第十二話:加茂誓詞の依頼
仙台泉中央駅から少し離れた路地裏に、その喫茶店はあった。
繁華街とは対照的な物静かな住宅街を進む。
同じような道を、日月は迷うことなく細い路地を曲がっていく。どうやら頭の上の白虎が時折しっぽで方向を示しているようだ。
たどり着いた店はまるで風景に溶け込むように、自然に存在していた。もし普段この前を通ったとしても気づかず通り過ぎてしまっただろう。それほどに存在感の薄い、まさに隠れた喫茶店だった。
『珈琲 鬼灯』
古びた看板に手書きの文字。扉を開けると、深煎りのコーヒーの香りが漂ってくる。店内は薄暗く静かなジャズが流れている。
カウンターの中に、白い顎髭をたくわえた老人がいた。陽翔と目が合うと、無言で奥のテーブルを顎で示した。
店の奥に三セットだけある小さなテーブルの一つに加茂誓詞が座っていた。
くすんだキャメル色のスーツに長髪を後ろで縛ったいつものスタイルで、テーブルの奥の席に浅く腰かけている。口の端に煙草をくわえ、運ばれてきたコーヒーに手もつけずにいた。
「久しぶりだね、少年。元気にしてたかい」
「は、はい。先日はお世話になりました」
頭を下げる陽翔に、加茂は屈託のない笑顔を返す。
この人が助けてくれなければ、あのまま妖怪に囲まれた夜を一人で過ごしていたことになる。素直に感謝できる相手だった。
「加茂さん、遅れてごめんなさい」
頭に白虎を載せたまま日月も席に向かう。店の天井が低いためレトロな照明は白虎の頭ぎりぎりの位置まで釣り下がっている。迷惑そうに白虎は耳を伏せた。
「いいよいいよ、僕も今来たところだ。さあさあ少年も座りたまえ」
三人が丸テーブルを囲むと、加茂がコーヒーを追加で二つ注文する。
「あのぉ、ホントに俺も一緒でよかったんですか?」と陽翔が加茂に確認する。
秘密組織の重要な情報を部外者の自分が聞いていいものか不安だった。
「照井陽翔君だよね。むしろ来てもらいたかったよ」
加茂が陽翔を見た。
温かい目だった。
「君の体の中にいるものも、今回の件と関係しているかもしれないからね」
二人にもコーヒーが運ばれてくる。加茂が一口飲んでから、静かに切り出した。
「本題に入ろう。最近、仙台周辺で妖怪の活動が活発化しているのは日月くんも感じているね?」
「ええ。陽翔君のアパート周辺も相当な数が集まっていたわ。口裂け女の件もあったし」
「そう。実はあれだけじゃない。宮城県全域で、妖の動きがここ数週間で急激に増している。陰陽寮でも原因を調べているんだが、ひとつ気になる場所があってね」
加茂がテーブルに地図を広げた。
宮城県の沿岸部。石巻市の沖合に浮かぶ小さな島が丸で囲まれている。
「田代島」
陽翔は地図を覗き込む。石巻港からフェリーで渡る、小さな島だ。
近年SNSなどで有名になり、注目度の高い離島だ。
「たしか、猫島として有名な観光地ですよね」
実際に尋ねたことはないが、陽翔も旅系ユーチューバーなどが紹介する動画をいくつか見たことがあった。
「そう。島民よりも猫の数が多いことで有名だね。島の中央には猫神社があって、猫神様が祀られているんだ」
加茂が煙草の煙を細く吐くと、顔を近づけて内緒話をするように語る。
「最近、その島で不思議な報告が相次いでいてね。島の猫たちが一斉に同じ方向を向いて鳴く。夜中に島の奥から光が見える。それから——」
少し間を置いた。
「島に渡った観光客が、おおきな化け猫に追いかけられて怪我をする事故が何件か起きている」
「化け猫に怪我をさせられた?」
陽翔が思わず聞き返す。猫島の猫といえば、観光客に慣れていて人懐っこいはずだ。
その中に悪意のある『化け猫』が紛れているというのだろうか?
「そう。猫神様が島の猫を統治しているから普通ならそんなことはあり得ないんだけど、最近はこのあたりの妖怪が活性化しているからね、悪意ある妖怪が田代島に渡ったのかもしれない」
加茂が日月を見た。
「宮城支部の他の陰陽師は地域の対応で手いっぱいなんだ。離島ということでなかなか人員を割けなくてね。日月ちゃん今週末に調査をお願いできないかな」
「う~ん、船で行かなきゃいけないですよね。陽翔君の護衛もあるからどうしようかしら」
日月はちょっと困った顔をする。
「それはだいじょうぶだよ、陽翔君も一緒に行ってもらえばいい」
「え?俺もですか?」
いきなり名前が上がり陽翔は驚く。
「今回は調査だけさ」
「でも危なくないんですか?」
「危なかったら僕が日月ちゃんを行かせると思うかい?」
誓詞は笑みを絶やさず言った。
それでも、陽翔としては不安が残る。自分は焼き鳥の屋台並みに妖怪を引き付けるらしいのだ。原因がわかって対処できるまではあまり遠くに出かけることは避けたいというのが本音だ。日月も同じ考えなのだろう。上司のお願いであっても難しそうな顔をしている。
「猫島は今SNSで人気だぜ」
ぼそりと誓詞がつぶやく。
日月と白虎の耳がそろってピクリと動いた。
「猫写真は人気で閲覧数も多いし、もし仮に化け猫に出会ったなら、これはすごい話題だろうなぁ」
ぴくぴくっ
日月の表情が緩む。
「それに今回は、カメラマンも一緒だ。自撮りではできない撮影もいろいろできるんじゃないかなぁ、なんて思ったり……」
意味深な表情で日月を見つめる。
「もちろんよ。行くわ」
即答だった。陽翔は日月の横顔を見る。
目が輝いている。完全に乗り気だ。
「あの、先輩、大丈夫なんですか?」
日月の思いの天秤は、陽翔の護衛よりもSNS映えに大きく傾いた。
「島の人たちの不安を早く解消するのも陰陽師の仕事よ!そのついでに映える写真も撮れそうじゃない!化け猫に猫島の神様!」
ダメだ、SNS映えにつられて完全に乗せられている。誓詞を見るとニコニコしながら日月を眺めている。陽翔の視線に気づくとヘタクソなウィンクをした。
陽翔は小さくため息をついた。
「安心して大丈夫さ、陽翔くん」
加茂が穏やかに言った。
「日月くんは優秀だよ。それに、君の体の中のものが何か反応するかもしれないだろ。まあ、どうしても行きたくないというなら、この前のお札をまた渡すけど」
そこまで言って今度は陽翔の耳元で日月には聞こえないようにささやく。
「二人で離島デート、なかなかこんなチャンスはないぜ」
陽翔は内緒話に気づかずニコニコしている日月を見て少し考える。
ここ数日いろいろな妖怪に会って感覚がマヒしてきているためか、正直以前ほどの恐怖は感じていない。それよりも離島デートは陽翔にとっても非常に魅力的だった。
「無理にとは言わないよ。どうする?」
加茂が笑った。
剃り残しのある顎をさすりながら、屈託のない笑顔で。
食えないおじさんだ、と陽翔は思った。
「わかりました。俺も行きます」
「よかった。石巻港から朝一番のフェリーが出ている。来週末に渡れるよう、手配しておくよ」
「ありがとうございます、加茂さん」
日月が頭を下げる。
加茂は手を振って「気にしないで」と笑った。
その時、加茂の目が一瞬だけ陽翔の右腕に落ちた気がした。
ほんの一瞬だ。
すぐに視線は外れ、また穏やかな笑顔に戻っていた。
神鬼狂乱~女子高生陰陽師・安倍日月と荒覇吐の神~
ブシロード小説大賞応募予定のため、7月19日までに完結予定。原稿はすべて書きあがっているので、最終話まで一気に駆け抜けます!
少しでも気に入ってもらえたら、作品フォローと評価、なにとぞよろしくお願いします!




