55話
森林を抜けると視界が一気に開けた。
そこには広い湿地帯が広がっていた。
黒く濁った水が溜まり、その間を縫うように数本の木製の歩道が伸びている。
「どこを通るか……」
アランと黒川が周囲を見渡す。
「分かれるのは危険だ。左側から進んで、様子を見るのはどうだ?」
「そうしよう」
黒川が頷き、一行は左側の歩道へ進んだ。
歩道を歩くと足元の木道が軋む音だけが響く。
しばらく進んだところでヒロが足を止めた。
「あれ、見てください!」
ヒロが指差すと全員がその先へ視線を向けた。
湿地の水面に、いくつかの衣服が浮かんでいる。
その近くには見覚えのある武器も沈みかけていた。
「先に入った連中のものか……」
レイが険しい顔で呟く。
目の前にあるものが何を意味しているのか、全員が理解していた。
自然と警戒が強まる。
黒川は水面へ視線を向けた。
「魚がいるな」
濁った水の中を小さな魚の群れが泳いでいる。
黒川はおもむろにナイフを取り出すと、自分の手のひらを浅く切った。
そして血を数滴、水面へ落とす。
ぽたり。
血が水へ溶けた瞬間、水面が一斉にざわめいた。
一匹、また一匹と魚が集まり始める。
やがて血の落ちた場所には無数の魚が群がっていた。
大きく口を開くと、その口元には鋭い牙が並んでいる。
「やはり……」
黒川が呟く。
「人食い魚だな」
アランも水面を見つめ、眉間にシワを寄せた。
「魚に襲われたんですかね……」
ヒロが水面へ視線を落とす。
その時、後方からオルネアが水面に浮かぶ衣服を見つめながら口を挟んだ。
「でも……あの人たちってAランクやSランクのエスパーでしょ?こんな魚に殺られるのかな」
その疑問に一瞬だけ皆が黙り込んだ。
確かに、ただの人食い魚なら高ランクエスパーが簡単に殺されるとは考えにくい。
「何か別の理由があるのかもしれないな」
アランが呟く。
黒川は濁った水面を見つめたまま、静かに口を開いた。
「油断するな。何が潜んでいるか分からない」
そして全員へ視線を向ける。
「急いで先へ進もう。足を踏み外すな。絶対に水へ落ちるなよ」
「「はい」」
一行は警戒を強め、木道の先へ進み始めた。
後方では、一花が少しだけ足を引きずりながら歩いていた。
右足首に走る痛みを隠すように、少しでも痛みの少ない角度を探しながら足を進める。
その時、前を歩いていたサーシャが振り返った。
一花の傍に来ると誰にも聞こえないよう耳元へ顔を寄せた。
「大丈夫ですか?」
その言葉に一花は目を見開き思わずサーシャを見る。
サーシャは一花と目を合わせると、口元へ人差し指を当てた。
「静かに」というように指を立てる。
一花はその仕草の意味を理解した。
(サーシャさんは覚えている……)
そう気づいた瞬間、張りつめていたものが少しだけ緩み目に涙を浮かべながら一花は小さな声で答える。
「痛い……です」
サーシャは一瞬だけ一花の足元へ視線を落とした。
そして何も言わず、その場にしゃがみ込む。
「早く」
サーシャは周囲を警戒しながら小さく促した。
一花は戸惑いながらもその背中に身体を預ける。
サーシャは一花を背負うと、何事もなかったかのように歩き始めた。
クロも一花のそばを離れず、サーシャの足元について歩いている。
その時、前方を歩いていたアランが振り返った。
一花がサーシャに背負われているのを見ると、険しい表情になる。
「もう疲れたのか」
冷たい声が響いた。
「自分で歩け。サーシャに迷惑をかけるな」
そこには呆れと嫌悪が滲んでいた。
一花の身体が小さく強張る。
けれどサーシャは足を止めなかった。
「遅い方が私が迷惑なので運ぶことにしました」
淡々とした声で答える。
冷たい言い方だったけれど、その言葉の裏にある意図を一花には感じ取ることができた。
サーシャは一花を守ってくれている。
それを悟った一花は、サーシャの背中に顔を隠しながら涙を浮かべていた。
その時突然、黒川の声が響いた。
「来るぞ!」
木道の両側に広がる濁った水面が大きく波打つ。
水中から手足の長い、粘ついた身体を持つ魔物が二体姿を現した。
左右からゆっくり近づいてくる。
「ここは水辺なので俺と神崎で行きます」
レイが告げる。
「神崎、右を頼めるか?」
「任せてください」
神崎が右手を高く掲げると次の瞬間、空気を震わせるような雷鳴が湿地帯に響き渡った。
閃光が走る。
神崎の手から放たれた雷が水面へ落ちると、濁った水の中を一気に駆け巡った。
水中にいた魔物が動きを止め、そのまま水面へ浮かんだ。
「すごい……」
玲央が思わず呟いた。
その反対側では、レイが迫ってくる魔物へ手をかざした。
「お前の相手は俺だ」
激しい炎が燃え上がり、炎に包まれた魔物が苦しそうな呻き声を上げながら身をよじる。
やがて魔物が水中へ倒れ込むと、
ジュッ……
っと、水面から白い湯気が立ち上がり、辺りは再び静寂に包まれた。
水面には焼けた藻が浮かび、ところどころから白い煙が上がっている。
神崎が水面を確認すると全員へ声を掛けた。
「水面には触らないでください。まだ電流が残っているので感電します」
「水辺には強いな」
アランが感心したように神崎を見る。
「ありがとうございます」
神崎は小さく頭を下げた。
「黒川さん、休めそうなとこ探して一度休憩しませんか?」
ヒロの声かけに黒川が頷いた。
「この湿地を抜けたら休憩しよう」
一行は再び木道を進み始めた。




