8. 狼との語らい
(注意)本日2回目の投稿です。(1/5)
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空の追跡行が始まった。
おれは先頭のドラゴンに乗り込んで、必要に応じて方角を指示することになった。
もっとも、そうそう頻繁に方角を示す必要はない。
ほとんどの時間は待機のようなものだった。
そうして、もう二時間ほどは経っただろうか。
荒野を越えて、眼下の景色は森に変わっていた。
強奪された『異界の扉』までは、距離がある。
まだしばらくは待機の時間のようだった。
「……しかし、揺れるな」
おれは辟易した気持ちでつぶやいた。
ドラゴンの背中に乗って空の旅をするのは、これで二回目だ。
だが、一回目に比べて慣れたかと言われれば、そんなことはなかった。
飛行機などとは違い、ドラゴンの背中の上は剥き出しで座席もない。
風は直撃。視界は死の危険を感じるほど無防備に高い。
加えて、羽ばたきの上下動がすさまじい。
前のときより酷い。
たまに数メートルほとんど自由落下する感覚さえあって、そのたびに、すっと血の気がひいた。
いま思えば、深津と同行していたサディアスは、あれで人を乗せて飛ぶのには慣れていたのかもしれない。
「顔が強張ってるよー、ご主人様」
「……こればっかりはな」
万が一にもおれが落ちることがないように、うしろからぴったりと体を押し付けるようにして支えてくれているリリィが、顔を覗き込んできた。
「気分は悪くない? 休憩が必要だったら言ってね?」
「大丈夫だ」
慣れない探索隊からも乗り物酔いや疲れを訴える者がいたので、すでに一度休憩を取っている。
無理は禁物だが、ある程度の我慢は必要だ。
そうした考えは伝わったのだろう。
リリィはそれ以上勧めることなく、ふと視線を他所に向けた。
「ベルタも大丈夫?」
「……無論だ」
返ってきたのは、ひどく硬い声だった。
狼の顔には表情が掴みづらいが、明らかに元気がない。
リリィが心配そうに言った。
「ご主人様もそうだけど、ベルタは『駄目なほう』だね」
「……そんなことはない」
「尻尾が股に入っちゃってるけど」
ある点においては人の表情以上に感情豊かな部分を指摘されて、ベルタは視線を逸らした。
「……地を駆ける獣に大空は相性が悪い」
「あやめはけっこう楽しそうだけど」
「あれは……例外だろう。なんでも楽しむ子だからな」
あやめはいまは手すきのシランが面倒を見ていた。
胸元に抱きかかえられて、向かい風に目を細めている。
頭に登ろうともぞもぞしては、たまに注意されているあたり、まったく怖がる気配がない。
そんな彼女を見て、ベルタがふっと息をついた。
「ある意味で無敵だな」
声には笑いの気配があった。
そうして話をすることで、少し気を紛らわせることができたのかもしれなかった。
「そういえば」
と、続けてベルタは話題を振ってきた。
「気になっていたのだが、今回の件、神宮司智也はなにを考えて『世界の礎石』を破壊しようとしているのだ?」
出発前にはあまり時間がなかったこともあり、今回の神宮司の不可解な行動については、落ち着いて話をする場を持てていなかった。
「率直に言って、理解に苦しむ。『世界の礎石』を壊したところで、元の世界に戻れるわけではない。やってることが支離滅裂ではないか」
ベルタはぺたりと耳を寝かせて、唸るような声で言った。
気持ちはわかったので、おれは半分同意を示した。
「確かにそうだな。ただ、そうでもない可能性もある」
「どういうことだ?」
「ちらっとだけど、加藤さんと話をしたんだがな、神宮司は騙されているのかもしれない」
まだ加藤さんのなかでも考えは固まっていないようだったが、出発の前に思い付いたことは聞いていた。
「ほら、神宮司に『世界の礎石』の保管場所の情報を伝えた何者かがいたって話があっただろう?」
どちらかといえば、加藤さんは神宮司当人よりも、そちらのほうを気にしていたふうさえあった。
「『世界の礎石』破壊に関しては、そいつに吹き込まれたんじゃないかって話をしてた」
「いや待て。その何者かは『世界の礎石』について正しい事実を知っていたのだろう。それを神宮司智也に正しく伝えてもいたはずだ。なぜ一部だけ嘘をつく必要がある?」
「それは逆だ」
「逆?」
「他人に嘘をつくときに一番効果的なのは、嘘に真実を混ぜることだからな」
ベルタは数秒考えこんでから、理解できたのか毛を逆立てた。
「荒唐無稽な世界の真実をあえて正しく語ることで、そのなかに嘘の劇薬を混ぜ込むことが目的だったと?」
「そういうことだな」
「ぬう。人とは恐ろしいことを考えるものだな」
相変わらず、魔王の配下とは思えない感性だった。
素朴に好ましさを感じて緩んだ唇を、おれは引き締め直した。
「おれは感覚的に『世界の礎石』が本当に世界を創りえるものだと確信が持てるが、神宮司にとっては違う。『世界の礎石』に関わる世界の真実の話は、荒唐無稽な出鱈目だろうと思えたはずだ。だけど、それは真実だとわかった」
「……同じように『元の世界への戻り方』も正しいものだろうと?」
「それらしい理屈を付けられたら否定できないだろう」
だから、今回の件については『どうして神宮司が今回のような滅茶苦茶をしたのか』よりむしろ、『情報提供者』と『そのように唆した意図』のほうに注目すべきだ――というのが、加藤さんの意見だった。
とはいえ、そこが疑問点ではあるのだが……。
同じことに思い当たったのか、今度はロビビアが口を開いた。
「だけどさ、孝弘。その情報提供者は、いったい、なんのためにそんなことをしたってんだ? 『世界の礎石』を破壊したって、この世界が破滅してしまうだけだろ。なんの意味もないじゃねえか」
「……だな」
そこは、おれも不思議に思っていた。
「どうしたってメリットがないし、デメリットは致命的だ。不可解なのは間違いない。ただ……」
「ただ?」
吊り上がった大きな目を瞬かせるロビビアに、おれは眉を顰めてみせた。
「こんなことをするやつに、心当たりがないわけでもないんだが」
「心当たり?」
ロビビアがきょとんとする一方で、なにか気付いたのかベルタは目を見開いていた。
「転移者への情報提供者……胸糞の悪いこの手口……まさか」
ぴんと尻尾が伸びて、唸る口調で言った。
「ひょっとして、『天からの声』か?」
「ああ。おれも、同じことを考えていた」
ベルタの言う『天からの声』は、チリア砦襲撃事件に関わっていた転移者だ。
正体は不明であり、遠距離通信のテレパシーのような固有能力を所持していることだけが唯一わかっている。
「ただ、手口が似てはいても、どうしてこんなことをしたのかってことはわからないんだけどな」
おれは眉を寄せた。
「世界が破滅してしまえば、自分だってただでは済まない。『天からの声』に多分に愉快犯的なところがあるにしても、さすがに自分が被害を受けてまでとは……」
「ああいや。それは違うかもしれないぞ」
理解できないとおれが首を捻っていると、ベルタが口を挟んだ。
その瞳には、憂慮の色が浮かんでいた。
「思い出したのだがな、以前に我が王がおっしゃっていたことがあるのだ」
「工藤が? ……ああ、そういえば、工藤は『天からの声』と関わりがあるんだったか」
おれに最初に『天からの声』に関して、チリア砦でその存在をほのめかしたのは工藤だ。
多少なり情報を持っていることに不思議はなかった。
「『天からの声』は我が王に不定期に接触を持っていた。とはいえ、それはかなり一方的なもので、王は情報を餌に行動を操作されることを警戒してほとんどは適当にあしらい、ごく稀に情報の裏を取って動くことで、利用と攪乱を仕掛けていらっしゃったのだ。偽勇者事件の原因であった転移者たちの失敗などは『天からの声』からうまく抜き出した情報の例だな」
「『天からの声』は、いろいろと動き回っていたってことか」
おれの知らないところでは、工藤との情報戦もあったのかもしれない。
その結果、得られたものの一部を、ベルタに伝えていたということだろう。
「偽勇者事件の際に失敗した転移者の一部というのも、ひょっとしたら『天からの声』に唆されていたのかもしれない。あれを、我が王は『唆す蛇』と呼んでいらっしゃった。『破滅を求める愉快犯』だとも」
「『破滅を求める愉快犯』……」
口にした言葉が、喉の奥に苦くこびりつくかのようだった。
チリア砦の一件にせよ、高屋純の件にせよ、確かに『天からの声』には愉快犯的なものを感じてはいた。
少なくとも、なにか利益を得ていたようには思えない。
それに加えて、直接やりとりをしていた工藤は、そこに破滅的なものを感じ取っていたのだという。
ベルタは自分の主との会話を思い出すように目を細めた。
「『破滅を求める愉快犯』……この場合、破滅というのは自身のものも含めての話だ。自身の破滅に突き進んでいるという意味では、我が王にも似たところはあるが、いささかスタンスは異なるな。目的を持たない『天からの声』の行動には、本質的に意味がない。ただただ悪趣味で、無意味で、破滅的なだけだ」
「……なるほどな」
引き起こされる世界の破滅。
恋人を失って、思い詰めたすえに踊らされる犯人。
そして、それを唆した何者か。
「言われてみれば、確かに、この状況は悪趣味で無意味で破滅的か。今回の一件の裏に『天からの声』がいたとしてもおかしくない……」
そもそも、あんな悪辣な真似をする人間が、転移者に関係した事件に限定して、何人もいるとは思えない。
関与を疑うのは自然なことだった。
チリア砦でもそうだが、おれは高屋純のときにも『天からの声』に痛い目に遭わされている。
思い返してみても、その悪辣さは今回に通じるものがあった。
苦い顔をしているおれを見て、ベルタが気付いた様子で尋ねてきた。
「真島孝弘は『天からの声』と因縁があるのだったな」
「ああ。これまでに二度……いや。神宮司にも関わっているなら、三度になるか」
神宮司が竜淵の里を襲撃し『世界の礎石』を密かに強奪し、聖堂教会に味方しておれに敵対したうえで、タイミングよく裏切って現状に至った裏に『天からの声』がいるのだとすれば、そういうことになる。
ベルタが苛立たしげに触手をうねらせた。
「直接、接触があったわけでもないのに三度か。嫌な偶然もあったものだ」
「……本当に偶然なのかな」
ぽつりとつぶやきが耳に入って、おれはうしろを振り返った。
難しい顔をしたリリィの顔が目に入った。
「リリィ? というと、なんだ。偶然じゃないとすれば、『天からの声』がおれにわざわざちょっかいを出しているっていうのか」
「高屋純のこととかは、そうとも思えるかなって」
「それはまあ……でも、少なくとも、おれは『天からの声』にわざわざちょっかいを出されるような覚えはないぞ」
おれが言うと、リリィは眉尻を下げて微笑んだ。
「うん。考え過ぎかも」
「スライムよ。気持ちはわかるがな、ああいった手合いについて考え過ぎても仕方がない」
ベルタが言った。
主である工藤が接触しているのを見ているだけに『天からの声』の無意味な悪辣さについてはよく知っているのだろう。
「我々はやつの意図を挫き、真島孝弘を守り抜くことだけを考えるべきだ」
「だね」
リリィは頷き、背中からおれの体に回した腕にぎゅっと力を込めたのだった。
***
気が急くばかりの待機の時間ではあったが、思わぬ話を聞くことができた。
工藤の『天からの声』への見解なんて、ベルタからでなければ聞けなかっただろう。
現状では確証はないものの『天からの声』が関与しているかもしれないということを頭に置いておいたほうが良いだろう。
そう結論して、おれは改めてベルタに向き直った。
「それにしても、ベルタには悪いな」
「なんの話だ」
「また、おれたちの事情に巻き込んでしまった」
守ると言ってくれているが、他の眷属たちとベルタとでは立場が違う。
もっとも、ベルタは謝るおれに向けて、軽く尻尾を振るだけだった。
「気にするな。前も言ったが、お前の護衛は我が王の命令であり、わたしの望みでもある」
ベルタは小さく喉を鳴らした。
どことなく楽しげな様子だった。
「思えば、わたしもずいぶんと馴染んだものだな」
「そうだねえ。最初はつっけんどんだったもの」
リリィが調子を合わせれば、あやめが「くぅー」っと声をあげた。
思い返してみれば、いまは仲良しのあやめも、同行を始めた当初はベルタを警戒している様子だったのだ。
確かに、いまのベルタの姿は、馴染んだというべきだろう。
「最初は王に捨てられたと思って、ずいぶんと思い悩みもしたものだが……」
懐かしげに言いかけて、彼女はふとした様子で口を噤んだ。
おれは首を傾げた。
「ベルタ? どうかしたか?」
「……いや。少し思い出したことがあってな」
ベルタは苦笑したようだった。
「飯野優奈とな、話をしたのだ」
「飯野と?」
「ああ。異界に飛ばされる直前のことだ」
「……そういえば、帝都の部屋から異界に飛ばされる直前には、飯野と一緒にいたって話だったか」
意外……というわけでもないのだろう。
勇者の集団である探索隊の主要メンバーと、魔王の配下最強のモンスターといえば不釣り合いだが、ベルタには秘密がある。
スキュラたるベルタの本性は、飯野の親友である轟美弥の姿に瓜二つなのだ。
そのあたりが影響をしているのかどうかは定かではないが、どうやらふたりは会話を交わす間柄であるようだった。
「なにか言われたのか?」
「うむ。帝都にいる間、まさか魔王の配下が探索隊と接触するわけにはいかないからと、わたしは真島孝弘の眷属になったということにしていただろう? それを、飯野優奈はよかったと言って笑ってな。我が王は、わたしには相応しくないからと言ったのだ。その逆ならば、いつも思っていたのだが、少し驚いた」
おれは少しひやりとした。
飯野は知らないこととはいえ、ベルタの工藤に対する忠誠は変わっていない。
そんな彼女に対して、その発言は虎の尾を踏むようなものに思えたのだ。
しかし、意外とベルタは怒ってはいないようで、落ち着いた口調で語った。
「この話はしたことがなかったか……王は見込みある配下にのみ、順番に名前を付けている。王の元いた世界で『フォネティック・コード』と呼ばれるものだ。順番にA、B、C、Dと続く」
「初耳だ。とすると、ベルタは二番目か?」
「そういうことになるな。しかし、使い捨ての駒を求める王にとって、名前を与えられておきながら、わたしにはあまりにも無駄なものが多かった。『生まれながらにしてそう』だった。自分は王に相応しくない出来損ないだと、そう思っていた。だがな、飯野優奈と話をしていて、それは違うのかもしれないと思ったのだ」
ベルタはゆっくりと尻尾を振った。
「いや。それ以前にもお前たちと旅をしている間に、薄々気付いてはいたのだ。どちらがどちらに相応しくないのか。お前たちに近い感性を持つ自分のこの性質が出来損ないなのかどうかは、捉え方次第なのだと」
素朴で面倒見がよく、大事な者の幸せを純粋に願うベルタの性質は、一般的な価値観に照らし合わせれば、美徳と言えるものだ。
彼女はただ、環境に恵まれていなかった。
工藤のもとにいる間は、その事実に気付くことさえできなかった。
王の配下であることが彼女のすべてだったからだ。
いまは違う。
奇しくも、主である工藤が遠ざけたことで、彼女はそれに気付くことができたのだろう。
「だからな、お前たちには感謝しているのだ」
「え?」
突然、告げられた感謝の言葉に戸惑うおれに、ベルタは告げた。
「破滅に突き進み、絶望とともにある終わりに向かおうとしている王に、せめてもの救いがあってほしい。そう願いながら、わたしにできることは少なかった。王は絶対の主であり、わたしは相応しからぬ出来損ないの駒だ。これはもう、どうしようもない。そう思っていたからだ。だが、違うのだな」
ベルタは少し恥ずかしそうに、低いところで尻尾を振って喜びを表現した。
「わたしと王は、在り方が違うだけだ。王が絶対ということはない。だったら、我が王にわたしの在り方を選んでいただくことだって、不可能ではないのではないか。そう思えたのだ。そして、実際、我が王はわたしの姿を受け入れてくださった」
「ベルタ……」
そういえば、ベルタは工藤とともにエドガールと戦っていたが、そのときには本来のスキュラの姿を現していた。
スキュラの姿は工藤が禁じていたものであり、無断で破ったベルタをひどく罰するところを以前に見たことがあるが、それを考えればあの光景はいっそ象徴的ですらある。
ふと、あの異界で行動をしている間に工藤としたやりとりを思い出した。
――あれはそんなことを考えていたんですか……。
――まったく。あれは本当に、出来損ないですね。
ベルタが『主に幸せになってほしい』と願っていることを、おれは工藤に伝えた。
初めて配下の想いを聞いた工藤の口から出たのがこの酷い言葉だが、意外なことに、彼は酷薄に吐き捨てるのではなく、本当に困った顔をしていた。
恐らくは意図したものではない、無防備な表情だった。
工藤がなにを考えているのかはわからない。
ただ、あのときも気になったのだが、あれは少しこれまでの工藤とベルタとの関係性の印象からは外れた反応だったように思う。
工藤は本当に、出来損ないのベルタをただ嫌っているのだろうか。
そこには、なにか事情があるのではないか。
そう考えてみると、気になるのがベルタのスキュラとしての本性だ。
コロニー崩壊の際に行方不明になって久しい『闇の獣』轟美弥と瓜二つの姿。
ふたりの因縁の中央には、やはり彼女の存在があるのだろうか。
そうして考えてみると、ベルタの言う『生まれながらにして出来損ないだった』という言葉にも意味があるように思えてくる。
「ベルタ、お前は……」
答えたくないことを無理に言わせようとは思わない。
だが、口を噤んで見て見ぬふりをして、目の前の狼と、あの虐げられた悲しい魔王のことを切り捨てられるほど、おれはふたりに無感情ではいられなかった。
けれど、ここでおれはその先を尋ねることはできなかった。
その前に、状況が動いたからだ。
「旦那様!」
おれがそれに気付いたのと、声がしたのが同時だった。
周囲に霧が広がった。
向かい風に吹き散らされる霧のなかから、サルビアが現れる。
「『異界の扉』が近くにあるわ!」
◆あけましておめでとうございます。
本年一度目の更新でした。
今年も『モンスターのご主人様』をよろしくお願いいたします。






