44. 鐘木幹彦の戦い
(注意)本日7回目の投稿です。本日ラストです。(7/29)
44
「それじゃ、団長。今日はこのへんで」
ぼんやりと暗く広い通路でひとり、鐘木幹彦は掌の上にペンダントを載せて、そこに向かって話し掛けていた。
「名残惜しいですけど、もう時間みたいなんで」
≪……わかったよ、幹彦≫
ペンダントから、応える女の声がした。
≪また今度、だな≫
それは、聖堂教会から貸与された、遠距離通信用の魔法道具だった。
当然、使用する際には許可が必要であり、会話はすべて聞かれている。
差し障りのない会話しか許されていないということだ。
とはいえ、大事な人の声が聴けるだけでも、鐘木幹彦にとっては掛け替えのないひとときだった。
これは大事な人との間を繋いでくれる一本の糸だった。
……同時に、首に繋がった鎖を自覚させるためのよくできた小道具でもあったが。
≪くれぐれも、体には気を付けろ≫
「たはは。もちろんですよ」
≪……本当に、自分を大事にな≫
繰り返して気遣う言葉には、どこか不安が滲んで聞こえた。
ずいぶんと気弱になったと感じてしまい、鐘木幹彦はその事実に痛みを覚える。
「……」
なにもかもが決定づけられた、あの日。
泣いていた彼女の姿を、噛み締めた無力の味を、自然と思い出していた。
あの日まで、少年は大切な女性を守る騎士になりたいと思っていた。
ガラではないと思いつつも、本気で努力を重ねていた。
……けれど、そんな少年の願いは、完膚なきまでに破壊し尽くされた。
残骸のなかに残されたのは、無力な自分自身への失望だけだった。
鐘木幹彦は、惚れた女ひとり守れないカスだ。
どだい、騎士になどなれるはずがなかったのだ。
そう思い知らされた。
……けれど。
それでもだ。
そんな自分だと思い知っても、それでもなお譲れないものがあった。
それが、鐘木幹彦がここにいる理由だった。
道具を使った短い会話を終えると、彼はペンダントを握り締めた。
「……団長。おれは、あなたを守ります。大事なものを守り抜きます。そのためだったら、なにもつらくなんてないんです」
そのためだけに、この数ヶ月の日々があったと言っても、過言ではなかった。
帝都に着いて、大事な人を人質に取られてから、鐘木幹彦はただひたすらに、聖堂教会のために働き続けてきた。
危険なモンスターの討伐に赴くのはもちろん、ときには偽勇者騒動のような事件に駆り出されることもあった。
そのすべてにおいて、彼は自分から積極的に貢献し続けた。
傍から見れば、権力者に取り入ろうと必死になっているように見えただろう。
むしろ、そう見えるように振る舞いさえしていたのだから当然だった。
けれど、彼がそうしていたのは、あくまで大事なもののためだった。
親友である真島孝弘に言った通り、優先順位を間違えるつもりはなかった。
鐘木幹彦は、まさにそのようにして、この数ヶ月を過ごしてきたのだった。
言い換えれば、より大事なものを守るために、彼は常に優先順位の低いものを切り捨て続けてきた。
これは捨ててもいいのだと、意識的に残酷な選択を強いられてきた。
その第一候補こそが、真島孝弘だった。
恩人であり想い人でもある女性を人質に取られ、親友を殺すようにと強いられた彼には、そうするしか道はなかったのだ。
そう決められていた。
定められていた。
……冗談ではなかった。
ふざけるな。
そんなこと、認められるものか。
確かに鐘木幹彦は、大事な女性ひとり満足に守ることができなかった情けない男だ。
生きている価値もないカスだ。
けれど、親友を裏切るようなクズではない。
鐘木幹彦は絶対に、真島孝弘を裏切らない。
絶対に、絶対にだ。
だから、そう。
優先順位だった。
絶対に切り捨てられないものを守るために、彼は別のものを捨てたのだ。
本来であれば、決して切り捨ててはならないもの。
彼にとっては、もはや価値を持たない失望の対象。
生きている価値などないと断じた、かつての願いの残骸。
それはつまり、鐘木幹彦という人間の、ありとあらゆるすべてだった。
***
想い人を人質に取られてしまった以上、鐘木幹彦には、親友を狙った計画を拒絶することができない。
ただ、これは見方を変えれば、その計画を内側から効率よく妨害できる立場にいるとも言えた。
要するに、手を抜くことなく計画に加担しつつ、それ以上に全力で妨害を行う獅子身中の虫となればいいのだ。
……もちろん、こんなのは、言うは易しの見本みたいなものだ。
うまく行かせるのは至難の業だし、ばれればただでは済まないだろう。
だが、躊躇はしなかった。
自分の命なんて、彼は最初の時点で計算から切り捨てていたからだ。
そうして、鐘木幹彦の戦いが始まった。
計画の妨害をするためには、どのようなかたちであれ、疑われない立場が必要だった。
彼はプライドをどぶに投げ捨てて、権力者におもねる卑劣な裏切り者として振る舞った。
求められれば、命懸けでモンスター討伐に赴いた。
何度も死にかけたが、必要な立場を手に入れることができた。
大事な女性を泣かせた人間の走狗にだって成り下がった。
これが一番、きつかった。
人としての尊厳をずたずたに引き裂かれながら、首輪に繋がれ尻尾を振った。
――鐘木様は、どうしていつも笑っているのですか。
監視役のエリナーに尋ねられたのは、いつのことだったか。
正直、日々の感覚が失われて久しい。
屈辱も、無念も、憤激も。
へらへらとした笑顔の下にすべてを隠して、堪えに堪えた。
汚泥のなかに、頭の先まで浸かるような日々だった。
それも、今日で『終わり』だった。
***
「……できることはやったよな」
口のなかだけで、鐘木幹彦はつぶやいた。
今日という日のために様々な手立てを講じ、そのうちのいくつかはうまくいった。
襲い掛かる敵に真島孝弘と仲間たちは必死に抗い、そんな彼らに飯野優奈やゴードンなど何人もの人間が手を貸したが、少年だって間違いなくそのうちのひとりだった。
「……失敗も、したけどさ」
真島孝弘に奇襲を仕掛けたときのことだった。
計画に加担しなければならない以上、鐘木幹彦はあの奇襲を行わないわけにはいかなかった。
実のところ、当初の想定では怪我をさせるはずではなかった。
その代わりに、隙を突いて加藤真菜の略取には成功する――無論、彼女の安全は確保する――というのが、聖堂教会に疑われることなく奇襲を終わらせるラインだと考えていた。
前日のうちに、ちゃんといまの親友の戦闘能力は測っておいたし、対応可能なタイミングで奇襲を仕掛けた。
けれど、思いがけず奇襲はうまくいってしまった。
大失敗だった。
これはつまり、それほどの想定外があったということでもあった。
「……まったく。なんで疑わないんだか。あんなとこで都合良く逢うなんて、どう考えたって怪しいだろうに」
相手は一緒に転移しているはずのない人間だ。
ここで逢うのは、明らかにおかしい。
ほんの少し、身構えてくれるだけでよかったのだ。
警戒心がわずかでもあれば、いまの真島孝弘であれば簡単に対応できた。
なのに、奇襲はうまくいってしまった。
それがなにを意味しているのか、誤解の余地はない。
あの場面、真島孝弘は鐘木幹彦を疑わなかったのだ。
本当に、これっぽちも。
「……馬鹿だなあ」
これだけは、本当に計算違いだった。
「……本当に馬鹿だよ、孝弘」
思っていたよりずっとずっと、真島孝弘は鐘木幹彦を信じていた。
思いがけず、そう知ることができた。
これまでの汚泥にまみれた日々は、決して間違いではなかったと思えたのだ。
それだけで、十分に報われた。
だから、迷いなんて欠片もなかった。
「さて。そろそろ時間だ」
少年は動き出した。
すでに命令は下されていた。
鐘木幹彦は、真島孝弘を迎え撃たなければならない。
人質を取られている以上、裏でこそこそと妨害をすることはできても、命令を拒絶することはできないのだ。
真島孝弘が加藤真菜を取り返しに来ることは、ほぼ確信していた。
殺し合いは避けられない。
どちらかが命を落とす、ということだ。
だけど、それでいい。
それでいいのだ。
なぜならば……。
「おれだって、お前のことを信じてるからさ」
そう。信じているのだ。
真島孝弘は決して、鐘木幹彦なんかに負けないのだと。
だから、ここで『終わり』なのだ。
「さあ。行こっかな」
ちょっと駅前にでも行くようにつぶやくと、少年は終わりに向けて歩き出した。
◆ここで今日の更新は終わりになります。
一気に行きたいところでしたので、予定していた更新日に間に合ってよかったです。
シリーズ初の7連続更新でした! 新刊もよろしくお願いします!






