↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/16

第14話 逆向きの払い

「でたらめですわ!」


 沈黙を破ったのは、セリーヌだった。


「そんな書状、何かの間違いです! だって、お姉様は殿下に恋文を送っていたのよ! 証拠だって、ちゃんと――」


「ええ、その恋文も、ここにあります」


 殿下が頷くと、ヴィクトル様が薄紅色のリボンで束ねられた手紙を差し出した。


 あの夜、セリーヌが広間で掲げてみせた手紙だ。


「王宮の鑑定官に調べさせました。確かに、アデライン嬢の字によく似ています。右に傾く癖も、文字の終わりを短く払う書き方も」


 セリーヌが、勝ち誇ったように顔を上げかける。


 殿下は、手紙の一通を広げて掲げた。


「ただ一つ。『エリオット』の綴りの、最後の払いだけが逆向きになっている」


 広間の貴族たちが、首を伸ばして覗き込む。


「アデライン嬢が書いた書類は、王宮に届いたものだけでも数千枚にのぼります。その中で、僕の名前が出てくる箇所は百を超える。そのすべてで、払いは右向きです。一つの例外もなく」


 殿下は、鑑定官の報告書をヴィクトル様から受け取った。


「そして、この恋文に使われたインクと便箋は、フォルクナー家の次女の部屋から見つかったものと一致しました。お屋敷の侍女が、証言とともに差し出してくれましたよ」


「う、嘘……そんなの……」


 セリーヌの声が、かすれていく。


「もう一つ」


 殿下の声が、ほんの少しだけ低くなった。


「あの夜会の夜、陛下のお名前を騙って僕を呼び出した侍従がいました。その侍従は、金を受け取ったと白状しています。金は、伯爵夫人が青玉の首飾りを売った代金でした。宝石商の記録も残っています」


 母が、小さく悲鳴を上げた。


「そして、その金を侍従に手渡したのは……セリーヌ嬢、あなた本人だそうですね」


 広間じゅうの視線が、セリーヌに集まった。


 あの夜、私に向けられていたのと、同じ視線が。




「ち、違うの……私は、ただ……」


 セリーヌは、きょろきょろと周りを見回した。


 けれど、誰も目を合わせない。


 さっきまで彼女の涙に同情していた貴族たちが、扇の陰で冷たくささやき合っている。


「妹のほうが、全部仕組んだということ?」


「姉君に濡れ衣を着せて、家から追い出して……」


「王家の名を騙るなんて、なんて恐ろしい」


「お父様! お母様!」


 セリーヌが、両親にすがりつく。


 父は、その手を振り払った。


「わ、私は知らん! 首飾りの件も、手紙の件も、何も知らなかった! すべてこの娘が勝手に……!」


「あなた!」


 母が、悲鳴のような声を上げた。


「あなただって、アデラインを病弱だと書くことに賛成したじゃない! セリーヌのほうが王子妃にふさわしいって、あなたが言ったのよ!」


「黙れ!」


 大広間の真ん中で、父と母が互いを罵り合う。


 その間で、セリーヌが呆然と立ち尽くしている。


 私は、その光景を静かに見つめていた。


(あの家は、ずっとこうだったのかもしれない)


 私が帳簿の数字を合わせ続けていたから、表面だけはきれいに見えていた。


 その帳尻が、今夜、すべて崩れたのだ。




「そこまでだ」


 重々しい声が、広間に響いた。


 玉座の前に、国王陛下が立っていた。その隣には、王太子フェルディナント殿下の姿もある。


 貴族たちが、一斉に膝を折る。


「フォルクナー伯爵。そなたは王家からの縁談に虚偽の返書を送り、王家を欺いた。さらにその家の者は、余の名を騙って侍従を買収し、偽りの命を発した」


 陛下の声には、一切の温度がなかった。


「よって、フォルクナー家は伯爵位を剥奪し、子爵へ降格とする。領地の大半は王家に返上せよ。伯爵……いや、子爵は当主の座を退き、領地の片隅で謹慎とする」


 父が、その場に崩れ落ちた。


「夫人については、虚偽の返書を自ら書いた罪、そして買収の資金を出した罪により、王都への立ち入りを生涯禁ずる」


 母が、声にならない悲鳴を上げる。


「そして次女セリーヌ。姉に濡れ衣を着せ、王家の名を騙った罪は重い。北の果ての、聖ヘルガ修道院へ送る。生涯、そこで祈りを捧げよ」


 北の聖ヘルガ修道院。


 一年の半分が雪に閉ざされ、一度入れば二度と出てこられないと言われる場所だ。


「い、嫌……嫌よ……!」


 セリーヌが、衛兵の手を振りほどこうともがく。


 蜂蜜色の髪が乱れ、薄紅のドレスの裾が床に引きずられる。


 その目が、私をとらえた。


「お姉様のせいよ……! お姉様さえいなければ、全部私のものだったのに! 地味で、可愛げがなくて、何の取り柄もないくせに……!」




 私は、殿下の腕からそっと手を離した。


 殿下が、何か言いかける。私は小さく首を振って、一人でセリーヌの前に歩み出た。


 衛兵に両腕を押さえられた妹を、まっすぐに見つめる。


「セリーヌ」


 妹が、びくりと肩を震わせた。


「あなたは、私の字をずいぶん上手に真似したのね。右に傾く癖も、短い払いも」


「……何が、言いたいの」


「でも、一つだけ間違えた。たぶん、一度も、私の字をちゃんと見たことがなかったから」


 セリーヌの唇が、震えた。


「あの家では、誰も私の書いたものを読まなかった。お父様も、お母様も、あなたも。だから、最後の払いの向きなんて、誰も知らなかったの」


 怒りは、なかった。


 不思議なくらい、静かな気持ちだった。


「私の字を、最後まで読んでくださったのは、殿下だけだった。……それが、あなたと私の違いよ」


 セリーヌは、何も言い返さなかった。


 ただ、信じられないものを見るような目で私を見つめたまま、衛兵に連れられて広間を出ていった。


 最後まで、私に謝ることはなかった。


 それでいい、と思った。


 振り返ると、殿下がすぐそこに立っていた。


「……一人で、行ってしまうんですから」


 少しだけ拗ねたような声。


 私は、思わず笑ってしまった。


「隣にいてくださると、分かっていましたから」


 殿下は一瞬目を見開いて、それから、困ったように笑って私の手を取った。


 広間のどこかで、誰かが拍手を始めた。


 それはやがて、大きな波のように広間じゅうに広がっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。