29.変わっていくもの
アルフィーと一緒に観劇をしてから一週間が経った。
食堂へとやってきたミリーは、しょんぼりとリゼを見た。
「侯爵様……またいらっしゃらないんですか?」
「申し訳ございません、ミリー様! アルフィー様は急なお仕事で……」
また仕事だ。
ミリーは慌てるリゼに促され、力なく椅子に座った。
(本当にお仕事……なのかな?)
アルフィーは侯爵だ。忙しいのはわかっている。だからこそ、この前出かけたことで仕事が滞ってしまったのではと心配していた。あの日アルフィーは、自分のためと言いながらもミリーのドレスを購入し、観劇に連れて行ってくれた。本当はミリーのためだったのではないかと、その夜に気づいたのである。
『護衛への福利厚生も忘れない侯爵様はなんてお優しい方なんでしょう!』
お礼を告げようとアルフィーを起こしに行った翌日の朝から、ミリーはアルフィーの顔を見ていない。護衛として屋敷を巡回し、遠くから姿を見ることはあっても、直接言葉を交わすことはなかった。
(わたし、避けられているんでしょうか……)
毒見も一週間していない。あんなに近くにいたアルフィーが、今は遠い。ミリーはしょんぼりと運ばれたスープに口をつけた。
(美味しいはずの料理長さんのお食事……)
ミリーの脳裏には観劇のときのことが思い浮かぶ。
『貴族の娘なら武力よりも観劇のマナーを学ぶんだな!』
ミリーはソワイエ伯爵家の人間として、武力を学んできたことに誇りを持っている。それは王族も認めるところだ。反対派閥に属する貴族が悪口を言ってくるのはいつものことなので、ケイレブの言葉も気にならない。でも、とミリーは思う。
(わたし、侯爵様に恥をかかせてしまったんじゃないでしょうか?)
あのとき、劇場を去るときにアルフィーは手を差し伸べてくれたが、対外的に婚約者として振舞うために仕方なくしたのかもしれない。
(本当はわたしの顔なんてもう見たくないのでしょうか……?)
ミリーの気持ちはどんどん沈んでいく。いつもは正された姿勢が崩れ、背中が丸まっていく。
誰に何と言われてもいい。ただ、アルフィーにだけは失望されたくなかった。
特に毒見は、アルフィーから絶大な信頼を寄せられている証でもあった。
(とりあえずクビにはなっていないけど……)
ミリーはスプーンを置いて俯いた。
「ごちそうさまでした……」
「え!? ミリー様!? まだスープだけですよ!? オムレツは? パンは!?」
いつも綺麗に、なんならアルフィーの毒見分まで平らげるミリーが、スープだけで食事をやめた。リゼは驚きおののいてミリーのところに駆け寄ってきた。
「すみません……食欲、ないです」
せっかく料理長さんが作ってくれたのにと涙が滲む。この寂しい気持ちは何だろう。
ミリーが沈んでいると、レイが食堂に入ってきた。
「まったく……アルフィー様に食事は大切だと説教していたのはどなたでしたかね?」
「わたし……です」
レイの言葉に何も言い返せず、ミリーはますますしょぼぼんとしていく。それを見て溜息をついたレイが、ミリーに告げた。
「ミリー様、お庭に行かれてみてください」
「ちょっと、いいの? レイ」
レイの言葉にリゼが驚きの声をあげた。
「そもそもミリー様の食事時間を狙ってコソコソしていらっしゃるアルフィー様が悪いのです」
「それはそうだけど……」
やはりアルフィーは意図的にミリーを避けている。しかしレイの言い方は、アルフィーが何かを隠しているかのようだ。
(護衛であるわたしにも言えないことなんでしょうか……)
落ち込むミリーの肩にリゼの手が触れる。
「ミリー様、殿方というのはカッコつける生き物なのです」
「んん?」
首を傾げるミリーのもう片方の肩に今度はレイの手が触れる。
「ミリー様、実際にご自分の目で確かめられたほうが早いですよ」
「んんん?」
二人はミリーの心配など杞憂だとばかりに笑っている。
リゼは朝食のパンを布に包むと、ミリーに手渡してくれた。
「お庭に寄られた後は巡回に出られるでしょう? きっとお腹が空かれると思うので」
リゼの優しさにジンとしながら、ミリーは笑顔を作った。
「ありがとうございます」
リゼとレイに頭を下げると、ミリーは庭へと向かった。
新しく居を移したこの侯爵邸は、燃えてしまった屋敷に比べれば小さい。また命を狙われたときにすぐ脱出するための、捨て屋敷らしい。使用人も少ないため、手狭に感じることはない。ミリーもすぐに屋敷内の把握ができるため助かっていた。玄関ホールを抜けて外に出れば、すぐに庭が見える。
厳重すぎたロカール侯爵家の私兵は減らされており、それぞれの場所に適度に配置されていた。
現在、アルフィーの住まいは特定の人にしか知らされていない。なのであの厳重な守りだと、ロカール侯爵邸だとバレてしまうのだ。今度は私兵に成りすまして潜り込んでくる可能性だってある。人が絞られていれば、ミリーも侵入者に気づける。というわけで、現在の私兵全員とミリーは顔見知りだった。玄関を守る兵と挨拶をかわし、庭へと出る。すると、剣を交える音がすぐに耳に飛び込んできた。
「マテウスお兄様!?」
ミリーは大きな目を限界まで開いて足を止める。
目の前ではここにいるはずのないマテウスと、この屋敷の主であるアルフィーが剣を打ち合っているではないか。
「もう降参ですか? アルフィー!」
マテウスはアルフィーを弾き飛ばすと、尻もちをついたアルフィーに剣を突きつけた。
「っ!」
飛び出そうとしたミリーに、マテウスが目線だけで訴える。マテウスは当然、ミリーに気づいていたようだ。
――口を出さずに見ていろ。
マテウスはそう言っている。そして近くの垣根に目をやった。そこに隠れていろということだろう。ミリーはマテウスと目だけで会話する特訓もしてきた。
師匠である兄の言うことにミリーは従う。アルフィーに見つからないようにそっと垣根に身を隠して、二人の動向を見守った。




