52. 敵対する男
前話のあらすじ
長い忍耐のすえに幹彦は団長を取り戻す
52
親友同士の戦いに終止符が打たれ、襲撃者による追撃も潰えた。
そのときには、広い空間から争いの喧騒は消えていた。
「無事でなによりです、先輩」
真島孝弘のもとに歩み寄ったベルタの背中から、工藤陸が声をかけた。
「工藤? エドガールはどうした?」
「すいません。逃げられました。先輩たちの戦いが終わったのを見ると、すぐに逃げ出しまして。まさか逃げるとは思いませんでしたので、意表を突かれました」
「そうか……いや、かまわない。とりあえずは、追い払えただけで十分だ」
「あ。そのことなんだけどさ、孝弘。話しておかないといけないことが」
鐘木幹彦が、ふたりのやりとりに口を挟んだ。
「エドガールは敵じゃないかもしれない。いや。だからといって、味方ってわけじゃなくて、警戒はすべきなんだけど……」
「どういうことだ?」
「話をする機会があってさ。あいつ、他に目的があるみたいだったんだ。ハリスンがどうして、孝弘のことを敵視するのか知りたいって言ってた」
「おれのことを敵視する理由……?」
真島孝弘は眉を顰めた。
確かに、聖堂騎士団の強引な行動に疑問は抱いていた。
大きく信頼を損ねるようなデメリットが多い決断を、どうして下したのかということだ。
とはいえ、人間は理性だけで動けるものではない。
加えていえば、マクロ―リン辺境伯のように価値観の違いもありうる。
真島孝弘の『モンスターを率いる』という性質それ自体が、十分に理由にはなりうる以上、あまり考えていても仕方ない事柄ではあった。
「わかった、幹彦。助かったよ。あっさり引き下がったのが、そのあたりが理由なら、変に警戒をする必要はなくなるからな」
そうして最低限の情報交換をしている間にも、出入り口から新しい人影が入ってきていた。
「くぅー」
「あ。ちょっと、待ってってば」
戦いの間は離れていたあやめと島津結衣だった。
ぱっと見の印象では、島津結衣があやめの世話をしているようだが、実際はあやめのほうが護衛である。
いまは力が使えないとはいえ『妖精の輪』の存在は切り札になりうるため、これも大事な役割だった。
「安心したよ、真島。ちゃんと敵を撃破できたのね」
「はい。この通り。幹彦も命に別状はありません」
「そう。そちらが鐘木幹彦ね……」
「初めまして。うまく孝弘と合流できたみたいでよかったです、島津さん。……島津さん? あまり睨まれると困るんですけど」
「いや。ちょっと折り合いが付かなくて。わたしを騙してくれたの、あなたなんでしょ?」
「……それは本当に申し訳なく。謝罪ならいくらでもしますが」
「いいよ。真島のことは放っておけなかったし。それに、あなた、ボロボロだしね」
と、多少のいざこざのようなものはありはしたが、これで全員が顔を揃えたことになる。
「それじゃあ、ここから先の行動に関してだな」
真島孝弘の言葉に、全員が耳を傾けた。
鐘木幹彦の件については片付いたが、これはまだ状況の一段階目が終了したに過ぎない。
「次は、加藤さんだ。幹彦。彼女がどこにいるのか教えてもらえるか」
「もちろん」
少年たちは為すべきことを為そうとしていた。
しかし、そのときだった。
「なんだ!?」
地面から突き抜けるような大きな振動が、その場の全員を襲ったのだ。
これまでで一番大きな振動だった。
それと同時に、さっきあやめと島津結衣が入ってきた出入り口が閉まった。
明らかな異常事態だった。
その場の全員が緊張に顔を硬くする。
そうしたなか、場違いな笑い声があがった。
「は、はは……」
地面に倒れ伏した、襲撃班のリーダーだった。
先程ドーラに斬られた彼だったが、まだ息があったのだ。
吐血で真っ赤に染まった口が開かれた。
「ははは。終わり、だ」
「お前、なにを知ってる!?」
鐘木幹彦が怒鳴ると、男は死相の浮かんだ顔に笑みを浮かべた。
「おれ、たちは……失敗した。だから、次だ」
「次……?」
「覚悟、しろ……この……部屋は、崩れる……」
呪いの言葉を残して、男は今度こそ事切れた。
その言葉を証明するように、天井に亀裂が走った。
「まさか!?」
鐘木幹彦は状況を理解して、大きく顔を歪めた。
彼は自分が捨て駒であると認識していた。
ぶつけて相手を損耗させるための消耗品だと。
しかし、実のところ、それどころではなかったとしたら?
たとえば『この場に真島孝弘を釘付けにするためだけに配置されていた』のだとしたら、どうだろうか?
勝敗に意味なんて最初からなかったのだ。
勝てるならよし。
仕留めきれないか、敗北するかした場合は、諸共に圧殺する。
最初からこのつもりだったとしたら……。
「ハリスン――ッ!」
少年のあげた怒号が、地響きに掻き消された。
***
時間はしばし遡る。
オットマーに連れられた加藤真菜は、エリナーに引き摺られるようにして移動していた。
辿り着いたのは、祭壇を備えた大部屋だった。
加藤真菜は、はっきりと顔を引き攣らせた。
待ち構えていたふたつの集団が、視線を集中させてきたからだ。
一方はオットマーによく似た雰囲気の鎧の男たちだ。
もう一方は、エリナーと同じ聖堂騎士だった。
女性も何人かいたが、大多数は男性だ。
口のなかが一瞬で乾いて、血の気がひいた。
オットマーひとりでさえきつかったのに、これだけの人数だ。
胃酸が食道を逆流しかけて、酷い目眩が吐き気を誘引する。
身も世もなく叫び出して、来た道を駆け戻りたい衝動が胸郭を突きあげる。
そうして正気を失ってしまえたら、どれだけ楽だろうか。
「加藤様?」
「……なんでもありません」
パニックの兆候を、少女は無理矢理に抑え付けた。
唇を噛んで正気を保つと、集団からひとり外れて祭壇に立つ一際立派な騎士の顔を睨み付ける。
短く刈り上げた黒髪に、ヘイゼルの瞳。
掘りは深いながらも自分たちと似通った顔立ちは、彼に流れる異邦人の血を感じさせる。
鍛え上げられた分厚い体には、重厚なまでの存在感がある。
ハリスン=アディントン。
今回の事件を引き起こした首魁がそこにいた。
このような機会でもなければ近付けなかった相手だ。
正気を失っている場合ではなかった。
ぎゅっと握り込んだ華奢な拳で、少女は自分の胸を強く押さえ付ける。
「……力をください、先輩」
かつてコロニーで人々の残酷さに心を抉られ、長く続いた死の恐怖に魂を脅かされて、なお前に進んだ彼のことを思う。
その想いだけが、彼女を支えてくれていた。
「行きますよ」
オットマーが振り返って声をかけてくる。
「……ええ」
自分のなかにあるトラウマを押さえ付けながら、加藤真菜は足を引き摺って歩いた。
一歩、一歩。
震えあがる体の芯を押さえ付けるようにして、一歩ずつ。
ふたつに分かれた集団のちょうど真ん中へと。
ようやく辿り着いて――
「……?」
――ふと気付いた。
なにか、おかしい。
そう思った。
頭が回らないせいで気付くのが遅れてしまった。
とはいえ、一度気付いてしまえば、違和感の正体は明らかだ。
呼び出しておきながら、この場にいる人々は彼女の存在に無関心だったのだ。
祭壇の上にいるハリスンはこちらに一瞥を向けるでもなかった。
他ふたつの集団も、彼女に目を向けたのはさっき大部屋に足を踏み入れた瞬間だけだった。
代わりに彼らは、なにかを熱心に見詰めていた。
なにを見ているのか。
そちらに視線を向けたところで、少女は大きく目を見開いた。
「……真島先輩!?」
祭壇の前、ふたつの集団が注目する先。
床が丸く切り取られて、そこにないものを映し出していた。
なんらかの魔法的手段による映像だろう。
広い空間で語らう少年たちを俯瞰で見る視点だった。
倒れた鐘木幹彦と、彼を下した真島孝弘の姿があった。
その光景に安堵しつつも、加藤真菜は不審に思った。
これは、この場にいる人間にとっては望ましくない結果であるはずだ。
なのに、彼らが悔しがったり困惑したりする気配はまるでなかった。
「……してやられましたな」
聖堂騎士のひとりが言った。
特に動揺した様子はなく、淡々としていた。
今度は平坦な目をした騎士のひとりが口を開いた。
「意味のない勝利だ。これで終わりなのだから」
その言葉を聞いて、加藤真菜は背筋に怖気が走るのを感じた。
男の口にした言葉には、目の前の人間の死を確信した不吉な響きがあった。
このままではいけない。
その想いが、少女を突き動かした。
「ハリスン=アディントン!」
恐怖を大声で誤魔化して叫ぶ。
「わたしは来ました! なにか用があったのではないのですか!」
その大声を聞いて、初めてハリスンのヘイゼルの瞳が彼女を映し出した。
思ったよりも落ち着いた目だった。
先日、挨拶をしたときとは違って、事ここに至っては態度を繕う必要はない。
てっきり、モンスターを率いる少年に対して抱いている、おぞましさや怒りといった負の感情を見せるかと思ったのだが、彼はあくまで変わらない。
騎士のなかの騎士。
その佇まいは変わらないままに、ハリスンは口を開いた。
「……なにか、勘違いがあるようだな」
「え?」
「あなたに用があるわけではない。わたしはただ、無駄な犠牲を出すつもりはないだけだ。万が一のことを考えると、あの場所では『巻き込まれる』可能性があったからな」
これは、予想していなかった。
たとえば、真島孝弘のことに関して、あれこれと尋問されるのではないかと覚悟していたからだ。
しかし、そうではないらしい。
付け加えると『巻き込まれる』という言葉の意味もわからない。
意外なことに、隣で体を支えているエリナーも戸惑った様子だった。
ここまで自分を連れてきたオットマーは、こちらに背中を見せているのでわからないが、少なくともエリナーは知らされていないようだ。
見当も付かない以上、訊くしかない。
「なんの話ですか」
「説明はしてもいい。あなたには、その権利がある」
意外なことに、あっさりとハリスンは許諾した。
ただ、こうも続けたのだ。
「だが、その前にすることがあるな」
静かに、命じた。
「やれ」
瞬間、オットマーがこちらを向いた。
***
振り返ったそのときには、オットマーの手はすでに剣の柄を握っていた。
抜き打ちの一閃。
ハリスンに気を取られていたため、加藤真菜はまったく反応できなかった。
もっとも、そうでなくても騎士として鍛錬を積んだ男の攻撃に、戦闘技術を持たない少女がなにをできるはずもない。
剣が振り抜かれ、鮮血が飛び散った。
真っ赤に染まった加藤真菜は、ぺたりと地面に尻餅をついた。
理解が追い付かない。
目の前の現実をそのまま認識することしかできなかった。
「エリナー、さん……?」
斬られたのは、彼女の監視役であった女性だったのだ。
ごぼりと大量の血液を吐き出して、彼女は地面に膝を突いた。
ハリスンは祭壇の上から、その光景を見下ろしていた。
「……先程、同盟騎士団の団長が奪取された。鐘木幹彦の指示に従い、同盟騎士団の残党が動いたらしい。それだけではない。どうやら今回の作戦におけるトラブルの多くは、鐘木幹彦の差し金だったようだ」
加藤真菜にとって、それは初耳の情報だった。
ただ、鐘木幹彦の言動には疑問を抱いていたため、腑に落ちるものも感じていた。
彼は裏切り者と思われることも覚悟して、大事なものを守ったのだろう。
なにがあっても大事なもののために抗う姿は、彼女が思慕を寄せる少年に通じるものがあった。
泥に塗れて、なお輝かしいものがある。
その輝きに魅せられる者がいるのは不思議なことではない。
自分がそうだし、彼女もきっとそうだったのだ。
血に塗れたエリナーに、ハリスンは淡々と言った。
「常に鐘木幹彦には監視が付いていた。動き回れるような隙はなかった。とはいえ、ひとりでも裏切り者がいたならば、多少は話は違ってくるが」
「……」
「お前が裏切り者だ。申し開きはあるか」
「いいえ。ございません」
エリナーは血の気の失せた顔で答えた。
「処罰を受けるのは当然のことです。けれど、後悔もありません」
「たぶらかされたか。己の使命を見失うとは」
「懸命な人は輝いて見えるものです。たとえ想いが届かないとしても。あの方を損なうことに、わたしはどうしても正義を見出せませんでした」
「それでも正義を為すのだ。それこそが異邦人の末裔……この世界を構成する一員たりえぬ我らの役目なのだから」
ハリスンは首を横に振った。
「揺らぎやすいこの世界を維持することこそが、我らの使命であり、正義なのだ。残念だ、エリナー。無駄に命を散らすとは」
「なにを……」
「お前の裏切りには意味がない。ここで彼らは死ぬ」
ハリスンは断言すると、手に持った拳大の宝玉を掲げた。
魔力の気配を感じることからも、それが魔法道具であることは明らかだった。
「この『世界の礎石』は制御が難しい。だが、十分に時間をかけて場所を絞り込んだうえであれば、大規模な改変も不可能ではない。このようにな」
拳大の宝玉――魔法道具『世界の礎石』にハリスンが魔力を流し込むと、地面が徐々に揺れ始めた。
揺れは段々と強くなる。
しかし、魔法による映像の向こうは、その比ではなかった。
「せ、先輩……!」
加藤真菜が見詰める先で、少年たちがうろたえる様子を見せていた。
パラパラと落ちる天井の破片らしきものが見える。
部屋ごと圧殺するつもりなのだ。
用意周到。この場にいる人間が、鐘木幹彦の敗北に動じていないわけだった。
そうした場合にも問題ないように、ハリスンは手を打っていたのだった。
気付いた加藤真菜の背筋を、戦慄が駆け抜けた。
だが、もう遅い。
「これで、終わりだ」
残酷な宣言。
少年たちの努力も、想いも、献身も。
すべては正義のもとに押し潰される。
この異界そのものを操作する力に、抗うすべなどあるはずもない。
そのはずだったのだ。
「……なんだと?」
疑問の声が、ハリスンの喉を震わせた。
揺れは続いていた。
だが、それ以上に進むこともなかった。
この状況がハリスンにとって予定外であることは明らかだ。
いったい、なにが起こったのか。
この場で最初に気付いたのは少女だった。
床に展開された魔法の映像のなかで、少年がひとり頭上を睨み付けている。
まるで覗き見に気付いているかのように。
その目が、まだ終わっていないと告げていた。
◆どうにかひとつ切り抜けた主人公たち。
しかし、敵も一筋縄ではいきません。
が、主人公もそう簡単にはやられません。攻防が続きます。
◆さらに更新します。






