38話
黒川の執務室。
黒川、アラン、サーシャ、オルネアは一花を待っていた。
珍しく心配だったのか、いつも落ち着いているアランも何度か扉の方へ視線を向けている。
黒川が時計を確認した。
「遅いな」
「せっかく早めに来たのにな」
アランも時計を見ながら呟く。
約束の時間は過ぎていた。
「一花ちゃん、どうしたんでしょう」
サーシャが心配そうに扉を見る。
黒川は黙ったまま考えていた。
一花は人に迷惑をかけることを極端に嫌がる。
待たせると分かっていて、何も言わず遅れるような性格ではない。
「おかしいな。一花ならもう来てるはずだ」
黒川が呟くとその言葉にアランが反応する。
「そうだな」
オルネアがソファーから立ち上がる。
「私、見てくるよ」
「では私も行きます」
サーシャも続く。
黒川が頷いた。
「頼む」
二人は執務室を出た。
廊下を歩きながらオルネアはサーシャに聞いた。
「サーシャの力でどこにいるか分からない?」
「探してみます」
サーシャは目を閉じ管理局内の気配を探る。
たくさんの人の感情。
その中から、よく知っている一花の気配を探した。
「……いました」
「どこ?」
「一階です」
オルネアは安心しかけるがサーシャの表情が曇る。
「サーシャ?」
「一花ちゃんの感情が…… 」
サーシャは眉を寄せる。
いつもの一花は少し遠慮がちで、不安を抱えていても優しい気配があった。
でも今感じるものは違った。
恐怖。
悲しみ。
そして強い自己否定。
「急ぎましょう」
サーシャは迷わず歩き出した。
その一言でオルネアの表情も変わる。
近づくにつれてサーシャの表情が険しくなる。
「こっちです」
人通りの少ない廊下奥の窓際のベンチに一花は一人で座っていた。
外をぼーっと見つめて動かない。
「一花ちゃん」
オルネアが声をかけると力なく二人の方を向いた。
オルネアとサーシャの姿を確認すると、一瞬だけ目を見開いた。
「あっ、すみません……。時間……。過ぎていました」
いつものように頭を下げて謝った。
二人の視線は一花の顔を見て止まる。
赤くなった頬に目元の傷。
泣いたあとみたいな目。
「一花ちゃん……何があったの?」
オルネアが近づく。
一花は咄嗟に嘘をついた。
「あ……さ、さっき転んでしまって……」
小さく笑った。
でも二人には一花が嘘をついていることが分かった。
転んでできるような傷じゃない。
「……そっか」
オルネアはそれ以上聞かなかった。
今問い詰めれば、一花はきっと隠すだろう。
「みんな待ってるよ。行こう」
「……はい」
一花は小さく頷いた。
家に帰ることもできなかった。
黒川にも、アラン達にも会いたかったはずなのに今はどんな顔をすればいいのか分からなかった。
執務室に入るとすぐに一花は頭を下げた。
「すみません。遅くなりました」
その声に黒川が顔を上げると一瞬で表情が変わった。
「一花」
すぐに近づき両手で一花の顔を包み込んだ。
「何があったんだ」
一花は慌てて視線を逸らす。
「転んでしまって……」
黒川は今の一花が無理をして答えていることくらいすぐに分かった。
アランも表情を変えた。
「一花ちゃん……」
サーシャとオルネアへ視線を向ける。
『何があった』と聞くような目だった。
けれどオルネアは『ここでは聞かないで』そう伝えるように小さく首を横に振る。
アランは何か言いたそうにしたが口を閉じた。
「一花ちゃん、座ろう」
オルネアはいつも通りの明るい声で一花の手を取る。
「はい」
一花をソファーへ座らせた。
黒川もアランも気づいていたが誰も問い詰めなかった。
今必要なのは答えを聞き出すことじゃない。
一花を落ち着かせることだった。
しばらくして、仕事の話が始まった。
ゲートの状況。
今後の調査。
一花は一点を見つめ静かに聞いていた。
オルネアは一花の様子を気にかけていた。
コンコン。
ノックのあと扉が開いた。
「誠一」
入ってきた愛菜の声に一花の身体が強張った。
一花の反応を黒川は見逃さなかった。
愛菜は黒川へ近づく。
「ねー、最近全然呼んでくれないじゃない」
そう言いながら、甘えるような声で当たり前のように黒川の椅子の肘掛けに腰を下ろすと黒川の腕に手をまわした。
一花はその姿に胸の奥が苦しくなる。
「あの……私、用事思い出したので失礼します」
急いで立ち上がりドアの前で頭を下げ部屋をあとにした。
「私も用事思い出したからまたあとでね」
そう言いオルネアも一花の後を追った。
二人が部屋を出ていくと黒川が愛菜に冷たく話しかける。
「愛菜、今は仕事中だ」
「……え?」
愛菜の表情が固まる。
今までそんなことを言われたことはなかった。
「急にどうしたの?」
「その態度前から言おうと思っていた」
黒川は淡々と話す。
愛菜の顔から笑みが消える。
「どういう意味」
「俺とお前はエスパーとガイドのパートナーだ。それ以上の関係ではない」
その一言に愛菜の表情が歪む。
「何それ。今までは何も言わなかったじゃない」
「パートナー契約はしているが交際した覚えはない。ガイディングも接触ガイディングだけだっただろ」
「そうだけど。そんなにあの女が大事なわけ」
愛菜の視線が一瞬で一花への敵意が含まれたものに変わった。
サーシャが眉を寄せ愛菜の感情を感じ取る。
怒り。
嫉妬。
そして一花への強い敵意。
「愛菜さん」
サーシャは怒りを含んだ低い声で呼んだ。
「一花ちゃんに何か言いましたか?」
「私が何をしたっていうのよ。証拠はないじゃない」
愛菜はサーシャに噛みつくように言った。
アランは立ち上がりゆっくり愛菜へ近づく。
「証拠?」
静かな声だったがその場の空気が一瞬で凍りつく。
「お前、誰の前でそれ言ってるか分かってるのか」
愛菜の顔色が変わる。
「俺も黒川も、見ようと思えばお前の記憶くらい覗ける」
「……っ」
愛菜はアランの圧に後退りした。
「そうやって脅すのずるいじゃない……」
震えた声だった。
けれどアランの表情は変わらない。
「ずるい?一花ちゃんが何も言わないと分かっててやったんだろ」
愛菜は何も言い返せなかった。
「なんで……」
愛菜の声が震える。
「なんでみんな、あの子ばっかり……」
愛菜の目に涙が滲む。
「私はずっと誠一のパートナーだったのに……」
黒川は怒りを抑えながら愛菜に告げた。
「愛菜、お前が俺のガイドとして支えてくれていたことには感謝している。だがそれと今回のことは別だ」
その言葉に愛菜の表情が曇る。
もう何を言っても変わらないと理解したのか、愛菜は涙を流しながら部屋を出て行った。
扉が閉まると黒川はため息を吐き、椅子にもたれる。
「申し訳ない……」
その言葉にアランが黒川を見る。
「お前が謝ることじゃないだろ」
「いや、パートナーの問題は俺の問題だ」
黒川は珍しく額に片手を当て頭を抱えた。
パートナーとして何年も近くにいたが愛菜の距離感をそのまま許していたことが誤解を生んだのだ。
「もっと早く線を引くべきだった」
「確かに愛菜ちゃんの気持ちも分からなくないがやりすぎだ」
アランの声に怒りが混ざる。
「……今日は一花を連れて帰るか?」
黒川が聞くと、アランは少し意外そうに黒川を見る。
「いいのか?」
「アランたちの仲間だろ。一花も朝から会えるの楽しみにしてたからな。俺では心の支えになってやれない」
アランはしばらく黒川を見た。
「何だ」
「いや……。黒川、一花ちゃんのこと呼び捨てにしてたか?」
サーシャも先程から気になっていた。
以前は確かに“一花さん”呼びだった。
「一緒に暮らしてる相手をいつまでも他人行儀には呼ばないだろ」
黒川は普通の返答だったが付き合いの長いアランは気づいていた。
ただの訓練相手なら黒川は距離を詰めない。
「そうか……」
アランはそれ以上聞くのをやめた。
数日の間に黒川の中で何かが変わったことだけは、はっきり分かった。




