第十六話:陽翔の覚醒
健太の尊い犠牲のおかげで、日月と陽翔は何とか港まで逃げつくことができた。
「健太君、大丈夫かしら」
日月は猫神社のある山を見上げる。ここまで来てもまだ髪飾りに反応はない。この島を出ない限り式神を召喚するのは難しそうだ。
「日月先輩、どうするんですか?もうすぐ化け猫も降りてきますよ」
「そうね……」
港を見ると、ちょうど連絡船が停泊している。船に乗り込む観光客が列になって並んでいた。
「いったん島を離れましょう。健太君は誓詞さんに応援を要請して後で救助に来てもらいましょう」
妖怪とはいえ、一緒に数日過ごした仲間だ。陽翔としても心苦しくはあったが、ただの人間でしかない自分にできることは何もない。
苦し気に唇をかむ陽翔に日月が慰めの言葉をかける。
「シロちゃんたちさえ召喚できれば何とか対抗できるけれど、今の私ではどうすることもできないわ」
「……そうですね。急いで船を出してもらいましょう」
二人はうなずきあって桟橋に走る。
しかし、桟橋にたどり着く前に足を止める。二人がかけてくる足音に気づいた観光客が一斉に振り向いたのだ。
その顏には立派なヒゲが生えており、軽く握ったこぶしを顔の横で前後に動かし、招き猫のような動きでゆっくりこちらに歩み寄ってくる。
な~ご……な~ご……
観光客の口から低い猫の鳴き声が響く。
「ダメだ、この人たちも操られている」
別の方向に逃げようと顔を向ける。その方向からは漁師の格好をした島民が同じように手招きしながら近づいてくる。
「島中の人間が操られているの?!」
せっかく健太が体を張って逃がしてくれたというのに、これでは島を出ることができない。
「先輩、どこか建物に隠れて対策を……」
いったん港を離れようと振り向いた陽翔は絶望する。
化け猫ポンタがボロボロになった健太を咥えて山から下りてきたのだ。ポンタの頭上には器用に後ろ足で立ち上がり、短い腕を組んで陽翔たちを見下ろす猫神の姿があった。
さらに猫神に付き従うように、島中の猫の群れが港を囲うように集まってくる。
ポンタの頭上からは楽しそうな猫神の声が響いた。
「この島で我に勝つことなど不可能なのにゃ。にゃはははは」
胸をそり上げて高笑いをするハチワレ柄の猫。
「すいません~……、つかまっちゃいましたぁ……」
ポンタの口に咥えられた健太は、弱々しく声をあげた。内臓はすべて零れ落ち、健太の胴体には大きな空洞が空いている。体はひっかき傷だらけ、むき出しだった片方の眼球もどこかに落としてしまったようだ。
「健太……」
「私たちをどうする気なの?!」
陽翔を守るように日月が一歩前に出て錫杖を構える。
シャラリ、と遊環が乾いた金属音を立てた。
「どうするつもりにゃと?」日月の言葉にハチワレ猫は固まった。「どうする?あれどうしろって言われたんだったかにゃ……」
猫神が悩みだす。
何かがおかしい。
最初は恐怖で足が竦んでいた陽翔だったが、この不自然な様子に違和感を覚える。よく見ると、猫神の目は何かに怯えているようにも見えた。その仕草の底に隠された不安が、少しずつ見えてきた。
日月も同じものを感じ取ったのか、声のトーンを和らげる。
「ねえ、あなたも何か事情があるんじゃない?」優しく諭すような声で続ける。「もしかして誰かに命令されているの?」
「にゃ、にゃにを言うにゃ!別に天啓を受けたから襲ったわけじゃにゃいぞ」
慌てた猫神がポロリと口を滑らせる。
「天啓?」
陽翔の疑問に日月が答える。
「通常は神様が人間に指示を与えることをさすんだけど、猫神に指示を出すということは、もっと高位の偉大な神から下位の神への命令ってところね」
「じゃあ、どこかの神様が俺たちを襲わせたってことですか?!何で?」
「にゃにゃに、言ってるにゃ!今の無しにゃ!秘密って言われてるにゃ!」
どんどん口を滑らせる猫神。
何者かが猫神に指示をして陽翔たちを襲わせたのは間違いなさそうだ。猫神社に炎の呪符を投げ入れたカラスのことを思い出す。あれもその黒幕の使いだったのかもしれない。しかし、神様が呪符なんか使うのだろうか?
陽翔の中で疑念が膨らむ。
しかし事態はゆっくりと考える余裕を与えてはくれない。
「と、とにかく社を傷つけた貴様らを許すわけにはいかないにゃ!ポンタあいつらを噛み殺せ!いや、殺しちゃかわいそうにゃ、ちょこっとかみ殺せ」
頭上の主のあいまいな命令にポンタは困った表情を見せるが、ボロボロの健太をそっと脇に下すと日月たちに威嚇の咆哮をあげた。
「本当にあの炎の柱は私達じゃないのよ。信じて。話し合えばわかってもらえるはずよ」
日月はポンタの前に一歩踏み出し、必死に訴える。
猫神様にも何か理由があるようだが、あの様子では話を聞いてもらえそうにはない。
「陽翔君、巻き込んでごめんね」
日月が錫杖を構えたまま、小さく言った。
「大丈夫。私が絶対に守るから」
ポンタが前足を振り上げた。
日月が錫杖を盾にして受ける。金属音が響く。衝撃で足が石畳に沈み込むように軋んだ。
それでも、弾き飛ばされなかった。
「やるじゃにゃいか」
猫神が目を細める。
ポンタが二撃目を放つ。日月が横に跳んで躱し、返す刃で錫杖を振り下ろした。
シャランと遊環が鳴る。ポンタの前足に当たり、低い唸り声が上がった。
「先輩!」
「陽翔くんは隠れていて!」
日月は陽翔からポンタの気をそらすために横にさける。
おもちゃを追うように、ちょろちょろ動く日月にポンタの攻撃が続く。
三撃目。日月が受ける。四撃目。また受ける。
体格差は明らかだった。
一撃ごとに日月の足が後退する。錫杖を握る手が、震え始めていた。
「日月先輩!危ない!」
段差を踏み外し日月が体勢を崩す。そこをポンタの猫パンチが襲った。
前足が日月の体を捉え、横に薙ぎ払った。
「——っ!」
日月の体が宙を舞い、桟橋のコンクリートに叩きつけられた。
錫杖が、乾いた音を立てて転がる。
「先輩!!」
陽翔が駆け寄る。
日月が起き上がろうとして、腕が震えて崩れ落ちた。
「大丈……夫。まだ、動け——」
額から血が流れていた。コンクリートに打ち付けた時の傷だ。赤い線が日月の頬を伝って、石畳に落ちた。
陽翔はその一滴を、見た。
何かが、揺れた。
陽翔の意識に自分のものではない記憶が流れ込む。火が放たれ燃える森、襲い来る兵士とそれに立ち向かう巨大な赤い大蛇。
映像の中の自分は湾曲した剣を握り、巫女服姿の女性を抱えていた。
これは、誰だ?
そして、記憶の中の自分が怒りの咆哮をあげたとき、映像は唐突に途切れた。
それと引き換えにして胃の底から、腹の奥から、体の中心から——何かが押し上げてくる。
カッパに襲われたときにも感じた、あの感覚。
あの時は寸前のところで日月先輩が助けてくれた。しかし、今は……
襲い来る自分ではない誰かの激しい感情に、陽翔は飲み込まれていく。
恐怖・怒り・後悔。様々な衝動が陽翔の体の中で一気に爆発した。
「陽翔君、逃げ……て」
日月が絞り出すように言う。
しかし、陽翔は答えない。
右腕が燃えるように熱くなった。袖の下から、青い光が漏れた。腕を這う文様が、光を放って広がっていく。
腕から肩へ。肩から胸へ。首筋を伝い、頭の奥まで満ちていく。
視界が、白くなった。
——どけ。
声が聞こえた。陽翔自身のものではない。もっと低く、もっと古い、何かの声だ。
陽翔の意識が、遠くなる。
最後に見えたのは——
日月の額の血と、ポンタの金色の目が一瞬だけ怯えたように揺れた、その瞬間だった。
神鬼狂乱~女子高生陰陽師・安倍日月と荒覇吐の神~
ブシロード小説大賞応募予定のため、7月19日までに完結予定。原稿はすべて書きあがっているので、最終話まで一気に駆け抜けます!
少しでも気に入ってもらえたら、作品フォローと評価、なにとぞよろしくお願いします!




