40話
翌日、黒川は自宅のリビングでノートパソコンを開き、仕事をしていた。
管理局の部下と電話を繋ぎ、報告を受けながら必要な指示を出していく。
「その件は午後までにまとめて送ってくれ」
『承知しました』
通話を切り時計を見ると昼を過ぎていた。
朝様子を見た時には一花の熱は下がっていた。
しかし、それでも一花はまだ部屋から出てこない。
( ……少し長いな)
黒川は立ち上がり寝室へ向かった。
ゆっくり扉を開けると、一花は目を開けて天井を見つめていた。
「起きてたか」
黒川はベッドの横まで歩いて行く。
「調子はどうだ」
一花はゆっくり黒川へ視線を向けた。
「大丈夫……です……」
その返事に黒川は眉を寄せる。
声に力がなかった。
「起きられるか」
「はい」
黒川は背中へ手を回し、ゆっくり身体を起こそうとする。
すると、一花の表情が歪み小さく息を呑む。
「……っ」
「痛いか?」
一花は首を横に振ろうとするが痛みでぎこちなくなる。
「……だい、じょうぶです」
黒川は心配になり、首元へ落ちていた髪をそっと片側へ流した。
その瞬間、黒川の表情が険しくなる。
白い首筋から肩にかけて、痛々しい青あざが広がっていた。
何度も叩かれた痕。
「これは……愛菜にやられたやつか」
一花は視線を伏せ、身体を引いた。
「寝てれば……治りますから」
黒川の声が少しだけ低くなる。
「そういう問題じゃないだろ」
部屋が静まり返る。
一花の胸がどくんと脈を打った。
怒らせてしまったとそう思った。
「……すみません」
一花はか細い声で謝った。
黒川はその言葉を聞くと、小さく息を吐いた。
自分が怒っている相手は違う。
それなのに、この子はまた自分を責めている。
黒川は額に手を当て、静かに目を閉じた。
「悪い。一花に怒ったわけじゃない。ちょっと待ってろ」
そう言うと黒川は部屋を出て、自室から湿布を持って戻ってきた。
「少し冷えるぞ」
首元の髪をそっと避け、青あざの残る首から肩にかけて湿布を貼っていく。
一枚、また一枚と丁寧に貼り終える頃、一花の肩が小さく震えた。
「……っ」
「痛いか」
「冷たくて……」
その答えに黒川は少しだけ表情を緩める。
「なら効いてるな」
湿布を貼り終えると、一花の顔を覗き込んだ。
「食事は食べられそうか?」
一花は少しだけ考えてから答えた。
「少しだけなら。下で……食べます」
「分かった」
黒川は一花へ手を差し出した。
一花はその手を取り、ゆっくり立ち上がる。
まだ身体に力は入りきらず、ふらついたところを黒川が支えた。
そのままゆっくりリビングへ向かい、ダイニングチェアへ座らせる。
黒川は冷蔵庫から作り置きのお粥を温め、一花の前へ置いた。
「食べられる分だけでいいからな」
「……いただきます」
一花はゆっくりとスプーンを口へ運ぶ。
昨日からほとんど食べていなかった身体に沁みわたる感じがした。
黒川は向かいに座り、一花が食べ終わるまで静かに見守っていた。
その時だった。
――ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
黒川は立ち上がり、モニターを確認した。
「ああ、来たか」
玄関へ向かい扉を開けるとそこにはヒロとレイが立っていた。
「合鍵渡してあるだろ」
そう言うとヒロは苦笑いを浮かべる。
「いや……合鍵はアランさんから預かってるんですけど、さすがに初めてのお宅だったので」
レイも横で頷いた。
「勝手に入るのは気が引けました」
黒川はそんな二人を見て小さく笑う。
「律儀だな。どうぞ」
「お邪魔します」
二人は軽く頭を下げ、黒川の家へ足を踏み入れた。
リビングに入ったヒロは、一花の姿を見つけると表情を和らげる。
「一花、大丈夫か?」
しかし、その笑顔は一花の首元に貼られた湿布を見た瞬間、静かに消えていった。
ヒロは何も言わず黒川に目を向けると一度頷くだけだった。
そのやり取りだけで二人は察し、あえて何も口にしなかった。
レイはゆっくり一花の前まで歩く。
「一花ちゃん、遅くなってごめんね」
その優しい声に一花が顔を上げる。
レイはそっと一花を抱きしめた。
「ゲートに入ってたんだ。さっき戻ってきてすぐ来たんだよ」
「レイさん」
ヒロも隣へ来ると、いつものように優しく頭を撫でる。
「心配したんだぞ」
短い一言だった。
その温もりに、一花の目からぽろりと涙が零れ落ちる。
レイは何も聞かず、一花の背中をゆっくり撫でた。
「大丈夫。俺たちがいるだろ」
優しくなだめながら、一花をソファーへ連れて行き隣に座る。
しばらくするとヒロが部屋を見回した。
「あれ?猫はいないのか」
すると窓際から小さな鳴き声が聞こえた。
「ニャー」
「そんなところにいたのか」
クロは窓辺に座ったまま、外をじっと見つめていた。
黒川はその姿を見ながら静かに口を開く。
「昨日からずっとあそこにいる。外ばかり見てる」
レイはクロを見つめ、呟いた。
「何かを感じ取ってるんですかね」
「そうだな。気がかりではあるんだ」
黒川がそう告げると部屋には静かな空気が流れた。
男性陣はソファーに腰掛け、ゲートの話や最近の出来事など他愛もない会話をしていた。
一花はそのやり取りを静かに聞いている。
黒川の表情が突然険しくなり、窓の外へ視線を向けた。
「シャーッ!」
クロが低く威嚇するように鳴き、窓の外を睨みつける。
三人もつられて外を見た。
さっきまで晴れていた空が、まるで何かに飲み込まれるように黒い雲に覆われ始めていた。
ゴロゴロ……。
重い雷鳴が空を震わせる。
黒川は立ち上がり、窓の近くに寄る。
「これは……」
小さく呟くと携帯電話が鳴った。
画面を確認すると部下からだった。
黒川はすぐに電話に出る。
「もしもし。ああ」
部下の報告を黙って聞く。
「分かった。では私が行く」
それだけ告げて電話を切るとヒロとレイへ視線を向けた。
「ゲートが開いた」
短い一言に二人の表情が引き締まる。
「今回は私が向かう。一花を頼めるか」
ヒロが少し驚いたように黒川を見る。
「黒川さんが向かうんですか?」
「ああ。今回のゲートは少し厄介みたいだ。私が行った方が早い」
その言葉にレイも納得したように頷いた。
「分かりました。こっちは任せてください」
黒川はそのまま自室へ向かい、着替えを済ませて部屋から出てきた。
黒いTシャツに黒いパンツ。
余計な装飾のない実戦用の服装だった。
黒川の纏う空気まで変わったように見える。
一花はその姿を心配そうな顔で見つめた。
管理局で見た姿とも、家で見せる穏やかな姿とも違うSSランクとしてゲートへ向かうエスパーだった。
黒川は玄関でブーツを履き終えると振り返る。
「行ってくる」
「気をつけてください……」
黒川は見送ってくれた一花にいつものようにぽんっと頭を撫でる。
「すぐ戻る」
その一言に一花は安心したように微笑んだ。
「はい」
黒川が玄関の扉を開けると外では再び大きな雷鳴が轟いていた。




