46. 少女の落とし物
前話のあらすじ
再起した加藤真菜に、敵の首魁から呼び出しがかかる。
46
じっと空を仰いでいる。
首が痛くなるほど見上げた先、そこに見出せるものはなにもない。
真実の意味で、なにも。
だからこれは、空を見上げているのではなく、ただ上を見ているだけだ。
もっと言えば、そうすることで目を逃がしている。
覚悟を決めたつもりでも『それ』を目の当たりにするのは、相当な心の準備が必要だったからだ。
「旦那様」
呼び掛けられて、おれは見上げていた視線を地に戻した。
通っている高校前の坂道だった。
正確にいえば、おれの内面世界。
記憶によって構築された景色だ。
そこに、サルビアが立っていた。
……いまにも泣き出しそうなくらいに、悲痛な顔をしていた。
「そんな顔しないでくれ」
サルビアの立つ道の先は、黒く塗り潰されていた。
通学路だったはずの道は、欠け落ちていた。
それだけではない。
学校周辺以外、この世界にはなにもなかった。
なくなってしまっていた。
残った学校にしたところで、いまにも砕けて崩れてしまいそうに儚く見えた。
目の当たりにするには、心の準備が必要なモノとはこのことだ。
これが、いまの真島孝弘という人間の内面世界だった。
「悪いな。サルビアがせっかく、こつこつ修復してくれてたのに」
「そんなのはいいわ。だけど、旦那様。これはあまりにも……」
「いいんだよ。おれが望んだことなんだから」
サルビアが泣きそうになっているのも、彼女は他の誰よりよくわかっているからだ。
本当にもう、限界だった。
人の記憶が人格を形作る土台であるとすれば、その土台はすでに崩壊寸前の状態にある。
まるで砂のジオラマだ。
なにかの拍子に崩れてしまってもおかしくない。
……だけど、それでも。
それが必要であるのなら、躊躇いはしなかった。
ただ、こうしてサルビアがその事実を目の当たりにしてしまい、心を痛めていることだけは申し訳なかった。
話を変えようと思い、おれは視線を巡らせた。
「……にしても、あいつはいったい、なんなんだろうな」
学校の校庭に、焦げ茶色の髪の青年が立っていた。
以前にも、この世界に入り込んでいた人物だ。
あれだけは、おれの記憶のなかにあるモノではなかった。
これで二度目の遭遇ということもあり、少し観察の余裕もあった。
こちらに向けられた目には、敵意もなければ、害意もない。
ただ、かすかに好奇心のようなものだけが感じられた。
しかし、それだけだ。
なにを伝えるわけでもなく、ふっと彼は姿を消してしまった。
「……なにをしてくるわけでもない、か。わからないな」
いったい、なんなのか。
訝しく思っていると、サルビアが口を開いた。
「旦那様。あれは……」
「サルビア?」
彼女は先程の青年がいた場所を見詰めながら、怪訝そうな顔をしていた。
その手が、強く胸を押さえている。
「……いえ。なんなのかしらと思って」
「さあな」
不思議に思うのは当たり前のことだが、おれも答えは持ち合わせていなかった。
「ああして現れるのは二度目だが、敵意も感じられない。そもそも、干渉してくるわけでもない。いや、あるいは――」
――干渉しようにも、できないのかもしれない。
そう感じたのは、ここがおれの能力によって形作られた場所だからかもしれない。
とはいえ、それも確信のあることではない。
なんにしても、あれは今回の襲撃の一件には関係がない現象だろう。
無視していてもいい。
少なくとも、いまはまだ。
「いまは、目の前のことをどうにかしよう」
そうして、おれは短い休息の眠りから目覚めた。
***
目を覚ますと、顎のあたりを舐められるくすぐったい感触があった。
「くぅー」
ぶんぶんと尻尾を振るあやめが、胸の上に乗っかっていた。
「どうしてあやめが……」
抱き上げて身を起こす。
すると、傍で腰を下ろしていた工藤が笑みを向けてきた。
「目を覚ましましたか」
なにか読んでいたのか、手元で広げてあった紙束を閉じる。
「この怪我なら命に関わることはないと思ってはいましたが、気絶するように眠ったので、少し心配しました」
「どれくらい寝ていた?」
「そう経っていませんよ。二十分くらいではありませんか。さいわい、敵の気配はありませんでした」
大した時間は経っていなかったようだ。
ただ、ずいぶんと状況は変わったらしい。
「ベルタ……に、島津さんまで?」
工藤の傍には、影絵の少女ドーラだけでなく、双頭の狼ベルタが控えていた。
さらに、少し離れた場所で島津さんが膝を抱えて座っているのを見付ける
「無事に……とは言いがたいが、再会できてなによりだ」
「お互い、災難だったわね」
「これは……」
おれは改めて工藤に向き直った。
「状況を教えてもらえるか?」
「無論です」
工藤から、眠っている間に知った出来事を聞き出した。
「なるほど。ベルタは幹彦のにおいを辿ってここまで……それに、島津さんを巻き込んだ『何者か』か」
「それよりも、閉じ込められてしまっているというところが問題でしょう」
気になったところに関して言及すると、工藤が口を挟んだ。
「適切な場所で壁を崩せば封鎖された区画から逃げることは可能かもしれませんが、多少の時間はかかりますし、なにより目立ちます。どうしますか」
「いや」
尋ねられて、おれは首を横に振った。
工藤の話はどれも、逃げることを前提にしていたからだ。
「そもそも、おれは逃げるつもりはないよ」
「なにを言っている!」
工藤がなにか言う前に、ドーラが声をあげた。
「貴様、自分の状態がわかっているのか!」
ずかずかと近付いてきて、胸ぐらを捕まれる。
「いくら魔力で体を強化できるにしても、重傷なのだぞ!」
乱暴ではあるものの、言動自体はこちらを気遣ったものだった。
「そ、そうよ」
島津さんも口を挟んでくる。
「刺されたんでしょ? けっこうな怪我だって聞いたわ」
「そうだ。安静にしていろ」
島津さんはともかく、ドーラが心配してくれるのは予想していなかった。
ありがたいことではあった。
とはいえ、その気遣いは必要のないものだった。
「怪我なら大丈夫だ」
「そんなはずが……」
言いかけたドーラが、なにかに気付いた様子で口を噤んだ。
恐らくは、おれが傷を庇うような仕草を一切しないことに気付いたのだろう。
その目元が、ひどく訝しげに歪んだ。
「……お前、怪我はどうした」
「寝ていたら大体治った」
「そんなはずがあるか!」
「本当だよ。まだ引き攣る感じはあるけど、戦えないほどじゃない」
それが、残されていた自分自身を削って得たモノだった。
そもそも、辺境伯領軍との戦いのおり、『霊薬』トラヴィスを撃破した時点でおれの回復力はかなり人間離れしたものになっていた。
現象としては、ガーベラの怪力を再現できるのに近いだろうか。
この世界においては、物理法則のほかに魔力が現象に結びついている。
魔法は当然のこととして、モンスターの火炎の吐息、擬態する半液体状の肉体、魔法の道具の作製――特定の魔力の流れは、相当する現象を引き起こす。
おれの体には眷属たちの魔力が流れていて、そのなかでもリリィやガーベラの魔力は多い。
彼女たちの再生能力が生物の枠を超えて優れているのは、半分は魔力によるものだ。
だからオリジナルの彼女たちほどではないものの、同じ魔力を持つおれも人間以上の回復能力を発揮することができたのだ。
残念ながら、人間の体ではもげた手足をくっつけたり生やしたりということまではできないが、ある程度の時間を安静に過ごしていれば、かなりの深手でも対応可能になっていた。
幹彦に喰らった傷も、完治とまではいかないが、すでに癒着している。
激しく動けばまだ痛むだろうが、我慢できないほどではない。
もっとも、ただ眷属たちの魔力が流れてきているだけであれば、こうも早く魔力による現象を自分の体に適用することはできなかっただろう。
それこそ、何年もの時間が必要だったかもしれない。
そうならなかった秘密の鍵は、恐らくリリィの存在にあった。
ミミック・スライムであるリリィの能力は『擬態』だ。
彼女は捕食したモンスターの魂の残骸を蒐集し、魔力の流れを模倣することで、モンスターに固有の能力を模倣することができる。
おれがいまやっていることは、方法こそ違うにせよ、彼女の擬態能力と共通した部分が多い。
その彼女の魔力が、おれの体には流れている。
先程の理屈でいえば、彼女の『擬態能力を擬態できる』ことになる。
少々ややこしい話ではあるが、人真似の仕方のお手本があったと言い換えたらわかりやすいだろう。
今回、またおれの魂の質は眷属のものに寄った。
結果、回復能力を彼女たちに近付ける程度の真似であれば、可能になったというわけだった。
特定の固有能力持ちを除けば、他のチート持ちでもこれだけの自然治癒力はない。
戦闘中では焼け石に水程度とはいえ、こういう場面では役に立つ力と言えた。
おれが戦えるという事実は呑み込めたのか、ドーラは引き下がった。
ある程度の状況を知っているベルタは、こちらをどこか不憫そうな目付きで見ていた。
気遣いは要らないと首を横に振っておく。
工藤が口を開いた。
「先輩の状態と意思については理解しました。手を貸すのはやぶさかではありません。そう簡単に逃がしてくれるとも思えませんしね」
そう協力を請け負うと、彼は傍らに置いてあった小さな道具袋を渡してきた。
「これは?」
「拾いました。どうやら攫われた際に、加藤真菜が落としたようですね。先輩に渡しておきます」
言われてみれば、見覚えがあった。
ローズが加藤さんのために作った魔法の道具袋だった。
「あとはこれも」
工藤が差し出してきたのは、先程、彼が読んでいた紙束だった。
「その袋から零れ落ちたようです。覚え書きのようなものでしょうかね。なかなか面白いことが書かれていましたよ」
そう言って、開いて渡される。
そこには丁寧な文字で、ある事柄についての考察らしきものが綴られていた。
≪そもそも、わたしたちのこの力にしたところで、まだわからないことは多いのだ≫
≪この世界では、強い願いが叶う≫
≪世界がそういうものだというのなら、そこに疑問を挟む余地はない≫
≪ただ、法則に疑問はなくとも、目の前の現実には違和感がある≫
≪一言でいえば、この世界の現実は、法則に沿っていないように思えるのだ≫
≪多分だけれど、これには意味がある≫
≪この世界は、そもそも、なにかおかしい気がする≫
思い付いたことを書き出したうえで、考えをまとめているようだ。
工藤が興味を惹かれたというのは、おれたちの力についての考察だった。
「『世界がそういうものだというのなら、そこに疑問を挟む余地はない』。あえて認識したことはありませんでしたが、確かにそうですね。そして、そのように認識すればこそ、そこには逆説的に疑問を抱く余地が生まれもするわけです。『法則に沿っていないように思える』というのは、そういうことですね」
「なんだ。というと、工藤もなにか思い付くことがあるのか」
「そうですね」
一拍置いて、答える。
「大したことではありませんが……それが法則というのなら、どうして転移者だけが特別なのかとは思いましたね」
「どうして転移者だけが特別なのか?」
一瞬、意味がわからない。
だが、言われてみれば、確かに。
この世界ではそういうものだと言われていたから、あまり深く考えたことはなかったが、法則というには、それはあまりにも特殊な条件ではあるかもしれない。
もっとも、だからといって、それがなにを意味しているのかはおれにはわからない。
考えているような時間もなかった。
「……加藤さんを取り戻したら、その思い付きを話してやってくれ」
そうして言葉を返している間にも、おれの目は紙面の文字を――そこにある加藤さんの想いを拾っていた。
≪わたしは弱い≫
≪これが、この世界の一般人の話であれば、仕方がないことで済ませるしかなかっただろう≫
≪けれど、わたしは転移者だ≫
≪本来なら強い力を得られるはずの存在だ≫
≪それにもかかわらず、わたしは無力だ≫
どうやら加藤さんは、自分が戦えないことについて悩んでいたようだ。
今日の彼女の言動を思い出した。
あれはそういうことだったのかと、納得できた。
≪前々から疑問だった≫
≪わたしたち転移者の力は、心の底からの望みによって発現する≫
≪だからこそ、おかしい≫
≪実のところ、もうずっと前から、わたしは自分の望みに気付いている≫
≪それなのにわたしは力を発現できずにいる≫
≪本当に、どうしてなのだろうか≫
≪どうしてわたしは≫
覚え書きには、このように答えが出せずにいるところも多々あった。
同時に、有効な答えを出し、おれたちに貢献してくれていることもいくつもあった。
紙束は何十枚にも及び、その大半が文字で埋め尽くされていた。
大きな貢献の裏には、その何十倍もの膨大な試行と考察があったのだ。
この覚え書きは、無力な少女のいじましい努力の記録だった。
「加藤さん……」
ぐっと、紙束を掴んだ手に力が入った。
なんとしてでも取り戻さなければならない。
改めて思いを強くした。
覚悟を胸に、おれは行動を開始した。
その先に、親友と刃を交える未来があることは予期していた。
けれど、迷いはなかった。
◆決戦前です。
ちなみに加藤さんの覚え書きは、7章2話に出てきてるものです。
◆モンスターコミックス内で、コミカライズ版の10話が更新されています。
内容としては2巻。ガーベラとふたりの探索からの、VS. 風船狐&鉄砲蔓あたりです。
ぜひご覧ください。






