第九話:加茂誓詞の呼び出し
翌朝、陽翔は枕元のスマホのアラームで目を覚ます。
日月の張ってくれた結界のおかげか、気持ちよく眠ることができた。
昨夜は引っ越してから隣の部屋から毎晩のように聞こえていた男性アイドルのミュージックビデオの音が聞こえなかったのも大きいかもしれない。
壁の薄いアパートのため生活音が結構漏れ聞こえてしまうのだ。
陽翔はトーストだけの簡単な朝食を済ませると、まだ着なれない真新しい制服に袖を通し準備を整える。
玄関を出るとアパートの階段下にはすでに日月が白虎を頭に乗せた姿で待っていた。
慌てて階段を駆け降りる。
「すいません、日月先輩。待たせてしまいましたか」
「ううん、大丈夫ちょうど来たところよ」
そういって周囲を見回す。
「うん、結界はきちんと役割を果たしたみたいね。敷地内に妖怪の気配はないわ」
頭の上の白虎が周囲を探るようにひげをぴくぴくさせる。
「……もっとも、この周囲はそうでもないみたいだけどね」
日月が周囲を見回すのに合わせて、陽翔も顔を向ける。
「あ……」
電信柱の陰に何かが隠れた。小さな犬のようだが、一瞬見えた顔は間違いなく人間のものだ。
「人面犬ね。小さなおじさんも結構な数うろついているわ。ほら見て」
そういって日月が頭上を指さす。
人面犬が隠れた電柱から伸びる電線には数えきれないほどのカラスが止まってこちらを眺めている。
「あれもただのカラスってわけじゃなさそうね。良かったわね、昨日結界を張っていなかったらどうなっていたかわからないわ」
日月の言葉に改めて寒気が走った。
これは早く何とかしてもらわなければ、まともに高校生活を送ることができない。
「安心して学校までは私が一緒に行くし、私の周りには強力な結界を張っているから襲われる心配はないわ」
「お願いします……」
まるでご主人様に付き従うように、陽翔は日月について学校への通学路を進んでいった。
*
学校へ向かう二人の姿を憎々し気に見つめる影があった。
長い黒髪に真っ赤なワンピース姿の女性。口元に大きなマスクをしているため表情は読み取れないが、鋭く差すような視線が二人を見つめている。
学校に向い歩き出したふたりの後を、女はゆっくりとついて行くのだった。
*
教室に入った陽翔は窓側一番後ろの自分の席に鞄をおいた。
最初の座席を決めるくじで、教室の窓側一番うしろという一等地を獲得した陽翔は椅子に座って教室を見渡す。ほとんどの生徒が地元中学からの進学組で、地方出 身の陽翔にはこのクラスで友人と呼べるような知り合いはまだ1人もいない。
周囲の同級生たちはすでに何組かのグループが形成されそれぞれにたわいのない会話を交わしていた。
始業まではしばらく時間がある。手持ちぶさたになった陽翔は教室の窓から外を眺めていた。
3階の教室の窓からは今朝、通り抜けた校門が見渡せた。校門の脇に立つの大きな桜の木は風にあおられ、終わりかけの花びらを散らしていた。
そこで陽翔は、不審な人影を見た。
通学時間が終わり閉ざされた校門の外で、赤いワンピースの裾を風に揺らす女性が佇んでいる。散りゆく桜の花びらが彼女の周りだけ、不自然に避けるように舞い落ちる。
「!」
一瞬ワンピース姿の女性と目があった。
大きなマスクで覆われた顔の中で、ぎょろりとした瞳だけが陽翔を見つめていた。
金縛りにでもあったように目が離せない。女が何かを発しようと口を開く……
「……なあ、お前どこの中学から来たんだ?」背後からふいに声を掛けられ陽翔は体を震わせる。
「ああ、すまん。おどろかせちまったみたいだな」
緊張しながら視線を声のした方へ向ける。そこには人当たりのよさそうな同級生の男が立っていた。
「いや、ゴメン、ちょっとぼおっとしてた」
そう答えながら横目で窓の外を確認すると、すでに校門に女性の姿はなかった。
「ちょっと見かけない顔だとおもって声かけてみたんだ。お前どこ中出身だ?」
男は人好きのする笑顔で続ける。
「俺はこの春仙台に来たばかりで、中学までは盛岡だったんだ」
「あー、道理で見たことないわけだ。あ、俺は坂本 太一、太一でいいぜ。よろしくな」
坂本と名乗った男子生徒は、短く刈り上げた髪型にがっちりした体格でいかにもスポーツマンという雰囲気を感じさせた。
「俺は照井 陽翔、俺も陽翔でいいよ」
「オッケー陽翔。よろしくな」
そう答えると太一は二カッと歯を見せて笑うと、誰も座っていない陽翔の隣の椅子を引き出し背もたれにあごを乗せるように座った。
「なあなあ、部活は決めたか?俺はさ、昨日ひどいめにあってさぁ……」
太一は昨日の部活大勧誘に飲み込まれ、一日で5か所も体験入部をさせられたと話した。
「今日もまだ2か所回る約束になってるんだけどさぁ、陽翔はどこ見に行ったんだ?よかったら情報教交換しようぜ」
そういわれても、陽翔はどの部活にも顔を出してはいないから答えることができない。それにすでに超常現象研究部への入部が内定してしまっている。
「ごめん、俺はもう超常現象研究部に入部することに決めてるんだ」
「げ、お前、あの『オカ研』に入るのか?!」
オカ研、オカルト研究部=超常現象研究部ってことのようだ。まあ、一般的な感覚からしたらちょっと敬遠したくなる気持ちもわかる。
「体験入部した部活の先輩が言ってたよ、今の二年の部長はかなり美人らしいけど、なんだか危ない人だって噂だぜ」
太一は手のひらで口元を隠してひそひそと話す。「インスタグラムで検索してみな、その先輩のアカウントあるんだけどさ、幽霊とのツーショットとかヤバイ写真ばっか投稿してるんだよ。校舎内でも誰もいない方向に向かってしゃべっていたりさ、おかしな人だってもっぱらの噂だぜ。あんまりかかわらないほうがいいって」
陽翔は額を抑えて大きくため息をついた。どこがインフルエンサーだよ、完全に怪しい人物認定じゃないか。
そんな日月と行動を共にするということは、陽翔も周囲から同類とみられるってことだ。明るい高校生活に暗雲が垂れ込めてきた。
「そ、そうなのか、話してみたら意外といい先輩だったぜ」
一応フォローはしておく。この様子だと、すでに学校中の共通認識となっている可能性が高いが、せめて自分の周囲の人間だけでも偏見は解いておきたい。
そこまで話すと、始業を知らせるチャイムが響いた。
それぞれのグループで雑談を楽しんでいた生徒たちは、一斉に自分たちの指定の席に戻っていく。太一も「またな」と手を振って自分の席に戻る。
陽翔はもう一度窓の外に目を向けるが、そこには春一番の風に花びらを散らす桜だけしか見ることはできなかった。
*
放課後、何もなければ超常現象研究部に行くところだが、今日は別の予定が入っていた。
最近、仙台周辺で妖怪の活動が活発化してきているということで、日月にも陰陽寮から調査依頼が来ているらしい。その詳細説明のため地域統括の加茂誓詞に呼び出されているというのだ。
もしかすると、陽翔にとりついている何者かもこの件と無関係ではないかもしれないため同行することになっていた。
昇降口で落ちあい靴を履き替えていた二人に、陽翔の知らない老齢の教師が声をかけてきた。
「おい、安倍。ちょっと明日の準備手伝ってくれ」
「は、はーい」
陽翔に向かっててを手を合わせる。
「ゴメン、あの先生仕事断ると後で授業でいやらしい復讐してくるの。すぐ終わらせるからちょっと待ってて」
上履きを戻し校舎を戻ろうとした日月が戻ってきて、陽翔の顏に人差し指をさしてきつく言った。
「陽翔君わかってるわね、私が戻るまで先に学校を出ないで。絶対に一人で外に出ないこと」
「わかってます」
「わかってる、じゃなくて約束して」
真剣な目だった。
「……約束します」
「よし」
日月が頷いて、校舎内に戻っていく。
陽翔は靴を履き終えて、昇降口の端のベンチに腰を下ろした。
スマートフォンを取り出して、時間を潰す。
岩手の母からLINEが来ていた。
『学校どう?ちゃんとごはん食べてる?』
そういえば、仙台に来てから色々あって親に何の連絡もしていなかった。
返信を打ちかけたその瞬間。
スマートフォンが、消えた。
——正確には、黒い翼が視界を横切り、陽翔の手から画面ごとかっさらっていった。
「え?」
それはカラスだった。
一羽ではない。三羽が編隊を組んで、校門の外へ飛んでいく。
スマートフォンを嘴で掴んだまま、校門の門柱の上に止まった。
カラスがこちらを見ている。
まるで「来い」と言っているように。
——絶対に一人で外に出ないこと。
日月の声が頭に蘇った。
でも、スマートフォンがなければ連絡が取れない。
母への返信も、日月への連絡も、何もできなくなる。
何より、あれは今の自分にとって唯一の連絡手段だった。
まだ敷地の中だ。取り戻してすぐに戻れば問題ないだろう。
陽翔は立ち上がった。
*
ゆっくりとスマートフォンを加えたカラスに近づく。
「逃げるなよ……」
陽翔は自分の頭より少し高い位置にとまったカラスににじり寄り、一気にとびかかる。
手が届くよりも一歩早く、カラスはひらりと空を舞った。
「カー」と一声ないてさらに高い電線の上にとまる。幸いだったのは鳴き声をあげた時くちばしからスマートフォンが落ちたことだ。さすがに電柱の上に持っていかれたら手が届かないところだった。
「画面割れなかったかなぁ」
地面に落ちたスマホを拾いに走る。
無事目的のものを取り戻したことで陽翔は油断していた。スマートフォンが落ちていた場所。そこは校門の外だった。
陽翔の体が校門を出た瞬間、空気が変わった。
さっきまで聞こえていたはずの部活の喧騒が遠ざかる。
アスファルトの上に落ちたスマホを拾い上げ立ち上がった陽翔の背後で、コツンと足音が響いた。
陽翔はゆっくりと振り向く。
長い黒髪。
真っ赤なワンピース。
今朝、教室の窓から見かけた女がゆっくりした足取りで陽翔に近づいてきていた。




