59. 勇者の残した日記帳
(注意)本日2回目の投稿です。(11/10)
59
世界の真実を語る前に、ひとつ昔語りをしよう。
それは、男にとって遠い記憶。
すべての道を決めた日の出来事。
「……なんだこれ」
あどけない声をあげたのは、ヘイゼルの瞳の少年だった。
手には、古ぼけた本。
彼が家の書斎の片隅で見付けたものだった。
まだ齢十歳にも届かない彼は、帝国貴族の家に生まれた。
家はこの世界を救った勇者を祖先に持つ恩寵の一族。
なかでも、代々聖堂騎士を輩出し続けている名門だった。
――我々は本来、この世界を構成する一員ではない。
――ゆえに、自身を生かしてくれているこの世界を守る義務がある。
――忘れるな。騎士として誇り高くあれ。
父親は少年に言い聞かせ、少年もよく応えた。
自分が背負うことになる役割の価値を、少年はよく理解していた。
また、その道を行くことに不満もなかった。
父と同じように立派な騎士になり、勇者を支えて世界を守る。
そう思っていた。
その日までは。
「これは、日記……?」
それは少年の家の祖である転移者の少女が付けていた日記帳だった。
どうして、それがここにあったのかわからない。
勇者ゆかりの品となれば、たとえただの日記帳であろうと丁寧な扱いをされるのが当然だった。
しかし、彼女が異世界に現れたのはもう何百年も前のことだ。
恐らくは長い年月の間に、なにかの拍子に書斎のどこかに紛れてしまったのだろう。
日記帳には、少女が転移してしばらくして文字を覚えたときから、勇者としての活動を始めた頃までのことが書かれていた。
少年にとっては、好奇心をくすぐられるのに十分な内容だった。
尊敬するご先祖様の日常を知ることができるとなれば、読まない選択肢はなかったのだ。
当然、少年は先祖の勇者の伝説を知っていた。
彼女は特殊な能力こそなかったものの、堅実に研鑽に励み、数々の成果をあげた女勇者として伝えられていた。
騎士たちと協力して人々を守り、いくつかの昏き森さえ討伐した英雄である。
勉強熱心な少年は、きちんと彼女のことを知っていた。
知っていたつもりだった。
だから、読み始めてすぐに、意外の念に打たれたのだ。
日記帳には、包み隠すことなく少女の心情が綴られていた。
――知らない場所に飛ばされた不安があった。
――受け入れてくれた人々に対する感謝があった。
――元の世界に戻れないことについての絶望があった。
――力を手に入れられたことに対する興奮があった。
――怪物と戦わなければいけないことに対する恐怖があった。
――世話になった人々のために戦いたいという勇気があった。
――どうしようもない自分の境遇に対する呪詛があった。
――人々との出会いに感じる幸せがあった。
綺麗なばかりではない。
かといって、汚いばかりでもない。
日記帳の向こうにいたのは、まさに人間だった。
剥き出しの少女の存在に、少年は圧倒された。
困難に苦しみながら必死に生きるひとりの少女の日々に目を奪われた。
気付けば、一気に最後まで読みふけっていた。
日記帳を閉じたときには、少年のなかで自分の祖先に対する認識はまったく変わっていた。
この世界ではまったく例外的なことに、神格化された勇者という存在が自分と同じ人間であることを、幼い少年は知ったのだった。
そして、騎士を目指す彼は、人並み以上に他人を思い遣る気持ちと責任感を備えていた。
だからこそ、その結論に達するのは必然とも言えたかもしれない。
子供心に少年は思ったのだ。
勇者として転移者を頼る自分たちは、間違っているのではないだろうかと。
***
転移者は、哀れな漂流者だ。
元の世界から切り離されて、悲しみと孤独を抱えている。
そんな彼らに、この世界の過酷な現実を背負わせていいものだろうか。
そんなのはおかしい。
可哀想じゃないか。
騎士たる者には、手にした剣を以て、すべてを救う義務がある。
それなのに自分たちは、この少女と同じ存在にいつまでも苦しみを負わせ続けるのか。
そんなことを、騎士になるべく生まれた己は許せるのか。
いいや。いいや。
この世界の問題は、この世界に生まれた自分たちで解決すべきだ。
誰もそうできないのであれば、自分こそがそれを成し遂げてやる。
自分こそが、勇者の代替になろう。
勇者の代わりに、この世界を守るのだ。
きっと、そのために自分はここにいる。
幼心にも決意は固く、幼心だからこそ純粋に。
その日、少年は日記帳の向こうの少女に誓った。
……ひょっとしたら、そのときに彼が抱いたものは、初恋にも近かったかもしれない。
***
少年にとって、誓いは神聖なものだった。
彼はこれまでにも増してひたむきに、力を求めた。
勇者をすら超える力を求めて、研鑽に研鑽を重ねた。
さいわいなことに、彼にはその資格があった。
あるいは、その胸に宿る決意こそが、資格となったのかもしれない。
恩寵の愛し子として、能力を発現したのだ。
とはいえ、その能力が他の恩寵の愛し子に比べて、特別優れていたわけではなかった。
残念ながら、彼の祖先は特殊な能力を持たなかった。
よって、少年にも固有能力は発現しなかった。
たとえば『輝く翼』や『聖眼』あるいは『見通す瞳』や『戦鬼』のような固有能力持ちの祖先に比べれば、決して条件は良いわけではなかったのだ。
けれど、少年はそんなことを意にも介さなかった。
彼は自分の祖たる勇者を知っていた。
異世界での日々を必死に生きたあの少女から受け継いだ自分の力が、まさか他に劣るなんてこと、認められるわけがなかったのだ。
その想いこそが、彼を強くした。
少年は青年になり、騎士として力を増していく。
淡い恋心は遠い日々の掠れた宝物に変わっても、あの日の誓いだけは色褪せずに胸に抱き続けた。
そして、ついにその日はやってきた。
彼が何人も及ばぬ実績を積み重ね、所属する騎士団のトップに立つ日が。
無論、彼にとっては、そこはゴールではなくスタート地点だ。
この時点ですでに、彼は平均的な勇者を越えるだけの力を得ていた。
これならばあの日の誓いを果たすことができると信じた。
ここからすべてを変えていく。
そのつもりだった。
「失礼いたします」
希望と理想を胸に、青年は自分を呼び出した大神官の部屋の扉をくぐった。
その先に待つものを、知るよしもなく。
◆さらに更新します。






