24. 本当の望み
前話のあらすじ
どうにか世界の即時破滅を回避したものの、捕捉されてしまった主人公たち。
そこに現れたのは――。
24
あの日、少年は魔王になった。
魂をひび割れさせるほどの絶望が、それ以外の道を彼に許さなかった。
とはいえ、もともと、彼はその器ではない。
弱くて、弱くて、弱くて、弱い。
そう自分を評価している。
あるいは……そんな自分を変えられた可能性もあったのかもしれないが。
けれど、そのような未来の可能性は無残にも踏み躙られて、魔王としての道を行くことになった。
器に合わないことをしている以上、足りない部分は自身を費やすしかない。
燃料が足りないのであれば、この身を薪にして前に進む。
破滅は必然の終着だった。
ただ、望みがあるとすれば……
「……できれば、死ぬときは先輩の手にかかりたかったんですけどね」
ぽつりと言ったあとで、少年は失笑した。
それは違うと。
それは、自分に相応しい末路ではない。
叶う希望なんてない。
絶望だけを抱いて、自分は死ぬ。
それこそが、悪として犠牲をかえりみず振る舞ってきた自分に相応しい末期だ。
そのように覚悟してきたから、心残りはない。
……心残りになりえたかもしれないことは、ひとつだけあったけれど。
だが、それもきっと大丈夫。
あの人に任せたなら、大丈夫。
だから、いこう。
みじめで救いのない絶望の結末へと。
***
かくして、魔王は戦場に乱入した。
さいわいなことに、初代勇者によって『無意識の海』近くの領域まで引きずり込まれたために、事情は把握できている。
また、異界から弾き出されたお陰で、駆け付けるための地形的障害もなくなっていた。
魔軍は進撃する。
無論、その一番槍は魔王に最大の忠義を尽くす影の娘ドーラ――ではなかった。
命令を下される前から、猛然と動き出していた三体の配下たちがいたからだ。
間に合え、間に合え、と――魔王の首輪さえも引き千切って。
首輪を引き千切られた以上、工藤陸には彼らをとめる手段はない。
もとより、とめるつもりもなかった。
「契約は果たさなければなりませんからね」
工藤陸は人間の弱さ醜さに追い詰められて魔王に堕ちた。
ゆえに、弱さ醜さには容赦しない。
強大な力を持つくせに心の弱い典型的な転移者たちなど、最も唾棄すべきものだ。
だが、その逆であれば、彼はきちんと評価する。
実際、これまでも何人か彼が手を出さなかった者がいるが、それは評価に値すると認めていたからだ。
真島孝弘などは、わかりやすい例と言えるだろう。
だから、いまもそうだった。
たとえ間違ったとしても。
たとえ守り切れなかったとしても。
そこにある望みを思い出し、そのためにすべてを賭ける強さがあるのであれば……。
「いまがそのときです。『己の本当の望み』を果たしなさい」
そうして、ひとつの終わりへと至る、すべてが動き出した。
***
真島孝弘一行を消し炭に変えるだろう光の攻撃を繰り出した、その次の瞬間だった。
「なに……!?」
驚きの声をあげて、中嶋小次郎は大きく飛び退っていた。
足元の影が少女の姿を得て飛び上がり、両腕を剣に変じて斬りかかったからだ。
「お前は……!?」
「王命だ。おとなしく死ね!」
影絵の少女。
魔王の配下で四番目に名前を与えられた彼女の名はドーラ。
影から影へと移動して不意を打つ能力は、彼女の切り札である。
さすがの『光の剣』も、攻撃を繰り出した直後を待っての不意打ちは分が悪かった。
「はは! そんな力もあったのか。これは驚かされた!」
体勢を崩しながらも楽しげに笑う青年に、この千載一遇の有利を逃してなるものかと、縦横無尽に影絵の剣が襲い掛かる。
ドーラだけではない。
狼や熊などの足の速いモンスターが駆け付けると、次々と青年に襲い掛かった。
とはいえ、これで倒し切れるかどうかはわからない。
――と、『彼』は理性ではなく、野生の本能によって判断した。
「……」
むしろ勝算は低いというべきだ。
けれど『自分』にとって十分な時間は稼げている。
いまのうちに、為すべきことを為さねばならない。
そう認識して、魔王の首輪を引き千切った最初の一体である『彼』――狂獣は、目の前の少女を見下ろした。
「……嘘」
つぶやく少女は、ひどい有様だった。
擬態していた半液体状の体組織が露出して、まともに少女としての姿を保てていない。
とはいえ、まだ生きている。
中嶋小次郎の光剣の一撃は確かに放たれていたのに、体は消し炭になっていない。
光の奔流に呑み込まれる直前に、狂える獣がその身を盾にして割り込んでいたからだ。
ドーラが奇襲を仕掛ける前に、もっとも早く動き出した一体こそが、狂獣だった。
無論、そのようなことをして、無事であるはずもなかった。
「……ァ、ガ」
ごぶごぶと嫌な音を立てて、口蓋から涎混じりの血液が大量に零れ落ちた。
放たれた光剣の一撃は、すさまじい威力だった。
だが、割り込んだ獣の膨れ上がった筋肉の鎧は、かろうじてその破壊力を受け止め切っていた。
代わりに肉は引き裂かれ、内臓は焼けただれ、背中は骨まで露出していたが、それでも攻撃を通すことだけはなかった。
首輪を繋いだ主に命令されたわけではない。
それは、彼自身の意思での行いだった。
「……どう、して」
呆然とした少女が疑問を紡いだ。
それに答えるだけの理性を、狂獣は持たない。
けれど、かつて首輪の主と交わした約束だけは覚えていた。
――約束しましょう。ぼくのものになって働けば、いずれきみの望みは叶うと。
いまが、そのときだった。
片方だけ残った屈強な腕で、狂獣は少女の体を掴み取った。
死に直結しかねない傷を負っているとは思えないほど強い力に、いまの少女は抵抗できなかった。
ここからどうするかは、狂獣の望み次第。
だから、この瞬間だけかすかに戻った理性で彼は疑問する。
果たして自分の望みとはなんだったのかと。
思い出すのは、首輪の主と契約を交わしたときのやりとりだった。
――……王よ。なにを考えている?
――もうひとりの王、真島孝弘には自分は敵ではないと言う一方で、水島美穂を求める狂獣には、願いを叶えると約束をする。いったい、どれが本当なんだ?
アントンはそのように疑問を呈した。
実際、それは妥当な疑問だ。
狂える獣となる前の自分は、水島美穂の存在を求めて暴走したのだから。
とすると、目の前の少女を『手に入れる』ことが、自分の望みだったのか。
……いいや。違う。
そうではない。
断言できる。
死に瀕した彼女の前に、身を盾にして飛び出した瞬間、彼はそう確信できていた。
――あなたもよく考えておきなさい。
この異界のなかで、首輪の主は狂獣にそう言った。
その言葉の意味はなんだったのか。
いまの彼にはわかっていた。
なぜなら、死に至るほどの激痛でさえ――目の前の少女が無事であったことの安堵に比べれば、なんてことはなかったからだ。
――いまがそのときです。『己の本当の望み』を果たしなさい。
恐怖に慄き、狂気に堕ちて、見失っていた『本当の望み』。
かつて高屋純という名の少年は、初恋の人である水島美穂を守ろうとした。
けれど、それは紛い物の恋だった。
異世界に転移してきてしまった不安から、自分自身を守るための無意識の欺瞞だった。
人は理由があれば頑張れるが、彼は頑張るために理由を作ってしまった。
自分の力は、初恋の人を守るために授かったものなのだと思い込んだ。
幼馴染の少女に恋をしていたから、守ろうとしたのではない。
守るための理由が必要だったから、彼女を好きになったのだ。
あの初恋は嘘だった。
確かにそれは、否定しようのない事実だった。
だが、だからといって――幼馴染の少女を大事に想う気持ちのすべてが嘘かといえば、そんなことはなかったのだ。
なぜなら、高屋純はそれほど強くない。
偽物の想いだけでは、コロニー崩壊の助けを呼ぶために遠征隊を追って、たったひとりで飢えと恐怖に堪え抜いて、樹海を越えるなんてことできなかった。
初恋を理由にする前。
不安に押し潰されてしまう前。
そこには狂える獣になる前の少年がいて、姉のような幼馴染がいた。
――美穂姉ちゃんのことは、おれが守るよ。
思い出した、その言葉。
そこにあった想いだけは、偽物などではないのだと。
そうわかったから、これでお別れだった。
「ォオ……オォオオオオッ!」
血塗れの咆哮。
最後に残った命を振り絞って、獣は少女を放り投げた。
彼女のことを大事にしてくれる仲間のもとへと。
「純……っ」
懐かしい呼び声が聞こえた。
涙ながらに、少女が手を伸ばした。
その指先が遠ざかる。
けれど、きっと、これでいい。
今度こそ、自分は彼女を守れたから。
「……」
最後の力が抜けていく。
幼馴染の少女が、まだ自分の死に泣いてくれることに満足して。
直後に響いた『竜の咆哮』を聞いて、あとは任せたと安堵して。
最後に大事なものを取り戻した獣は、大地に倒れ伏した。
***
竜の咆哮が、森に大きく響き渡った。
「こいつは……!」
襲い掛かるモンスターの群れをすさまじい勢いで切り殺しつつも、中嶋小次郎は目を見開いた。
天を覆うほどの巨体が降りてきたのだ。
一方で、戦慄く声をあげたのは、ロビビアだった。
「あ、あああ……!」
翼の生み出す風に赤髪を吹き散らかされながら、少女はその存在を目の当たりにする。
屍竜イーダ。
生前の名を、甲殻竜マルヴィナ。
かつての勇者の伴侶たる、偉大な竜だった。
しかし、いまの彼女は里を滅ぼし、我が子を殺した者に報復するアンデッドと化している。
もはや恨みと憎しみを以って、破壊を振りまく存在でしかない。
目の前に、彼女の里を滅ぼしたのと同じ転移者が戦意を撒き散らしていれば、尚更だった。
しかし、予想に反して彼女は着陸後、即座にその場を離脱した。
その目的は瞭然だ。
彼女はその巨大な手で、地面ごと真島孝弘一行を拾い上げていたからだ。
「はは! 逃がす気か!」
その光景を見て、中嶋小次郎の顔に喜色が浮かんだ。
あまりにも純粋で、それがゆえにおぞましい喜びの感情の発露。
もう少しで殺せるところだったのに逃げられる。
そんな状況を喜んでいるのだ。
その一方で、彼には真島孝弘たちを逃がすつもりは毛頭ない。
彼らを殺すことに全力を尽くせるのが、嬉しくて堪らないからだ。
よって、恐るべき災厄の主は、全身全霊を以て逃げる屍竜を殺しにかかる。
「があ……っ!?」
直後、中嶋小次郎と交戦していたドーラが、不意打ちに顎を蹴りあげられた。
すでに奇襲の優位は失われて、襲い掛かったモンスターもあっという間に数が削られていた。
「しまっ……」
顎を押さえたドーラが立ち上がったときには、もう遅かった。
自由に動けるようになった瞬間、中嶋小次郎は剣を振るっていた。
「カァアアアアアア――ッ!」
気合いが迸る。
光の奔流が地面から天へと立ち昇り、屍竜を呑み込まんとする。
だが、そこで中嶋小次郎は目を見開いた。
「……なに!?」
射線に巨体が割り込んだのだ。
首のない屍竜ハインリッヒ。
生前の名は――レックス。
かつての『里の守護者』の体は、今度こそ完膚なきまでに爆散した。
引き換えに、光剣を先に通すことなく。
「……ああ」
顎を蹴り上げられて揺れる頭を抑えて立ち上がったドーラは、その光景を目撃して低く声を漏らした。
わけもなく、胸を突くものがあったのだ。
普通に考えるのであれば、いまの行為は王が必要な処置として、ハインリッヒを使い捨てたと見るべきだ。
だが、そうとは思えなかった。
ドーラの目には、意思なきアンデッドであるはずの屍竜の片割れの行動が、逃げ出そうとする者たちを庇ったかのように見えたのだ。
真実を知る当人は、死肉の一片に至るまで燃え尽きて、すでに答えは得られない。
いずれにしても、これで屍竜の片割れは逃げられる――
「まだ終わりじゃねえぞ!」
――と、思ったドーラの予測を、災厄そのものの男は当たり前のように凌駕した。
ふたつ同時には出せないはずの『光の剣』。
ひとつ凌げば、少なくとも一呼吸は間が開くはずだった。
しかし、すでに青年の手のなかには新たな剣が握られていたのである。
「馬鹿な……!?」
ドーラは驚愕に目を剥いた。
ふたつ同時に出せないというのは、嘘だったのか。
……いいや。そうではない。
なぜなら、そこにあったのは『光剣』ではなかったからだ。
「なんだ、あれは!?」
その手に握られていたのは、彼の代名詞である『光の剣』とは真逆の――いいや、むしろ見た目としては対を成しているようにさえ見える漆黒の剣だった。
光を呑み込む『闇の剣』。
これこそが、中嶋小次郎が『戦闘用に制限をかけた能力』の真の姿だったのだ。
全力を尽くすと決めていたから、その力は呵責なく屍竜に絶対の牙を剥いた。
「カァアアアアアア――ッ!」
再び、その手にある剣が解放された。
今度こそ、盾となる存在はない。
屍竜の五十メートルもの巨体が、後方から大きく突き上げられた。
***
「ぉおおおおおお!?」
竜の掌の上で、真島孝弘たちが悲鳴をあげた。
だが、攻撃を直接受けた屍竜はそれどころでは済まなかった。
その光景は、あたかも巨体が闇に喰われるようでさえあったのだ。
「ア、アア……」
永遠にも感じられる闇の奔流が過ぎ去ると、頑強極まりないはずの甲殻に覆われた巨躯は、うしろ半分を完全に喪失していた。
当然、余波は上半身にも及んでいる。
甲殻は砕け散り、肉は断絶し、ぼろぼろと体の各部が落ちていく。
致命的な一撃だった。
「……ァ、アア……」
屍竜が低くうめいた。
壊れる。砕ける。
存在が保てなくなる。
当然の結果として、それは墜落という結果に帰結する――はずだったのだ。
「なんだと」
見上げた中嶋小次郎が驚きに声をこぼした。
無理もない。
屍竜が落ちることなく、そのまま空を逃げ去っていくのだから。
「……ア、アアア」
体が端からボロボロと崩れていくのに。
もはや全身が崩壊していないほうがおかしいのに。
それでも、崩れかけた体を内側から支えるものがあった。
とはいえ、状況は狂獣のときとはずいぶん違っている。
ここにいる屍竜は、すでにマルヴィナではない。
宿っていた魂は朽ち果てて、意識など残ってはいない。
アンデッド・モンスターとなった屍の体を動かしていたのは、あくまで呪いと怒りの感情だった。
ただ、それは見方を変えれば『屍の体に感情の残滓だけは残っていた』とも言える。
強烈な負の感情である怒りと恨み。
だが、その奥底には、もうひとつの強い情念が眠っていたのだ。
他のなにを喪ったとしても、それだけはなくならない。
なぜなら、その感情こそが、常に彼女を突き動かしてきたものだからだ。
転移者に竜淵の里が襲撃された、あの日だってそうだった。
彼女が理性を手放してまで、憎悪と狂気に身を委ねて死ぬまで暴れ回ったのは、我が子をひとりでも多く逃すためだった。
本当に望んでいたのは、憎い敵の抹殺ではない。
子供たちを守り抜くことが、母である彼女の望みだった。
そして、この場にはそのひとりがいた。
すれ違い続けた末の娘が。
――里を出るというのなら、お前さんは他人だよ、ロビビア。
――てめえの顔なんて、二度と見るもんか!
ふたりの最後は喧嘩別れ。
突き放して、嫌われてしまってでも里から出したのは、未来のない自分たちと一緒にいるべきではないという想いからだった。
それでも、いつか遠い未来で和解することを願っていた。
愛していると伝えられる日が来ることを望んでいた。
その願いは叶うことはなく、死が親子を引き裂いた。
けれど、それでも、残されたものがあったのだ。
「ア、アア……ァアアアァアアアアア!」
屍竜は吼えた。
それは、憎悪の呻きでもなければ、憤怒の唸りでもない。
子を想う母の愛を告げる咆哮だった。
「母様……!」
すれ違い続けた末の娘が、初めてその言葉を口にする。
母竜の残骸は、闇の奔流を逃れて戦域を離脱した。
◆終わりの始まり。今日はここまで。






