第三十話 クォーツの誕生日
「こっちはまだ探索してないか……。」
二か月の時間をかけた往復、を何度か繰り返したパトロックは、家を出てから半年以上をアルニードとメルンを行き来して過ごしていた、目的の大図書館は見つかったのだが、その大図書館の貯蔵している書物の量が莫大、というよりは、数千年前までにおいては、国庫として働いていたこの大図書館から、朽ちている本を分析して、そして目当ての本を探し出す、という事にパトロックは苦戦を強いられていた、パトロックは賢者の石の製造法を見つけ出すまでは帰る気がないと断言していた、だからではないが、パトロックは気が付けば三十六歳の誕生日を超えていた、クォーツがそろそろ十九歳になるだろう冬季、雪が降っていようと積もっていようとパトロックは歩みを止めなかった、ローランには雪が降らない、だから雪の危険性をあまり理解していない、と言うのもあったのだろうが、雪靴というそこにスパイクのついた靴を履いて、ガルダを超えてメルンに到着して、雪の積もったメルンはまた美しかったのだろう、という郷愁にかられながら、懸命に目的の書物を探していた。
「これでもない……。」
懐中電灯の明かりを持って、大図書館の中で探していない区域に目印を付けて、そしてそれらしい本を探していく、数千年前の言語と今のローランやアルドの言語は言葉が違う、であるからして、それを翻訳しながら探さなければならないのだから、手間は増えているだろう。
パトロックが歴史に造詣が深く、翻訳を出来る程度には言語体系に習熟している、という事を加味しても、一冊を読み終えるのに約数時間、集中しても一日三冊が限度だ。
そんな中で、広大な大図書館の中身を探していくというのには骨が折れる、それこそ年単位で物事を考えて行動しなければやっていけないだろうと考える程には、その大図書館は広大だった。
「これも違う……。」
本の背表紙から、大体の内容は理解出来る、ただ、それだけでは判断が出来ない可能性もなくはない、パトロックが翻訳を一度間違えて見逃してしまう可能性もある、そう考えると、疑わしくは読むべし、がパトロックの中で当たり前になっていた、一日三冊程度、翻訳している背表紙的には一日百冊程度、それでもこの広大な大図書館を制圧出来る気がしない、そもそもが国を超えた書物庫、この世界のすべての国、と言うのには少し小さすぎるが、東西南北の言語が同一な国々の全ての書物を貯蔵していた、とされているこの大図書館は、独りで回るには広すぎる、一説によると、司書だけで数十人から数百人の人数を動員していたのだとか、区画ごとに司書が待機する場所が用意されていた痕跡があった、その数が百席程、つまりは最低でも百人と言う人数で管理していた図書館、という事になるのだろう。
朽ちた図書館ではあった、あったのだが、基本的にモンスターがここを襲わなかったのか、綺麗に貯蔵された書物が残っているこの大図書館は、根性のある方で執念深いパトロックが疲弊をする程度、には広大だと言えてしまうのだろう、一万年と何千年かの間の書物全てを貯蔵した書物庫、と言うのは当たり前のごとく膨大な量の書物が眠っている、それは覚悟していたが、ここまでだとは思わなかった、それがパトロックの誤算だった。
「これは……。」
賢者の石、という古語が使われている本を片端から読んでいく、何処に製造法が書かれているかわからない、と翻訳を欠かさず、基本的に取った本は最後まで読んで、そしていつか来る客の為に元あった場所に戻す、パトロックがその作業を始めてから合計半年、メルンの大図書館に滞在している期間だけでも約三か月、それだけの時間を使っても、一割も党は出来ていない、その事実がパトロックの心を疲弊させていく、ただ、ここになければそれ以上の情報は得られない、その予感はしていた、それ即ち「ルベライトが賢人機関に研究材料として扱われる事を是とする」行為だとパトロックは考えていた、だからこそ、そんな未来をルベライトに遺してしまわない為にも、探し続けると決意したのだ、その想いだけで、パトロックは莫大な量の本と格闘し続けていた。
「父さん……。」
パトロックが失踪してから八か月、クォーツの誕生日を祝おうにも、ルチルは基本的に部屋から出てこない闘病生活中、そしてクォーツはパトロックの跡を継ごうと奮闘している、どう足搔いてもクォーツの誕生日を祝える空気ではなかった。
クォーツは来年成人という一つの分岐点を迎える年齢になる、この世界では成人と言うのは一人前になる証であり、一人前になる頃には独り立ちをして、自分達の力で金銭を得て、そして生活していく、そんな年齢でもあった、クォーツのかつての不良仲間にも何度か遭遇したが、数名は成人して、もう働きに出ているという事を言っていた、不良青年敵に言わせれば「大人になったとたん詰まらなくなった」という話なのだが、それをそこいらの子供達より先に経験して、そもそもがカイル家を継ぐ存在として教育をされてきたクォーツの誕生日、というのをささやかながらに祝いたい、それがルベライトの心境だったのだが、どうもそれは出来そうにない、クォーツは誕生日だというのに工房に引きこもって鍛冶仕事をしている、いつもケーキを焼いてくれていたルチルは相変わらず寝込んでいる、だから、祝おうにも祝えなかった。
念の為、というよりは、本当にささやかながらに祝いたい、と願ってショートケーキを買っていたルベライトだったが、クォーツの様子を見に行った際に「鬼気迫る表情」で武器と向き合っていたクォーツを見て、今は邪魔をしてはいけない、教えを乞う事も、誕生を祝う事も、今は許されていないと実感していた。
「ケーキ、兄ちゃんが戻って来るまで傷まないかな……。」
クォーツが工房に籠り始めたのは二日前、普段なら明後日には出てくるという予想を立てられるが、あの鬼気迫る勢いのクォーツが、普段通りの予定として出てくるか、はわからない。
何せ、ルベライトがケーキがあるからと話しかけに行こうとして、工房の扉を開いた事すら気づかなかった程の集中力、そしてそう言った事柄に疎いルベライトですら感じた気迫、それらを統合するに、今のクォーツは尋常ならざる集中力で籠っている、と言えるだろう。
「父さん……。」
パトロックはどうしているだろうか、半年前にアルニードから安否の電話がかかってきた、というよりは生死の境を彷徨っているというタレコミを聞いて以降、パトロックからも誰からも、パトロックの安否を報告する電話はかかってきてない。
パトロックが亡くなってしまった可能性、についても考えたが、それに関しては違うと答えるだろう、カイル家という重要な一族の長が死んだ、という事はこの国にとっても大事な事だ、パトロック自身がルベライト達の祖父トルマリンが亡くなった時、すぐに賢人機関から連絡がかかってきたと言っていた、自分達は保護されているのと同時に、監視されているのだ、と言っていただろうか。
それは生命の終わりかどうか、に限定した話かもしれない、賢人機関が何かを言って来ない、という事はパトロックは生きているはずだ、それも希望的観測だった、半ば確信めいた観測ではあったが、ある意味では希望に縋っている、ともとれるだろう。
ただ、パトロックが片腕を失ってでも得たい何か、アルニードに行って、危険を冒してまで得たい何か、については想像がつかなかった、ルベライトが生きていい理由を探しに行く、と言うのはパトロックだけの感情であって、ルチルやクォーツ、ルベライトに伝達されている情報ではない。
「あ、兄ちゃん。」
「ルベ、水くれ。」
「うん、わかった。……。兄ちゃん、誕生日ケーキ、食べる?」
「ん?……。そか、俺今日誕生日か。」
集中していたクォーツがリビングに戻ってきて、水を要求してきた、ルベライトは少し戸惑いながらクォーツに水と一緒にケーキを差し出す、クォーツは一瞬どうしてケーキ?と疑問を顔に浮かべて、緊張して張り詰めていた表情を緩め、少しだ笑った。
「ありがとな、ルベ。当たり前の事、忘れるとこだったわ。そう言うの、俺はもう捨てちまったと思ってたけど、そうだな……。来年成人か、はえぇもんだ、俺もあっという間に大人って言われる類になるんだな。あいつらと絡んでた頃が懐かしいぜ。」
「あいつらって、友達の事?」
「って言っても、俺の事を詰まんねぇの一言で捨てた連中だからな、未練もくそもねぇ。俺は最初からパトさんの跡継ぎとして生きてた、ある意味あいつらと関わってたのは、俺にとってあいつらは、修行だとか跡継ぎだとか、そう言うしがらみから抜け出せる友達だったから、だ。今となっちゃ、もうそれはいらねぇって言うか、求めちゃいけねぇ。パトさんが片腕失くしたんなら、教えてくれる事は残ってたとしても、もう槌は振るえねぇだろうしな。……。俺はパトさんの跡を継ぐ、それは決まってた事で、俺の中で決めてた事だ。逃げる気もねぇ、自分の我儘を言う気もねぇ。ただ、友達をなくすってのは、少し寂しいもんだな。こうして誕生日を祝ってくれる家族がいる、って言う時点で俺は幸せもんなんだろうけどな。」
「兄ちゃん……。来年も、その次も、ずっと先も、俺は兄ちゃんの誕生日、忘れないよ。」
「ありがとな。ルベの誕生日は半年後だったか。もうすぐ十四歳か?あの小っちゃかったルベが、大きくなったもんだな。俺達は、それが誇らしいよ。」
ルベライトの頭をなでて、普段の大喰らいな様子を見せてあっという間にケーキを食べてしまうクォーツ、ルベライトはそれを見て、つい九か月ほど前までは、それをパトロックが叱って、怒鳴っている声が聞こえて来たのに、今はそれが聞こえない、それが寂しいと少しだけ涙を浮かべていた。




