第12話 笑顔の裏で(エリオット視点)
「それで、いつ叩き潰すつもりだ?」
兄上……王太子フェルディナントは、執務机に頬杖をついたまま、物騒なことを平然と口にした。
僕と同じ金茶の髪に、僕より少し鋭い目つき。次の王としての器を誰もが認める兄は、身内にだけはこうして遠慮がない。
「叩き潰すなどと。人聞きの悪い」
「お前が三年かけて集めた紙の山を、俺が知らないとでも思っているのか」
兄上は机の上に積まれた書類を、指先で弾いた。
伯爵家から提出された三年分の報告書の写し。夜会の日の侍従の証言書。恋文の筆跡鑑定の結果。そして、一年前に王家へ届いた、嘘の返書の原本。
「王家への虚偽回答に、侍従の買収。陛下の名を騙った偽りの呼び出し。これだけ揃っていれば、伯爵家は終わりだ」
「ええ。ですから、終わらせ方を考えているんです」
ヴィクトルが、鑑定官の報告書を読み上げる。
「恋文の筆跡は、アデライン様の字に似せて書かれたものです。ただし、『エリオット』の綴りの払いが、アデライン様の三年分の書類とはすべて逆向きになっております。加えて、インクの成分が、フォルクナー家の次女の部屋から押収した便箋のものと一致いたしました」
「押収とは、手が早いな」
「侍女の一人が、証言と引き換えに差し出してくれました。お屋敷では、ずいぶん扱いがひどかったようで」
兄上が、ふんと鼻を鳴らした。
「使用人にまで見放されているのか。あの家は」
「アデラインがいた頃は、彼女が使用人の給金まで管理していましたからね。遅れたことは一度もなかったそうです。……今は、二か月分が未払いだとか」
ハンナから聞いた話だ。
アデラインは、使用人一人ひとりの家族の事情まで覚えていて、給金の日を早めてやったこともあったらしい。本人は、そんなことは一言も口にしなかったけれど。
「侍従の件は」
「買収に使われた金は、伯爵夫人の首飾りを売った代金です。宝石商の記録も押さえてあります。そして、実際に侍従に金を渡したのは、次女のセリーヌ嬢本人だと」
兄上が、低く笑った。
「なるほど。妹が全部仕組んで、母親がそれに乗ったわけか」
「ええ。そしてその責任を、全部アデラインに押しつけた」
自分の声が、思ったより冷えていたらしい。兄上がちらりと僕を見た。
「その首飾りの件だがな。先日、伯爵夫妻の前で、帳簿の穴として指摘したのはアデライン嬢本人だったそうじゃないか」
「……ええ。こちらが証拠を揃えている間に、彼女は一時間で同じところに辿り着いてしまいました」
「末恐ろしいな。文官長が欲しがるわけだ」
「新年の夜会で、すべてを明らかにします」
僕は、書類の束を揃えながら言った。
「フォルクナー家は、そこで僕とセリーヌ嬢の婚約が正式に発表されると思っています。前回の夜会では、騒ぎのせいで発表どころではなかったので」
「そこで、ひっくり返すのか」
「彼女が濡れ衣を着せられたのと、同じ場所で。同じだけの人の前で」
あの夜、彼女は大勢の貴族の前で辱められた。
誰一人、彼女をかばわなかった。実の父親でさえ。
ならば、名誉を取り戻すのも、同じ場所でなければ意味がない。
「陛下のお許しは」
「いただいています。王家を欺いた件については、陛下ご自身もたいそうお怒りでしたから」
兄上は、しばらく僕の顔を眺めていた。
それから、呆れたように肩をすくめる。
「まったく。お前のその笑顔に騙されている貴族どもが哀れだな。『愛想のいい第二王子』が聞いて呆れる」
「愛想は、いいつもりですよ」
「アデライン嬢の前でだけ、だろう」
否定は、しなかった。
兄上の執務室を出て、白樺の離宮へ戻る。
回廊を歩いていると、執務室の窓から明かりが漏れていた。
覗いてみると、アデラインが机に向かってペンを走らせている。その向かいで、若い文官が何かを熱心に話していた。
去年王宮に入ったばかりの、子爵家の三男だ。
手には、小さな花束を持っている。
「アデライン様、先日は本当にありがとうございました。これ、ほんのお礼で……」
「まあ、私に? ありがとうございます」
アデラインが、少し照れたように微笑んで花束を受け取る。
……なるほど。
僕は扉を軽くノックした。
「お疲れさま。まだ残っていたんですね」
「殿下!」
若い文官が、弾かれたように立ち上がる。
「し、失礼いたします!」
青い顔で頭を下げ、ほとんど走るように部屋を出ていった。
僕は、何もしていない。笑って挨拶をしただけだ。
「殿下……今、何か」
「何も?」
アデラインが、首を傾げて僕を見上げている。
その手の花束に目をやると、彼女は慌てて言った。
「あの、これは、先日翻訳のお手伝いをしたお礼だそうで……」
「知っています。綺麗な花ですね」
笑顔で答えたつもりだった。
けれど、アデラインはじっと僕の顔を見つめて、それから、小さく吹き出した。
「殿下、もしかして……拗ねていらっしゃいます?」
「拗ねてなど」
「この間、ハンナが言っていました。殿下は、笑っているときほど怒っているって」
……ハンナを連れてきたのは、失敗だったかもしれない。
僕は小さく息をついて、彼女の向かいの椅子に腰を下ろした。
「アデライン。新年の夜会に、僕と一緒に出てもらえませんか」
彼女の手が、花束の上で止まった。
「夜会……」
あの夜のことを、思い出しているのだろう。睫毛が、かすかに震えている。
「怖いのは、分かっています。でも、あなたの名誉は、あの場所で取り戻したい。今度は、僕がずっと隣にいます」
長い沈黙のあと、アデラインはゆっくりと顔を上げた。
「……はい。殿下が、隣にいてくださるなら」
その答えを聞いた瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
三年分の紙片では、決して得られなかったもの。
僕は手を伸ばし、彼女の髪にそっと触れた。
「新年の夜会。あなたに似合うドレスを、贈らせてください。……今度は、灰色ではなく」
アデラインの頬が、ゆっくりと薔薇色に染まっていく。
その色を見られるのが僕だけならいいと、思ってしまった。




