70話
一花が愛菜を抱きしめると、二人の身体を淡い光の膜が包み込んだ。
「ぐっ……ア゛アアアー!」
愛菜の身体から凄まじい叫び声が響く。
次の瞬間、黒い影が愛菜の身体から勢いよく引きずり出された。
魔物は愛菜から離れると空中で大きく身体を揺らした。
一花と愛菜は同時に力を失い、その場へ倒れ込む。
「一花!」
黒川が駆け寄ろうとしたが、その前に伊織と神崎が二人を抱き起こした。
「俺たちが運びます!」
伊織と神崎は二人を橘の元へ運んでいく。
魔物の姿は目を赤く光らせた女性の姿をしていた。
魔物が一歩踏み出した瞬間、神殿の床が大きく揺れる。
壁の一部が崩れ、大量の水が勢いよく流れ込んできた。
水は瞬く間に神殿内へ広がっていく。
魔物が腕を振るうと、水が巨大な波となって一行へ襲いかかった。
アランが咄嗟に手をかざす。
床を這う影が一気に伸び、魔物の両足へ絡みついた。
「何する!離せー!」
「もう諦めろ」
アランが力を込めると影は魔物の身体へ這い上がり、全身を締め上げていく。
しかし魔物が身体を大きく揺らすと、影が少しずつ引き裂かれた。
その隙に黒川が魔物へ手を向ける。
「終わりだ」
黒川の力が一気に魔物へ流れ込む。
魔物の身体が黒い霧のように崩れ始める。
それでもなお魔物は必死に抗おうと身体をよじった。
黒川はさらに力を強める。
やがて女性の姿をしていた魔物は完全に崩れ、灰となって消えた。
黒川が周囲を見回す。
魔物が消えたにもかかわらず、神殿の奥から大量の水が流れ込み続けていた。
「水が止まらない……」
不安そうな声が上がった。
「私が一時的に食い止めます」
橘は流れ込んでくる水へ力を向けると水が凍りつき流れが止まった。
しかし、すでに神殿内にはオルネアの胸元まで水が溜まっていた。
「出口はどこだ」
黒川の声に皆が辺りを見回す。
「ゲートの気配を感じ取れないな」
アランも焦っていた。
「どうしたらいいの……」
オルネアが不安そうに呟いた。
「ニャー」
アランの肩に乗っていたクロが突然上を向いて鳴いた。
アランと黒川が同時に顔を上げる。
「上……。いけるか?」
アランが天井を見上げる。
「うまくいく保証はない」
黒川が険しい表情で答えた。
「ここにいても道はない」
「そうだな。離れててくれ」
黒川は天井へ手をかざすと力を放った。
ドォォン!
天井の一部が崩れ落ちる。
ザァァァァッ!
大量の水が上から一気に流れ込み、水面が一気に上昇する。
水嵩はさらに増し、やがて誰も地面に足をつけられなくなった。
皆、水面から顔だけを出して浮かんでいる。
「これ逆効果じゃないですか!」
湊が叫ぶ。
「でも他に道はないですよ」
サーシャは一花を抱えながら答えた。
その時、一花がかすかに身じろぎした。
「んっ…………み……ず……」
「気づきましたか?」
サーシャが声をかける。
一花は力が入らず薄く目を開けたままぼんやりと周囲を見回す。
湊はオルネアを抱え、橘は玲央を支え、神崎は愛菜を抱えていた。
一花は水が流れ込んでくる天井を見上げる。
すると突然、頭の中に一つの光景が浮かんだ。
深い森林。
暗く淀んだ空。
最初に通ってきた場所。
「ヒ…ロ…さん……」
一花はヒロを呼ぼうとした。
しかし弱々しい声は激しい水音にかき消される。
「ヒロを呼びたいんですか?」
サーシャが一花の微かな声を拾う。
一花は小さく頷いた。
「ヒロ!」
サーシャが声を張り上げる。
少し離れた場所にいたヒロが泳いで二人のもとへ近づいてきた。
「一花ちゃんが呼んでます」
ヒロは一花の頬にそっと手を添える。
「どうした?」
一花はかすかに唇を動かした。
「ここに……連れてって……」
一花は残った力を振り絞るように力を流した。
その瞬間、ヒロの脳裏に一つの光景が流れ込んでくる。
水が流れ込んでいる場所の先。
そこに広がる地上の森林。
映像は一瞬で消えた。
「ここに出ればいいんだな」
ヒロは顔を上げる。
「黒川さん!」
ヒロが黒川を呼び寄せる。
「一花から同じ景色を見せてもらってください」
黒川が一花のもとへ近づくと一花が手を伸ばす。
黒川はその手を握った。
再び、一花の力によって同じ森林の光景が黒川の脳裏へ流れ込んだ。
「ありがとう。集まってくれ!」
黒川の声に皆が近くへ集まってくる。
「一度でいけますかね……」
人数が増えヒロが不安そうに尋ねる。
「やるしかないだろ」
黒川が答えた。
水の中で足場もなく浮かんでいるだけでも、体力は削られている。
これ以上ここに留まる余裕はなかった。
「いくぞ」
黒川とヒロが互いに目を合わせ、同時に力を使った。
次の瞬間、水の中にいた全員の身体が一斉に消えた。
そして。
ドサッ。
今まで水の中で浮かんでいた身体が地面へ落ちる。
「ゴホッ、ゴホッ……!」
玲央が激しく咳き込んだ。
「大丈夫か?」
橘が心配そうに玲央を覗き込む。
「大丈夫だよ……ちょっと水、飲んじゃって……」
「やっと地上に出た……」
オルネアもその場に座り込み、ぐったりと息を吐く。
サーシャも一花をゆっくりと地面へ下ろし身体を支えた。
「大丈夫か?」
アランが一花のそばにしゃがみ込み、心配そうに声をかける。
クロも心配そうに一花の頬にすり寄る。
しかし、一花はぼんやりと目を開けたまま反応を返さなかった。
「急いで出るぞ」
アランは一花を抱き上げる。
黒川が周囲を確認する。
「ゲートは近い。皆もあと少し頑張れ」
黒川を先頭に一行は森の中を進んでいく。
やがてゲートが見え、全員がゲートを抜ける。
最後に黒川が外へ出ると、背後でゲートが静かに閉じていった。




