35.淑女の心内
(なんで!? どうしてですの!?)
シエンナはテーブルの向かいに座るミリーの綺麗な所作を見て、心の中で叫んだ。
今日はシエンナ主催のお茶会だ。ギャレー侯爵邸の中庭に丸いテーブルをセッティングしており、真っ白なテーブルクロスは庭の緑にとても映える。
招待客は王太子派の貴族の中でも特にシエンナと仲の良い令嬢が二人。そしてミリーだ。
シエンナはミリーと初めて会ったときのことを思い返す。
ミリーは脳筋一家と呼ばれるソワイエ伯爵家の令嬢。その令嬢がアルフィーと婚約したということは、父から聞いていた。しかし、所詮脳筋一家の令嬢だ。恐るるに足らず。そう思っていたシエンナは、初めて見た深窓の令嬢に焦った。ミリーの外見が天使のように愛らしかったからだ。
(どういうこと!? 脳筋令嬢は護衛として有能だとアル様が宣言されていたのを、お父様から聞いているわ)
だからこそいかつい見た目を想像していたのに、愛らしい姿の令嬢がアルフィーと高級ブティックから出てきて、彼の色のドレスを身に付けている。ドレスは既製品ながらも一点ものの素晴らしい逸品だ。さすがアル様! と思いながらも、シエンナは奥歯をギリリと噛みしめた。しかも胸元には、これまたアルフィーの髪色であるブラックダイヤのネックレスが輝いているではないか。
(あれは、ギャレー侯爵家でも手に入れるのが難しい希少品ですわ!)
そういうわけで、二人にいち早く気づいていたシエンナは、遠くからこっそりミリーを観察していたのである。そしていかにも店の前ですれ違ったような振る舞いをした。わざとミリーに気づかないフリをして、昔馴染みで仲が良い様を見せつけてやったのに、アルフィーから婚約者としてミリーを紹介されてしまった。あのときのシエンナの心の傷は深い。
シエンナはアルフィーの前で聡明な令嬢を演じているが、本当はアルフィーのことが好きで結婚したいと思っている。
アルフィーが命を狙われた事件はシエンナも耳にしており、そこからアルフィーとの交流も途絶えてしまったのだが、シエンナは思った。
(アル様は誰のことも近寄らせないと聞きましたわ。だったら、アル様がわたくしを受け入れてくださるまで待つだけですわ。実際、わたくし以外に釣り合うお相手などいないのですから。ロカール侯爵家を存続させるには跡継ぎが必要ですもの)
と。そしてアルフィーには殊勝な態度をとりながらも、その時が訪れるのを待った。
(それを、あの脳筋令嬢が……!)
突如現れたミリーにアルフィーを奪われてしまった。しかもソワイエ伯爵家は王族に近しい家で、現に王太子から父がお咎めを受けたという。それもシエンナは煩わしく思っていた。アルフィーの婚約に関して堂々と抗議も、主張することもできない。
(それならば……)
シエンナは考えた。ミリーがアルフィーの婚約者に相応しくないと証明すればいいのだと。だから好意的なフリをしてお茶会に誘った。脳筋令嬢なんて、作法もままならないだろうと。それを友人である令嬢たちが罵り、社交界で噂をばらまいてくれる。シエンナの計画は完璧だった、はずだった。
「美味しいです」
目の前で淑女の笑みを浮かべて完璧な作法でお茶を嗜むミリーは、どこからどう見ても貴族の令嬢ではないか。
(脳筋一家だから、作法なんて知らないと思っていたのに!)
両隣の友人たちも、ミリーの完璧さにうっとりと溜息を漏らしている。儚げなミリーの見た目が、よりその所作を美しく見せているのが気に食わない。
今日のミリーは淡いピンクのドレスを着ているが、生地には青糸で刺繍が施されている。その細やかなところにアルフィーの色が使われているのが鼻につく。極めつけは、胸元で輝くブラックダイヤだ。ミリーは常時身に付けているらしい。
(アル様と結婚するのは、このわたくしよ……!)
シエンナはカップを握りしめる手に力をこめながらも、終始笑顔でお茶会を乗り切った。
* * *
「楽しかったですわ」
「ごきげんよう」
「こちらこそありがとうございました」
シエンナの友人であるご令嬢たちが帰っていくのを、ミリーはシエンナと見送った。
終始和やかな雰囲気でお茶会は終わり、ミリーはホッとした。シエンナの友人ももちろん王太子派の貴族であり、今後アルフィーとも関わっていく家だろう。そんな彼女たちから「さすが未来の侯爵夫人ですわ」と言われ、仮の婚約者としてアルフィーの足を引っ張らずには済んだようだ。
(お母様に作法を一通り学んでおいて良かったです)
ミリーは伯爵令嬢としての作法は母から一通り叩きこまれていた。合わせて武道も極めていたため、姿勢や所作に美しく反映されている。
「ミリー様、今日は参加してくださりありがとうございました! 今後も仲良くしてくださいましね?」
「は、はいっ!」
友人たちの姿が見えなくなったところで、シエンナに手を握られた。同性の友達なんていたことがないミリーは、感激で目をウルウルとさせた。そこでぐううとミリーのお腹が鳴る。作法重視であまりお菓子に手をつけていなかったため、お腹が空いたのだ。
「も、申しわけ……」
急いで謝罪しようとしたミリーに、シエンナがクスリと笑顔を向ける。
「もう二人きりなのですから、無作法でよろしいのではないかしら?」
そう言ってシエンナはミリーの後ろに回って両手を肩に添えると、椅子に座らせてくれた。
「我が家のシェフが腕によりをかけて作りましたの。こんなに残しては悲しみますわ。ぜひ」
そう言ってシエンナはいちごのケーキを差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
ミリーはためらいながらもフォークを手に取る。目の前のケーキは艶やかでとても美味しそうだ。
ぱくりと一口頬張れば、クリームの甘さといちごの酸味が口いっぱいに広がった。絶妙なハーモニーにミリーは震える。
「おいしいっ、です!」
「そう。良かったですわ。ほら、これもお食べになって」
斜め前に座ったシエンナはにっこり笑って、今度は焼き菓子を勧めてくれた。マドレーヌといろいろな味のクッキー。どれも芳醇なバターの香りがミリーを惹きつける。
(すごい! 良い人っ!)
ミリーにとって、たくさん食べ物を与えてくれる人は良い人である。加えて、毒に耐性があるミリーは食べ物の前で気が緩んでいた。
「あ、れ……?」
焼き菓子を美しく、かつ素早く平らげたところでミリーの視界が歪んだ。
「うふふ」
「シエンナ……さ、ま?」
斜め前に座る聡明なシエンナの顔が、愉悦の顔に染まる。
「ディータ伯爵のご令息の言う通り、隣国の薬は効くみたいね」
(ディータ伯爵令息……!)
その名前にミリーはぎょっとした。第二王子派であるディータ伯爵令息のケイレブが、王太子派のシエンナと接点があるはずない。いや、あってはいけないのだ。
「侯爵さ、まを……裏切られたのです、か?」
飛びそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、ミリーはシエンナを見た。シエンナは悪びれずに笑って答える。
「やだ、しぶといのね。眠り薬と痺れ薬を混ぜ合わせたっていうのに」
(薬を混ぜて……それに隣国? いったいどちらの……)
ミリーは必死に考える。アルフィーの暗殺を企てるオサール伯爵が、隣国であるキースと繋がっているのではとソワイエ家と王家では考えられていた。しかし確たる証拠がないため、キースに偵察を送り込んでいる最中である。
そして、ギャレー侯爵まで第二王子派に回ってしまったのだとしたら、勢力構図が変わってしまう。
焦るミリーに、シエンナはクスクスと笑いながら続けた。
「安心して? 我がギャレー侯爵家はアル様を裏切ったりしない。だって、わたくしが妻になってアル様をお支えするのだから。そのためにあなたをディータ伯爵令息に引き渡すだけ」
「そんな……こ、と、したら……」
どうやらシエンナは独自にディータ伯爵令息と繋がっているらしい。しかし反する派閥の子どもたちが繋がればどうなるのか、聡明なシエンナがわからないはずがない。
ミリーは机に腕をついて必死に身体を支えた。このままでは意識を失ってしまう。その前にシエンナには考え直してほしかった。
「大丈夫よ。あたくしはあなたを排除したかった。ディータ伯爵令息もあなたが目障りだった。お互いに利益が一致した一度限りの協力関係で、アル様にはなんの影響もないから」
「侯爵様、の護衛を、わたし……は」
「護衛なんて代わりはいくらでもいるでしょう? ディータ伯爵令息は、なぜかあなたを排除したがっているようだけど。あたくしがもっと良い護衛をアル様に付けてさしあげますから、あなたは安心して捨て駒になりなさい」
シエンナはミリーの言葉を切り捨てるようにぴしゃりと告げた。
(確かに優秀な護衛は他にもいます……。でも侯爵様は一生側にいろと言ってくださって……)
もう意識が朦朧としてきた。それでもミリーの頭に浮かぶのは、アルフィーの笑顔だ。
恩返しのために自ら申し出た護衛を、こんな形で終わらせたくない。
(違う……恩返しだけじゃなくてわたしは……)
がくりと机に倒れ込んだミリーは、顔だけをシエンナへ向けた。
「侯爵、様の……お側に……」
「はあ? 聞いていなかったの? いい? 本当はあたくしがアル様と結婚する予定だったのよ! あたくしたちは想いあっていたの。それをあんたが横取りしたのだから許さない!」
(侯爵様がお迎えする予定の奥様って……)
思い浮かぶのは、お似合いの二人が並ぶ姿。
(でも……第二王子派と関わりのあるシエンナ様が侯爵様のお側になんてダメ……)
そう思うのは護衛としてか、別の想いからか。
限界に達したミリーは答えを出せずに、意識を失った。




