58. 騎士のなかの騎士
前話のあらすじ
加藤さんの長い片想いが成就する。
58
現実の世界に戻ってきて最初に感じたのは、ほっとするような柔らかさと温かさだった。
つい先程までいた心の世界でもそうしていたように、小柄な体を腕に抱いている。
怪物の姿はなくなっていた。
その代わりに、腕のなかに加藤さんがいた。
彼女は身じろぎをすると、こちらの胸に埋めていた顔を上げた。
ふわりと花のほころぶような微笑みが生まれた。
「先輩」
耳をくすぐる声色が心地よく、戻ってきてくれたのだと実感できた。
「さっきの……夢、じゃないですよね」
「ああ」
認めてやって、こちらからも尋ねる。
「それに、ほら。感じるだろう?」
その問い掛けの意味を理解して、加藤さんは本当に幸せそうに微笑んだ。
「これが、先輩のパスなんですね」
心の底から喜んでいることが伝わってくる。
比喩ではなく、本当に。
それを、これまでどれだけ望んできたのかも。
これまでの時間が、育んできた絆が、おれたちを繋げてくれていた。
微笑み合ったところで、声をかけられた。
「旦那様。加藤さんに戻ってきてもらえたのね」
「サマ!」
サルビアとアサリナだった。
なにやら倒れていた女性の手当てをしていたようだが、怪物の姿がなくなったことに気付いて、こちらにやってきたようだ。
ふたりとも、加藤さんが戻ってきてくれたことを喜んでいてくれていた。
「ご心配をおかけしました」
「いいえ。無事に戻ってこれたようでよかったわ。それに、ようやく想いも通じたみたいだし」
くすくすと笑う。
最後の部分は、おれと加藤さんの両方に向けた言葉だった。
おれは軽く頷いて、加藤さんは幸せそうに頬を染めた。
「……っと、あまりこうしてもいられないか」
幹彦たちを置いてきてしまっていた。
「戻らないと」
「そういえば、先輩、ここにはおひとりで?」
「幹彦が用意してた転移の魔石を使わせてもらった。あれはひとりでしか使えないからな。加藤さんの持ち物に仕込んでたらしいんだが」
「いつの間に……」
途中の道をすっ飛ばして、転移の魔法道具で加藤さんのいる場所に飛んできたために、元いた場所はわからない。
戻るのは本来なら困難だっただろう。
だが、さいわいなことに、幹彦と同じ場所にはあやめがいてくれているので、お互いの位置関係だけはわかった。
それさえわかれば、どうにかなる。
いまのおれは『霧の仮宿』によって、この異界に対する制御能力があるからだ。
位置関係さえわかれば、そこまで辿り着く道を探し出すことは、そう難しいことではない。
隔離されてしまったリリィたちとの合流も叶うだろう。
加藤さんとのパスに集中していたために、現在では制御の糸は切れてしまっているが、繋ぎ直せばまた使える。
かなり消耗してしまっているため、繋ぎ直すのには一苦労しそうだが、あとひと踏ん張りだ。
おれは霧の魔法を行使しようと魔力に集中して――そのときだった。
「これは……?」
唐突な悪寒。
緩んでいた気持ちが一瞬のうちに引き締まり、思考は戦闘態勢に移行する。
霧の魔法の認識能力が、危険を察知したのだ。
振り返ったのと、背後で瓦礫が音を立てて崩れたのが同時だった。
「……先輩!?」
おれは咄嗟に加藤さんを連れて飛び退っていた。
崩壊した祭壇の下から、何者かが姿を現す。
まだ終わっていないと、こちらに向けられた眼光が語っていた。
***
「……ハリスン。生きていたのか」
瓦礫の下から現れたのは、聖堂騎士団団長の姿だった。
堂々たる体躯はボロボロになっていた。
短く刈り上げた黒髪を、赤い血がべっとりと汚している。
左腕は潰れてしまったらしく、だらりと垂れ下がっていた。
彼は残った右の腕だけで、のしかかる瓦礫を押しのけた。
加藤さんが変じたあの怪物と交戦して、生き残っていたらしい。
こちらに戦意を向けてくる。
おれは唖然としたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「やめておけ。お前はもう、戦える状態じゃない」
探索隊とも正面からやり合えそうな怪物に攻撃を喰らい、死なずに済ませていることは驚異的だ。
しかし、怪我はあまりにも深かった。
地面を赤く汚す血液の量。
潰れてしまった片腕。
大きく拉げた鎧を見れば、その下の胴体がどうなっているのか想像もつく。
立ち上がっているだけでも命を危険に晒しかねない重傷だ。
あれでは、体はまともに動かない。
無理に動かしたところで大した力は出せないし、その無理でさえほんのわずかな時間だろう。
動けなくなるのを待つだけで、こちらの勝利となる。
そんなことは、この男にもわかっているはずで――
「――それが、どうした」
けれど、男は揺らがなかった。
剣の一本も持っていない拳が握り締められて、そこに戦意が宿った。
地に濡れた足が床を蹴り、決して軽視することはできない脅威が肉薄する。
「うっ、おお……!?」
ごおと音を立てて、振り下ろされる拳。
咄嗟に跳び退る。
さっきまでおれのいた場所の床が、一撃で打ち砕かれた。
大怪我をしているとは思えない威力だった。
一発でも喰らえば、戦闘不能に陥りかねない。
ただ、攻撃のモーション自体はチグハグとして、大振りだった。
傷付いた肉体を魔力で滅茶苦茶に強化して、無理矢理動かしているからだろう。
繊細な運用など叶うはずもないのだ。
反動で傷が広がったのか、ぼたぼたと血液が流れ落ちた。
しかし、ハリスンが倒れることはない。
戦意は衰えることなく、透き通ったヘイゼルの瞳がこちらを睨み付けてきた。
「お前……」
強固な信念が、満身創痍の男を支えているのだ。
恐らく、これこそが彼を聖堂騎士団の長にまで登り詰めさせたものなのだろう。
……そう感じられたからこそ、違和感を覚えた。
「真島孝弘。わたしは、お前を殺さなければならない」
帝都にやってきて、初めて顔を合わせたときにも感じたもの。
騎士としての矜持。誇りと自負。
世界の安寧を守るために、己のすべてを捧げた高潔な騎士。
そうした印象は、いまに至ってもなにひとつとして変わらない。
顔合わせの際に、告げられた言葉が自然と思い出されていた。
――わたしは真島様に対して、辺境伯のような悪感情は抱いておりません。
――当然のことですが、トラヴィスのように我欲に走って勝手をするつもりもありません。わたしの望みは、ただ己に課せられた使命をまっとうすることです。
――わたしは騎士としての生きた歳月のすべてを、この脆く壊れやすい世界の安寧を守るために費やしてきました。これからもそうあり続けるでしょう。
おれたちが世界に弓引くようなことがなければ、彼が敵になることは絶対にあるまいと思ったことを覚えている。
同じ敵ではあっても、マクローリン辺境伯の名代だったルイス=バードとは、その在り方が違っている。
一度だけ遭遇した彼は、『正義』として『悪』を見ていた。
けれど、ハリスンはそうではない。
実際、いまに至っても、こちらに向けられる視線に嫌悪はない。
憎悪の念もなく、怒りの感情もない。
あるのは、ただ使命感だけだ。
これが演技だとは思えない。
だからこそ、疑問に思った。
「どうして、お前はおれたちを殺そうとするんだ?」
帝都にわざわざ招待したおれが死ねば、聖堂教会は信頼と権威を失いかねない。
世界情勢は不安定なものになり、探索隊との関係すら悪化しかねない。
にもかかわらず、彼は暗殺という方法に訴えた。
悪意もなければ、嫌悪も憎悪もなく。
その行動原理は、あまりにも不可解に過ぎたのだ。
「どうして、お前は……?」
問い掛けると、ハリスンはこちらを見返してきた。
やはりその表情には嫌悪も憎悪も見付からなかった。
「真島孝弘。お前はどうして戦っている?」
「……なに?」
「お前はどうして戦っているのか、と尋ねた。いや。答える必要はない。知っている。お前はただ、仲間のために戦っているのだ」
これが、おれの問い掛けに対する返答……なのだろうか。
淡々とハリスンは語り掛けてきた。
「仲間を率いる立場として、責任を果たすために尽くしている。手の届く範囲で、大事なものを守ろうとしている。そうだろう?」
口にされた言葉は、正しいものだった。
「『アケルの勇者』などと呼ばれていても、お前は正義のためには戦わない。結果として人を救うことがあったとしても、間違っても正義を為すことを目的としているのではない。お前にとっては、まず何者よりも自身の仲間の存在が重いのだ。きっと、世界よりも」
ひとつとして、否定する事柄はなかった。
やはり、ルイスとは違う。
ルイスがあくまでおれを『悪』と断じ、『邪悪なモンスター使い』としてしか見ていなかったのとは違って、ハリスンは理解を放棄していない。
それは、見逃すことなどできない大きな差異であり……けれど、結果として導き出された答えだけを見れば、些細な違いとも言えた。
ハリスンはおれという人間を理解したうえで、なおも告げたからだ。
「だからわたしは、お前を殺さなければならない」
きちんと理解されている。
誤解によるすれ違いがあるわけでもない。
ひょっとすると、評価さえされているかもしれない。
それでもハリスンはおれの命を狙っている。
世界を守る騎士のままで。
……だから、ふと思ったのだ。
とある仮定が頭に浮かんでしまった。
もしもの話だ。
もしも彼が、真に世界を守る騎士として、公正に、公平に考えたうえで、おれが死ぬべきだと判断しているのだとしたら――
「――あなたは」
と、そこで加藤さんが口を開いた。
「わたしたちの知らない、なにを知っているんですか?」
多分、彼女はおれより早く、同じ結論に至ったのだろう。
鋭く踏み込むような言葉を口にした。
「この世界は、なにかおかしい」
その眼差しは真実を見通そうとするように強く、ハリスンを見据えていた。
「以前から違和感はありましたが、今回のことではっきりしました。聖堂教会は、すでに勇者を必要としていません。転移者に近い力を持つ恩寵の愛し子たちがいるのみならず、転移者の多くを越えるあなたのような存在がいるんですから」
どうやら今回の接触で、加藤さんには気付いたことがあったらしい。
彼女が口にしたことで、その違和感におれも気付くことができた。
「そうか。ハリスンの力に対抗できるのは、探索隊でも二つ名持ちに何人いるかってところだから……」
「ええ。そうです。そして、重要なのは『コロニーから人間世界に辿り着いた転移者は百人以上いた』ということです。従来であれば『転移者は平均して百年にひとりふたり程度』ですから」
「今回のようなイレギュラーがなければ、ハリスンより強い転移者が現れることは、まずなかった?」
加藤さんは頷き、ハリスンに水を向けた。
「転移者の力は有用ではあるのでしょうが、いまのように絶対のものとして信仰する必要性は薄いはずです。転移者なんて不確定なものに頼るよりも、自前の戦力に頼るほうがよほど安心でしょう」
加藤さんの言い分には、一理あるように思えた。
「そして、今回の行動です。あなたは、真島先輩を悪と思っていませんよね。そもそも、そんな動機では、あなたは動かない。あなたはあくまで騎士です。人の世界を守り、維持する者です。しかし、それでいながら真島先輩を暗殺しようだなんて、世界を守る教会の信頼と権威を傷付けるような真似をしている……なにもかもが、滅茶苦茶です。いえ。なにも知らないわたしたちには、そのように見えてしまう」
世界を守るために勇者を必要としていないのに、実際には勇者に頼っている。
世界を守るために働いているはずなのに、そのために必要な自分たちの信頼を損なうような行動を取っている。
なるほど、確かに滅茶苦茶だ。
そうとしか思えない。
けれど、こうして顔を合わせてみたハリスンはそのような滅茶苦茶をするような人間には見えない。
だとすれば、おれたちの知らない事情があると考えるのが妥当だろう。
「わたしたちは、なにを知らないんですか」
恐いくらいに真摯な声で、加藤さんは問い掛けた。
彼女も理解しているのだ。
ここで目の前の男を理解しなければ、状況は解決しないのだと。
襲撃を失敗したうえに、その事実を知られた聖堂教会側には余裕はない。
極端な話、この事実を公表されるのであればと思い切って、なりふりかまわずにアケルを潰しにかかられでもすれば、さすがに堪え切れないのだ。
もちろん、反発も大きいだろうが、それはつまり大きな混乱が起こることを意味している。
世界中が大混乱に陥る可能性すらあるのだ。
当事者であるおれたちだって、無事で済むはずがない。
だから、ここは退けない。
「答えろ、ハリスン」
おれもまた、強くハリスンを睨み付けた。
視線がぶつかり合う。
恐ろしく重い沈黙が落ちた。
堂々と立つハリスンの姿は、傷付いてなお、存在感を薄れさせることはなかった。
こちらを見据える視線は、一振りの剣を思わせる鋭さと強靭さを備えていた。
もちろん、おれたちが臆することなんてありえない。
寄り添う加藤さんと一緒に、正面から睨み返して――
「……知りたいか」
――やがてハリスンは、血に濡れた口を開いたのだ。
「よかろう」
そう言った声は静かで、不吉なものだった。
「求めるのであれば教えてやろう。この世界の真実を」
◆二週間ほど体調を崩していました。
きりがよいところまでですが、更新します。






