43. 真実の欠片
(注意)本日6回目の投稿です。(7/29)
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「な、なぜ、ここに……!?」
ベルタは驚きに、ぴんと尻尾を伸ばしていた。
疾走のすえにようやく辿り着いた場所で、ありえない邂逅が起きていた。
「我が王……」
「ベルタですか」
声を返したのは工藤陸だった。
彼もまた、虚を突かれた顔をしていた。
「合流したのですね」
「は、はい。あやめが一緒にいたお陰で、真島孝弘のいる場所までパスで合流を図ることが可能でしたので……」
ベルタは自分の主が、この場所に来ていることを知らなかった。
帝都に来ること自体、伝えられていなかった。
それだけに、この遭遇は彼女にとって、思いもしない出来事だった。
……彼女以外にとっても、想定外のことだったに違いない。
なぜなら、工藤陸は真島孝弘と一緒に隔離されているはずだからだ。
それなのに、ベルタがどうしてここにいるのか。
ことの経緯は、驚きから回復した彼女自身の口から明らかにされた。
「ああ、いえ。いまはそのようなことを話している場合ではありませんでした。もっと他に伝えるべきことが……」
「伝えるべきこと? なんの話ですか?」
「王よ、落ち着いてお聞きください。大変なことになりました」
そう前置いて、ベルタは告げた。
「現在、我々は、この区画に閉じ込められてしまっております。にわかには信じられないかもしれませんが、わたしがここまでやってきた通路が閉じてしまったのです。わたしは、この目でそれを見ました。あまりにも不可解な現象でしたが、間違いありません。あと少し遅ければ、わたしも閉め出されていたことでしょう。ぎりぎりでした」
「なるほど。さっきの振動は、そういう……」
配下の言葉に、少年は目を細めた。
「鐘木幹彦が逃げたときのように、道を操作したわけですか。戦力を分断されましたね」
すぐに状況を理解できたのは、あのあとも続いていた振動がなんだったのか、彼なりに考えていたからだった。
「いや。そういう意味では、ベルタがこうして合流したのは、敵にとっては想定外ということになるのかもしれませんが……」
「王よ。鐘木幹彦がいるのですか?」
今度はベルタから問い掛けた。
彼女は鐘木幹彦が敵としてこの場にいることを知らないはずだが、そこには疑問を抱いた様子はなく、声にはむしろ納得の響きがあった。
「実は、わたしは鐘木幹彦のにおいを嗅ぎつけて、ここまで辿り着いたのです。なぜここにいるのかは疑問でしたが……進行方向とは同じでしたし、もしやと思いまして。そのお陰か、途中からは行き止まりにぶつかることなく、効率よく近付くことができました」
「ああ。それで……」
工藤陸は納得の声をあげた。
鐘木幹彦のにおいを追い掛けることで、ベルタは最短距離を進むことができた。
そのため、この場に辿り着いたのが計算より早く、敵の封鎖が間に合わなかったのだった。
「なんとも皮肉な話ですね。敵は鐘木幹彦を使うことで真島先輩に深手を負わせましたが、そのために侵入を許しもしたわけですか」
「え……? お待ちください。真島孝弘が深手を負ったのですか」
「くうっ!?」
ひとりごちる工藤陸の言葉を聞いて、ベルタが驚きの声を上げる一方で、頭に乗っていたあやめは悲鳴をあげた。
大事な主が刺されたことを知ったのだから、当然の反応ではあっただろう。
慌てふためいた様子で、ベルタの背中から飛び降りると、主のもとに走っていった。
その小さな背中を見送って、ベルタは口を開いた。
「そういえば、先程から真島孝弘の姿が見えませんが、まさか……」
「いえ。命に別状はありませんよ。すぐそこで休んでいるだけです。ぼくは遠目にモンスターを見付けたので迎撃に出たところで、いまは先輩の護衛に残していますがドーラもいます」
「そうでしたか。それは、この状況では心強い……」
言い掛けたそのとき、その背中から「うぅ」と呻き声があがった。
ベルタが凍り付いた。
工藤陸は怪訝そうな顔をする。
間もなく、ベルタの背中でひとりの少女が身を起こした。
「……ベルタ、誰かいるの?」
頭を抑えながら身を起こしたのは、島津結衣だった。
疲労のあまり、半ば気絶するように眠っていたところ、あやめが飛び出したときに頭を踏まれて、目を覚ましたのだった。
その目が工藤陸の姿を映し出し、びくりとした。
「だ、誰?」
「それはこちらの台詞ですが」
ふたりの目が向けられて、ベルタはひどくバツが悪そうに鼻先を地面に下げた。
「……申し訳ありません、我が王。最初にお話をするべきでした」
とはいえ、これは彼女を責められないだろう。
他でもない主との予想もしない遭遇のせいで、背中に乗せていた少女の存在を忘れていたのだから。
「こちらは島津結衣。探索隊の『妖精の輪』です。途中で拾いました」
「『妖精の輪』……?」
「我が王……ってことは、工藤陸!?」
両者とも驚きの声をあげる。
島津結衣は疲れた顔を驚きで引き攣らせ、工藤陸のほうは眉を顰めていた。
思わしくない主の表情を見て、ベルタがやや焦りの感じられる早口で言った。
「意見を述べることをお許しください。彼女は今回の転移にかかわってはおりません。ここに来たのは、誘い出されただけなのです」
「……詳しく話しなさい」
硬い声で、少年は命じた。
もちろん、ベルタは配下として粛々と従った。
「彼女は真島孝弘を騙る伝言に呼び出されて、部屋にやってきたところで転移に巻き込まれたのだそうです。ですから、敵ではありません。むしろ転移の際には、その邪魔をしておりました。そのせいで、現在はダメージで動けなくなっているくらいです」
眉を寄せた表情のままの主に、慎重な口調で事実を伝える。
そこに庇うようなニュアンスがあったのは、彼女の危機感の表れだった。
「無論、王に危害を加えるようなことがないように、わたしが目を光らせております。ですから、どうかご慈悲をいただけますように」
その訴えを聞いて、島津結衣が蒼褪めた。
工藤陸は人々に害為す魔王だ。
転移者を何人もその手にかけている。
そんな彼と顔を合わせていながら、いまの彼女には抵抗する力もないのだ。
彼女を連れてきてしまったベルタも、まさか自分の主がこの場にいるとは想像さえしていなかったため、非常にまずい状況に緊張を張り巡らせていた。
だが、工藤陸が気にしていたのは、危惧されていたのとは別のポイントだった。
「敵に誘い出された?」
不可解そうに、尋ね返したのだ。
「実は『妖精の輪』が転移の犯人だったというわけではなく、ですか?」
「なっ……そ、そんなことするわけないでしょう?」
突然、謂れのない疑いをかけられて、島津結衣は恐怖を忘れた様子で言い返した。
「わたしは、偽の呼び出しで部屋に飛んで行って、すぐ転移に巻き込まれたんだから。あなたの配下のベルタだって、それは見ていたのよ」
「本当ですか?」
主に視線を向けられて、ベルタは慌てて頷いた。
「はい。彼女の言っていることは本当です。先程も申し上げましたが、むしろ転移に抵抗していたくらいでしたので」
それで、話は本当だと判断をしたのだろう。
だが、それと納得できるかは別の話だった。
「……どういうことです?」
口許に手をやって、工藤陸は目を細めた。
奇しくも、それはリリィが口にしたのと同じ、現状の理解に一石を投じる言葉だった。
「王よ。なにか、おかしなことでも?」
戸惑うベルタに、工藤陸は顔を向けた。
そして、はっきりと否定した。
「ありえません。敵に騙されて、この場に『妖精の輪』がいるはずがないんです」
「……な、なにを言ってるの。わたしはここにいるでしょう?」
妙なことを言われた島津結衣が、困惑した様子で抗弁した。
「多分、岡崎くんが罪をなすり付けようとしたんでしょうね。別に、おかしなことじゃないと思うけど」
「ええ。それだけなら、そうですね」
工藤は頷き、首を横に振った。
「ただ、ぼくは敵とすでに遭遇しています。そのときに、鐘木幹彦が言っていたのです。ぼくたちには『この場所から脱出する手段はない』のだと」
どうして敵に回ったのかと、真島孝弘が親友の真意を尋ねたときのことだった。
――そう不思議なことじゃないだろ? 孝弘には、この場所から脱出する手段はない。無理なんだよ。お前はもう、終わりなんだ。それでも味方に付くなんて、馬鹿のすることだとは思わない?
鐘木幹彦は、このように返したのだった。
「それがどうしたっていうのよ」
「わかりませんか」
やや苛立った様子で尋ねる島津結衣に、工藤陸は返した。
「あなたがこの場所にいる以上、あんな言葉は出てこないはずでしょう。なにせ『脱出の方法はある』のですから。違いますか『妖精の輪』?」
「……あ」
声をあげる彼女の『妖精の輪』は、遠距離転移を可能とする固有能力だ。
そもそも、この場に真島孝弘一行を連れてきたのだって、『万能の器』による『妖精の輪』の劣化コピー能力だった。
本家本元が移動できない道理はないだろう。
「あれは『妖精の輪』の存在を知っているのなら、出るはずのない台詞でした。というか、知っていれば、あなたは最優先で狙われていなければおかしい。しかし、あなたは『敵に嘘の呼び出しをされて転移に巻き込まれた』のだと言いました。だとすれば、あなたがこの場にいることを敵が知らないわけがありません」
「……ちょ、ちょっと待って」
島津結衣は混乱した様子を見せた。
工藤陸がなにを問題にしているのか、彼女にもようやく理解できたのだ。
――ありえません。敵に騙されて、この場に『妖精の輪』がいるはずがないんです。
彼が言いたかったのは『誘い出したのは敵ではない』ということだった。
それであれば、まだしも『妖精の輪』が敵であるほうが可能性はあると。
しかし、島津結衣は自分が犯人の一味ではないことを知っている。
となれば、その疑問に行き当たるのは自然な成り行きと言えた。
「それじゃあ、わたしをあの場所に呼び出したのは誰だったの……?」
少女の疑問の声が通路に響いて――。
***
「おかしなところ……って、わたしのいまの話に?」
戸惑いを双眸に浮かべた飯野優奈の問い掛けに、リリィは頷いた。
「そう。飯野さんがここに来た経緯のところ。それ、ちょっとおかしいよね」
「わたしが、ここに……?」
飯野優奈は形の良い眉を寄せた。
そう言われても心当たりがなかったのだ。
「ええと、どこかおかしい? 経緯って言っても、わたしは結衣先輩に呼び出されて、ゴードンさんにあとを任せて部屋を出て……タイミングからすると、その呼び出し自体は偽物だったんだろうけど……その途中でフードの男に会って」
思い出しながらのたどたどしい言葉が、転移までの間にあった出来事を辿っていく。
「あいつ、話があるって言って……いまから思えば迂闊だったけど、前に真島のことを教えてくれたし、また真島のことでなにかあるのかもって……結局、こっちから話をすることになったんだけど、様子がおかしくて。そしたら、大きな音が聞こえて……真島の借りてる部屋の窓が割れてて、襲われたのに気付いて、あいつ、一度は真島を助ける情報を教えたのに、今度は敵に回ったんだって……」
「うん。そこだよ」
リリィは口を挟んで、回想をとめさせた。
ますます飯野優奈は不可解そうな顔をした。
「……どういうこと? あいつは明らかに、襲撃について知ってたわ。実際、『時間稼ぎは終わりだな』って言っていたのよ」
「だから、そこなんだよ」
まだわからない様子の彼女に、リリィは続けた。
「この場合『時間稼ぎがなかったらどうなってたか』ってことなんだけどね」
「どうって……」
「わからない? 飯野さん、呼び出された場所に向かってたんだよね? もしも何事もなければ、呼び出し場所に到着してたはずでしょう。それじゃあ、転移に間に合わないどころか、下手すると気付きもしなかったんじゃないかな?」
「あ……」
唖然とした声があがった。
なんのための『足留め』だったのか。
その意味が180度引っ繰り返っていた。
「『足留め』をされたから、わたしは間に合った……?」
「そういうこと」
「そんな……わたし、全然気付かなかった」
「緊急事態で深く考えてる場合じゃなかったし、相手はなぜか顔を見せない怪しいやつで、あのタイミング、加えて『転移について知ってる』って時点で、敵だって思い込んじゃったんだね。わたしも当事者だったら勘違いしたかもしれない。ただ、それはありえないんだよ」
彼女の勘違いにリリィは一定の理解を示したものの、はっきりと否定した。
「わざわざ偽の呼び出しで、わたしたちから引き剥がそうとしたくらいだもの。飯野さんのことを、敵はすごい警戒していたはずなんだよ。それを邪魔するなんて、あべこべだよね」
「……それは、確かにそうね」
リリィの意見の正当性を、飯野優奈も認めた。
引っ繰り返った認識に動揺しつつも、彼女は当然の疑問を抱く。
「それじゃあ、わたしを呼びとめたあいつは、いったい……?」
ここでもまた、少女の疑問が通路に響いて――。
***
「誰があなたを呼び出したのかは、わかりません」
混乱する島津結衣に、工藤陸は答える。
「確かなことは、あなたを呼び出したことで、本来ならあるはずのない『妖精の輪』という『脱出の手段』が生まれたことです」
「その『誰か』が襲撃を知っていて、そうしたっていうの?」
「どこまで計算づくかはわかりませんが。あなたが来るかどうかだって、確実ではなかったわけで、そう考えると、もっと他にも助けになるような人物を巻き込んでいるのかもしれません――」
***
「飯野さんを呼びとめたのが誰かはわからないけど」
動揺する飯野優奈に、リリィは答える。
「襲撃を知っていたうえで、飯野さんをここに送り込んだのは間違いないよね。策を巡らせてまで引き剥がそうとした、最大の脅威である『韋駄天』をね」
「そういえば、神宮司くんも『今回の件はイレギュラーばっかりだ』って……わたしは『極め付き』だって言っていたわ」
「他にもいろいろ手を打ってた、ってことかな。ずいぶんと回りくどいけど。ああ、いや。そうするしかできなかったというより、それでもできることをしてくれてたのかも――」
***
――と、彼らは各々、真実に辿り着いていく。
そして、その頃。
加藤真菜は、壁を背にして呆然とへたり込んでいた。
近くには、監視役のエリナーの姿だけがあった。
「……鐘木先輩」
結局、彼女には、戦いをとめることはできなかった。
懇願は受け入れられることなく、裏切り者の卑劣な少年は行ってしまった。
――おれは行くよ。そうしなくちゃいけないんだ。
まったく、揺らぐ気配もなかった。
これから先、起こるありとあらゆる出来事を覚悟しているのだと、察するには十分な答えだった。
けれど、彼の言葉はそこで終わらなかった。
続きがあったのだ。
それこそが、彼女を呆然とさせていた。
どうしてあんなことを言ったのかと、少女は脳裏でその言葉を思い浮かべる。
――加藤さんは、ここであいつを信じて待っていればいいよ。
卑劣な裏切り者であるはずの少年こそが、誰より真島孝弘を信じているかのように。
それこそが、真実の欠片だった。
◆最後にもう一話だけ、一時間後に更新です。
◆『時間稼ぎ』については、気付いた方もいらっしゃったかもしれません。
飯野は咄嗟のことで誤解していたので、引きずられた方もいるかもですね。






