中編
星読みの鏡は、未来より手元をよく映す。
ミラは正面を向いたまま、壁際の鏡へ目をやった。
鏡の中では、男が灰色の紙に筆を走らせている。口元には軽い笑み。後ろ暗い依頼ではなく、ありふれた注文書でも記すような手つきだった。
「お済みですね。奥へどうぞ」
アシスタントに導かれ、男が衝立の内側へ入ってくる。彼が椅子に腰を下ろすと、アシスタントは灰色の紙を取り上げ、ミラの手元へ滑らせた。
そこには、滑らかでためらいのない字が並んでいた。
名前の欄には、ユリウスとある。
ユリウスは脱いだ帽子を腹の前に立て、つばを親指で撫でた。
「双子の星の片割れを探しているのね」
「ええ」
「その言葉を、誰に聞いたの」
「誰から、と言われましても。商人は耳が広いもので」
「紹介者のいない客とは、話をしないことにしているの」
笑みを残したまま、ユリウスはミラを見た。
しばしの間をおいて、ある名前を口にする。
「そう。望む結果は、すでにお決まりのようね」
合言葉は鍵ではない。紹介者の名が鍵だった。
その名なら信用できる。少なくとも、安酒の勢いで秘密をばら撒く人物ではない。
「星というのは、望めば少し曇ってくれるものですか」
「誰に見せる星?」
「後日、女性を連れてきます。相性を知りたいと言い出したのは彼女です。その場で、悪い結果を出していただきたい」
卓上の水晶球に、男の笑みが小さく歪んでいた。
ミラはそこから本人へ目を移す。
「別れたいのね」
「話が早くて助かります」
「助かりたいのは、あなた?」
ユリウスの指が、帽子のつばを撫でる。
「できれば、二人とも」
ミラは男の指先を見た。商人の手だった。何かを数え、何かを隠し、何かを手放す時だけ妙に綺麗な手。
「悪い結果を出せばよろしいのね」
「ええ。彼女が納得する形で、円満に」
円満という言葉を使う人間ほど、たいてい誰かの心を削るつもりでいる。
「いいわ。引き受けましょう」
ユリウスの肩から、わずかに力が抜けた。
それから灰色の相談票へ視線を落とし、確かめるように卓を指先で一度叩く。
「契約書は?」
「必要ないわ。紙に残したい話なら、表の占いだけになさって」
「では、条件と金額を教えてくれませんか」
「表の相性占いは当日。灰色の紙は手付けが先」
「手付け金は?」
「銀貨五枚。告げ終えたら、もう五枚」
ユリウスは眉ひとつ動かさなかった。
「成功報酬ですか」
「実際に別れたかどうかは保証外」
「それでは困る」
「困るなら、買わなければいい。こちらは星の告げ方を売っているだけ」
ユリウスはしばらくミラを見ていた。
やがて小さく息を吐くと、革袋から銀貨を取り出す。
「わかりました。その告げ方を買うことにしましょう」
手付けの額が、卓に並べられていく。
最後の一枚が、乾いた音を立てた。
それを合図に男が立ち上がる。
「では当日に」
「ええ。お連れの女性とは、表の入口からいらしてね」
ユリウスは笑みを深め、衝立の向こうへ消えた。
扉の鈴が鳴り、やがて男の足音が遠ざかった。
アシスタントは見送りから戻ると、卓上の紙へ目を落とした。
「ユリウス・バウアー。南通りに出たばかりの商会の、支店長ですよね」
「そうなの」
ミラは淡々と答えながら、男が置いていった銀貨を重ねる。
「ご存じなかったんですか。色男って噂ですよ」
「名前は星に書いてないからね」
「男爵家のお嬢様とお付き合いしているそうです。地主の、古いお家の」
銀貨を重ねていた指が止まった。
新参の商会と、土地に根を張った古い家。その二つが並べば、先ほどの依頼にも別の輪郭が見えてくる。
「……なるほど」
「先生、何でもご存じみたいな顔をするわりに、街の噂には偏りがありますよね」
「必要な情報は向こうから来るものなの」
「今、私が持ってきました」
「では、必要だったのでしょう」
誇らしげに胸を張るアシスタントを横目に、ミラは最後の銀貨を重ねた。
「それにしても、回りくどい手を使うんですね。別れたいなら、そう言えば済む話なのに」
「そうね。あの男は、恋を終わらせに来たんじゃないもの」
「では、何を?」
「帳尻を合わせに来たのよ」




