8.失いたくないもの
「おう! ミリー様、お腹空いたのか?」
ミリーがぴょこっと厨房に顔を出すと、気づいた料理長が声をかけてくれた。
「はい……」
もじもじと答えるミリーに、料理長は笑顔で大理石のカウンターに置いてあった包を開ける。
「ちょうど差し入れでもらった焼き菓子があるんで、侯爵様のところに持って行って、一緒にお茶でもしてきてください」
「侯爵様に?」
料理長はクッキーやマドレーヌを綺麗に皿へと並べると、ミリーに手渡した。
「侯爵様は休憩も取らずに仕事をされるので」
「! わかりました!」
料理長の言葉に使命感を覚えたミリーは、元気よく返事をして厨房を出て行った。
* * *
「グッジョブです、料理長」
「うわ、リゼ、いたのか!」
ひょこり背後に現れたリゼに驚いて、料理長は声をあげた。
「はい、一応。私はミリー様付きですので」
淡々と答えるリゼに、料理長も冷静さを装いこほんと続ける。
「監視はまだ続けてんのか?」
「アルフィー様はお忘れのようですが、レイからは引き続き任務を遂行するように言われています」
「お前も大変だなあ」
「ミリー様の人となりを知れて楽しいですよ。祖母もすっかりミリー様の虜です。お二人の子どもの誕生まで楽しみにしていました」
「それは気が早いな」
いつもはツッコミ役のリゼがキリリと話すので、料理長は苦笑した。
「そうだ、焼き菓子にはお茶が必要ですね。行ってきます」
「おお……せっかく二人の時間を作ってやったんだから邪魔すんなよ……ってお前なら大丈夫か」
「空気に徹してみせます」
グッと親指を立てるリゼは楽しそうだ。
(本当にこの屋敷の雰囲気良くなったよな)
料理長はにかっと笑うと、親指を立ててリゼを見送った。
* * *
「侯爵様」
コンコンとミリーが扉をノックすると、しばらくして扉を開けたアルフィーが顔を出した。
「どうした、ミリー」
初めて部屋を訪れたときとは違い、アルフィーは優しい顔で出迎えてくれた。その表情にミリーの胸がまたきゅうっと締めつけられる。
「……お腹が空いたみたいです?」
「何だそれ。ああ、菓子を持ってきたのか」
自身の持つ皿に目を落としたアルフィーを見て、ミリーは使命を思い出しキリッと表情を作った。
「はい! 侯爵様、根を詰めすぎも良くありません。一緒に休憩しませんか?」
「……ああ」
ミリーが焼き菓子の皿を差し出すと、アルフィーは表情を緩める。右手をミリーの頭に置くと、優しく撫でてくれた。
(心地いい……)
ミリーは胸がポワポワとして思わず目をつぶった。
「……無防備すぎないか?」
「はっ! すみません……! つい、お兄様と同じような空気に安心して……護衛失格です!」
顔を赤くさせ硬直していたアルフィーに気づかず、ミリーはシャキッと姿勢を正した。
* * *
「兄……」
ミリーはただ色恋ごとに疎いだけなのだと思っていた。しかしいくら護衛とはいえ、男にこんなにべたべた触らせるのだから、少なくとも嫌われていない自信がアルフィーにはあった。
(兄……? 男として見られていない?)
まさかそっちのほうだったなんて。がくりとうなだれていると、すぐ横から声がした。
「どんまいです、アルフィー様」
「おわ!?」
いつの間にかリゼがいたらしい。リゼはティーセットを載せたワゴンを押していた。
「ミリー様、お茶の準備をしますね」
「ありがとうございます! お手伝いします!」
ドキドキと驚いた心臓を押さえるアルフィーとは対照的に、ミリーはにこにことリゼを手伝いだした。
(まさか一緒に来ていたのか?)
嬉しそうにリゼとお茶の準備をするミリーを眺めながら、アルフィーは頭を抱えた。リゼに一連の流れを見られていたのも恥ずかしいが、先ほどのショックが引きずっている。
(僕が触れても意識しないのは、兄のようだと思われているからなのか……)
「アルフィー様、レイはご一緒じゃないんですか?」
テーブルにカップをセッティングしながらリゼが執務室を見渡している。
「ああ。王宮から来た使者が書類を取り違えたらしくてな。レイには差し替えに行ってもらっている」
「そうですか」
アルフィーはようやく落ち着きを取り戻すと、ソファーへと腰を沈めた。ミリーが当然のように隣へと座る。
意識されていないと思えば複雑ではあるが、やはり嬉しくてアルフィーの口元は緩んでしまう。
リゼはお茶だけ用意すると、すぐに執務室を出ていった。
二人きりになったところで、アルフィーはこほんと咳払いしながら口を開いた。
「……毒見、するだろ?」
「はいっ!」
クッキーを差し出したアルフィーに、ミリーが笑顔で答える。
ミリーがアルフィーの指から直接クッキーへと食いつくと、柔らかい唇が触れた。
「……!!」
アルフィーの顔が赤く染まっていく。いつもならそんなアルフィーに気づかないミリーだが、めずらしく何も言わずに俯いた。
「ミリー……?」
期待に胸を高鳴らせ、アルフィーはミリーの顎を指で持ち上げる。
ミリーを見ればその顔は赤く染まり、瞳を潤ませていた。
(まさか……今ので僕を意識して?)
アルフィーは煩い心臓を何とか落ち着かせようとするが、気持ちがはやってしまう。
「ミリー……」
持ち上げた顎を自身の顔に寄せ、アルフィーはミリーの唇に迫った。
「う……」
「え?」
お互いの唇は合わさらず、ミリーの身体がすれ違うように倒れ込む。アルフィーは咄嗟に受け止めると、ミリーの顔を覗き込んだ。
「ミリー!?」
赤かったミリーの顔は青白く変化し、息が荒くなっているではないか。うろたえるアルフィーにミリーが必死に訴える。
「こ……しゃくさま……食べ……ないで」
「え?」
アルフィーはその細い声を聞き取ろうと、ミリーの唇へ耳を近付けた。
「ど、く……」
「!!」
ミリーの言葉にアルフィーは反射的にテーブルの上の皿を見た。
(菓子に毒が盛られていたのか!)
ミリーの呼吸が浅くなっていく。
「ミリー!」
自身の手から食べたものにより、ミリーは毒に倒れた。そのことがアルフィーの身体を震えさせた。
「アルフィー様、どうかされましたか!?」
「あ……」
アルフィーのただならぬ叫び声に、リゼが部屋に押し入ってきた。
「ミリー様!? お医者様を呼んできます!」
アルフィーの腕の中のミリーを見たリゼは、瞬時に判断をして部屋を飛び出して行った。
「あ……ああ……」
がくがくと震えるアルフィーの頬に、温かな熱が触れる。ミリーの掌だ。
「わた……しは、だい……じょ、ぶ……で、すよ……」
こんなときでもにっこりと笑ってみせるミリーに、アルフィーの目からは涙が溢れた。
「喋るな、ミリー……! 今、医者が来るからな!」
自身の頬からするりと落ちていくミリーの手を受け止めると、アルフィーはしっかりと握りしめた。
「泣かないで……こしゃく、さま……」
ミリーは意識を手放すその瞬間まで笑顔を作り続けている。それが自分のためなのだとアルフィーにもわかった。
(ミリー……僕は……)
握りしめたミリーの手はどんどん冷たくなっていく。その冷たさにアルフィーは自身の心も冷えていく感覚がした。




