61. それぞれの選択
前話のあらすじ
少年は世界の仕組みを知る
61
自分の大事な人か。
それとも、世界か。
どちらか選べ。
そう問われたときに、即答できる人間なんていないだろう。
二者択一の設問である以上、その問い掛けは『どちらか切り捨てるほうを選べ』というのと同じだ。
これであっさりと答えられる人間がいるとしたら、ほとんど化け物みたいなものだ。
少なくとも、おれには無理だった。
口を開き、閉じてを何度か繰り返す。
喘ぐように息をする。
けれど、そのうえで答えた。
「……おれは、仲間とこの世界で生きていきたい」
はっきりと、言った。
「捨てられるわけがない」
言い切った。
ずっと前から、答えは決まっていた。
ただ、口にするのに勇気が必要なだけだった。
「……そうか」
ハリスンはこの答えを予想していたのかもしれない。
この男は、おれのことを理解している。
あるいは、だからこそこうまでして殺そうとしてきたのかもしれない。
「ならば、お前は世界に害を為す悪だ」
敵意を込めて、ハリスンは断じた。
否定はできそうになかった。
おれはただ大事なものを守りたいだけで、世界を守るなんてご大層な正義のために戦ったことはない。
正義か悪かという軸では動いてこなかった。
だから、それが悪と罵られる行いであったとしても、大事なものは捨てられない。
たとえ世界と天秤にかけられようとも、仲間を捨てることなんてできなかった。
おれにとっては、世界よりも仲間のほうが重い。
それは、ハリスンがつい先程指摘した通りだった。
「己のエゴで世界を滅ぼすか」
だから、こう言われるのも仕方がないことなのだ。
そう弁えていた。
……とはいえ、それを肯定するかどうかは、また別の問題だったが。
「勝手なことを言うな。世界を滅ぼすつもりなんてない」
「……なに?」
怪訝そうな顔をするハリスンを、おれは正面から見据えた。
言われてばかりでいるつもりは毛頭なかった。
「おれは、大事なものを捨てるつもりはない。だけど、だからって他のすべてがどうでもいいとも思わない」
当たり前の話だった。
アケルには親しくなった人もいる。
受け入れてくれた場所がある。
いいや。たとえ関わりのない人たちだって、自分たちのために犠牲になっていいなんて思えるはずがない。
かつて『そのほか大勢』のひとりとして、呆気なく無残に死にかけた人間が、そんなことできるわけがないだろう。
「他のものを犠牲にしようだなんて、そこまでおれは傲慢にはなれない」
「……だったら、どうすると言うのだ」
「決まってる」
呻くような声で為された問い掛けに、おれは答えた。
「仲間たちは殺させないし、世界の破局も回避する。どちらも失わずに済む方法を探すんだ」
妥協してどちらかしか選ばないのであれば、わざわざ勇気を振り絞る必要なんてない。
どちらも失わない最も困難な道を選ぶからこそ、それを口にするのに勇気が必要だったのだ。
とはいえ、そうした返答は、捉え方によっては不遜にも感じられたのかもしれない。
あるいは、宣戦布告とも。
「……舐めた返答を」
向けられる重圧が、いっそう強いものになった。
「わたしは、どちらか選べと言ったはずだぞ」
鋭い眼光は、もはやそれ自体が物理的な圧さえ感じさせる。
気が弱い人間なら卒倒しかねない形相だろう。だが……。
「知ったことか」
押し付けるような言葉を、おれは正面から切り捨てた。
そうするだけの理由があった。
そもそも、これは二者択一の設問などではないのだ。
なぜなら、この世界がなくなれば、おれたちだって生きていけないからだ。
ハリスンの問い掛けは実際のところ『リリィたちを死なせてしまうか、リリィたちと一緒に死ぬのかどちらかを選べ』ということに他ならない。
どちらにしても大切な存在を失うことには変わりない。
そんなのごめんだった。
リリィたちと一緒に生きていくためには、どちらを選んでもいけないのだ。
両方をどうにかしなければならない。
たとえそれが、どれだけ困難なことだとしても。
「……はっ」
ハリスンが乾いた笑い声をあげた。
「自分は傲慢ではないだと。笑わせてくれるな。なにを言っているのかわかっているのか。それは、英雄の行いだぞ」
「それがどうした」
正面から言葉をぶつけ合う。
一歩も退かない。
「みんなで生きていくために必要なら、なんだってする。これまでだってそうだし、これからもそうだ」
大言壮語は承知の上だ。
それでも、ここは言い切らなければならない場面だった。
それに、おれはひとりではなかった。
「実際、可能性はありますよね」
加藤さんが口を開いた。
彼女はいつも、おれの至らないところをフォローしてくれる。
他のみんなだってそうだ。
だからおれは、勇気を出してどちらも諦めない道を取ろうと思えたのだ。
「先程の理屈が正しいのであれば『世界観』に反したエルフは排除されていなければおかしいはずです。ですが、エルフはいまも生きています。この世界に根を張って、当たり前のものとして受け入れられています。これはどうしてですか? ひょっとして、先程、なにか話していないことがあるんじゃないですか?」
「……」
ハリスンは答えなかった。
なにを言っても見透かされそうな気持ちになっているのかもしれない。
とはいえ、黙っていたところで追求を逃れられるわけでもなかった。
「答えないならかまいません。実のところ、見当は付いていますから。恐らくは、すでにエルフたちは『世界観』に組み込まれているんでしょう?」
「お前……」
「そうでなければ、理屈に合いませんもの。つまり、初代勇者が設定した『世界観』は変更できるんです。もちろん、簡単に変更できるならもっと現在に合ったかたちにしているはずですから、非常に困難ではあるんでしょう。けれど、決して不可能ではない」
加藤さんは「あるいは」と微笑んだ。
感情のこもらない綺麗な笑みだった。
「そうでないのなら、単に先程までの話が全部嘘だったということです。だとすれば、聖堂騎士団の団長というのは、創作のセンスまであることになりますね。ああ、良いことを思い付きました。わたしたちだけで楽しむのもなんですし、いっそのこと、このお話を世界中に広めてみるというのはどうでしょうか」
「やめろ」
ハリスンが苦り切った声を出した。
そんなことをすれば、それこそ人々の『世界観』は滅茶苦茶になってしまうだろう。
これを、ハリスンは絶対に看過できない。
「お前の言う通りだ。エルフたちの存在は、すでに『世界観』に書き込まれている」
加藤さんの言い分を認めた。
「大破局のさなかのことだ。エルフたちが『世界の礎石』に接触したのだ。このとき『世界の礎石』を介して『世界観』を書き換えたものと考えられている。もっとも、当時はなにをしたのかわからなかったということだが」
「わからなかった?」
「『世界の礎石』から最低限の情報が得られるようになったのは、大破局のずいぶんあとのことだ。未曾有の大災害たる大破局の真実を調べていくうちに、原因がエルフたちだったとわかり、二度と同じことが起きないように、当時の聖堂教会は彼らを滅ぼすべく秘密裏に動いた。それが、過去にあった帝国と同盟諸国との戦争だ。帝国はエルフを庇護する辺境の同盟諸国と戦い――結果、再び世界の不安定化を招いた」
「そのときには、すでにエルフたちが『世界観』に組み込まれていたからですね」
「そうだ。そこで初めて全容を把握した教会は、戦争を中止した」
「結果、エルフたちは今日に至るまで生き続けている、と……」
加藤さんが目配せをしてきた。
おれは頷きを返した。
これは収穫だった。
大切な人たちと、この世界。
両方とも取る道はあるのだ。
キーとなるのは『世界の礎石』。
聖堂教会の保管する魔法道具だ。
「『世界観』を書き換えるつもりか」
その問い掛けに、おれは再びハリスンへ向き直った。
「全部取り逃さずに済む可能性があるんだ。諦めるわけにはいかない」
「……そうか」
ハリスンは先程までとは違って、責めるようなことを言わなかった。
世界の抱える事情を明かし、状況の困難さを突き付けて、覚悟のほどを問い詰めた。
この会話は徹頭徹尾、おれを諦めさせるための『攻撃』だった。
逆に言えば、それでも揺るがないとわかった以上、攻撃を続けても意味はない。
ただ、ハリスンは少しだけ眩しそうにおれを見た。
「なにも失わないために戦うか。英雄の器ではなく、英雄になるつもりもなく、しかし、大事なもののためになら英雄にでも成り果てる。やはりお前は……」
零れた言葉に、どのような感傷が込められていたのかはわからない。
ただ、この鋼の男が垣間見せたものなのだ。
その感情は大きなものだったのだろうということは推察できた。
……無論、それがなんだとしても、男の信念が揺らぐことはなかった。
「ならば、お前はわたしの敵だ」
懐から拳大の宝玉を掴み出しつつ、ハリスンは言った。
鋼の意思がそこにはあった。
「以前にどうにかなったからと言って、今回もそうだとは限らない。世界の根幹に触れる以上、致命的な不具合が起こる可能性はありうる。すべてを失う可能性が欠片でもある以上、わたしはその危険を排除せねばならない」
なにも失わない可能性があるから諦めないのか。
すべてを失う可能性があるからやめさせるのか。
立場が違えば、優先すべき選択肢は変わってくる。
ハリスン=アディントンは、世界の安寧を守る者だ。
なにがあっても眷属たちを守るとおれが決めているのと同じように、彼は世界を守ると誓っている。
問題を解決するもっとも確実な手段が『真島孝弘とその眷属の抹殺』である以上、ハリスンがやるべきことは決まっている。
感情に流されることはない。
彼は冷静だった。
「だが、いまは……これ以上は無理だな」
敵意はなにひとつ衰えることのないまま、ハリスンが言った。
「ここは、退こう」
話をしている間に、準備を整えていたのだろう。
ハリスンが手にした拳大の宝玉『世界の礎石』に働きかけた。
「いまひとたび、ほどけよ」
なにがあっても大丈夫なようにおれはかまえていたが、それは攻撃ではなかった。
「これは……」
この感覚には覚えがあった。
以前に、霧の異界が解除されたときと同じだ。
目に映るすべてのものの輪郭がほどけていく。
足下の地面の感覚さえ曖昧になってしまえば、まともに動くことはできない。
おれは一瞬だけ武器を意識したが、結局、加藤さんの体を抱き締めて離れないようにするにとどめた。
曖昧になっていく世界のなか、明確な輪郭を保てているのは人間だけだ。
対峙する傷だらけの男は、あくまで敵としておれを見据えていて――
***
――気付けば、おれは荒野に佇んでいた。
腕のなかには呆気に取られた顔の加藤さん。
振り返れば、サルビアが肩をすくめてきた。
どうやら異界の外に弾き出されたらしい。
言い換えれば、囚われていた世界から解放されたということでもあった。
「……脱出できたか」
パスの感覚をたぐってみると、距離こそあるがみんな異界から脱出しているようだった。
あまりに唐突な状況の変化に戸惑いが感じられるが、すぐにこちらに気付いたのだろう。
移動を始める。
先程までのように通路で隔たれているのでもなければ、合流は容易い。
そう時間をかけることなく合流することはできるだろう。
袖を引かれて視線を落とせば、腕のなかで加藤さんが微笑みを浮かべていた。
「わたしたちの勝ちですね、先輩」
「……だな」
勝利と言っていいだろう。
突然の転移と執拗な襲撃は、すべて撥ね除けた。
自由を奪われていた幹彦は解放され、攫われていた加藤さんはこうして取り戻すことができた。
なにも失われたものはなく、一方で必要な情報を得た。
……あるいは、伝えられたというべきか。
あのままであっても、おれたちは世界の真実に自力で辿り着く可能性があった。
だが、それは中途半端なものになる可能性もあった。
最悪なケースは、生半可な知識で世界の仕組みに触れてしまうことだ。
それこそ、なにが起こるかわからない。
だからこそ、ハリスンは語ったのだろう。
あれはおれたちに諦めさせようとする攻撃であったとともに、正しい知識を伝えるための時間でもあったのだ。
徹頭徹尾、世界が危機に至る可能性を低くするためだけに。
「先輩……」
身を寄せてきている加藤さんが、心配そうに呼び掛けてくるのを、おれは軽く抱き締めた。
「大丈夫だ」
思うところはあるにせよ、為すべきことは変わらない。
なんにしても、おれたちは知ることができたのだ。
あとは、これからどう動くかだ。
「まずは合流だな」
リリィたちと落ち合って、全員の身の安全を確保する。
帝都から団長さんを連れて脱出しているだろうシランとも、合流しなければならない。
全員が集まったうえで、今後のことを相談しよう。
世界の真実なんていかにも重いが、みんなと一緒なら、きっとなんだってできるはずだから。
「行こうか」
「はい、先輩」
おれは加藤さんの手を引いて歩き出した。
◆もう一回更新します。章エピローグです。






