55. 失われてはならないもの
前話のあらすじ
加藤さんの能力が発現
騎士団は撃滅される
55
ハリスンの攻撃は恐るべきものだった。
おれはもう、ひたすらに堪えるほかなかった。
ただ、諦めることだけはしなかった。
反撃の隙を窺い続けた。
引き千切られる魔力の糸をしつこく伸ばし続け、加速する負荷に歯を喰いしばって、潰されてしまわないように努めた。
必死だった。
だから、あまりにも変化は唐突に思われた。
「……え?」
忽然と敵が消えたのだ。
こちらのいる空間を押し潰す命令が途切れた。
「なにが起きたの……?」
サルビアも同じものを感じて戸惑っていた。
そうする間にも、落ちかけていた天井は完全に修復されていた。
こちらの制御が一方的に通った結果だった。
もはや崩れる気配はかけらもない。
あまりにも都合の良い状況に、一瞬、呆然としてしまった。
「ね、ねえ。どうしたの、真島」
あやめを抱き締めていた島津さんが、異変に気付いて問い掛けてくる。
しかし、どう説明したものかわからない。
結局、そのままを話した。
「敵の干渉がなくなりました」
「なくなった? どうして?」
「……わかりません。ちょっと待っていてください」
状況は把握できていないが、抵抗がなくなったことだけは確かだ。
であれば、先程のようにすればいい。
世界を浸食する糸を伸ばしていき、同時に認識を飛ばしていく。
敵の首魁がいるはずの空間へと。
「……なんだ、これは」
そうして見たのは、惨状だった。
広大な空間のあちこちで、石の床が不吉な赤色に染まっている。
人だったものの残骸が、そこかしこに転がっていた。
漂う死臭さえ錯覚するような光景がそこにはあった。
ハリスンが立っていたはずの祭壇に至っては、完全に崩れてしまって見る影もない。
そして、その代わりを務めるかのように、空間の中央に怪物が屹立していた。
「……黒い怪物?」
同じものを見ているサルビアがつぶやいた。
その声には怯えが含まれていた。
それくらいに、怪物はおぞましくも圧倒的な気配を放っていたのだ。
……けれど同時に、たった一体で立ち尽くす姿には、どこか物悲しいような印象もあった。
「全員がやられたのか? あの怪物に……」
呆然とつぶやいたところで、はっと気付いた。
「加藤さん! 加藤さんは……!?」
一度、ハリスンのもとまで感覚の手を伸ばしたとき、加藤さんの存在をその場に感じた。
この惨状で、彼女はどうなってしまったのか。
血の気がひいた。
「どこに!?」
おれはすぐに、空間を走査した。
そうして、少しだけ胸を撫で下ろした。
「いないか……」
「そうみたいね」
殺された人々も含めて探しても、加藤さんの姿はなかった。
彼女がどこにいるのか確認するまで安心はできないが、少なくとも、あの場で死んではいないようだ。
「なあ、孝弘。なにがあったんだ」
そこで、幹彦が声をかけてきた。
「『霧の仮宿』の応用で、孝弘がハリスンたちのいる場所を認識できてるんだろうなっていうのは推測が付くけど、それ以外はさっぱりだ。おれたちにもわかるように話してくれ」
「あ、ああ。そうだな。といっても、わかっていることはあまりないんだが……」
話をすることに異存はない。
というより、敵の状況を一番よく知っている幹彦の意見はほしかった。
「どうやらハリスンたちはモンスターに襲われたらしい。見たこともないやつだ。それに、恐ろしく強い。なにしろ、あの場にいた人間たちの大部分を、この短時間で殺したんだからな。幹彦には心当たりはあるか?」
「ハリスンたちを短時間で殺せるモンスター? ……いや、ないな」
「そうか。てっきり、敵の隠し玉かと思ったんだが」
「おれにまで隠されていたのなら、わかんないけどね。それで、加藤さんがどうこうって言っていたのは?」
「さっきまで、ハリスンと同じ場所に加藤さんがいたんだ。だけど、いまはいない。といっても、一緒に殺されたわけじゃないみたいなんだが。ただ、どこに行ってしまったのかは……」
この異界の領域の一部は、かなりの範囲をすでに制御下に置いている。
だが、逆に広大過ぎる空間に認識が追い付いていなかった。
もともと自身の領域ではないというのも大きく、一度に認識できる領域には限りがあった。
「どこかに連れていかれたのだとすれば、探さないといけないが……手掛かりもなしだと時間がかかるな」
おれが歯噛みしていると、床に仰向けになっていた幹彦が上体を起こした。
「そのことだったら、孝弘。力になれるかもしれない」
「幹彦?」
思わぬ敵の攻撃のせいで、まだ治療も受けていない体は痛むだろうに、幹彦は懐からなにかを取り出してみせた。
「これ、渡そうと思ってたんだ」
「……転移の魔法道具か?」
見たことのある紫色の宝玉だった。
理解できずに見返すと、幹彦は真剣な顔で口を開いた。
「もう一方は、加藤さんが持ってる。正確には、気を失っている間に仕込んどいたんだけど」
「幹彦、お前……」
「これで加藤さんのもとに行けるはずだ」
きちんと手を打っていたらしい。
本来なら死ぬことも覚悟してここにいたはずだから、これは幹彦なりのケジメだったのだろう。
この場面では、これほど頼りになる品物はない。
しかし、幹彦の表情は厳しいものだった。
「わからないのは、これはもともと、こっちに加藤さんを奪還するために用意しておいたものなんだ。ひとり協力者がいてさ、時期を見計らって使わせるように言っておいたんだよ。おれが負けた時点で、飛んできてる手筈だったんだけど……」
「なにかあったってことか」
「かもしれない」
幹彦は転移の魔法道具を指さした。
「わかってるとは思うけど、それで飛べるのは一回だけだ。なにがあるのかわからない場所に飛ぶことになっても、戻ってくることはできないぜ」
「わかってる」
頷きを返した。
「だとしても、助けにいかないと」
「オーケー。言うまでもなかったな」
迷いはなかった。
なにかあったのなら殊更に、放ってはおけない。
決意を込めて、魔法道具を握り締める。
しかし、そこに水を差すように声があがったのだ。
「そのことですが、大丈夫だと思いますよ」
どこか陰鬱そうな表情で、工藤がこちらを見ていた。
***
普段と違って、工藤の顔に韜晦の微笑みはなかった。
影のある表情には、ひどく気の進まなそうな雰囲気があった。
「工藤? いまのは、どういうことだ?」
「先輩がその魔法道具を使っても安全だと思います。まず間違いなく、飛ぶ先はハリスンのいたという場所でしょうから」
おれの問い掛けに、工藤は予想を口にした。
とはいえ、まだなにが言いたいのかわからない。
幹彦も眉を寄せていた。
「おい。工藤、なにを言ってるんだ。孝弘の話じゃ、そこには加藤さんはいないってことだっただろ。それに、仮にそこに飛ぶんだとしたら、ハリスンのやつをやった怪物とやらがいる。むしろ危険じゃねーか」
「いいえ。危険ではないはずです。少なくとも、先輩にとっては」
答える口調は淡々としていた。
感情を排して、ただ事実と認識しているものを語る口調だった。
「考えてもみてください。そもそも、この状況で都合よくハリスンたちが全滅するなんておかしいでしょう。タイミングが良過ぎますし、その強さにしたところでおかしい。最低でも『狂獣』や『竜人』クラス……あるいは、それ以上かもしれませんが、そんな存在がぽっと湧いて出るわけがありません」
「だからなにを……」
「待て、幹彦」
おれはふたりのやりとりをとめた。
無意識のうちに、声は硬いものになっていた。
わざわざここで『狂獣』や『竜人』の存在を引き合いに出した工藤の意図に気付いたからだ。
すぐに気付けたのは、頭のどこかでその可能性を考えていたからからもしれない。
その発想が意識に昇ることがなかったのは、どうしても受け入れがたいことだったからだろう。
だが、だからといって、確認をしないわけにはいかなかった。
「工藤。お前は、あの怪物が加藤さんだって言うんだな?」
タイミングからすれば、確かにそれが自然だった。
怪物に姿を変えるなんて展開は普通ありえないが、おれたち転移者にとってはありえないことではない。
「な……っ!? 加藤さんが怪物に……!?」
幹彦が絶句するが、おれはむしろ口に出したことで確信してしまっていた。
彼女なら『やる』だろう。
できることがあるならば、躊躇わないに違いない。
ふと、工藤が加藤さんにかけていた言葉を思い出した。
――あなたは、ぼくと似ている。弱いところも、破滅的な性質も含めて。断言しましょう。あなたが能力を発現したとき、きっと『酷いこと』になる。
あの怪物が加藤さんなのだとしたら、能力を発現したということになる。
おれは意識を黒い怪物に向けた。
すぐに気付いた。
「……敵は殲滅したのに、元に戻る気配がない?」
それどころか、理性らしきものを感じなかった。
敵を倒したあとも、怪物は広い空間のなかでただ佇んでいるばかりだったのだ。
最悪の可能性が脳裏に浮かんだ。
「まさか……理性を失って、元に戻れなくなってしまっているのか?」
「『狂獣』と同じタイプですね」
愕然としてつぶやくと、工藤が相槌を打った。
いま『狂獣』を従えている工藤にしてみれば、それこそどういう状態になっているのかは、すぐに把握できたのだろう。
「理性と心を取り戻さない限り、元には戻れないでしょう。もっとも『狂獣』がこれまで元の姿に戻ったことはありませんが……あれは、そういう類の能力です」
「……そんな」
蒼褪めたおれに、工藤は決定的な事実を告げた。
「残念ですが、加藤真菜は失われたということです」
***
ぐらりと世界が揺れた。
そう感じられるほどの衝撃があった。
加藤さんが戻ってこない。
もう二度と、言葉を交わすこともできない。
そう考えただけで、おれの感覚は正常な働きを失ってしまったようだった。
「……先輩? 大丈夫ですか、先輩?」
呼びかけてくる工藤の声が遠い。
なにもかもが遠い。
世界の感覚が失われるほどに、衝撃は大きかった。
いいや。実際に、おれの世界を構成する不可欠なひとかけらが欠け落ちたのだ。
そう感じられた。
加藤さんはリリィたちとは違って眷属ではない。
けれど、同様にかけがえのない存在だった。
彼女がいたから、おれは人間を信じていられたのだ。
もしも彼女と出会っていなかったら、おれは人間と接触することを避けて、いまでも樹海の奥地で暮らしていたかもしれない。
いまの自分がいるのは、確実に加藤さんのお陰だと言い切れた。
おれの世界は、彼女なしにはありえなかった。
……だから、失われたなんてこと、認めるわけにはいかなかったのだ。
「まだだ」
小さくつぶやく。
呼び掛ければ、まだ声が届く可能性はあるはずだ。
少なくとも、やってみるまでは可能性はゼロではない。
……理性はその希望は幻だと否定していたが、心は希望を捨てられなかった。
こんなふうに彼女が失われてしまうなんて、どうしても認められなかったのだ。
まだ、諦めない。
その想いが、転移の魔法道具に魔力を流させた。
「先輩!?」
驚く工藤の顔が消え去った。
世界の切り替わる感覚とともに、別の場所に移動した。
広い空間だった。
工藤の言っていた通り、魔法道具で飛んできた先はハリスンたちのいた場所だった。
血と臓物と、粉塵のにおいが鼻を突いた。
だが、そんなものは意識にものぼらなかった。
「加藤さん」
改めて肉眼で目の当たりにした黒い威容に、意識を奪われていたからだ。
おれは手を伸ばした。
「迎えにきたよ」
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