第14話 逆向きの払い
「でたらめですわ!」
沈黙を破ったのは、セリーヌだった。
「そんな書状、何かの間違いです! だって、お姉様は殿下に恋文を送っていたのよ! 証拠だって、ちゃんと――」
「ええ、その恋文も、ここにあります」
殿下が頷くと、ヴィクトル様が薄紅色のリボンで束ねられた手紙を差し出した。
あの夜、セリーヌが広間で掲げてみせた手紙だ。
「王宮の鑑定官に調べさせました。確かに、アデライン嬢の字によく似ています。右に傾く癖も、文字の終わりを短く払う書き方も」
セリーヌが、勝ち誇ったように顔を上げかける。
殿下は、手紙の一通を広げて掲げた。
「ただ一つ。『エリオット』の綴りの、最後の払いだけが逆向きになっている」
広間の貴族たちが、首を伸ばして覗き込む。
「アデライン嬢が書いた書類は、王宮に届いたものだけでも数千枚にのぼります。その中で、僕の名前が出てくる箇所は百を超える。そのすべてで、払いは右向きです。一つの例外もなく」
殿下は、鑑定官の報告書をヴィクトル様から受け取った。
「そして、この恋文に使われたインクと便箋は、フォルクナー家の次女の部屋から見つかったものと一致しました。お屋敷の侍女が、証言とともに差し出してくれましたよ」
「う、嘘……そんなの……」
セリーヌの声が、かすれていく。
「もう一つ」
殿下の声が、ほんの少しだけ低くなった。
「あの夜会の夜、陛下のお名前を騙って僕を呼び出した侍従がいました。その侍従は、金を受け取ったと白状しています。金は、伯爵夫人が青玉の首飾りを売った代金でした。宝石商の記録も残っています」
母が、小さく悲鳴を上げた。
「そして、その金を侍従に手渡したのは……セリーヌ嬢、あなた本人だそうですね」
広間じゅうの視線が、セリーヌに集まった。
あの夜、私に向けられていたのと、同じ視線が。
「ち、違うの……私は、ただ……」
セリーヌは、きょろきょろと周りを見回した。
けれど、誰も目を合わせない。
さっきまで彼女の涙に同情していた貴族たちが、扇の陰で冷たくささやき合っている。
「妹のほうが、全部仕組んだということ?」
「姉君に濡れ衣を着せて、家から追い出して……」
「王家の名を騙るなんて、なんて恐ろしい」
「お父様! お母様!」
セリーヌが、両親にすがりつく。
父は、その手を振り払った。
「わ、私は知らん! 首飾りの件も、手紙の件も、何も知らなかった! すべてこの娘が勝手に……!」
「あなた!」
母が、悲鳴のような声を上げた。
「あなただって、アデラインを病弱だと書くことに賛成したじゃない! セリーヌのほうが王子妃にふさわしいって、あなたが言ったのよ!」
「黙れ!」
大広間の真ん中で、父と母が互いを罵り合う。
その間で、セリーヌが呆然と立ち尽くしている。
私は、その光景を静かに見つめていた。
(あの家は、ずっとこうだったのかもしれない)
私が帳簿の数字を合わせ続けていたから、表面だけはきれいに見えていた。
その帳尻が、今夜、すべて崩れたのだ。
「そこまでだ」
重々しい声が、広間に響いた。
玉座の前に、国王陛下が立っていた。その隣には、王太子フェルディナント殿下の姿もある。
貴族たちが、一斉に膝を折る。
「フォルクナー伯爵。そなたは王家からの縁談に虚偽の返書を送り、王家を欺いた。さらにその家の者は、余の名を騙って侍従を買収し、偽りの命を発した」
陛下の声には、一切の温度がなかった。
「よって、フォルクナー家は伯爵位を剥奪し、子爵へ降格とする。領地の大半は王家に返上せよ。伯爵……いや、子爵は当主の座を退き、領地の片隅で謹慎とする」
父が、その場に崩れ落ちた。
「夫人については、虚偽の返書を自ら書いた罪、そして買収の資金を出した罪により、王都への立ち入りを生涯禁ずる」
母が、声にならない悲鳴を上げる。
「そして次女セリーヌ。姉に濡れ衣を着せ、王家の名を騙った罪は重い。北の果ての、聖ヘルガ修道院へ送る。生涯、そこで祈りを捧げよ」
北の聖ヘルガ修道院。
一年の半分が雪に閉ざされ、一度入れば二度と出てこられないと言われる場所だ。
「い、嫌……嫌よ……!」
セリーヌが、衛兵の手を振りほどこうともがく。
蜂蜜色の髪が乱れ、薄紅のドレスの裾が床に引きずられる。
その目が、私をとらえた。
「お姉様のせいよ……! お姉様さえいなければ、全部私のものだったのに! 地味で、可愛げがなくて、何の取り柄もないくせに……!」
私は、殿下の腕からそっと手を離した。
殿下が、何か言いかける。私は小さく首を振って、一人でセリーヌの前に歩み出た。
衛兵に両腕を押さえられた妹を、まっすぐに見つめる。
「セリーヌ」
妹が、びくりと肩を震わせた。
「あなたは、私の字をずいぶん上手に真似したのね。右に傾く癖も、短い払いも」
「……何が、言いたいの」
「でも、一つだけ間違えた。たぶん、一度も、私の字をちゃんと見たことがなかったから」
セリーヌの唇が、震えた。
「あの家では、誰も私の書いたものを読まなかった。お父様も、お母様も、あなたも。だから、最後の払いの向きなんて、誰も知らなかったの」
怒りは、なかった。
不思議なくらい、静かな気持ちだった。
「私の字を、最後まで読んでくださったのは、殿下だけだった。……それが、あなたと私の違いよ」
セリーヌは、何も言い返さなかった。
ただ、信じられないものを見るような目で私を見つめたまま、衛兵に連れられて広間を出ていった。
最後まで、私に謝ることはなかった。
それでいい、と思った。
振り返ると、殿下がすぐそこに立っていた。
「……一人で、行ってしまうんですから」
少しだけ拗ねたような声。
私は、思わず笑ってしまった。
「隣にいてくださると、分かっていましたから」
殿下は一瞬目を見開いて、それから、困ったように笑って私の手を取った。
広間のどこかで、誰かが拍手を始めた。
それはやがて、大きな波のように広間じゅうに広がっていった。




