39話
オルネアは執務室を出るとすぐに一花の後を追った。
廊下を見渡すとエレベーターホールに立つ一花の姿があった。
「一花ちゃん」
名前を呼ぶと振り返った一花はどこか思い詰めた表情だった。
「オルンさん……」
「私も一緒に行っていい?」
「え……?」
一花が戸惑うとオルネアはいつものように微笑んだ。
「仕事の話ばっかりで疲れちゃうよね」
明るい声で話し、何も聞かなかった。
「すみません……。本当は用事なんてなくて…… 」
俯いた一花を見て、オルネアは優しく笑った。
「だと思った。私、一緒にいてもいい?」
一花が頷いたのを見て、オルネアは一花の手を取った。
管理局の屋上の端には小さな休憩所があった。
そこに二人は並んで座る。
オルネアが立ち上がり自販機で温かいお茶を買って一花に手渡した。
「はい。温かいの飲むと落ち着くよ」
「ありがとうございます」
一花は受け取ると数口飲んだ。
二人はしばらく何も話さなかったが、その沈黙は嫌なものではなかった。
「一花ちゃん」
「はい」
「私ね、一花ちゃんに会えて嬉しかったよ」
突然の言葉に一花は顔を上げてオルネアを見た。
「アラン達からいっぱい話聞いてたの。優しくて、頑張り屋さんで、でもすぐ一人で抱え込む子だって。本当にその通りだった」
一花はお茶を持つ手がぎゅっと力が入る。
「一人で抱え込まなくていいんだよ。私たちは仲間なんだから辛かったら甘えていいし、泣きたかったら泣けばいい。お互いに支え合わないと」
その時オルネアの携帯が鳴る。
画面を見るとアランからだった。
「もしもし。うん。分かった」
少し話してから電話を切る。
「アランが戻って来いだって」
オルネアは心配そうに一花を見る。
「一花ちゃん、戻れそう?辛かったら無理しなくていいよ」
「……大丈夫です」
一花の様子を見ながらオルネアは自然に一花の手を握る。
「傍にいるから。行こ」
執務室に戻ると愛菜の姿はなかった。
アランが一花に声をかける。
「一花ちゃん」
アランは一花の傍まで来るといつものように頭を撫でた。
「何かされたらちゃんと言え。俺たちは一花ちゃんの味方だから」
アランの優しい言葉に一花の表情が崩れ、ずっと我慢していた涙が再び溢れる。
「……っ」
止めようとしても止まらなかった。
その様子を見ていたオルネアがそっと抱きしめた。
「……っ!」
その瞬間、一花の身体がびくっと跳ねたのを感じ、オルネアはすぐに腕の力を緩める。
「すみません…… 」
一花は誤解されたくなくて小さな声で謝った。
オルネアは一花を見つめた。
今の反応は怖がったんじゃなく痛がった。
「痛かった?」
一花は俯くだけで答えず、オルネアの目が険しくなる。
「もしかして……頬だけじゃなくて肩とかも叩かれたの?」
アランや黒川、サーシャの表情も険しくなる。
オルネアは一花をもう一度、今度は痛くないように優しく抱きしめた。
「あの子最低だわ……」
普段優しいオルネアが呟いた声は、怒りに満ちていた。
しばらくして一花が少し落ち着いた頃、アランが静かに声をかけた。
「一花ちゃん」
顔を上げるといつもの優しいアランがいた。
「今日は一緒に帰るか?」
その言葉に一花は三人を見る。
アラン。
サーシャ。
オルネア。
みんな優しい眼差しで待ってくれていた。
でも最後に自然と視線が向かったのは黒川だった。
黒川は一花の視線に気づく。
「一花が決めればいい」
その言葉に胸がチクリと苦しくなる。
自分の意思を尊重してくれている優しい言葉なのに“一緒に帰るぞ”と言ってほしかった。
愛菜がいるのに自分を選んでほしいと思ってしまう。
そんな自分勝手な気持ちに一花は言葉にできないでいた。
「一花ちゃん」
サーシャが優しく声をかけた。
「自分の気持ちに蓋をしなくていいんですよ。もっとわがまま言っても大丈夫です」
サーシャが微笑む。
一花は少し躊躇したあと、俯きながら気持ちを言葉にした。
「黒…川さんと一緒に……」
消えそうな声だった。
黒川は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに席を立ち上がり一花の傍に来ると優しく頭に手を置いた。
大きな手がいつものように撫でる。
「一緒に帰ろうな」
一花は小さく頷いた。
アランは黙ってその姿を見ていた。
少し前なら一花が頼る相手は自分たちだった。
でも今、一花が自分で選んだ相手は黒川だった。
そのアランの横顔を見てオルネアがそっと近づく。
「残念だったね」
アランは一瞬オルネアを見る。
「何がだ」
「分かってるくせに」
オルネアはいたずらっぽく笑った。
アランは何も言わず、黒川の隣にいる一花を見ると小さく息を吐く。
「一花ちゃんが決めたならそれでいい」
少し寂しそうで、でもどこか安心した声だった。
一花はその言葉にハッとしてアランを見る。
「アランさん……」
また自分が迷惑をかけてしまったとそんな表情をしていた。
「俺たちは一花ちゃんが誰を選んだからって離れたりしないから安心しろ。黒川の家に帰っても一花ちゃんが俺たちの大事なガイドなのは変わらない」
アランは優しく笑う。
その言葉に一花の瞳が揺れる。
オルネアも隣で笑った。
「一花ちゃんいないと私一人で五人のモンスター相手するのは大変なんだよ。早く帰ってきてね。待ってるから」
「はい」
一花はオルネアに微笑み返した。
サーシャも安心したように穏やかな顔になる。
「今度帰ってきたらみんなでご飯食べましょう。待ってますからね」
「……はい」
その様子を黒川は静かに見守っていた。
アランたちは黒川に任せて帰っていった。
黒川は残っていた仕事を早めに片付ける。
「待たせたな。帰ろう」
「はい」
二人は一緒に車に乗り込み、管理局をあとにした。
家に着き玄関の扉を開けると、すぐにクロが歩いてきた。
「ニャー」
「クロ…… 」
一花はその場にしゃがみ込み、クロを抱き上げる。
「ただいま」
ぎゅっと抱きしめるとクロも安心したように一花へ擦り寄った。
朝はついて来なかったのに、まるで全部分かっていたみたいだった。
二人は順番にシャワーを浴び、いつものようにリビングで過ごしていた。
テレビの音が流れ、クロが一花の膝の上で丸くなっていた。
するとクロが突然一花を見上げ鳴いた。
「ニャー」
一花の反応がないことに黒川が気づいた。
顔が赤く、目を瞑り荒い息を吐いていた。
身体の力が抜け、だるそうにソファーにもたれ掛かっていた。
「一花」
声をかけると一花がゆっくり目を開けた。
黒川が額に手を当てると、明らかに熱を持っていた。
「熱いな」
黒川は急いで一花を抱き上げ寝室へ運び、ベッドに寝かせてからキッチンで氷枕の用意をした。
寝室へ戻ってくると一花の首を持上げ頭の下へ置いた。
一花はぼんやりと黒川を見ていた。
「……すみま…せん」
「いいから。少し寝ろ」
黒川の手が一花の頬に触れる。
その手のひらの冷たさに一花は無意識に擦り寄った。
黒川は一花の反応に小さく笑みを浮かべた。
「傍にいるから寝ろ」
「いて…ください……」
「ああ。分かった」
黒川が一花のおでこを撫でるとしばらくして規則正しい寝息が聞こえ始めた。
しばらく寝息を聞きながら様子を見ていた黒川は、安心したように自分も静かに眠りについた。




