50話
アランはソファーの肘掛けへ腰を下ろすと、一花へ優しく声を掛けた。
「手、火傷してないか」
一花の手を取り、火傷がないか確認する。
「大丈夫……です」
「よかった」
アランは安心したように微笑んだ。
「一花ちゃんが来なかったらどうなっていたか。ありがとう」
そう言うと、一花の頭を優しく撫でた。
その手の温もりに一花はようやく落ち着きを取り戻した。
そこでふと自分の姿が目に入る。
患者衣のまま、髪も乱れた状態で、夢中で病室を飛び出した。
昨日の検査で外した下着も着けないまま、ここに来てしまった。
その事実を思い出した瞬間、肩から掛けられていた黒川のジャケットで胸元を隠した。
「あの……すみませんでした……」
小さく俯きながら謝る。
「そうだな」
後ろに立っていた黒川の声が落ちた。
「突然扉が開いたかと思えば、アランに駆け寄りそのまま介抱され、事情が事情とはいえ、その格好でここまで来るとは……お仕置きが必要か」
「え……」
一花は黒川がそんなことを言うとは思わなかった。
振り返り、恐る恐る見上げると、黒川の手が一花の顎を掴んだ。
「……っ」
驚く間もなく顔を上に向かせるとそのまま唇が重なった。
一花は目を見開く。
突然の出来事に頭が真っ白になる。
執務室も静まり返った。
あまりにも突然の出来事に誰一人として言葉が出ない。
アランだけが呆れたように苦笑する。
その空気に耐えきれなくなったオルネアが声をかけた。
「あの……お邪魔でしたら、私たち部屋を出ましょうか?」
アランは苦笑したままオルネアに答えた。
「いや、大丈夫だ。珍しく素の黒川が出ただけだ」
黒川は一花から唇を外すとアランへ目を向けた。
「お前のせいだろ」
その一言に、アランは思わず吹き出す。
「俺のせいか?」
「そうだ」
二人のやり取りを見て、ヒロたちは呆れたように顔を見合わせた。
レイはため息をつき、サーシャは苦笑を浮かべる。
湊だけはどこか落ち着かない様子で視線を泳がせていた。
皆の視線が自分へ集まっていることに気付き、一花の頬がみるみる赤く染まっていく。
(急に……なんで……)
恥ずかしさに顔を伏せる。
唇にはまだ黒川の温もりが残っていた。
(怒ってる……? それとも……嫉妬、とか……?)
どんな時でも冷静で、決して感情を表に出さない黒川。
その黒川が、皆の前であんな行動を取るなんて思いもしなかった。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
もしあれが嫉妬だったのなら――。
そう思うだけで一花の頬はさらに赤く染まった。
その時、オルネアがおずおずと手を挙げた。
「あの……せっかく皆さん集まってますし、今言ってもいいですか?」
「なんだ?」
アランが答えると、全員の視線がオルネアへ集まる。
オルネアは少し照れくさそうに笑った。
「私……本当のパートナーができました」
その一言に部屋の空気が止まる。
「……は?」
ヒロが間の抜けた声を漏らした。
「誰だよ」
レイも思わず聞き返す。
オルネアは隣に座る湊を見つめ、小さく微笑んだ。
「実は……湊とお付き合いすることになりました」
「えっ!?」
ヒロたちは目を丸くする。
「オルンに懐いてるのは知ってたけど……まさか、そこまで進んでたとはな」
ヒロは驚きを隠せない表情のまま苦笑した。
湊は照れくさそうに頭をかき、オルネアは少し恥ずかしそうに笑う。
アランはそんな二人を見つめ、息を吐いた。
「……お前、フラれたな」
黒川がちらりとアランを見て声をかける。
「なんとなく気付いてたよ。気付けばガイドはみんな相手がいるな」
オルネアは申し訳なさそうに頭を下げる。
「合同調査の前にちゃんと伝えておきたくて……アラン、ごめんね」
「謝らなくていい」
アランは穏やかに笑う。
そして黒川へ視線を向けると、少し意地悪そうに口角を上げた。
「……となると、残るは一花ちゃんだけか」
その一言に黒川の眉がぴくりとわずかに動く。
「俺も本気で立候補したら、困るか?」
アランがそう言って笑うと、黒川は呆れたようにため息をついた。
「やめろ」
「まだ一花ちゃんのパートナーじゃないんだろ?お前に拒否する権限はないよな」
アランは口元を緩める。
「そうだけど」
そのやり取りを聞いていたレイが口を開いた。
「それなら、俺にも立候補する権利はありますよね」
皆の視線が一斉にレイへ向く。
レイは照れくさそうに笑った。
「黒川さんとアランさんが相手じゃ分が悪いっすけど。それでも諦められるほど簡単じゃなかったので」
「そうか……」
黒川は短く返しただけだった。
オルネアは小さく苦笑する。
「一花ちゃんも大変だね」
高ランクエスパーにとって、自分だけのガイドと巡り会えることは奇跡に近い。
能力の相性。
精神の相性。
互いに命を預けられる信頼。
そのすべてが揃って初めて、本当のパートナーになれる。
だからこそ、その存在は唯一無二だった。
黒川は一花へ視線を向けたが何も言わなかった。
言えない。
パートナーになれば、一花は管理局所属となる。
危険な任務も増え、狙われることも今まで以上に多くなる。
それを知っているからこそ、自分から手を伸ばすことができずにいた。
そんな黒川を見たアランは、警告する。
「遠慮してると、本当に取られるぞ」
黒川はため息を吐いた。
「分かっている」
その返事は誰に向けたものだったのか。
執務室には、静かな空気だけが流れていた。




