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雨の気配


 さあ、どうしたものか。

 私は廊下に立ち尽くしていた。廊下の窓から眺める桜の景色はやけに感傷的で、春の青空にも南西の方角から翳りが差し始める。


 どうして私がこんなことになっているか。

 理由はシンプルだ。帰り道がわからない。つまりは迷子だ。

 てっきり部屋を出たらボランティアの人達が送ってくれるのかと思ったら、廊下はもぬけの殻だ。何がボランティア委員会だよ。こういうときこそボランティアしなさいよ!


 人っ子ひとり廊下を通っていない。この時間は授業中なのだろう。静けさ漂う廊下は、薄暗さも増して薄気味悪い。こんなところに置き去りにされてしまった奴の気持ちがわかるかしら。膝から崩れる思いよ。


 しかしここでいつまでもじっとしているわけにいかないから、そろそろ動き出すとしますか。

 アテなんかありませんよ。ここから一生出られないことも覚悟しなければならない。それでも私は魔王を倒すために、この冷たいダンジョンの地下を攻略しなければならない……! さあ、本の魔窟へと出発しようではないか!



「ミィア〜」


 私のおふざけの熱量に反して、素っ頓狂な猫の鳴き声がする。

 あれ? 高雅さんとこの白猫がいつの間にやら私の足元にちょこんと座っている。猫相手に、何とも恥ずかしい場面を見られてしまった。

 くりっとした黄金色の瞳に、すっかり心を奪われてしまう。不思議なことが多いけど、この可愛さは確かにほんものだ。

 もしかして、なかなか来ない私を探しに来てくれたのかな? 気が利く猫ちゃんだ。


「もしかして……猫ちゃんが道案内してくれるのかな?」


「ミィアオン」


 猫ちゃんは頷くように可愛く一鳴きして、てくてくと私の前を歩き出してくれる。

 持つべきものは筋骨隆々ボランティアじゃなくて、賢い猫ちゃんだな。同時に自分の情けなさに少し顔が赤くなる。





 入学式から気づけば毎日通っている図書室の扉が見える。猫ちゃんのおかげで無事にたどり着くことができた。

 スライドの扉は、猫ちゃんが通るだけの隙間が少し開いている。先に猫ちゃんが、その隙間へと吸い込まれる。

 その後を追いかけるように、私もおずおずと図書室に入った。


 約束の時間をもう30分もオーバーしている。もしかして怒っているかなと、辺りを見渡しても姿が見えないことに不安の色が浮かぶ。

 図書室の奥にいるのかと広い室内をしばらく彷徨うと、大きな本棚で隠れた窓際の席に足を組んで本を読む彼をようやく見つけた。窓にはポツポツと雨粒が叩き始めている。

 遠くから見ていると雑誌の一枚のようなムードが漂っていて、迂闊に近づき難い。


 おもむろに、読んでいた本を閉じる。

 本棚の影に隠れていた私に気づいたようだ。



「遅かったね」


 と、それだけ。その先を続けることはなく、私の返事を待っているようだ。こちらの顔を見ようともしない。


 クロスが敷かれたテーブルの上には、二人分のティーセットが用意されていた。

 これはやってしまった。彼の機嫌が悪くなるのも仕方ない。精一杯謝ろうと思った。


「高雅さん。遅れてすみません。あの、今日はカップケーキを焼いてきたんですよ」


 大事に抱えてきた手作りのお菓子を、彼の前に差し出してみたけど反応はない。目の前にある食器を眺めて、低い声で呟いた。


「君が約束の時間に来ないから、せっかくの茶葉が無駄になってしまった」


 怒っているけど、その眼差しは悲しんでいるようにも見える。

 楽しみだったはずのお茶会も、この日の天気のように暗く沈んでしまう。雨の音は窓を叩いて激しさを増した。



「君が誰とどこで何をしていようが、僕には関係ないことだ。僕の時間まで犠牲にして、君にこれ以上付き合うつもりはない」


 冷たい言葉が鋭利な刃物になって、胸を抉る。

 これまでの時間も失われたような、突き放すその人の視線が辛かった。


「すみませんでした。遅れたことなら謝ります……えっと、高雅さんに喜んでもらいたくて、またお菓子焼いてきたんです」


 不穏な空気が漂い始める中で、それでも必死に場を盛り上げようとがんばった。いつも通りに振る舞えば、彼の機嫌も治らないかと淡い期待をしていた。



「気安く僕の名前を呼ばないで」


 低く唸るような声で制されて、微かな息さえ喉に詰まった。何も言えなくなる。


 固まる私を前に、彼は言葉を続けた。


「……君が遅れたから悪いわけじゃない。もともと僕はこういう人間なんだ。昔から誰かを傷つけることしかしてこなかった」


 高雅さんの昔のこと……もう少し時間をかけて、仲良くなればいつか話してくると期待していた。



「よくわかっただろう。消えなよ。僕の前から……」



 けど、それも叶わなくなってしまうだろう。

 力の抜けた手には、包装紙はなかった。滑り落ちたそれが、床の上でぐしゃりと潰れる。


 もうこれ以上、彼の目に惨めな自分を映すのが耐えられなくて、自分から彼に背中を向けた。

 早足に図書室を後にしようとすると、私の足元に白猫が近づいてきた。まるで引き止めようとしてくれるそのこに、私は膝を折って微笑んだ。


「ごめんね。今日はもう帰るんだ」


 言い聞かせるようにそのこの顔を撫でた。

 そのまま猫ちゃんを抱き上げて、自分のそばに抱き寄せた。そのこのぬくもりに耐えられず、私は泣いた。猫ちゃんは逃げずに抱きしめる私のそばに寄り添ってくれた。


 遠くから聞こえる雨の気配は、この声をかき消すほど激しく降り続けた。



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