第四十話:阿弖流為と坂上田村麻呂
陽翔の意識は全く違う世界にいた。
「ここはどこだ?」
のどから発せられる野太い声に違和感を覚える。体の自由は効かないが、意識はある。これは、陸奥総社宮で阿弖流為の過去を回想した時と同じ。
「また俺は阿弖流為の記憶を追体験しているのか?」
ごわごわした皮の服に、布をひもで縛っただけの簡易な靴、両手には木の枷がはめられている。体中が痛い。どうやらいたるところに傷を負っているようだ。
燭台にたかれたろうそくのわずかな光を頼りに周囲を見渡すと、どうやらここは地下牢であることがわかった。
ろうそくの明かりが陰り、誰かの来訪を感じる。
「阿弖流為、無事か?」
現れた男はきれいな身なりをした貴族風の男だった。陽翔たちが知っている着物というよりは、山伏の装束に近い、わずかな光でもそれが高級な織物で作られていることはわかる。間違いなく地下牢には似つかわしくない身分の者だ。
わずかな光が男の顔を照らす。
陽翔の意識にも共有した阿弖流為の記憶が流れ込んだ。この男のことはよく知っている。
男は、朝廷の命を受け蝦夷に侵攻した部隊の将軍。そして阿弖流為たちを、ここ京都の地まで連行してきた張本人。
坂上田村麻呂それがこの男の名だ。
その名は陽翔も社会の教科書で習ったことがある。征夷大将軍として蝦夷攻略を指揮した偉人の一人だ。
「フン、死んでいないかという意味なら無事だ」
陽翔の意思とは関係なく阿弖流為の口が開き、訪ねてきた男に背を向け悪態をついた。
「本当にすまない。私は君たちを守れなかった。友として心から謝罪する。明日もう一度私が朝廷に直訴しよう。刑の減軽を願い、何とか陸奥の国にお前たちを返す」
田村麻呂の言葉には嘘ではない、本心からの思いが感じられた。
阿弖流為にとって、坂上田村麻呂は朝廷側の敵ではあった。しかし幾度も刃を交え戦う中で、思いは違えどもお互いにその力を認め合う間柄でもあった。
森を焼かれ、多くの同胞を失いながらも徹底的に抗戦する阿弖流為に、ある時坂上田村麻呂が条件を持ち出した。「頭領である阿弖流為が投降するなら蝦夷の民への攻撃はやめ、人道的な扱いを約束する」と。
阿弖流為は戦友とも呼べる男の言葉を信じ京へ上った。そして今、ここにいる。
本来なら一人で向かうはずが、荒覇吐神の巫女である母禮がついてきてしまったのだけが唯一の誤算だった。
「そらぁ無理ってもんだ、坂の上の。俺たちは朝廷の兵を殺しすぎた。みせしめがなくては、お上の連中も納得すまい」
坂上田村麻呂は阿弖流為の命の補償を語っていたが。それが難しいことは阿弖流為本人も十分に理解していた。
よりどころの神を殺され、蝦夷の里にはまともに戦える男衆もほとんどいなくなってしまった。頃合いだ。
これだけ戦えば荒覇吐神様もお許し下さるだろう。あとは一人でも多くの蝦夷の民を救う。もとよりそのためなら自分の首などいくらでもくれてやるつもりだった。
「しかし、阿弖流為、お前は蝦夷にとって必要な人間だ」
落ち着き払った阿弖流為とは対照的に、坂上田村麻呂は怒りを隠さない。
この男、武人としては優秀だが、政をつかさどるにはいささかおめでたすぎるところがある。
もっとも、そんな男だからこそ、阿弖流為は自分の身を預けてもいいと思えたのも確かだ。
同じ里に生まれていれば、親友にもなれたであろう男に向けて阿弖流為は続ける。
「いや、俺はただの戦士だ。これからの蝦夷に必要になるのは心のよりどころだ」阿弖流為はふりかえり真剣なまなざしで男に願った。
「だから頼む、この阿弖流為一生の願いだ。俺は斬首でも何でも構わない。母禮だけは、みんなのもとに返してやってくれ。彼女は荒覇吐神の巫女だ。俺なんかについてきてはいけなかったのだ」
大きく頭を下げる阿弖流為に坂上田村麻呂は声を詰まらせながらもはっきりと約束した。
「わかった。約束しよう。私の名に懸けて必ず母禮は蝦夷のもとに返すと誓おう」
それだけを言うと、坂上田村麻呂は地下牢を出ていった。
それが、阿弖流為がこの男にあった最後だった。
*
場面は切り替わる。
次に陽翔が感じたのは首を固定する冷たい木の感触だった。
周囲にはきらびやかな貴族の衣装に身を包む者たちが、汚らわしいものでも見るように扇子で顔を隠している。
轡がはめられ、声を出すことはできない。手足も縛られ、首だけが前に突き出すように木の枷にはめられていた。
傍らには刀を構えた介錯人の姿がある。
ああ、これから自分は首をはねられるのだ。意外にもそれほどの驚きはなかった。やるべきことはやったと納得している自分がいる。
首が動く可能な範囲を見回す。死後悪霊となれるのなら呪う相手を間違えないよう、この場所にいる朝廷の役人どもの顔を記憶に刻み付ける。
そうして首をまわした阿弖流為は、隣にもう一人処刑を待つ者がいることに気が付いた。心がざわめく。
嘘だ!そんなはずはない!あの男は約束したはずだ!
「はふらまほ~!ほーいうほほだ!」轡が邪魔で声にならない。
「うるさいぞ黙れ!」
いきなり騒ぎ出した阿弖流為の体を介錯人が蹴り上げる。骨がきしむような一撃だったがそんなことはどうでもいい。なぜ彼女がここにいるのだ。
「これより、蝦夷反乱の首謀者である阿弖流為と母禮の処刑を執り行う」
周囲の貴族から歓声が上がる。
そんな、そんな、なぜだ。
阿弖流為の瞳から涙があふれる。
隣の少女は、阿弖流為と同じように首を枷にはめられていた。体が衰弱しているのか、全く動かない。蝦夷の巫女服はひどく乱れ、普段はきちんと結わかれている髪も乱れその表情を確認することはできなかった。
「まずは蝦夷反乱の共犯、母禮、蝦夷を率い朝廷にあだ名した罪で極刑に処す。やれっ」
「やめろー!」
阿弖流為の絶叫が響く中、母禮の首が宙を舞った。
*
「許さぬ……」
阿弖流為は目を開いた。土蜘蛛の爪はあとわずかで自分の首を断とうとしている。
意識は走馬灯をめぐり、恨みの根源を再確認した。
自分はこんな場所で終わるわけにはいかない。自分から信仰を、故郷を、そして大切な人をも奪ったこの世界を許すことはできない。
怒りが力となり、阿弖流為は寸前のところで土蜘蛛の爪を蕨手刀で払いのける。
確実にとどめを刺したと思った土蜘蛛の表情に一瞬警戒が浮かぶが、立っているのもやっとなその姿に改めて勝利の確信を得たようだ。
改めて爪を振り上げる姿が霞む瞳に映った。
何とか危機をしのいだ阿弖流為は周囲にただよう濃い霊気を感じていた。おそらく土蜘蛛はこの力を吸収して力を回復したのだろう。
残念ながら阿弖流為には傷を回復させるような力はない。気の巡りをコントロールして出血をおさえるのがせいぜいだ。しかし、この濃度の高い霊気を攻撃の力として利用ようすることはできる。
ふらつきながらも土蜘蛛を見据え、眼前に蕨手刀を両手で構える。
「行くぞ」
周囲の霊気を吸収しそのすべてを手にもつ蕨手刀に流し込む。刀身が光りをはなつ。
片手で振るう短刀ほどのサイズだった蕨手刀が、阿弖流為の身長以上もある太刀のような長さに変わっていた。
腰を落とし両手でその太刀を構える阿弖流為だったが、いかんせん体のダメージが大きい。強力な力を得たものの、それを振るうだけの体力が陽翔の傷ついた体には残されていなかった。
強大な霊気が集まり姿を変えた陽翔の武器に警戒を強めていた土蜘蛛だったが、苦しそうに息を吐く姿を見て、もうまともにその力を使うことはできないだろうと判断する。
ギチギチとあざ笑うかのように顎を鳴らす。
脱皮したことで体の傷も回復した。周囲にはなぜか豊富な霊気が漂い力が湧き出してくる。今ならばどんなことでも可能な気がしていた。
目の前の男を殺し、その力を得る。さらに古の神、荒覇吐神の力も取り込めば、あの忌々しい加茂誓詞の束縛から逃れることも可能だろう。
土蜘蛛は太刀を構えたまま動かない陽翔を切りつけるべく鋭い爪の光る前足を振り下ろした。
その瞬間だった。
陽翔の背後でかすかな霊気が弾け、その体が朱色の炎に包まれた。
いぶかしんだ土蜘蛛は攻撃を躊躇してしまった。しかしそれが間違いだと気づく。
炎に包まれる陽翔の後ろには切り裂かれた式服を右手で抑えながら、こちらをにらみつける日月と、彼女を守るように周りを囲む四体の式神の姿があった。
陽翔を包む炎は朱雀によってもたらされた回復の炎だった。
土蜘蛛が再び攻撃を再開するが、時すでに遅し。
力を回復した陽翔は大きな太刀と化した蕨手刀を持って土蜘蛛の横を走り去る。
風となった陽翔の持つ愛刀は流れるように土蜘蛛の体を薙いでいた。
土蜘蛛の背後に回り込んだ陽翔は、露を払うように片手で刀を斜めに振り払う。陽翔は振り返らない。すでに勝負はついていた。
醜悪な顏に横一文字の線が走る。
「ナ、ナン、ダト……」
横に構えられた刀身で真っ二つにされた土蜘蛛は、上下が別の存在としてずれ落ちていく。
半分ほど体が傾いたところで、土蜘蛛は黒い塵となってその存在を消滅させた。
勝利した阿弖流為に喜びの色はない。
脳裏には今もなお、母禮の首が宙を舞う光景が焼き付いていた。
神鬼狂乱~女子高生陰陽師・安倍日月と荒覇吐の神~
ブシロード小説大賞応募予定のため、7月19日までに完結予定。原稿はすべて書きあがっているので、最終話まで一気に駆け抜けます!
少しでも気に入ってもらえたら、作品フォローと評価、なにとぞよろしくお願いします!




