72話
アランは目を覚ますと黒川が寝ていたソファーへ目を向けた。
しかし、そこに黒川の姿はなかった。
身体を起こして執務机へ目を向けると、黒川はすでに起きて仕事をしていた。
「ちゃんと休めって言ったのに、もう仕事してんだな」
「上は待ってくれないからな」
「まったく……。仕事人間だな……」
アランは呆れたように呟いた。
「珈琲でも買ってくる」
アランはソファーから立ち上がり、執務室を出て一階のカフェへ向かった。
珈琲を二つと軽食を購入し、執務室へ戻る。
「どうせ何も食べてないんだろ。こっち来て少しは食え」
アランは先ほど買った珈琲と軽食のホットサンドを応接用のテーブルに置いた。
ーーーー
一方、その頃。
病室で眠っていた一花がゆっくりと目を覚ました。
目に入ったのはベッドを囲む白いカーテン。
鼻をつく消毒薬の匂いに、一花はここが管理局の医務室だと分かった。
身体にはまだ倦怠感が残っている。
処置を受けたことで少しは楽になっていたが、全身に力が入らない。
一花はゆっくりと身体を起こすと胸の奥に不思議な温かさを感じた。
一花はその感覚を確かめるように、ゆっくりと胸へ手を当て目を閉じた。
(黒川さん……会いたい……)
愛する人の姿を思い浮かべる。
その瞬間。
頭の中に映像が流れ込んできた。
黒川とアランが執務室で珈琲を飲みながら、ホットサンドを食べている。
アランが何かを話している。
すると黒川がほんの少しだけ口元を緩めて笑った。
一花はゆっくりと目を開けると映像はそれと同時に消えた。
「……今の……」
一花は呆然としたまま胸元に手を当てる。
(今の映像は……現実なのかな……)
ただ黒川を想っただけなのに、なぜこんなことができるようになったのか……、自分でも分からなかった。
一花がぼんやりと考えていると、目を覚ましたことに気づいた医療スタッフがカーテンを開け、声をかけてきた。
「目が覚めましたか。体調はいかがですか?」
「あ……はい。ちょっと身体がだるいです。でも大丈夫だと思います」
「まだ無理はしないでくださいね。先生を呼んできます」
「はい」
医療スタッフが病室を出ていく。
しばらくすると医師がやってきた。
「桜田さん、おはようございます。診察させてくださいね」
「はい」
医師は血圧や脈拍などを確認し、身体の状態を診ていく。
「まだ顔色が良くないですね」
医師は一花の様子を確認しながら続ける。
「大量に出血されましたので輸血をしました。数日間は倦怠感やめまいが出ると思います」
「分かりました」
「それと、しばらくはあまり力は使わず、安静に過ごしてください」
「はい」
一花は素直に頷いた。
「あと数日、入院して経過を見ることもできますが……どうしますか?」
一花は少し考えてから答えた。
「できたら……帰りたいです」
「そうですか。では、一度ギルド長をお呼びしますね」
「お願いします」
一花は小さく頭を下げた。
医師と医療スタッフは一度カーテンを閉め、病室を後にした。
静かになった病室で一花は再び胸へ手を当てる。
先ほど見えた映像がまだ頭から離れなかった。
一花がぼんやりと考えていると、再びカーテン越しに声がかかった。
「桜田さん。失礼します」
カーテンが開き、医療スタッフとともにアランが入ってきた。
「顔色がまだ良くないな」
アランは一花の顔を覗き込む。
医療スタッフが一花へ確認するように尋ねた。
「ご自宅療養希望とご本人様から伺っていますが、どなたかお世話をしてくださる方はいらっしゃいますか?」
医療スタッフの問いに一花は戸惑い、アランへ目を向ける。
するとアランがすぐに答えた。
「私が看病します。仲間もいますし問題ないかと思います」
「分かりました。ただ、まだめまいや倦怠感、吐き気などが出る可能性がありますので、くれぐれも無理はさせないようにしてください」
「分かりました。ありがとうございます」
アランは丁寧に頭を下げた。
「では、お大事に。無理しないようにね」
「はい」
医療スタッフは一花へ優しく声をかけると、病室を後にした。
「立てそうか?」
アランが一花の腕を支える。
「はい……」
一花はベッドから立ち上がろうとゆっくり足を床につけた瞬間、ふらりと身体が揺れた。
「……っ」
目眩がした一花の肩をアランが咄嗟に支える。
「大丈夫か?」
「大丈夫です。すみません……」
「謝るな。まだ本調子じゃないんだから」
アランは一花の身体を支えながら、少し考える。
「帰る前に、黒川に会ってくか?」
「……え?」
一花が顔を上げる。
「いいんですか?」
「そのほうが元気出るだろ」
アランは優しく笑った。
一花の表情がほんの少し明るくなる。
「ありがとうございます」
一花は小さく頷いた。
アランに支えられながら、一花は黒川の執務室へ向かった。




