28.一触即発
「うっ……うっ……」
「ミリー、これそんなに良かった?」
幕が下りてからずっと泣いているミリーに、アルフィーはハンカチを差し出した。
支配人の配慮により、一階席からは速やかに観客が出され、今は二人きりだ。
「侯爵様は死なないでくださいねっ、ぐすっ」
「死なないよ!」
劇は悲恋ものだった。引き裂かれた恋人同士が困難を乗り越えようやく結ばれたかと思えば、男のほうが殺されてしまうのだ。
(なんでこんなのが流行っているんだ?)
劇の内容に呆れながらも、泣いているミリーに視線を向ける。
(くそ、可愛いな)
初めて見るミリーの涙に、アルフィーは抱きしめたい衝動をぐっと堪えて、ミリーの頭を撫でた。
「ミリー、これは物語での出来事なんだから。もう……なんでそんなに泣いているの?」
「すみ、ません……っ、感情移入してしまって。もし侯爵様が死んでしまったらって考えてしまって……っ」
話しながらもミリーの目からは再び涙がこぼれる。
(えっ……それって……)
劇の主役たちは恋人の役だった。当初の目論見通り、ミリーがアルフィーのことを意識しだしたのかもしれない。
「……もしかして婚約者としての自覚、芽生えた?」
アルフィーが期待の目を向ければ、ミリーは目をぱちくりさせた。
「わたしが彼女だったら、身を挺してお守りするのに、と思いました」
やっぱり護衛脳なミリーにアルフィーはがくりとした。ふうと息を吐いて気持ちを立て直すと、ミリーの頭に置いていた手を頬へと滑らせる。
「うん。僕のことはミリーが守ってくれるんだもんね? でも劇と違って、ミリーなら自分を犠牲にすることなく僕を守れるでしょう?」
「はい!」
泣いていたミリーの顔がキリリと引き締まり、元気な返事が返ってきた。
「よし」
アルフィーはミリーの額にこつんと自身の額をつけると、そのままミリーの涙を唇ですくった。
「!?」
「いけないことを考えた罰だよ」
立ち上がってミリーを見下ろせば、ミリーは驚きで固まっている。急にぶわっと熱が顔に集まってきて、アルフィーはミリーに背中を向けた。
「ここまでしてもミリーには伝わらないのか!? くそ、恥ずかしい……」
ブツブツと呟くアルフィーは、ミリーの顔も赤くなっていることに気づかない。
「いけないこと? 罰って、これが……? お兄様とは違う口づけ……熱い……」
ぶつぶつ呟くミリーと互いに顔を逸らしながら、二人はしばらくその場から動けなかった。
しばらくして二人はようやくロビーに出た。入れ替わりで清掃員が客室へと入っていく。
「悪かったな」
「いえ、とんでもございません!」
アルフィーは出口で待機していた支配人にそう告げるとチップを渡した。
「ラウンジはまだ開いておりますので、お時間の許す限りどうぞおくつろぎください」
支配人はそう言って頭を下げると、裏へと下がっていった。
アルフィーはロビーへと目を向ける。併設されたラウンジでは、終幕から時間が経っているというのに、貴族たちが楽しそうに談笑している。劇について語り合っているようだ。
ラウンジでは紅茶などの飲み物、軽食を扱っているが、値段が張るため貴族しか利用しない。
「ミリー、帰ろうか。料理長が今日はビーフシチューだって言っていたよ」
「えっ! は、はい!」
ラウンジに目が釘付けだったミリーは、目を輝かせてアルフィーを見た。やはりお腹が空いていたらしい。ミリーはロカール侯爵家の料理を一番気に入っているのだ。案の定、今日のメニューに食いついた。
(今日は悪目立ちしたからな。早く帰るに限る)
ラウンジの軽食をミリーに食べさせてやりたかったが、アルフィーはここを早く立ち去りたかった。ミリーの手を引いて、早足で出口へと向かう。
「庶民と混じってご観劇とは、さすがやることが違いますね、侯爵閣下」
行く手を阻んで声をかけてきた男に、アルフィーは眉を寄せた。ミリーがすっと前に出てアルフィーを守るように立つ。ミリーもさすがにこの男を知っているようだ。
アルフィーは目の前の赤髪の男を睨みつけた。
「僕は帰るところなんだ。そこをどいてくれないか? ディータ伯爵家のご子息」
周囲が一瞬にして凍りつくのをアルフィーは感じた。
目の前の男――ケイレブ・ディータは、オサール伯爵と並ぶ第二王子派筆頭伯爵家の長男である。王太子派筆頭のロカール侯爵であるアルフィーとは対立する立場だ。周囲がピリつくのも仕方ない。
アルフィーのほうが家格は遥かに上であるが、第二王子が目をかける伯爵家には下手に手出しできない。アルフィーが難癖つけられれば、王太子に迷惑がかかる。
「行こう、ミリー」
目の前をどこうとしないケイレブを無視して、アルフィーはミリーの手を引いて歩き出した。
「聞けば、その脳筋婚約者様が階下で見たいとおっしゃったとか。閣下ならば婚約者を選びたい放題でしょうに。女性を見る目に自信がないようでしたら、私が選んでさしあげましょうか?」
「何だと?」
挑発だと頭ではわかっているのに、アルフィーは立ち止まってしまった。そのことでケイレブの赤い瞳が愉悦で細まる。
「ソワイエ伯爵家など、領地も持たない野蛮な一族です。まさか王太子殿下に行き遅れを押し付けられたのでは?」
「……黙れ。不敬だぞ」
「侯爵様!」
ケイレブへ足を向ければ、ミリーに前を遮られる。
「ダメです! ディータ伯爵家は……」
めずらしく険しい顔でアルフィーを見るミリーに、アルフィーの頭も冷静になった。
ディータ伯爵家はトルデシア王国とラヴェン王国に隣り合う小国、キース公国と深く関わりがある。ディータ伯爵の娘が現キース公に嫁いでいるのだ。そしてその娘は、前オサール伯の孫娘でもある。
(キースは魔石をラヴェンに多く輸出している……)
王太子が進める魔道具の普及計画には、ラヴェン王国との友好な関係が必須。そしてそれに使われる魔石を必要とするラヴェン王国とキース公国の間に亀裂を入れさせるわけにはいかない。これが王太子派が第二王子へ強行に出れない大きな理由だった。アルフィーが命を狙われても確たる証拠を残さないオサール伯爵家は、ん今もこの国で大きな顔をしている。そしてそれに従うディータ伯爵家も同様だった。
「行きましょう」
庇うように出口へと誘導するミリーに、アルフィーも頷いて歩き出した。
「おい、お前。女のくせに護衛と偽って閣下に色仕掛けか? ソワイエ家も上手くやったもんだ! でも、貴族の娘ならば、武力よりも観劇のマナーを学ぶんだな!」
ケイレブは今度はミリーに暴言を吐いた。が、ミリーは顔色変えずにアルフィーを出口へと誘導していく。
好きな女の子をここまでバカにされては、アルフィーも黙っていられない。余裕のある笑みを作ると、ケイレブへ振り返った。
「ディータ伯爵家のご子息、貴殿の物言いはひがみに聞こえるぞ?」
「ははは、私がそんな女が婚約者で羨ましく思うとでも?」
ケイレブはバカにしたように笑ったが、アルフィーはにやりと口の端を持ち上げた。
「あなたが婚約者に婚約破棄されたことは知っています。だからといって、他人の婚約者をけなして自身の気持ちを払拭なさるのはどうなんでしょう?」
「なっ……な、な、何を……」
ケイレブは明らかに動揺した。それもそのはずで、この話はまだ公になっていないものだ。ケイレブは家の権力を笠に着たいわゆるバカ息子で、女癖が悪い。婚約者は中立派の貴族令嬢で、派閥を拡大させるための政略的な婚約だった。女遊びをやめないケイレブに愛想をつかして、あちらから婚約破棄を突きつけられたのだとか。
(必死に外へ出ないようにしていたようだが、このくらいの情報、僕にかかれば……)
アルフィーはあらゆる場所に情報網を張っている。オサール伯爵家の尻尾を掴むには至っていないが、バカ息子の情報ならば簡単に手に入れられるのだ。
バカ息子の婚約破棄話など役には立たないし、興味もなかった。だから、ついさっきまで記憶にすらなかったのだ。
(まさか役に立つとはな)
ケイレブが突っかかってこなければお蔵入りだっただろう。アルフィーは鼻で笑うとケイレブを見た。
「人の婚約者をどうこう言う前に、ご自身の下半身のだらしなさを省みてはどうですか?」
「なっ……」
アルフィーたちを囲んでいた貴族たちからは、控えめに嘲笑が聞こえてくる。皆、このスキャンダルに興味津々のようだ。
(噂好きの貴族たちの間にはあっという間に広がるだろうな)
アルフィーはわなわなと震えるケイレブから視線をはずすと、ミリーと視線を合わせて頷く。ミリーは再び出口へとアルフィーを誘導し出した。
「このおおおおお!」
すると、怒りで我を忘れたケイレブが拳を振り上げ、アルフィーに突っ込んできた。アルフィーが不敵に笑えば、ケイレブの顔が不可解そうに歪む。そして――。
「侯爵様に手出しはさせません!」
ケイレブの拳はアルフィーに到達することなく、ミリーによって取り押さえられた。
(これなら正当防衛になるから問題ないだろう。こちらから追及できないのが口惜しいが……)
多くの証人がいるから、アルフィーが問題に問われることはないだろう。しかし喧嘩両成敗に持ち込まれそうなことは予想できた。現に、ミリーがケイレブを取り押さえても、劇場の警備にあたる騎士たちは手を出そうとしない。
「ミリー、行こう」
「は、はい!」
地面にケイレブを押し付けていたミリーは、アルフィーの呼びかけでケイレブを解放する。アルフィーが手を差し出せば、ミリーは反射的にその手を取った。
「ようやく帰れるな」
そう呟けば、後ろからケイレブの叫ぶ声が聞こえた。
「女に守られて、なんて情けない! どうぞ脳筋婚約者に捨てられないように!」
これは負け犬の遠吠えだ。そう思うのに、ケイレブの言葉がアルフィーの奥底に深く沈み込んだ。




