32.星だけが知る
アルフィーは、ずっとケイレブに言われた言葉を気にしていた。言葉というよりは、ミリーの前で弱い自分を晒していることが急に恥ずかしくなったのだ。
アルフィーはその日のうちにマテウスへと手紙を届けた。内容はもちろん、剣の稽古をつけてほしいという依頼だ。
マテウスは了承とともに、翌日にやってきた。騎士団長である彼はアルフィーよりも忙しいはずだが、朝ならば少し時間をとれると、毎日屋敷に寄ってくれていたのだ。
「何も聞いてこないと思ったら、あいつ……」
ミリーと別れて執務室にやって来たアルフィーは、マテウスの企みを思い返して歯噛みする。
(秘密の稽古をミリーにバラされたら意味がないだろ)
マテウスはアルフィーに事情を聞くことなく、稽古をつけてくれていた。かなりスパルタだったが、昔剣術を学んでいたおかげで食らいつくことができた。……無様であることには変わりなかったが。そして、マテウスはそんな姿をミリーに晒させたのだ。
「くそっ、様になってきたらミリーに披露するつもりだったのに!」
執務室で先に仕事をしていたレイを見つけ、アルフィーは彼に聞こえるようにネチネチと言った。レイはアルフィーの言いつけではなく、マテウスの頼みを優先したのだ。しかしレイが気にする様子はなく、眼鏡の縁を押し上げてアルフィーを見た。
「ご自分の体面ばかり気になされて、ご婚約者様の機微にも気づけないようでは、ミリー様を失われると思いましたので」
「うぐっ……」
何も言い返せない。
実際、ミリーは護衛をクビにされるのではと思い悩んでいたのだから。
「ミリーならケロっとしていると思ったんだが……やはり護衛のことになると別なのか?」
ミリーはアルフィーの気持ちにも気づかない、色恋ごとには超鈍感の脳筋である。だからこそアルフィーは、剣術を鍛えればミリーに男として意識してもらえるかもしれないと思った。
――情けない自分とは決別、ミリーは自分を男として意識する。そしてマテウスに鍛えてもらえば、マルセルにも認めさせることができるかもしれない。
そんな打算は今日、マテウスによって打ち砕かれた。もしかしたらマテウスは、アルフィーの考えさえお見通しだったのかもしれない。本当に食えない相手である。
「……押してダメなら引いてみろというやつは、存外、当たっているのかもしれませんね」
「は?」
アルフィーがブツブツと呟いていると、レイがしみじみと言った。わけがわからないという顔をすれば、レイは溜息をついてアルフィーを哀れな者でも見るかのように続けた。
「いつもグイグイ迫るアルフィー様が離れたことにより、ミリー様はお寂しく感じていたようです。それは護衛の任とはまた違う感情ではないのでしょうか?」
「……ミリーが僕を意識していると……?」
あのミリーが? とアルフィーはレイを見た。
「……庭で久しぶりにお会いして、何も感じませんでしたか?」
「…………」
レイの言葉にアルフィーは思案する。
(ミリーは僕のものだと言ったら、泣きそうな顔で安心していたな)
それは、専属護衛をクビにならなくてホッとしている顔なのだと思っていた。マテウスもそう言っていた。
(一生側にいろと言ったら、かわいい顔で笑っていたな)
しかし、それもいつものお決まりだ。ミリーは護衛を続けられることに喜んでいるのだと思った。
(手にキスしたら、顔を赤らめていたな)
それはミリーが男に免疫がなく、そういう扱いを受けたことがないからだ。前もそう結論づけて、深く考えなかったことを思い出す。
(ミリーは鈍感……そう思い込んで、ミリーの気持ちを見逃していた?)
ドキン、ドキンとアルフィーの胸が高鳴っていく。
「もしかしたらミリーは僕のこと……っ」
確かめるようにレイに視線を戻せば、執務室の扉がノックとともに勢いよく開いた。
「アルフィー様! ミリー様は元気になったとおっしゃっていましたよね!?」
リゼだ。返事を待たずに入ってきた彼女は悲壮な顔をしている。
「? ああ……護衛をクビにならないとわかって笑っていたぞ」
ミリーは確かに笑っていた。しかし、どことなく様子がおかしかったかもしれない。
「何かあったのか?」
話を促せば、リゼは窺うようにアルフィーを見る。
「ミリー様は巡回のあと、けっきょくお渡ししたパンも食べずにお部屋へ下がってしまわれました。ミリー様がお腹を空かされないなんて……何かあったのか伺いたいのはこちらです」
(まさか、まさか……)
リゼの報告に確信めいたものが胸に宿る。
ミリーは本当にアルフィーを意識しているのではないか。恋煩いというやつで食事も喉を通らないのではないか。アルフィーの期待は頂点へと達した。
「リゼ、今日の夕食は俺の部屋のテラスに準備させろ。レイ、夕食までに全力で仕事を片付けるぞ」
アルフィーの指示に二人は返事をしてすぐに動く。できる忠臣に、アルフィーは心の中で感謝した。
アルフィーは朝の稽古を入れることで、実際にミリーと食事もとれないほどに忙しかったのだ。マテウスの言う通り、どんな顔でミリーと向き合えばいいか悩んでいたアルフィーは、冷却期間にちょうど良いと思っていたのだが、今はそうは言っていられない。ミリーの気持ちがアルフィーに向いているのなら、全力で囲い込まねばならないのだ。
* * *
アルフィーの部屋のテラスには、小さめのテーブルが置かれ、真っ白なクロスが敷かれている。それに合わせたソファーが一つ。料理もすでに並べられていた。冷めても美味い料理を作れというアルフィーの無茶ぶりに応えた料理長渾身の作である。
アルフィーはレイとリゼがセッティングを終わらせると、呼ぶまで誰も部屋に近付かないよう指示した。そして扉を開けて入ってくるのは、唯一入室を許されたミリーだ。
「侯爵様……? お呼びだと伺いました」
ミリーはリゼによってドレスアップされていた。アルフィーが選んだ青いドレスに、首元にはいつも身に付けているブラックダイヤのネックレス。
「おいで」
内心ガッツポーズをしながら、はやる気持ちを抑えてミリーへと手を差し出す。ミリーが手をのせれば、アルフィーはテラスまでエスコートした。
「わあ……」
ミリーの顔が一瞬にして輝いた。
テーブルは燭台の火が揺らめいて照らされ、頭上には満点の星が輝いてロマンチックな場を演出している。
「どうぞ」
アルフィーはミリーをソファーへと座らせた。
「あのっ……侯爵様、これは……」
戸惑うミリーのすぐ横にアルフィーも腰を落とす。密着するほど近くに座れば、ミリーの表情もよく見えた。このためにソファーにしたのだ。アルフィーは甘い顔で微笑む。
「ミリー、朝から何も食べてないでしょ? リゼから聞いたよ」
「ご、ご心配おかけして申し訳ございませ……」
アルフィーはミリーの顎に手をかけ、俯きかけたミリーの顔を自分に向かせた。
「僕のせい?」
「――っ……」
アルフィーの問いかけに、ミリーの顔が曇る。
(やっぱりミリーは僕のことを……)
焦るな、と自分に言い聞かせながら、アルフィーはミリーに顔を寄せる。
「心配しないで……僕も同じ気持ちだから」
「えっ?」
見つめたミリーの瞳がろうそくの炎に照らされ、きらめいている。アルフィーはミリーの顎に置いていた手を今度は頬へと移動させた。
「ミリーは僕のことが好き……そうだろう?」
「はい……」
――やった! 言質を取ったぞ! とアルフィーは心の中でほくそ笑む。
「じゃあ、何の問題もない。一生側にいろと言っただろう?」
「でも……侯爵様がお強くなってご自身を守れるようになったら、わたしは必要なくなります……」
「バカだな……そんなことを考えていたの?」
可愛いな、とアルフィーは思う。
アルフィーがミリーを好きになったのは、けっして強いからという理由ではないのに。そんなところまで脳筋なんだなと思う。
「大丈夫。結婚してもミリーには守ってもらうから。巻き込めと言ったのは君だろう?」
キスをしようとアルフィーが唇を寄せる。すると、ミリーは目をキラキラとさせているではないか。
「ん?」
嫌な予感にアルフィーが止まれば、ミリーは目をキラキラさせたまま言った。
「侯爵様がご自身で奥様を守れるようになろうとも、わたしに護衛を任せてくださるということですね!! それだけの信頼を得られているなんて光栄です!」
アルフィーはミリーから手を離し、脱落した。
(僕のことが好きで悩んでいたんじゃないのか!?)
ミリーはミリーであった。期待して焦った自分も悪いが、周囲がけしかけすぎたのだ。
「……食べようか」
脱落したアルフィーがテーブルに向き直ると、ミリーはいつもの笑顔になった。清々しいくらい、いつも通りである。ロマンチックな演出など、食事を前にしたミリーには無意味だ。
「ミリーはうちの料理が食べたくて専属護衛になってくれたんだもんね」
吹っ切れたアルフィーが肉を刺したフォークをミリーの口元へと運ぶ。これもミリーは大方、また毒見が再開できた喜びで笑っているのだろう。そんな笑顔を向けてきた。
(焦るな……ミリーは僕の手中。時間はたっぷりある)
アルフィーは自分に言い聞かせると、ミリーから少し離れてソファーのひじ掛けにもたれた。上を見上げれば、無数の星が瞬いている。いまごろこの星の下でミリーとキスしていたのにな、と思うのは虚しいからやめた。
星を見上げるアルフィーは、ちらりとこちらを盗み見しているミリーには気づかない。
「美味しいもののためだけじゃないかもしれません……」
食事をむぐむぐと詰め込みながら呟くミリーの声も、もちろんアルフィーには聞こえていなかった。




