの制裁のひとつです」
「管理下に置かれるって、監視がつくとか、GPSを持たされるとかではなく、そのままの意味だったんですね……」
「信用できましたか?」
これはさすがに、うなずかざるを得なかった。この厳重な管理の元、脱走することはないだろう。
なにせ画像の紳士は、微妙に嬉しそうな表情をしているのだから。
「実感はないですが血の繋がった弟ということなので、この画像をふたりと共有することにしました」
純誠と充希は、最強の切り札を手に入れた。
「もし間違って誰かに見られたら、社会的に終わりそうな危険画像ですけど」
「管理は厳重にお願いしています」
取り扱いに困る切り札だった。
「あと残る未解決の問題は、なっちゃんさんのことだけですね」
「わたし、ですか? もう恋人役も終わって、晴れておひとり様を満喫していますよ」
「晴れて、というか、腫れてますよ? そんなに泣くくらい好きだったのなら、潔くそう伝えて来たらどうですか。なっちゃんらしくもない」
らしくないと言われても、恋愛に関してはこれが平常運転だ。
もう恋なんてしたくない。
どうせ傷つくだけなのだから。
「……伝えたって、迷惑なだけですよ。優しい人だから面と向かって迷惑とは言わないと思いますけど、絶対に困らせると思います。理世ちゃんのために無理してわたしのそばにいたわけですし、わたしのことを守ると言ってくれたのだって、きっと善意からのものでしょうし、あんな風に人を次々蹴り飛ばしてのしていった時点で完全に幻滅されていますよ」
感傷に浸る奈都などお構いなしに、優一は真顔で口を挟んできた。
「優しい人は、初対面の人間を殴ったりはしないと思います」
意外と根に持っているのだろうか。一発殴られたくらいで大人気ない。
「そういえば、あのとき、なんで殴られたんですか?」
「わからないんですか?」
驚いた様子でそう訊かれたが、そんなの奈都にわかるはずがない。
「……なんか、ゆうちゃんさんの顔に腹が立ったから、とか?」
「どんな脳筋ですか……」
優一が頭を抱えてしまった。なにやらぼそぼそつぶやいているが、残念ながら奈都の耳まで届かなかった。
「彼のことは……もういいんです。今は聖地巡礼という名の感傷旅行だけを楽しみに精一杯生きているので」
「うーん、でも、結構煽っちゃったし、後味が……」
「わたしは大丈夫ですから、みんなのフォローを願いしますね」
「それは当然ですが、うーん……」
歯切れの悪い優一と別れて帰路に着いた。
奈都は帰宅すると寝室に一直線に向かってベッドに倒れた。
強がってはいるが、やっぱりつらいものはつらい。
あれほどハニートラップが仕掛けられないと首を傾げていたのに、ハニートラップはすでに仕掛けられていて、まんまと引っかかっていたのだからお笑い種だ。
なんであのとき、格好をつけてさようならなんて言ってしまったのか。
彼のことを考えたら、離れた方がいいと思ったのだ。きっと奈都を見たらいろいろ思い出してしまうだろうから。
だから今さら告白なんて、できっこない。
それにわざわざふられに行くなんて、自傷行為だ。
理世とはまだ親しくしているものの、彼女は彼女で純誠とぎくしゃくしているので、今は話題にも上がらない。彼がどうしているのか、奈都には知る術がないことにほっとしていた。
純誠はモテると理世も言っていた。面倒な役目を終えた今、彼は自由の身だ。誰かとつき合っていてもおかしくはない。
彼の隣に綺麗な女性がいるのを想像して、また涙がにじんできた。
(どうせわたしではつり合わなかった……)
どんどん悪い方向へと考えが落ちていく。
こういうときこそ、ユアステの曲を聴いて自分を慰めなくては。
きっとまた乗り越えられる。
奈都には愛してやまない、彼女たちがいるのだから。
優一は一応関係者全員と連絡先を交換済み




