12.浮かぶのは
「くそっ、やられた」
アルフィーはガンッと足で椅子を蹴ると、悔しそうに吐き捨てた。
寝不足がたたり、ほんの少しとうたた寝をしていた隙の出来事だった。
「なんともまあ、手回しのいいことで」
窓の外を見やれば、中庭にも火の手が回っている。飛び降りて下で受け止めてもらうには無理なようだ。
火は一階から発生、二階まであっという間に広がっている。
この時間はちょうどクビになった使用人たちを、残った者たちが表で見送っている頃だ。
(皆は逃げられたと信じたいが、助けを期待するのは無理だな)
三階にも煙が充満し、部屋を閉め切っても入り込んできている。火が迫るのも時間の問題だ。
「僕の悪運もこれまでか」
口を腕で覆い、アルフィーは床にへたり込んだ。
「まあ、今回は誰も巻き込まなくて良かったか」
ここ数日の出来事が脳裏を駆け巡る。
思い浮かぶのは、ミリーの笑顔ばかりだ。
(ミリーは美味しいものを与える男なら、ほいほいついて行きそうだな)
自身の考えにもやっとする。
「はは……」
こんなときに考えるのがミリーのことなんて。アルフィーはようやく自身の恋心を自覚した。
(ミリーが他の男にあんな表情を見せるなんて嫌だ……)
そう思うのに、逃げ場のないこの状況は諦めざるをえない。
アルフィーはその場でごろんと寝ころんだ。
『侯爵様!』
幸せそうに食事を頬張り、笑顔を向けるミリーを想い、目を閉じる。
死を覚悟して、愛しい女の子の名を呟く。
「ミリー……」
「侯爵様!」
いよいよ幻聴が聞こえてきたなと鼻で笑う。
「侯爵様!」
「ん?」
それが幻聴ではないことに気づいたアルフィーは、身体を起こした。
「良かった、お部屋にいた!」
がちゃりと扉を開けたミリーが素早く中に入り、また扉を閉める。
「なん、で……」
呆然とするアルフィーに、ミリーは走り寄るとしゃがみ込み、視線を合わせた。
「立てますか? 脱出しましょう!」
「何で来た!? せっかく……遠ざけようと……」
泣き出してしまいそうな自分が情けなく思い、アルフィーは顔を逸らした。と同時にミリーから抱きしめられる。
「!?」
「……巻き込んだっていいんです。むしろ巻き込んでください。わたしは侯爵様の護衛なんだから。レイ様やリゼ様、料理長さんたちみんなもそう思っていますよ。みんなは侯爵様の家族だから」
身体を硬直させていたアルフィーは、ミリーの温かさにじわじわと緊張を解いていく。
「ミリー……」
「さあ、早く出ましょう!」
抱きしめ返そうとした手は、元気よく立ち上がったミリーによって、所在をなくしてしまった。
「侯爵様?」
「~っ、ああ!」
もちろん、ミリーはそんなことに気づかない。アルフィーは頭をガシガシかきながら立ち上がった。いつものミリーの態度に、冷静ささえ取り戻してきた気がする。
「と言ってもこんな中、どうやって脱出するんだ? そもそも階下は業火だっただろう。どうやってここまで来た?」
アルフィーの部屋には煙が充満してきている。このままでは煙で気を失ってしまうのも時間の問題だ。
「屋敷の間取りは頭に入っていますので」
「そうか」
笑顔で手を差し出すミリーに、アルフィーの口角も上がる。
疑問だらけだが、不思議とミリーのことは信用できた。
(惚れた弱みか……。どのみち、巻き込んだからにはミリーを死なせるわけにはいかない)
ミリーはアルフィーを助けに来た。引く気もないらしい。だったら、大人しく助けられたほうがミリーを無事に帰すことへ繋がる。
アルフィーはミリーの手を取った。
「行きますよ!」
ミリーがアルフィーの手を強く握り、執務室を飛び出す。引かれるままアルフィーも続いた。
「う……」
廊下はすでに視界が悪く、アルフィーは口元を腕で覆う。
「侯爵様」
ミリーが騎士服の胸元からハンカチを取り出し、手元に握らせてきた。
「君は……っ」
「わたしは慣れていますので」
ケロっとしているミリーを見ながら、アルフィーはハンカチを口元に当てた。
この『慣れていますから』はどうやら本当のようで、毒のときもミリーは嘘なんてついていなかったのだと、いまさら思い至る。
「ミリー……その、すまなかった」
ミリーに手を引かれながら移動するアルフィーは、彼女の背中に向かって言った。
「……煙を吸ってしまいますよ、侯爵様」
立ち止まったミリーが笑顔で答える。
(ああ、ミリーには本当に敵わないな)
その笑顔だけで、自分はとっくに許されているのだとわかった。
「……隣の……ミリーの部屋?」
立ち止まった先はミリーに宛がっていた部屋で、ミリーはドアノブをガチャリと回した。
「はい。不測の事態に備えて準備していましたので」
「んん?」
ミリーの不可解な言葉にアルフィーが頭を捻る。
ミリーが屋敷を出てから部屋には施錠がされていた。ミリーは開かないドアノブから手を離すと、アルフィーへ振り返る。
「侯爵様、少し下がっていてください」
そう告げると、ミリーはアルフィーの手を離し、扉から少し下がった。
「えっ――」
ミリーが足を振り上げる姿を目に映したかと思えば、間髪入れずに大きな音を立ててミリーが扉を蹴破るのが見えた。
「んな――!?」
アルフィーはミリーが脳筋一家の娘であることを、初めて思い知る。
(な、ななな!?)
そのぽやーんとした表情、細身のどこからそんな力が出るのか。
アルフィーは驚きでその場に立ち尽くした。
「侯爵様!」
ミリーの鬼気迫る声で我に返ったときには、背後に男が立っていた。
「死ね、ロカール侯爵!」
男の手にはナイフが握られており、降りかかるそれに気づいたところでアルフィーは咄嗟に動けない。
「くそっ……」
反射的に目を閉じると同時に、ふわりと身体が浮く感覚がした。
「大丈夫ですか?」
なぜかミリーの声が上から降り注ぎ、目を開ければ、アルフィーはミリーの腕の中で抱きかかえられていた。




