前編
占い師は、情報を探し回る趣味がなかった。
必要なものは、たいてい靴音を立てて店に入ってくる。入ってこないものは、アシスタントが盆に載せて持ってくる。
「金運では、ないわね」
ミラが顔を上げた。
向かいに座る客は、戸惑ったように口をひらく。
「え……金運、です。店員の方にそうお願いしました」
「そうね。ここに書いてある」
アシスタントが卓に置いた相談票には、金運を示す星印が押されていた。しかし、金運を知りたいというわりに『金が入ったら最初にしたいこと』の欄には何も書かれていなかった。
「職場は、酒場なのね」
水晶に手をかざして呟くと、客が眠そうな目を瞬かせた。相談票の職業欄には飲食店と書かれているが、その顔は昼の光に慣れていない。夜に働き、寝不足のままここへ来たのだろう。それでも几帳面な筆跡には乱れがなかった。
「はい。最近、夜も開けるようになって……酒を出すようになりました」
「店は賑やかになった。売上も増えた。けれど、あなたの給金は増えなかった」
「……どうして」
「客層が変わった。声の大きい客が増えた。あなたは注文を間違える人ではないけれど、怒鳴られると手が止まる」
ミラは水晶玉に映るものをしばらく眺めて、つるりとした表面を軽く叩く。
「星は金貨ではなく、出口を探している」
「出口?」
「転職する気はある?」
「て、転職……?」
「あなたが欲しいのは金じゃない。今の仕事を辞める理由が欲しいのでしょう」
客が口をつぐんだ。
ミラは部屋の隅に立っているアシスタントへ視線を投げる。それだけで通じたらしく、彼女は棚の中段から薄い木札を取り、卓の端に置いた。
「北通りの香料商を訪ねなさい。帳簿を見られる人間を探している」
「香料商、ですか? 私が?」
ミラは木札を客の方へ滑らせた。中央に星印を模した刻印がひとつ描かれている。
「それを持っていけば、門前払いはされない」
客は薄い木片を凝視しながら口を開いた。
「これを、香料商に?」
「ええ。一週間以内に。あなたは客の機嫌を取るより、数字の機嫌を取る方が向いている」
客は答えを探すように黙り込むと、やがて小さくうなずいた。それから星印の木札を鞄に入れ、代金を卓に置いた。
「ありがとうございます。あの、行ってみます」
そう言って何度か頭を下げ、店を出ていった。
扉の鈴の音がおさまると、占い師は相談票を裏返して小さく息を吐いた。
辞める理由も、逃げる許しも、名のない不満も、たいていは運という薄紙に包まれて持ち込まれる。自分に何が向いているか分からない客はまだいい。厄介なのは、自分が何を嫌がっているのかさえ知らない客だった。
それは珍しいことではない。
ここでは、よくあることだった。
「ミラ先生。相談票をお預かりします」
「ありがとう。ついでに北通りの香料商に文を。星印の札を持った客が行く」
「一週間以内ですか?」
「ええ、採用されたらいつもどおり請求して」
「香料商、いつも少し渋りますよ」
「香料は惜しまないのに、礼金だけ香りが薄いのね」
アシスタントが笑いを噛み殺した、そのとき。
扉の鈴がふたたびチリンと鳴った。
「いらっしゃいませ」
接客用の声を出したアシスタントが、衝立の向こうへ出た。
卓に残ったミラは、そちらではなく、壁にかかる鏡の方へ目を向けた。
鏡には入口の客が映っている。
若い男だった。脱いだ帽子を胸に当て、香炉も、衝立も、壁の鏡も、値踏みするように眺めている。
商人だ、とミラは思った。
困りごとさえ、まだ商品棚に並べられると思っている商人だ。
「本日は何をご覧になりますか」
男は、昼の光を背にして、少し笑った。
「双子の星の片割れを探しに」
アシスタントは一拍だけ黙った。
接客用の笑みが消える。
「失礼しました」
彼女は棚の下段から、相談票ではなく、灰色の紙を取り出した。




