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60. 世界の真実

(注意)本日3回目の投稿です。(11/10)














   60



「お前たちは、妙に思ったことはないか」


 血に汚れた口を開いて、ハリスンは問い掛けてきた。


「どうして自分たち転移者が、特別な力を獲得できるのかと」


 おれは腕のなかの加藤さんと視線を見合わせた。


 もちろん、疑問に思ったことはあった。


 こんな不思議な力を手に入れたというのに、なにも考えないほうがおかしい。

 それこそ異世界に転移してきた直後、なにも知らなかった頃は、よく話をしたものだった。


 もっとも、その疑問にはすでに答えが与えられている。


「……それが、この世界の法則だからじゃないのか」

「初代勇者が残した『ここは願いが叶う世界なのだ』という言葉ですね」


 加藤さんとふたりで答える。


 ――ここは願いが叶う世界なのだ。


 初代勇者が残したというその言葉が、そのままこの世界の法則を示している。


 この世界では、やってきた転移者の願いが能力として実現されるのだ。


「法則である以上、そこに疑問を差し挟む余地はないはずですが……」


 加藤さんはそう答えたし、おれも同じように考えていた。


「違うな」


 しかし、ハリスンはこれを否定した。


 おれは思わず眉を寄せる。


「初代勇者の言葉が間違っていたっていうのか」

「いいや、そうではない。初代勇者様は、この世界の真理に辿り着いていらっしゃった。そのお言葉に間違いはない。ただ、お前たちは勘違いをしている」

「勘違い……?」


 つまりは、解釈の問題ということだろうか。


 引き込まれるように尋ねたおれに、ハリスンは問い掛けてきた。


「どうして転移者だけが例外なのだ?」

「……なに?」

「それが法則である以上、そこに疑問を差し挟む余地はない。確かにそうだ。しかし、真にそれが世界の法則であるのなら、万人に適用されるべきではないのか。転移者だけを対象とした法則とはなんだ。そんなものがありえるのか」

「それは……」


 確かに、言われてみれば不自然ではある……だろうか?


 それに、初代勇者はあくまで『ここは願いが叶う世界なのだ』と言っただけで『転移者の願いが叶う世界だ』とは言っていない。


 とはいえ、実際に転移者が願いを元に能力を発現しているのは事実だ。


 対して、この世界の住人たちが能力を発現する例は知られていない。

 例外は、転移者の血を引く恩寵の血族くらいのものだ。


 不自然だろうがなんだろうが、事実は事実だと思うのだが……。


 しかし、同じことを聞かされた加藤さんは、おれとはまた別の考えを持ったようだった。


「……まさか」


 彼女は小さく息を呑んだ。


 ただ虚を突かれたというだけではない。

 ずっと探していたなにかに気付いたような、ひどく驚いた仕草だった。


 その反応を見て、おれもひとつ思い出した。


 そういえば、加藤さんも転移者の能力については、疑問を抱いていたのだった。


 工藤が拾った、あのメモ帳に書かれていたことだ。


≪そもそも、わたしたちのこの力にしたところで、まだわからないことは多いのだ≫


≪この世界では、強い願いが叶う≫

≪世界がそういうものだというのなら、そこに疑問を挟む余地はない≫


≪ただ、法則に疑問はなくとも、目の前の現実には違和感がある≫

≪一言でいえば、この世界の現実は、法則に沿っていないように思えるのだ≫


≪多分だけれど、これには意味がある≫

≪この世界は、そもそも、なにかおかしい気がする≫


 そして、それを読んだ工藤はこう言っていた。


 ――それが法則というのなら、どうして転移者だけが特別なのかとは思いましたね。


 あのときは時間もなかったのであまり考察はできなかったのだが、ここでハリスンもまたその点について言及した。


 加藤さんにとっては、これこそが足りていなかった思考のピースだったのかもしれなかった。


「どうして例外なのか……? でも、事実として転移者は望みを能力に……転移者だけではない? だとすると、いえ、まさか、そんなことが……?」


 なにか仮説に辿り着いたのか、目を見開く。


「じゃあ、それは『なにを』……?」

「加藤さん?」


 つぶやく加藤さんに声をかけると、彼女はこちらを見上げた。


 その双眸には、これまで常識としてきたものを覆されようとすることへの動揺が、ありありと現れていて――


「――真島先輩。もしかして、この世界の『望みを叶える』という法則は、実のところ『誰もが平等に適用される』ものなのではないでしょうか」

「……」


 一瞬、彼女がなにを言っているのか理解できない。

 それくらいに、彼女の言葉は突飛だった。


「誰もが……というのは『この世界の住人も』ってことか」


 実のところ、転移者には不思議な力などない。

 チートもなにもありはしない。


 誰もが平等。法則のままに振る舞っているだけ。


 それなら、確かにハリスンの指摘は通る。


 通るが……。


「だが、加藤さん。それはありえないだろう。実際、能力を発現するのは転移者だけなんだから」


 いまの話では、現実から外れてしまう。

 加藤さんも否定しなかった。


「そうですね。わたしにも、そのように見えます。……見えました」


 ただし、こうも続けたのだ。


「ですが『望みによって発現する能力』は『競合』します。同時にふたつの能力を発現する場合、競合する能力は発現しないのです。わたしがそうでした」

「望みを発現できないのではなくて、すでに発現している……? この世界の住人たちも、そうだっていうのか」

「そういう可能性があるという話です」


 加藤さんは頷いた。


「もちろん、誰もがそこまでの強い望みを持ちえるとは思えません。ですが、わたしたちは『確たる望みなしに能力が発現する例』を知っています」


 これはすぐにピンときた。


「ウォーリアのことか」

「そうです。彼らは『転移なんてものをした自分たちはすごい力があるに違いない』という『無意識の認識』によって能力を発現していました。だとすれば……」

「……この世界の人間も同じように、なんらかの『無意識の認識』で能力を発現してしまっている?」


 ありえない……話ではないのか。


 少なくとも、ハリスンはその可能性を示唆した。

 おれたちがこの推論に辿り着いたあとでも否定する様子はない。


 むしろ『転移者だけ』が『願いを叶えることのできる世界』のほうが不自然と言える。

 初代勇者だって、そんなことは言っていなかった。


 そして、そうして可能性を認めたところで、おれもまた、加藤さんと同じ疑問に辿り着いた。


「だが、だとすれば……無意識に『なにを』発現させているんだ?」


 その仮定が正しいのだとすれば、この世界の人々はなにか能力を発現――無意識の認識を現実のものとしていることになる。


 だが、そんなものは思い付かない。


 少なくとも、見た覚えはない。


 だったら、本当に見たことがないのか。

 あるいは……『当たり前過ぎてそれが能力の結果だとわからない』のか。


「……ねえ、旦那様」


 背後で静かにしていたサルビアが呼び掛けてきた。


 彼女はこうした場面では一歩退いていることが多いので少し意外に思ったが、あとから考えてみれば、ここで彼女が口を開くのは必然とも言えた。


 これは、彼女こそが最初に気付けることだったからだ。


「わたしの『霧の異界』は『望みを叶える世界』よね。そして、『世界の礎石』で作られたこの異界は、モンスターを生成するときに『帝都の住人の無意識の認識』を反映しているわ」


 おれとサルビアはこの世界の制御権に介入していた。


 その性質についてもある程度は把握できている。


 だから、気付くことができた。


「この世界は『望みを叶える世界』だわ。この共通点って、偶然なのかしら?」

「それは……」

「わたしだって、突飛な考えだとは思うのよ。でもね、ふと疑問に思ってしまったのよ」


 緊張に掠れた声で言う。


「ねえ、旦那様。そもそも異界ってなんなのかしら」


 それは、奇妙な問い掛けにも思えた。


 異界を生み出す魔法こそが『霧の仮宿』たるサルビアなのだから。


 もっとも、人間だって人間のことを完全に理解できているかどうかはわからない。


 自分のことなんて、そうそう理解できるものではないのかもしれなかった。


「ひょっとすると、この世界と異界というのは『規模が違うだけで同じもの』だということはないかしら。少なくとも、共通点はひとつあるわけでしょう。それに……考えてもみれば、わたしとは別の異界を作る『世界の礎石』を、聖堂教会はいったいどうして集めていたの? あれは、本当に『異界を作るだけ』のものなのかしら。もしかすると……」

「正解だ」


 何者よりも重々しい声が、彼女の疑問を肯定した。


 沈黙していたハリスンが、口を開いたのだった。


「とはいえ、ここまでの手掛かりを得たのだ。わたしの言葉がなくても、お前たちはいずれ真実に辿り着いただろう。だから話した」


 実際、加藤さんが疑問に思っていた点について、ハリスンと同じように工藤が意見を述べていたわけだから、遅かれ早かれではあっただろう。


「だったら、やっぱり……」

「そうだ」


 喉の渇きを覚えながらおれが促すと、騎士のなかの騎士たる男は、守るべき世界の真の姿をここに明かした。


「この世界は、この世界に生きるほぼすべての人間の認識によって成り立っている。『この世界があるのは当たり前だ』という大前提たる無意識の認識を、現実にすることでな。それを維持管理しているのが『世界の礎石』――初代勇者様によって創られた『この世界を創生する魔法道具』だ」


   ***


 ハリスンの言葉に、おれはしばし絶句していた。


 そこに存在するから認識されるのではなく、認識されるからこそ存在する世界。


 それこそが、この世界の成り立ちだというのだ。


 いっそ淡々としたハリスンの口調は、ただ事実を伝えているだけのものだ。


 だけど、聞かされたおれは寒々しいものを感じてしまっていた。


「……先輩」


 腕のなかの加藤さんが、おれの胸元を握る力を強くした。


 感じているものは同じだろう。

 目に映るもの、肌に感じるものすべてが、ある瞬間に消えてなくなってしまいそうな薄ら寒い感覚。


 そこにあると認識されることで初めて存在するということは、『本来的にはなにも存在しない』ということだ。


 目の前の男にとっては、ずっと世界はそういうものだったのだろう。


 おれたちの頭に十分に理解が染み渡ったことを見て取ったのだろう、ハリスンは改めて口を開いた。


「この世界は不安定だ。なにせ、世界を具現化させているのは人々の無意識なのだからな。当然、その影響を受けてしまう。世情が不安定になるだけでも、モンスターの動きが活発化し、樹海の浸食は早まる」

「モンスターに、樹海……? 関係があるのか?」

「この世界は人々の認識によるものだと言っただろう。そもそも、樹海とモンスターというのは、人々の不安や恐怖が具現化したものなのだ。最近では、モンスターの活動が活発なものになっていてな。なにも知らない部下たちは、世情の不安にモンスターの活動の活発化が重なった不運を嘆いていたが、それらは根が同じものだ」


 モンスターと樹海が、人々の不安や恐怖の具現化。


 おれが思い出したのは、チリア砦を放棄したときに見た光景だった。


 この世界では、樹海で放棄された集落や砦はあっという間に木々に呑み込まれてしまう。

 シランたちの故郷の開拓村も例外ではなく、放棄せざるをえなくなった。


 実際におれが見たのはチリア砦を出たときだが、まるで樹海が生きているかのように、恐るべき勢いで浸食が進んでいたことを覚えている。


 魔法のあるこの世界なのだから、そういう現象があっても良いものかとあまり気にしていなかったのだが、あれは恐らく、砦を放棄するにあたって、駐留していた兵士たちの『ここは人間の領域だ』という意識が失われたことが反映されていたのだろう。


 それに、もうひとつ。

 人々の意識がモンスターを生み出したというなら、前々から少し不思議に思っていたことにも説明が付けられる。


 どうしてリリィたちモンスターが、人のような心を持ち得たのかということだ。


 ローズのような非生物系、サルビアのような非実在系をはじめ、モンスターたちは、おれたちと同じ系統樹にあるようにさえ思えない。

 しかし、人の意識からモンスターが生まれたというのなら、そのなかにリリィたちのような心の芽を持つ存在が生まれることは、むしろ自然な成り行きにも思えたのだ。


「転移者が能力を発現しうるのは、外の人間である彼らがこの世界の成立に関与していないためだ。これは、その子孫である我ら恩寵の血族も同じだ」

「だからお前たちも能力を発現させられるってことか」

「その通りだ。結局のところ、我ら恩寵の血族はこの世界を構成する一員ではないのだ」


 この世界を構成する一員ではない。


 それは、先祖が異邦人であることを忘れないよう自身を戒める言葉ではない。

 本当にそのままの意味の言葉なのだ。


 ゴードンさんの口からも聞いたことがあるように思うので、恐らく、世界の真実を知る極一握りの人間が、せめて聖堂騎士団の意識に忍ばせた言葉なのだろう。


 そして、その事実こそがハリスンの決意を固くしたもののひとつでもあったのだ。


「ある意味では、この世界に生まれ落ちながら、我らは最低限の義務を果たせていない。である以上、せめてこの世界を守るくらいはしなければならないだろう。この世界はあまりに脆く、揺らぎやすい。ゆえに、我々はこの世界をずっと守ってきたのだ」

「……だったら、お前がおれたちを殺そうとしたのは『おれとマクローリン辺境伯との確執が世情を不安定にするから』か?」


 世界の真実を知ったうえで、ようやく話が最初の疑問に戻ってきた。


 ハリスンが不自然なまでに、おれを殺そうとしてきた理由。


 実際、現在の世界情勢はこれまでにないほどに不安定になっている。


 その原因が自分の存在にあるのは否定できることではなく――


「違う」


 ――しかし、ハリスンはこれを否定した。


「もしもそこが問題なのであれば、我々は全力で仲裁をするだけでよかっただろう。その程度の労を厭いはしないし、強引な手を使ってでもどうにかした」


 その口調に嘘はなかった。


 実際、世界を安定させるという彼らの目的にしてみれば、そちらのほうがリスクは少なかっただろう。


「だったら、どうして?」


 ますますわからない。


 おれが疑問をぶつけると、ハリスンは表情を硬くした。


「……お前と、その眷属の存在が、許されないものだったからだ」


 なにも知らずに聞けば、単純に『邪悪なモンスター使いは存在することを許されない』程度の意見とも思えたかもしれない。


 だが、この男がそんな軸では動かないことは、もう知っていた。

 それに、なによりハリスンの返答には、ほんのわずかなものではあるものの、苦いものが混じっていた。


 その感情は、悔恨に近いもののように感じられた。


 ひょっとすると、彼はこちらに罪悪感を覚えているのかもしれない。

 淡々とした語り口は、むしろ意識的なものなのかもしれなかった。


 そして、もしもそうした印象が正しいのだとすれば……むしろ恐ろしい。


 こちらにとっては理不尽なことをしている自覚はあるし、まっとうな倫理観だって持ち合わせている。

 それでもやるということは、為さねばならない理由があるということだからだ。


 とはいえ、ここまで来て怖気付くなんてありえない。


「許されないというのは、どうしてだ?」


 ハリスンもまた、ここで口を噤んだりはしなかった。


「『大破局』」


 口にされた短い単語は、不吉な響きを持って耳朶を震わせた。


「勇者様の伝説には語られていないため、お前たちは知らないかもしれないが、知る者のなかで大破局と呼ばれる出来事があった。聖堂教会が成立して以来、最悪の出来事だったと伝えられている。当時の人間社会の実に七割が失われ、同盟騎士団は壊滅、ふたりいた勇者様は死亡し、恩寵の血族も多くが失われた。記録に残すことさえ禁じられた災害だった。まかり間違えば、人間社会が滅びていただろう」


 大破局。

 聞いたことのない出来事だ。


 と、思ったところで、なにか引っ掛かるものがあった。

 なんだっただろうかと思い、記憶を遡って、思い当たる。


 確かあれは、アケルで書庫に日参していたリリィと交わした会話だったか。


 ――アケルの歴史書には、エルフの記述はそこそこ出てきたの。ただ、どの文献を当たっても、800年くらい前までしか記述がないんだよね。というか、そもそも、それ以前の出来事に触れられてる文献が少ないんだけど。どうもそのあたりで情報の断絶があるみたいでさ。


 ――なんでも、世界的な大災害があったみたい。モンスターの大発生と天変地異が重なったとかなんとか。


 ――勇者の伝説では触れられてないんだよね。勇者の絶対性に傷が付くって判断なのかも。ただ、影響は確かにあって、そのあたりより前の伝承が、かなり曖昧な感じなんだよね。


「八百年前の情報の断絶……モンスターの大発生と天変地異が重なったという話は、まさか」

「……知っていたのか?」


 ハリスンは少し驚いた様子を見せた。


「ああ、それだ。情報の断絶はまだしも、具体的な出来事について知っているとは思わなかったが……いや、だが、そうか。お前はアケルに身を寄せていたのだったな。中央の手の及ばないアケルなら、抹消された記録の断片が残っていてもおかしくはないか」

「仲間のひとりが熱心に調べてくれた。もともとは、エルフの過去の記録を調べていたみたいだが」

「……エルフか」


 そこで、ハリスンは苦い表情を浮かべた。


「エルフがどうかしたのか」


 意外な反応だった。


 ハリスンはエルフ差別のようなことはしないものと思っていたからだ。


「エルフになにか思うところでもあるのか」

「まさか。いまを生きるエルフたちにはない」


 実際、差別はないようだった。


 だったら、さっきの反応はなんだったのか。


 ……いや。

 待て。『いまを生きるエルフたちには』?


「そのエルフが、大破局の一因だ」

「……は?」


 思わぬ言葉におれは声をあげたが、ハリスンはあくまで真面目な態度を崩さなかった。


「大破局は、エルフという種族が引き起こしたのだ。とはいえ、彼らが積極的になにかをしたわけではないが」

「なにを言ってる。どういうことだ」

「エルフはモンスターだ」

「……」


 今度こそ、おれは言葉を失った。


「正確に言えば、大破局の百年ほど前、とある転移者が出奔した先で従えたモンスターが、いまで言うエルフと精霊だ」


 こちらの反応に頓着することなく、ハリスンは話を進める。


 軽く混乱さえしながらも、どうにかおれは口を開いた。


「……おれと似た存在が、過去に存在したってことか?」


 そして、エルフと精霊は、彼に従った眷属だったと。


 突飛な話だった。


 とはいえ、否定するだけの根拠もなかった。


 エルフの存在は、この世界で異質だ。


 ヒトではない唯一の種族。

 長い耳など人間にはない特徴を持ち、殺されさえしなければ永い時を生きる。


 そして、八百年以上前には、まったく資料がなかった事実。


 あれが大破局だけのせいではなく、そもそも、それ以前にはエルフなんて種族が存在しなかったのだとしても、矛盾は生じない。


「当時の聖堂教会にはモンスターを眷属とする存在の知識はなく、勇者と最初のエルフも自身の出自には口を噤んでいた。勇者の関与がわかったのは、のちのち隠されていた記録が見付かったあとのことだ。ゆえに当時は彼らが何者であるのかわからず、これまで交流すらなかった他種族と見なされた。いくつかのトラブルは起きたものの、彼らエルフは辺境で地盤を得て、百年ほどかけて数を増やしていった」

「……」


 ハリスンの語る話は、おれに大きな衝撃を与えていた。


 それは、決して悪い意味ばかりではなかった。


 なにせ自分たちの前にも、眷属とともにこの世界で居場所を作り上げた人間がいたというのだ。


 もちろん、ハリスンの口ぶりではいまとは状況が大きく違ったようだし、さほど人と容姿の変わらないエルフであればこそ受け入れられた部分もあるのだろう。

 だが、それでも彼らが成し遂げたという事実は変わらない。


 それは希望だった。


 しかし、ハリスンの話は違った。


「エルフは人間社会に溶け込んでいった。その結果、世界は破局に導かれた」

「……わけがわからない。どうしてそうなる」


 おれは呻き声をあげた。


「エルフがモンスターだって主張は認めるにしても、それと大破局が繋がらない。というより、そんな天変地異みたいなことを、たかだか一種族が起こせるのか」

「普通であれば起こせはしない。それに、先程も言ったが、彼らが積極的に破局を起こすべく行動したわけではない」


 ハリスンはおれの言い分を認めたが、すぐに首を横に振った。


「彼らは世界を破滅させようとしたわけではない。ただ、彼らが存在することそれ自体が『世界の在り方』に反していたのだ」


 ある意味、これまでで一番わけのわからない話だった。


 ただ、適当なことを言っているわけではないのは、ハリスンの顔を見ればわかった。


 厳粛なまでに引き締まった表情は、凍えて見えた。

 これまで明かされてきた話は、前提に過ぎないのだと無言のうちに語っていた。


「この世界には『正しい在り方』が定められている」


 ハリスンは言う。


「それこそが、この脆い世界を存続させるために、初代勇者様が講じられた世界を安定させる方法だ」


   ***


「先程から話しているように、認識に拠って立つこの世界は、元来非常に脆い。そこで初代勇者様は『異世界より現れる勇者が人々を救う』という『世界観』を、世界の在り方として『世界の礎石』に定義した」


 凍えたような表情は変わらないまま、ハリスンは語った。


「『世界観』というのは『共通した認識』と考えればいい。この世界が無数の人間の認識によって成り立っている以上、認識がバラバラであっては都合が悪い。同じ『世界観』を共有することで、世界をひとつのものとして機能させたわけだ」


 要するに、世界を捉えるテンプレートのようなものを、初代勇者は用意したということだろうか。


 みんなが同じものを世界として認識することで、認識はより強固になる。


 この世界は勇者の存在なしでは――少なくとも昔は――成り立たないほど、モンスターに対して劣勢だったわけだから、その認識は現実に即したものでもある。


 勇者によって救われると思っていれば、民衆にも希望が生まれる。

 それが、人々の不安の現れであるモンスターの活動を抑制する。


 すべてがうまく噛み合っていて、なるほど、よくできた仕組みではあるのかもしれなかった。


「初代勇者様の対策により、世界は安定なものになった。その『世界観』に世界が当てはまっている限り、かなりの混乱があっても世界が致命的な揺らぎを起こすことはない」


 今回のマクローリン辺境伯との対立でも、世界的な不安が高まっているにもかかわらず、起きた現象は『モンスターの活動の活発化』に留まっている。

 もちろん、このままずっと状況が変わらないか、悪化してしまえば、もっと悪い現象に繋がるのかもしれないが、これだけ世界が混乱していても即崩壊のようなことにはなっていない。


 世界は揺れ動きはするものの、それなりに安定している。


 それが初代勇者が『世界の礎石』に遺したシステムということらしかった。


「聖堂教会は、現実の世界をその『世界観』に合わせるために活動している。無論、聖堂騎士団も一役買っている。ただし、『世界観』に沿う必要がある以上、その役割は固定されている。『世界観』に反するような真似はできない」

「それが、この世界が勇者を最重要視し続けている理由か?」

「そうだ。勇者の役割は転移者にしか担えない。そういうふうになっている」


 ハリスンは頷いた。


 先程も話した通り、ハリスンの力は並の転移者のものを越えている。

 しかし、それでいながら聖堂教会は勇者に頼り続けている。


 そうしなければならなかったからだ。


 この世界の人間が並の転移者では対抗できないほどの力を得たとしても、人々の希望を背負って立つ勇者にはなれない。


 むしろいまの話では、そんなことをすれば世界を不安定化させてしまうのだろう。


「どれだけ志を高く持とうと、どれだけ努力をしようと、資格がなければ為せないことがある。この世界の人間では、転移者の代わりにはなれない。これが、この世界の仕組みなのだ」


 そう語った一瞬だけ、鋼鉄の剣を思わせた男の表情に痛みが過ぎった。


 あれだけの怪我を負っていながら、その事実のほうがよほど痛いみたいに。


 しかし、すぐに郷愁めいたものを振り払って、ハリスンは続けた。


「エルフの存在は、当時の『世界の礎石』の『世界観』には記載がなかった。エルフという存在の正しい捉え方は存在しなかった。エルフと接する機会のある地域では、ある者は好意的に受け入れ、ある者は嫌って拒絶した。エルフがまだ版図を広げていない地域では、ある者は実在を疑い、ある者はそもそも存在さえ知らなかった。『世界とはどのようなものであるのか』という共通認識の一部に、ほころびが生じたのだ」


 長い間、聖堂教会が一定に保っていた人々の常識に、差異が生じてしまったということだろう。


 教会の教えにはない存在なのだから、どのように解釈していいかすらわからない。

 解釈は拡散し、共通の認識はほころびる。


 そして、エルフという存在が広く知られるにつれて、次の深刻な問題が生じる。


「エルフを知る者が少ないときは、それもまだほころびで済んだ。しかし、エルフの存在を知る者が多くなるにつれ、事態は致命的なものに変わっていった。『異世界より現れる勇者が人々を救う』という『世界観』にエルフは存在しない。受け入れるにせよ拒絶するにせよ、『この世界にはエルフが存在するのが当たり前だ』と、世の人々の大多数が認識してしまった時点で『世界観』との齟齬は致命的なものになってしまったのだ。結果、世界の安定は大いに崩れた」

「……それが、大破局?」

「そうだ。そして、いま一度、世界は危機に直面しようとしている」


 言葉を切ると、ハリスンはこちらの目を見詰めてきた。


「問おう、真島孝弘。自分の大事な存在か、この世界か、お前はどちらを選ぶ?」


◆本日の更新はここまでになります。

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