第三十九話:土蜘蛛と阿弖流為
懐に入れた日月のスマートフォンが玲愛からの着信を知らせているが、意識を失った日月が出ることはできない。
「日月!しっかりするのじゃ」
倒れた日月の下から這い出た荒覇吐神が、神気を使って日月の傷を癒す。しかし、あふれ出る赤いしみの広がりは止まらない。
「我の今の力では、完全に傷をふさぐことはできぬか」
荒覇吐神のおかげで致命傷は免れたものの日月の傷は深い。早く適切な処置を施す必要がある。
日月をしとめ損ねた土蜘蛛がギチギチと悔しげに顎を鳴らす。長い間、餌も与えられずに使役させられてきた土蜘蛛は目の前の豊富な霊気を持つ日月をエサとしてしか見ていなかった。
抑圧されてきた飢餓的な衝動の下では、加茂誓詞の命令などとうに忘れ去られていた。
今度こそ獲物を貫こうと前足をあげる。
しかしその時、土蜘蛛の体がぐらりと傾いた。
『いつまでわしの上に載っているつもりじゃ。蟲風情が!』
土蜘蛛に踏みつけられている陽翔の体が青白く輝いた。
陽翔の両腕に力がみなぎる。腕立て伏せのように上半身を持ち上げ、そのまま跳ね起きる。土蜘蛛の重さが一瞬だけ浮いた。その隙に体を滑らせ戒めから抜け出した。
「オ、マエ、、、ナニもノダ……」
獲物に逃げられた土蜘蛛の八つの目が、立ち上がった陽翔を捉える。
陽翔は答えなかった。ただ、その瞳は土蜘蛛に対する怒りで染まっていた。足元の枝を拾い、軽く一振りする。風きり音が響き、枝は蕨手刀へと姿を変えた。
「日月先輩を傷つけた貴様を――」
『荒覇吐神様を傷つけた貴様を――』
陽翔と阿弖流為の声が重なった。
「――絶対に許さない!」
地面を蹴る。土蜘蛛が爪の生えた腕を振り上げる。しかし陽翔はその瞬間、すでに土蜘蛛の懐に潜りこんでいた。
一閃。
土蜘蛛の顔を下から切り上げる。八つの目は広く周囲を見ることができたが、それでも体の下は死角となっていた。
顔に予想だにしない一撃を受けた土蜘蛛は、やみくもに爪のついた腕を振るうが、長すぎる腕は構造上自分の近くの敵には当てづらい。
陽翔はその攻撃を難なく避けると、舞うように回転し左の足を次々に切りつけていく。
丸太のように太いが、前足のように鋭い爪があるわけではない。蕨手刀によって簡単に切り落とされていく。
左の足3本を失った土蜘蛛は、その巨体を支えることができなくなりその巨体を地面に横たえる。
つぶされる前に難なく脱出した陽翔が土蜘蛛の背後に回り込んだ。
土蜘蛛も慌てて残った足で体を引きづるように回転させ、陽翔に対峙する。顎を鳴らして威嚇するが、むしろそれは怯えて震えるようにすら思えた。
向かい合った陽翔と土蜘蛛。
陽翔が再び蕨手刀を正眼に構える。
後ずさろうとするが、足を失った土蜘蛛は自由に動くことができない。これでは離脱することすらままならない。
残り少ない力で、土蜘蛛は状況を計算していた。
蛇神は食い損ねたが、陰陽師は倒した。だが、最も力がないと思っていた少年に——阿弖流為の力を宿したこの少年に——追い込まれている。
間違えた。この少年が、最も危険だった。
大丈夫だ、まだ今からでもあの蛇神さえ喰えれば力は回復する。そうすれば、もうあの男に従い続ける必要もなくなる。何とかあの蛇神さえ喰えば……
そんな思いを感じたのか陽翔が動く。
蕨手刀が閃いた。
慌てて日月を切りつけた、爪のある前足で切り結ぼうとするが、陽翔の蕨手刀はその爪ごと土蜘蛛の前足を切り裂いた。
ドウという音と主に土蜘蛛の腕が地面に落ちた。
半分の足を奪われ動くこともままならない。
目の前にうまそうな餌がいるというのに、力が出ない。
土蜘蛛はギチギチと顎を鳴らした。
本来の力があれば、こんな人間に苦戦するはずがなかった。土蜘蛛はかつて朝廷の軍勢を震え上がらせた大妖怪なのだ。
それが、こんな屈辱を味わうなど、あってはならない。
そうだ、今はまだ力が完全ではない。ひとまず森に逃げるのだ。力さえ回復すれば、こんな人間風情……
土蜘蛛が撤退を考えた、その瞬間。
『おやおや。日月ちゃんを傷つけるとは、私の命令と違うようですねぇ』
ねっとりとした気が、土蜘蛛の全身を包んだ。声が直接、意識に語り掛けてくる。
これが——恐怖。
土蜘蛛は今まで感じたことのない感情に体を硬直させた。加茂誓詞はまだ、土蜘蛛を完全に自由にしたわけではない。離れていてもその状況を監視していた。
『ヒ、ヒヅキ、タベテナイ、マダ……』
命令を思い出し、土蜘蛛が意識を伝える。
『まあ、いいですよ生きてれば腕の一本や二本なくてもかまいません。それよりも、厄介そうな阿弖流為はきちんと殺しておいてくださいね』
加茂誓詞の声が消えた。
しかし、解放されたわけではないことを土蜘蛛はわかっていた。今もあの男が監視する意識を感じている。
土蜘蛛は再び陽翔――阿弖流為と向き合った。逃げることはできない。
その時だった。
龍脈からあふれ出した霊気の波が、この場所にも流れ込んできた。
本来なら結界で閉じられていたはずのこの空間であったが、加茂誓詞が脱出の際に無理やり開けた穴から亀裂が進み、そこから外の世界を満たし始めた霊気が流れ込んでいた。
すでにこの周囲は龍脈からあふれ出た霊気で満たされ、次第にその濃度が濃くなっていた。
壊れかけているとはいえ結界で守られているこの地の霊気はまだ薄い。しかし——土蜘蛛には十分だった。
貪るように、流れ込んできた霊気を吸い込む。
土蜘蛛の体に力がみなぎっていく。
「なに——」
陽翔は目の前で、土蜘蛛の体が退色していくのを見た。
異変を感じた陽翔は大きく後ろへ飛んで距離をとる。
土蜘蛛の体は干からびるように全身にしわが寄り。乾いた落ち葉のように生気を失った外郭へと変わる。そして、その内側で何かがうごめいたとき、背中に亀裂が走った。
次の瞬間、何かが飛び出した。
脱皮だ。
目の前には抜け殻だけが残っている。
「どこだ!」
陽翔が周囲を見渡す。
『馬鹿者、上だ!』
戦士の感でその存在を捉えた阿弖流為が上を向かせる。
木々の梢を渡り、上空を取った土蜘蛛が真上から落ちてくるところだった。しかも、切り落とされたはずの足までが再生している。先ほどよりも、まとう妖気の密度がけた違いに増していた。
陽翔は咄嗟に蕨手刀を構えた。
真上からの一撃を、辛うじて受ける。衝撃が体を沈ませる。陽翔は重量級の一撃を受けるだけで精いっぱいだった。
だが土蜘蛛の足はまだ七本残っている。一本を受けた隙に、別の足が動いていた。
鋭い爪が、陽翔の体を貫く。
「くっ……」
体をひねり致命傷こそ避けたものの、大きくわき腹をえぐられる。
戦士である阿弖流為はともかく、ただの高校生でしかない陽翔は痛みに耐えきれず、意識を手放した。体の主導権が阿弖流為に移る。
阿弖流為は土蜘蛛の追撃をかろうじて受け流し、後方へ飛び退いた。
傷むわき腹に手を当てると肉が大きくえぐられている。大量にあふれる血が傷の深刻さを伝える。
まずい、思ったより傷が深い。
霊気の流れを調整し出血は抑えたが、すでにかなりの血を失っている。
血を流し過ぎたせいで意識がもうろうとする。阿弖流為はその場に膝をついた。
目の前の土蜘蛛はゆっくりと近づき、刀のように鋭いその爪を振り上げる。
その姿は、遥かなる昔。
阿弖流為がまだ人間であった時の最後の記憶。京都の地で首をはねられ処刑された、あの瞬間を思い起こさせた。
土蜘蛛の爪が振り下ろされる。
阿弖流為は薄れゆく意識の中で、遥か昔の処刑台へと引き戻されていた。
神鬼狂乱~女子高生陰陽師・安倍日月と荒覇吐の神~
ブシロード小説大賞応募予定のため、7月19日までに完結予定。原稿はすべて書きあがっているので、最終話まで一気に駆け抜けます!
少しでも気に入ってもらえたら、作品フォローと評価、なにとぞよろしくお願いします!




