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54. 少女の願い

(注意)本日3回目の投稿です。(9/29)














   54



 このまま大事な人を失うことだけはあってはいけない。


 加藤真菜は、ぐっと拳を握り締めた。

 まるで絶望を握り潰すように。


 これまで、自分はあの人にずっと守られてきた。

 だからこそ、ひとりで立つことができたし、みんなのために考えを巡らせることもできたのだ。


 けれど、いまはそれでは足りない。


 自分ひとりで、あの人を助けなければいけないのだ。


 恋い焦がれる少年の死が秒単位で近付いてくる現状を前に、少女の思考は危ういほどに研ぎ澄まされていた。


 可能性を取捨選択する。


 すでに整理し終えている状況から、まず結論付ける。


 現状は手詰まりだ。

 選択肢はひとつとしてない。


 だからもう活路を見いだすとしたら、ひとつしかない。


 すなわち、自身の転移者としての適性だった。


「どうして……」


 どうして自分は、無力であり続けているのか。


 それは、無力さを痛感し続けていた彼女が、これまでずっと考え続けていた疑問だった。


 何千、何万、何十万回、疑問を繰り返したかもわからない。

 いまこそ、その答えを出さなければならないのだった。


 さいわい、この場所に来てから手掛かりも得られていた。


 脳裏に思い出されたのは、工藤陸からかけられた言葉だった。


 ――あなたは、ぼくと似ている。弱いところも、破滅的な性質も含めて。断言しましょう。あなたが能力を発現したとき、きっと『酷いこと』になる。

 ――少なくとも、いまのあなたでは、待っているのは破滅です。その未来が恐ろしいから能力を発現できずにいるなら、下手なことは考えないほうがいい。


 彼の言っていることは、部分的には正しい。


 加藤真菜は、自分の最大の望みを最初から知っている。


 わざわざ考えるまでもない。

 自分という人間を知っていれば、他人でも想像が付けられるような『わかりやすい望み』だからだ。


 ゆえに、発現されるだろう能力も、実のところ予測ができている。


 それはもう、酷いことになるだろう。

 そこについては、工藤陸の言い分は的を射ている。


 しかし、破滅が恐ろしいから能力を発現できずにいるという部分は違っている。


 だって、恋い焦がれる少年を失うほうが、よっぽど恐ろしい。

 天秤にかけることさえ馬鹿馬鹿しいくらいに。


 だから原因があるとしたら、別にあると断言できた。


 だとすると、それはなにか?


 やはり望みが足りないのか……。


「……いえ。違う」


 それでは行き詰まりだというのもあるが――それ以上に、もしもそうであるのなら、工藤陸は忠告なんて寄越さなかっただろう。


 あの少年は、どこか自分と似通った部分がある。

 それは彼自身も言っていた通りで……その彼が破滅のにおいを嗅ぎ取ったという事実は、軽々に無視していいものではないだろう。


 だから、自分の抱いている望みの強さを疑うべきではない。


 この胸にある想いの丈を、もっと信じてあげるべきだ。


 そう結論付けたことで、ひとつ思考が前に進む。


 すなわち、ここで本当に考えるべきことは『能力が発現しないのはなぜなのか』ではなく『当然発動しているはずの能力を妨げているものはなんなのか』ということなのだと。


 そう気付いて、もう一歩。

 次の段へと階段を昇るようにして、理解が進む。


「……あ」


 ヒントをくれたのは、魔法の映像の向こうにいる彼だった。

 必死に抗うその姿が、彼女に気付きを与えた。


 襲い掛かる『世界の礎石』と、せめぎ合う『霧の仮宿』との拮抗。


 同種の能力。


 壊すものと、抗うもの。

 逆のベクトルの想いがぶつかり合い、打ち消し合う。


 これと同じことが起きているのではないかと思ったのだ。


 足りなくて発動しないのではなく、発動はできるけれどとめられている。


 そして、自分の願いの発現を妨げるものがあるとしたら、それは――


「――もうひとつの願い?」


 転移者が心からの望みをふたつ持っていたとしたら、どうなるのだろうか?


 ましてやそれが、お互いにお互いを否定していたとしたら?


 もちろん、能力を発現させるほどの望みをふたつ持つなんて可能性としてはあまりにも低過ぎる。

 だが、それは可能性を否定するものではない。


 矛盾した願いを持つなんて、おかしなことではある。

 けれど、矛盾を抱くことができるのも人間だ。


 そこまで理解が進めば、聡明な少女が答えに辿り着くのは、そう難しいことではなかった。


   ***


「……ふ、ふふっ」


 少女の唇から、小さな笑い声が零れ出た。


 真島孝弘を潰すために集中していたはずのハリスンがそれに気付いたのは、戦う者としての彼の直感が、身に迫る危険を感じ取ったからかもしれない。


「なにを笑っている?」


 無論、このときの彼はまだ気付けない。


 ただ、気を逸らされたと感じているだけだ。


「……いえ。自分が、情けなくて」


 笑いを収めると、加藤真菜は答えた。


「本当に、情けない」


 その瞬間、不吉なものを全員が感じ取った。

 けれど、ハリスンでさえ、それがなぜなのかわからない。


 実際、目の前にいるのは無力な少女なのだから仕方なかった。


 内側にあるモノの特異さは、表に出るまではわからない。


「わたしはずっと、先輩に守られてきました。一度壊れてしまったわたしが歩き出せたのは、間違いなく先輩のお陰です。他人のことを気遣っている余裕なんてなかったはずなのに、あの人はわたしを気遣ってくれました。あのとき、確かにわたしは先輩の心に触れたように感じたんです」


 とうとうと少女は語る。


 まるでそれが遺言のように聞こえたのは、きっと、間違いではなかった。


「先輩に恋い焦がれて動き出した。仲間として扱ってもらった。それはまるで、夢みたいな時間でした。だから、そのものが望みにもなったんです」

「……なにを言っている」

「自覚していなかった望みの話です。わたしは願っていたんです。夢みたいなこの時間が、ずっと続いてくれればいいって。最初に与えられた先輩からの居場所が『守られる存在』だったから、そうでなければいけないと無意識に思ってしまった」


 楽しい日々。面白おかしい時間。幸せなひととき。

 なにもかも変わらずにいてほしいと思うことは、それなりに普遍的な感情だろう。


 彼女も同じだった。


 なにもかもを諦めきっていたから、少年から与えられたものは殊更に嬉しくて、なににも代えがたい宝物となった。


 ただ傍にいられるだけで幸せだった。

 失うことなんて怖くて考えられなかった。


 だから、変わらずにいることを無意識に望んだ。


 それが能力として成立するくらいに。


「だけど、それも終わりです」


 少女は臆病でもあったが、同時にひたむきでもあった。


 この場面を打開して真島孝弘の危機を救うためには、これまで押さえ付けられ続けていた能力を行使する必要があると知っていた。

 なぜ押さえ付けられていたのかさえわかれば、そのくびきを取り払うことに躊躇はなかった。


 ……もちろん、いまでも変わらずにいたいと思う気持ちはあった。


 あの人の近くで、変わらない日々を過ごしたい。


 幸せな日々。温かな時間。

 恋人にはまだ届かないけれど、親しい友人よりも確実に近い距離。


 変わってしまうのは怖い。

 あまりにも、恐ろしい。


 ……けれど、無力なままであり続けて大事な人を失うことのほうが、もっと怖い。


 だから、自分を繋ぎとめていたこの願いにさよならをしよう。


 最初の願いを呼び覚まそう。


 あの山小屋で出会い、恋をして、怪物とともにある少年を前に抱いた想いを、ここに解き放つのだ。


 たとえそれが、自身の破滅を意味しているとしても。


   ***


「オットマー!」


 ハリスンが叫んだのは、予兆を感じたからだった。


 恐ろしく膨大な魔力が、女性にしても小柄な少女のなかで蠢いたように感じた。

 これまで感じたことのないほどの最悪の危機感が、端的な指示として放たれた。


「斬れ!」


 加藤真菜の一番近くにいたオットマーは、叶う限り迅速に命令をこなした。


 先程、エリナーを斬った剣を袈裟に振るう。


 剣の切っ先が深々と少女の肩口に埋まった。


 しかし、それは遅きに逸した。


「この感触は……?」


 オットマーは目を見開いた。

 剣を握った手から伝わってきたのが、人を斬ったとは思えない異様な感触だったからだ。


「駄目ですよ」


 いっそ穏やかに、少女は笑いかけた。


 彼女にとっては、別にこれは驚くようなことでもなかった。


 この程度では、痛痒を感じるはずもない。


 転移者が発現する能力の強度は、方向性こそ様々ではあるものの、概して望みの強さに比例する。


 この望みは、彼女のなかに常にあった。

 少年に恋をしたその瞬間から、願い続けてきた。


 想いは募って、褪せることはなく、積もり積もって、いまに至る。


 ずっと、ずっと。

 狂おしいほどに。


 心に秘め続けてきた望みを、さあ、いまこそ口にしよう。


 この思いの丈だけは、誰にも負けることはないと断言できるから。



「わたしは、怪物になりたい」



 その瞬間、少女の姿は反転する。


   ***


 最初に標的となったのは、ハリスンだった。


 ほとんど爆発にも近い激突音。

 間合いを無視した振り下ろしの一撃と、認識できた者がいたかどうか。


「な……!?」


 気付いたときには、ハリスンが立っていた祭壇が崩落していた。


 そして、吹き飛んだ瓦礫が地面に落ちるよりも前に、質量を持った黒い嵐が空間を蹂躙した。


「がぁあ……!?」


 オットマーは衝撃を受けて、高く宙を飛んでいた。


 彼は最悪の敵の一番近くにいた。


 けれど、ハリスンが優先して攻撃されたために、異変に気付いて回避するだけの時間があった。

 危機感に突き動かされて背後に跳び、壁となる『天使人形』を創生した。


 自身も盾をかざして防御できるだけの十分な鍛錬を積んでいた。


 だから、防御を固めた三体の人形を砕いたことで勢いが削がれた攻撃を、防御のためにかざした盾に受けて腕の筋を痛めながらも、広大な部屋の端まで吹き飛ばされる『程度』で済んだのだった。


 だが、その場にいた全員がそうであったわけではなかった。


 オットマーと同じ特殊部隊と、聖堂騎士団第一部隊が合わせて五十名ほど。

 いずれも劣らぬ最高クラスの騎士たち。


 そのうち、実に六割が先の一瞬で絶命していた。


 三割は即死しなかっただけで、あと数分ともたない瀕死だった。


 残りの一割だけが、決して無事ではない満身創痍の状態でそれを見た。


「……なんだあれは」


 呆然と、オットマーはつぶやいた。


 そこに、おぞましいモノが立っていた。


 ぱっと見た印象は、枝を伸ばした真っ黒い樹木だ。


 だが、よく見れば違うことに気付いた。


「モンスター……?」


 それは、どす黒い半液体状の体組織を持つ化け物だった。


 枝のように見えたものは、無数に生えた触手だった。

 これが、渾身の力でハリスンに振り下ろされ、続けて辺りを縦横無尽に薙ぎ払ったモノの正体だった。


「……『スライムの亜種』か?」


 オットマーはすぐに、自分の知識のなかで近いものを発想した。


 自分の常識のなかで理解できるものに当てはめたと言い換えてもいい。


 実際、よく似てはいた。


 ……とはいえ、似て非なるものであることも確かだった。


 黒い触手が、ゆらゆらと揺れている。


 オットマーには、それがひどく、おぞましいものに感じられてならない。

 見ているだけで、自分のなかのなにか大切なものが削れていくような実感があった。


 奥歯を強く噛み締める。


「……これが、あの少女だと?」


 呻き声が漏れた。


 普段から人形のような男にしては珍しく、声が震えていた。


「どんな醜悪な願いを抱けば、このような醜い化け物になるのだ」


 まるで理解できない。

 オットマーは、ただおぞましさに怖気を走らせて――


   ***


 ――だから、彼には永遠に想像さえできないのだ。


 可憐な少女が、どうして醜悪な怪物になったのか。


 少女のこれまでを知っていれば、いっそわかりやす過ぎるくらいだったし、以前に彼女は口に出してもいた。


 それこそ、彼女の旅が始まったばかりの頃。

 あの樹海の奥深くで、まだ名前もない白い蜘蛛と対決した場での言葉だった。


 ――あなたたち眷属には言いたいことがたくさんあります。思い返せば、リリィさんもそうでしたね。なんでわたしなんかを羨ましがっているんですか。隣の芝生は青く見えるとはいえ、あんまりに残酷過ぎるとは思いませんか。『羨ましい』のはこちらのほうだっていうのに。


 ――あなただってそうです。わたしには絶対に手に入れられないものが手の届くところにあるのに、それに気付いていない。文句のひとつも言いたくなって当たり前じゃないですか。


 かつてリリィは『醜い怪物』である自分にコンプレックスを持っていて、主と同じ人間である加藤真菜を羨ましがっていた。


 けれど、その想いは向けられる側にしてみれば、あまりに残酷なものだった。


 なぜなら、その『醜い怪物』こそ、少女がなりたいものだったのだから。


 彼女はずっと、羨ましくて仕方なかったのだ。

 それこそ、こんな怪物に成り果ててしまうほどに。 


 それでも彼女がこれまで少女としてのカタチを保っていられたのは、ほとんど驚異的なことと言っていい。


 そこにいたのが、真島孝弘と加藤真菜であればこそ、そのようなことがありえた。


 真島孝弘は誠実な少年であり、加藤真菜は聡い少女だった。


 あの状況で、人間である自分が想い人に仲間として受け入れられたことの価値を、加藤真菜は正確に理解していた。


 真島孝弘はトラウマに苛まれながらも、加藤真菜という『人間』に向き合ったのだ。

 そんな彼の想いを無為にするような真似が、どうしてできるだろうか。


 だから、彼の眷属たちのことを羨ましいとは思っても、妬ましいとは思わなかった。


 ただ傍にいられるだけで満足していた。


 実際、望みを現実のものとする『霧の仮宿』の異界でも、彼女は数少ない『変わらなかった者』のひとりだった。


 自分も怪物になりたいという狂おしい望みは消えることはなかったけれど、現状の幸せが彼女を満たしていたのだ。


 恐らく、こんなことさえなければ、彼女が自分の力に目覚めることは一生なかっただろう。


 なのに、ハリスンたちはそれを引き摺り出してしまった。


 一度、解放してしまった望みは力に直結し、その強さゆえに歯止めがかけられない。

 真島孝弘が元いた世界の記憶を失ったように、加藤真菜から少女の姿と付随した理性は失われた。


 ここにいるのは世界最強の怪物。

 覚えているのは、恋をした少年を守るという目的だけ。


 その目的に従って、怪物は動き出した。


 きっと怪物は、少年を脅かすものをすべて排除するだろう。


 けれど、代わりに失われたものは大きい。

 あまりにも、大き過ぎた。



 ……もしも、それをどうにかすることができるとしたら。


 それはきっと、ひとりだけだ。

◆加藤真菜回でした。

このあたりを読んでから、一巻を読み直すと当時とは違った感想になるかもしれません。


◆報告。コミカライズ版12話更新は来週の金曜日予定です。

普段とちょっと違うので注意ですね。


樹海深部から北へ向かうあたりの話になります。

新しく仲間に入ったあやめとガーベラをはじめ眷属たちの交流。一方で、主人公たちと離れたくない加藤さんの姿が見られます。ぜひご覧ください。

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