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波の音が消える前に  作者: 音香(Otoca )


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41話

黒川は家を出るとその場で空間を歪ませ、次の瞬間にはゲート発生地点へ移動していた。


周囲では管理局の局員たちが避難誘導を行っている。


「黒川さん、お疲れ様です」


局員が駆け寄る。


「中からすでに魔物が数体出てきていてAランク局員が数名で対応しています」


「分かった。後は任せろ」


黒川はすぐにゲートへ足を踏み入れる。


「暑いな……」


焼けつくような熱気が全身を包んだ。


空は赤黒く染まり、大地はひび割れ、熱風が吹き荒れている。


ギャアアアアッ!!


甲高い鳴き声と共に、無数のコウモリ型の魔物が空を覆い尽くした。


黒川は静かに右手を上げる。


「邪魔だ」


見えない衝撃が空間を走った。


一瞬にして群れを成していたコウモリ型の魔物は次々と弾け飛び、黒い粒子となって消滅していく。


ゴォォォォ……


熱風が突然止むと黒川は眉を寄せた。


空気が変わり焼けるような熱気が一瞬で消え、代わりに頬へ冷たい風が吹き抜け吹雪に包まれる。


視界が真っ白に染まり、さっきまでの灼熱が嘘だったかのように辺りは氷雪の世界へ変わっていった。


黒川は顔をしかめ辺りを見回す。


「環境が……変わった?」


二重ゲートなら分かるがこんなゲートは聞いたことがない。


普通なら有り得ない現象だった。


ズン……


ズン……


重たい足音が雪の向こうから響き渡る。


巨大な雪男型の魔物だった。


三メートルを超える巨体が咆哮を上げながら黒川へ突進してくる。


「そういうことか」


黒川は一歩踏み出すと姿が掻き消えた。


一瞬で雪男の懐へ入り込み腹部へ掌を添えると轟音が吹雪を裂いた。


雪男の身体が吹き飛び、そのまま地面へ叩きつけられる。


一体、二体、三体……


雪煙の向こうから次々と現れる。


黒川は空間移動を繰り返しながら、一体ずつ確実に倒していく。


本来なら複数部隊で攻略する規模だった。


それを一人で制圧していく。


「さすがに多いな」


能力を使う度に身体の奥が僅かに重くなっていく。


だが黒川は気にも留めなかった。


それが自分にとっては当たり前だった。


やがて最後の雪男が崩れ落ちる。


吹雪が止み静寂が戻ると奥に核が現れた。


いつもより重くなった身体でゆっくり近づき核を回収する。


その時、ぞくりと背筋を悪寒が駆け抜けた。


黒川は反射的に身体を捻る。


ヒュッ――。


何かが頬を掠める。


一筋の赤い線が浮かび、血が一滴流れた。


黒川は瞬時に距離を取り、周囲へ視線を巡らせるが何もいない。


「何だ」


確かに攻撃されたのに姿が見えず魔物の気配も感じない。


「どうなってるんだ……」


黒川は警戒したまま周囲を探ったが何も見つからなかった。


外へ出ると局員が黒川の帰りを待っていた。


「黒川さん、お疲れ様です」


「ああ」


黒川は振り返ると黒く揺らめくゲートを見つめる。


(何かがおかしい……)


その違和感だけが胸に残った。


「どうかされましたか?」


局員が黒川に聞いた。


「いや……。閉じるまで様子を見ていてくれ」


「承知しました」


黒川は管理局の執務室へ戻ると一人の青年がソファーから立ち上がる。


「お疲れ様です」


橘悠真(たちばな ゆうま)だった。


黒川専属の補佐官であり、氷と結界能力を持つSランクエスパー。


黒川は返事をするより先に手にしていた核を机へ置いた。


「橘、この核の分析を頼む」


「かしこまりました」


橘は核を受け取り黒川へ視線を向けると小さく眉を寄せた。


黒川は執務椅子へ身体を預けるように腰を下ろした。


どさりと重たい音が部屋に響く。


「愛菜さんをお呼びしますか」


「いや……呼ばなくていい」


即答だった。


橘は静かに黒川を見つめる。


「辛そうに見えますが……珍しいですね」


黒川は背もたれへ深く身体を預け、ゆっくり息を吐いた。


「あのゲートは異常だ。中へ入った瞬間は灼熱地帯だったが魔物を倒した途端、辺り一面が吹雪へ変わった」


「環境が変化したんですか」


「ああ。それだけじゃない」


黒川は目を閉じたまま続ける。


「能力を使うたびに……何かに力を吸い取られるような感覚があった」


その言葉に橘は黙る。


黒川ほどの実力者がそんなことを口にするのは初めてだった。


黒川が目を開くと漆黒の瞳がいつも以上に深い闇を宿していた。


「残りは私たちで調べます。黒川さんは休んでください」


「……そうだな」


黒川は深く息を吐く。


疲労を表に出すことなど滅多にない人なだけに橘は心配した。


「もし厳しければ、ガイドを手配しますのでご連絡ください」


「ああ」


黒川はゆっくり立ち上がる。


「悪いな。あと頼む」


そう言うと空間を歪ませ自宅の玄関前へ帰った。


黒川は珍しくその場で辛そうに息を吐くと扉に手をかけ、静かに開けた。


その音に気付いた一花が廊下を歩いてくる。


「お帰りなさい」


一花から自然と零れるガイド特有の香りがふわりと鼻を掠める。


普段なら安心するはずのその香りが、今の黒川には強すぎた。


身体の奥にある毒素が一気に反応する。


「……っ」


黒川は僅かに眉を寄せた。


「黒川さん……?」


一花が心配そうに近づこうとするとその腕をレイが咄嗟に掴んだ。


「待て」


ヒロとレイの表情から笑みは消えヒロが問いかける。


「黒川さん、大丈夫ですか」


黒川は苦笑するように息を吐いた。


「さすがだな」


レイは静かに頷く。


「これだけ漏れてたら、俺たちなら分かりますよ」


「悪いが……今日は一花を連れて帰ってくれ」


黒川は誰とも目を合わせずそのまま浴室へ向かうと、玄関には重たい沈黙が残る。


「一花、今日は帰るぞ」


ヒロが静かに声をかけると一花は首を横に振った。


「でも……黒川さん、毒素が溜まってますよね」


ヒロは真っ直ぐ一花を見た。


「だから帰るんだ」


強い口調だった。


「あれはアランさんの比じゃない。今の黒川さんは危険すぎる。一花には無理だ」


一花はぎゅっと拳を握る。


「私なら……できます……。黒川さんと毎日練習してきたんです。だから……やれます」


ヒロは思わず声を荒げる。


「一花は怪我してるだろ!それに今は練習じゃない。失敗したら死ぬんだぞ!」


「それでも……」


その言葉に一花は悔しそうに俯いた。


ヒロは厳しい顔で一花を見る。


その雰囲気にレイが一歩前へ出た。


「一花ちゃん」


穏やかな声だった。


「本当に危険なんだ。いくら一花ちゃんにSSランクの力が眠っていたとしても、まだ完璧に扱えるわけじゃない。それは分かるよね」


一花は頷いた。


そんなことは自分が一番分かっている。


まだ未熟で失敗するかもしれない。


怖くないわけじゃない。


それでも ――。


「……どうしても助けたいんです」


その言葉にヒロもレイも黙った。


ガイドだからではない。


義務だからでもない。


好きな人を助けたかった。


レイはしばらく一花を見つめると、小さく息を吐いた。


「ヒロ、帰るぞ」


ヒロは思わずレイを見る。


「は?」


「一花ちゃんが頑張るって言ってんだから信じよう」


レイは優しく苦笑いすると一花の頭を撫でた。


「本気で言ってるのか」


「ああ」


レイは迷いなく頷くとヒロは納得できないという表情のまま頭を掻いた。


「……分かったよ。絶対無茶するなよ」


そう言うしかなかった。


一花は小さく頷く。


ヒロとレイは玄関へ向かう。


「また連絡する」


「何かあったらすぐ呼べよ」


「ありがとうございます」


玄関の扉が静かに閉まると一花はしばらく閉じられた扉を見つめたまま動けなかった。


その時、足元から小さな鳴き声が聞こえる。


「ニャー」


「クロ……」


一花はしゃがみ込み、クロをそっと抱き上げた。


柔らかな毛並みに顔を寄せる。


「できるかな……」


震える声だった。


「クロが神様なら……力を貸して……お願い」


クロは腕の中で真っ直ぐに一花を見つめる。


吸い込まれそうなほど澄んだ瞳だった。


その瞬間、クロの瞳の輪郭が金色に淡く輝いたように見えた。


一花は思わず息を呑むと目を逸らせなかった。


するとクロはいつもとは少し違う鳴き声を上げる。


「ニャッ、ニャ」


その声を聞いた瞬間、不思議と胸の奥の震えが静かに消えていく。


まるで 『大丈夫』そう言われたような気がした。


一花はクロをぎゅっと抱きしめ頷いた。


「……ありがとう」

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